で、ロードショーでは、どうでしょう? 第128回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『月に囚われた男』
硬派なSFサスペンス。
時代は近未来。
舞台は月のヘリウム3の採掘ステーション。
主な登場人物はサム・ベルだけ。でも一人じゃない。
もう一人、まったく同じサムが現れる。
これはどうしたことだ?
妄想か?複製か?
実験か?陰謀か?
原題は『MOON』で、その硬質さに、地球に対する月という衛星という関係も物語を表している。
どうやら、邦題は『月に囚われた男』は、監督の父であるデビッド・ボウイ主演の『地球に落ちてきた男』になぞらえているようだ。
サム・ロックウェルの突き詰めた演技と、ダンカン・ジョーンズの情熱に裏打ちされた緻密な計算が息つまりながらも、自分というものの対話、意思の抵抗を静謐に描き出す。
もう一人、重要な登場人物がいる。
人ではないロボットのガーティ。
ケビン・スペイシーが声を当てている。
SFならではの映像の魅力は、一人が演じ続ける二人の人間のリアリティ。
その対話は、科学的かつ哲学的に、静かなスリルがするりと立ち現れる。
それを会話ではなく、映像のアクションで描き出すまさに映画のSFとしての全うなアプローチがその場ではなく、まるで約4万キロの距離を隔てた地峡からモニターで月での事件を息を呑み見つめているようだ。
観ている内に、いつしか、その緊張感から自分たちがその月のトラブルを救助するために向かう宇宙船に乗っている最中へのように変わる。
そして、それは内面の宇宙へとたどり着く。
なぜ、生きるのか?と。
哲学的な深遠へアプローチしていく。
これぞ、SF(サイエンス・フィクション=科学的虚構)の本来持っている醍醐味なのです。
世界を科学的に捉える試みには、人間の心の動きという現象も含まれるのですから。
外見は、懐かしい雰囲気。
SFは少し古めかしい方が古びないといったのは、藤子・F・不二雄先生だが、『月に囚われた男』はそのルールに則ったかのよう。
70~80年代のSFの意匠を取り入れている。
それゆえ、『サイレント・ランニング』や『2001年 宇宙の旅』、『2010』、『アウトランド』などを思い出させ、SF世界の実際に起きた事件の記録のように錯覚させ、年表に書き込んで、歴史の出来事として記憶してしまうことだろう。
だから、実話の映像化である『アポロ13』を思い出させ、それがソダーバーグ版の『ソラリス』や、『ダークスター』にも似た映画的な幻想で語られるとき、映画館の闇は宇宙の闇へと変わっていく。
この劇場の扉を開ければ、空気がなだれ込んでくるのか?
それとも、あっという間に真空に吸い出されて、途方もない闇の彼方へ飛ばされるのか?
おいらは、息が荒くなり、メガネが少し曇ってしまった。
夜、混んでいない劇場で観たい逸品。
思索に耽けて、夜が更けていくのを味わいたい。
お礼だなんて、こちらこそ、どうもです。
やっぱ、面白いジャンル映画は、事件ですから。
いただいたコメントに「SF好きには、伝説になる年でしょう」とあり、ブログにも「SF世界の実際に起きた事件の記録のように錯覚させ、年表に書き込んで、歴史の出来事として記憶してしまうことだろう」とありますが、「ひし」さんほどSF映画に詳しくはないものの、この映画の優れた出来栄えに、同じような思いに囚われたところです。