一期一会

日々是好日な身辺雑記

TGVでパリからアヴィニヨンへ

2024年05月20日 | 旅行


5/19(月)はケールリヨン駅9:30発のTGVでプロヴァンス地方の中心地アヴィニヨンに向かった。2時間50分の乗車時間中、なだらかな牧草地帯が延々と続き、雲が低く位置する初めて見る車窓からの風景は見飽きることがなかった。フランスがEUの中で1番の国土面積を誇り日本の1.5倍で、農業大国である事を実感する車窓からの風景だ。







アヴィニヨンには1309年からローマ教皇が7代69年間に亘って居住していて、そのローマ帝国時代の歴史を感じさせる遺産が多数ある。イギリスの作家ピーター•メイルの書いた(南仏プロヴァンスの12か月)を40代の頃に読んで以来プロヴァンスは憧れの地で、いつか行ってみたいと思っていた。

12:20にアヴィニヨンTGVに着き、在来線に乗りかえ4分のアヴィニヨンセンターはイタリアの田舎町のような街並みで、駅前から直ぐに城壁に囲まれた市街地になる。
4泊する宿泊場所はホテルではなく、アパートメントの1LDK45㎡とキッチン付きを選んだ。駅から歩いて10分くらいの位置だが、探すのが大変だろうとタクシーを利用して8ユーロ。












事前に知らせてもらっていた4桁番号により玄関脇のキーボックスから鍵を取り出し、アパート入口→部屋と自分達でチェックイン。スーツケースを開け整理をしたら13:30となりランチを取りに。フランス語メニューから単語を拾いイマジネーションを働かせて注文。実はこのランチが2食ぶりの食事で、昨日から時差ボケの極端な睡眠不足と飲料水の飲み過ぎで軽い下痢になり、夜、朝と絶食したのだ。日本では全く問題にしない軽度なものだが、フランスのトイレ事情からすると重症と同意で、昨日はカミさんに薬を買ってきてもらい服用している。そんなことで、昨日の部屋食はカミさんだけのものだ。朝はカミさんはサンドウィッチ、私はお茶だった。

そんな事情からのランチは美味しかった。38ユーロとパリからすると安めだった。








南仏と称されるプロヴァンス地方はパリと比べて暑いくらいで、全長4.3kmの城壁に囲まれたアヴィニヨンの町は大勢の観光客で賑わっていた。ツーリストインフォメーションセンターに寄り、バスの時刻表など必要な情報を仕入れてから、14世紀に建てられた法王庁宮殿、1117年から8年かけて作られたサン•ベネぜ橋(通称アンヴィニヨン橋)などの史跡巡りをした。暑さの中をでこぼことした石畳を歩くと疲れ、木陰に座って休みながら史跡巡りをした。街中散策ではカミさんが好きなバルサミコビネガーやトリフオイルなどの調味料を買った。何故かこの手の店廻りをすると生き生きとするカミさんで、昨日も薬を買いに行った時に有名なデパートの食品売り場を覗いたらしく、戻ってきてからチーズや生ハムの安さに感激していた。




バルサミコなどを買った店でスーパーマーケットを教えてもらい、ワイン、チーズ、生ハム、サラダ、クロワッサンなどを買い求め、実質的に初めての部屋食をした。
さすがにワインは安くて美味しかった。

明日はVELTRAで予約したプロヴァンスの美しい村を巡る日帰りツアーに出かける。
VELTRAの日帰りツアーはミュンヘンでも利用したが、各ポイントでは自由に動き廻れるプログラムなので我々の旅には適している。
腹の具合も2回の絶食で良くなったので、安心して参加できる。


パリ観光初日 

2024年05月19日 | 旅行
 パリ観光の初日が一日遅れの5/18(土)からスタートした。前回のブログに書いたエアチャイナトラブルは結果的に遅延ではなく欠航となった。
そして最終対応策が決まったのが5/16(木)22:30という長い一日だった。
その日は羽田空港内のヴィラフォンテーヌホテルに泊まり、翌17日(金)に同じフライトスケジュールで北京経由パリ行きとなったが、この日も羽田空港、北京空港で次々と信じられないトラブルが起こり、それでも何とか予定時刻にパリに着いた。その間の経過を書きたいが長くなるのと、思い出すと腹も立つので帰国してクールダウンしてから書こうと思う。

パリ滞在中の大まかな予定はスケジューリングしており、それに沿って美術館などのチケットの手配も既にしてある。17日はルーブル美術館を最初に右岸1区、2区の見所を廻る予定だった。それが無くなったので2日目の予定だったベルサイユ宮殿からのスタートだ。

