菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

だんだん強く。 『クレッシェンド 音楽の架け橋』

2022年02月12日 00時00分37秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2004回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 

『クレッシェンド 音楽の架け橋』

 

 

 

 

世界的指揮者がイスラエルとパレスチナの若者と和平オーケストラをつくる音楽ドラマ。

敵対するパレスチナとイスラエル双方の若者たちで構成された実在の和平オーケストラ“ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団”に着想を得てつくられた。

 

主演は、『ありがとう、トニ・エルドマン』のペーター・ジモニシェック。

監督は、ドロール・ザハヴィ。

 

 

 

物語。

世界的指揮者スポルクに、対立が続くパレスチナとイスラエルの若者たちで構成されたオーケストラを結成し、平和を願うコンサートを開く、という企画が持ち込まれる。
ついに、オーディションが開かれることになるが、会場はイスラエル。パレスチナ人で、このオーディションにかけているレイラとオマールは許可証で検問を越えられると意気揚々と向かう。

原案:アルト・ベルント、アリス・ブラウナー
脚本:ヨハネス・ロッター、ドロール・ザハヴィ、ステファン・グランツ、マーカス・ローゼンミューラー
脚色:ヴォルカー・ケルナー

 

 

出演。

ペーター・ジモニシェック (エドゥアルト・スポルク)

サブリナ・アマリ (レイラ)
ダニエル・ドンスコイ (ロン)

メディ・メスカル (オマル)
ヤン・ピンコヴィッチ (シーラ・ヘルヴィー)
ヒサム・オマリ (ジュセフ/オマールの父)

ビビアナ・ベグロー (カルラ)
ゲッツ・オットー (ベルマン/警備)

 

 

スタッフ。

製作:アリス・ブラウナー

撮影:ゲーロ・シュテフェン
編集:フリッツ・ブッセ
音楽:マーティン・シュトック

 

 

『クレッシェンド 音楽の架け橋』を鑑賞。
現代中東、世界的指揮者がイスラエルとパレスチナの若者と和平オーケストラをつくる音楽ドラマ。
敵対するパレスチナとイスラエル双方の若者たちで構成された実在の和平オーケストラ“ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団”に着想を得てつくられたフィクション。
ちなみに、この楽団は定期的に活動を行っており、コンサートを録音したCDやDVDも出ている。
実は、ドイツ映画で、ドイツならではの問題も扱われる。
主演も『ありがとう、トニ・エルドマン』のペーター・ジモニシェックで、そのマエストロな雰囲気は流石。
見所は、鬼気迫る表情で弾いているのに感情がない演奏をするサブリナ・アマリの矛盾。箱入り息子どうやら15歳くらいの設定らしいオマル役のメディ・メスカルの素直さ。全員二つの世界で揺さぶられているのが、その強い視線で、今の自分たちの問題だと訴えかけてくる目に飲み込まれる。
音楽映画としては弱い。もちろん聴かせどころはあるし、それはとてもいいシーンなのだけど。そもそも、敵対する若者同士が一つの楽団になること、その活動自体がテーマなので、そこは狙いではないというか。
ただ、ちょっと編集が雑なのよね。
タイトルがいくつもの言葉にかかるのがよい。クレッシェンド=「だんだん強く」なるのは、憎しみであり、相互理解であり、そして……。
現実の問題なので、そこへの問いかけの物語になっている。まさに現在の映画。
近いものを抱えつつも、解消に取り組んできた先輩の国だkらこその提言ではある。
実際の活動があるので、そこを知らせるという意味でも。
それは、反日の国と隣同士の日本もまた当事者として見られる問題である。
その負債をどうやって清算していくのか、さらに積み続けるのか。その判断を棚に上げていくのか。
遠い国の出来事ではない、世界が抱える大きな問題に、音楽でも映画でも解決を示さないところに今作の誠実さがある。
壁はあっても音楽は聞こえてくる。
その壁をまずは見えるガラスにしようとする門作。


 

 

おまけ。

原題は、『CRESCENDO』。
『だんだん強く』。

英語題は、『CRESCENDO #MAKEMUSICNOTWAR』。
『クレッシェンド #戦争をやめて音楽をつくろう』。

 

2019年の作品。

 

製作国:ドイツ
上映時間:112分
映倫:G

 

配給:松竹  

 

 

 

 

モデルとなったウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団(West-Eastern Divan Orchestra)は、1999年にユダヤ系指揮者ダニエル・バレンボイムとパレスチナ系文学者のエドワード・サイードにより設立されたオーケストラ。
楽団の名称はゲーテの著作『西東詩集』(West-östlicher Divan)から命名された。
団員は対立を続けるイスラエルとヨルダン・レバノン・シリアなどのアラブ諸国出身の若き音楽家達である。
第1回は1999年のゲーテ生誕250年の記念日、ドイツのワイマールで開催され、バレンボイムやサイードの他にヨーヨー・マが参加した。アラビア語とペルシア語の文献を見出したゲーテの『西東詩集』にならい、イスラエルとアラブの音楽家が集まって一つのオーケストラで演奏するというアイデアだった。曲目はベートーヴェンの交響曲第7番で、午前と午後にオーケストラのリハーサルを行い、夜にディスカッションを行なうという形式をとり、室内楽やマスタークラスのレッスンもあった。当時の模様は、バレンボイムとサイードの対談集『音楽と社会』にも詳しい。その後は、毎年夏にスペインのアンダルシアで合宿し、ワークショップと演奏会のツアーを行なっている。
この活動に対して、バレンボイムとサイードは2002年にスペイン王室よりアストゥリアス皇太子賞を授与された。
サイードは2003年に死去したが、その理念「共存への架け橋」を掲げて現在もバレンボイムを指導者として音楽活動を続けている。
2005年にはパレスチナ自治区ラマラにて厳戒態勢での中、演奏会を実施し、大きな感動を呼び起こした。
2007年には、高松宮殿下記念世界文化賞の若手芸術家奨励制度に選ばれた。
2018年のアメリカ合衆国でのコンサートでは、ドナルド・トランプ政権の入国禁止令の影響で公演危ぶまれたが、禁止令の適用が免除されて実現した。
ワーナー・クラシックス・レーベルよりコンサートライブのCDやDVDが出ている。(wikiより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

ペーター・ジモニシェックで、そのマエストロな雰囲気は流石なのは、脚本と演出によるものでもある。
なにしろ、彼が指揮をするシーンはほんのわずかしかなく、その指導は音楽的でないことばかりだから。
なので、音楽的な見応えが薄い。
もちろん、オーケストラとしては、素晴らしいレベルというわけ(スポルクによる選抜だから高いレベルのはずという設定だが、そこは聴けないので)ではなく、その活動自体に焦点が当てられているので、狙いはそこじゃないし、その上で、指導者がいない中でコンマスとソリストが立ち上がる最後の演奏が効いて、当事者に主役を譲っているのが良い点である。


『ロミオとジュリエット』にしたのは、少々メロドラマが強かった気がしないでもない。

編集が少し雑で、オマルとシーラの課題曲への取り組みシーンやオマルが遅れたのかなど、撮ったのかもしれないが削除されたところが明白にわかるのはいただけない。
特に、シーラの浅はかさは若者的ではあるが、中心に描くには少々作為が過ぎると思う。
伏線ではあるけど。
子供が正しくて、大人が間違っているわけではない、というバランス感覚なのか。

最後も大人には何もできないどころか、わかりやすく見放す。
その観カウはまさに当事者の肌感覚と近いものなのかもしれないが。

二度襲われたり、団員逃亡を許すし、発見した後にまた逃がすし、その後すぐに襲われる辺り、警備のベルマンがちょっと怪しくも見えてくる。

 

 

目隠しテスト、譜面台、ロープと二つに分けるメタファーが出てくる。
特に、庭での二択での椅子だけの輪と人による二つの輪が象徴的。
全員ではないのが、リアル。

 

 

 

 

 

 

 

 

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