3泊の予定が2泊になったHotel Etas Unis Operaはオペラ座から歩いて5分の所にある四つ星ホテルでパリ観光に便利な立地で、部屋もパリ市内にしては広いが、家庭的な小さなホテルだ。参考に料金を記すと3泊で820ユーロだが、BookingComに支払い済みなので1泊分が戻ってくるわけでもない。
こんな愚痴をいってもしようがないので止めよう。トラブル顛末記は帰国してから書こうと決めたのだから。

(オペラ座)

(オペラ座)


オペラ座表面は興醒めのCHANELの大きな看板?があったが、あれは何だったのだろう。工事中か何かのボロ隠しなのか?



ベルサイユ宮殿に行くまえにオペラ座近くのカフェで朝食。一つのサンドウィッチを半分に切ってもらい2人で。それにクロワッサン一個とカフェラテで42ユーロ。円安とフランスの物価高に感心のある方は、そこに170円をかけて下さい。羽田空港の両替所は1ユーロ173円でした。

ベルサイユ宮殿は10:30入場のチケットを事前購入し、9:30頃に着き時間帯毎の待ち行列に並んでいたら、真後ろから日本女性の声が聞こえた。カミさんが声をかけたらロンドン在住で、友達が日本から遊びに来たのでユーロスターでパリ観光に案内したとの事。知的な感じの美人で気さくなお人柄の女性だった。
ロンドン在住40年で金融の仕事で香港に居たことがあり、ご主人がイギリス人との事。政治、経済、文化比較論と話の幅が広く、我々もヨーロッパ各国を旅行し、ロンドンや香港にも何度も行ったことがあるのと、カミさんが聞き上手な事もあって話が尽きなかった。EU離脱、スコットランド独立問題、アイルランド統合の動きなど、国際政治に関心がある私が聴いても、深い背景説明と分析だった。イギリスは今年総選挙があるが、労働党政権に変わるだろうとの意見だった。話はこれだけでなく、お互い次から次へと話が広がりあっという間の待ち時間だった。

(ベルサイユ宮殿)








ベルサイユ宮殿は半日観光コースとして紹介されているが、音声ガイドを聴きながら廻ったが、正直なところ驚きや感激はなかった。カミさんも同意見で1時間半で廻ってしまった。これはウィーン王宮のハプスプルク家の栄華を偲ばせるような展示品がなく、人物画の展示ばかりで、我々がルイ王朝の歴史を知らないことにも起因しているのだろう。また暑さのなか土曜日という事もあって大変な混み具合で、13時には電車とメトロでオペラ駅まで戻ってきた。
寝不足と歩き疲れで食欲もなくカフェで簡単にランチを済ませた。朝と同じく一つのサンドウィッチを二つに切ったものとオレンジジュースで28ユーロだった。

(マドレーヌ教会)

(聖マグダラのマリアの歓喜)





(キリストの洗礼)

(パッサージュ)


ランチの後はギリシャのパンテオンのようなマドレーヌ教会に廻る。ここは礼拝堂に聖マドレーヌ(マグドラのマリア)の像と天井画があり、パイプオルガンの音が流れ荘厳な感じで、ベンチに座り暫く眺めていた。2人共通してベルサイユ宮殿より良かったね!と。
この後はカミさんのお土産探しや、ガラス天井の商店街のパッサージュを見て廻った。
この辺は日本食の店もあり、ラーメン店には人も沢山入っており、トラディショナルラーメンなる物は16ユーロとなっていた。
部屋食用としてサラダなどを買いホテルに戻ったのが5時過ぎ、カミさんのスマホ歩数計は28000歩になっていた。

明日はTGVでアヴィニヨンに移り4泊し、長年行きたかったプロヴァンス地方巡りをする。
それからパリに戻り2泊、失った一日分は
パリ観光定番のエッフェル塔、シャンゼリゼ通り、モンマルトルの丘をカットしてリスケジュールする。

そして今日のトピックはカミさんがスリに狙われた事だ。地下鉄のホームに向かってカミさんの後ろから少し離れて歩いていたら、カミさんの後ろにアフリカ系と東洋系の若い女性が付いていた。
ホームに着いた時に離れた車両に乗るように注意した。安の定カモに逃げられた2人は電車に乗らずホームに残った。スリに遭遇したのはローマ、シチリアなどで3回、実害があったのはリスボンの路面電車の中での被害額15000円で、いつもカミさんが狙われる。
今回はスマホと財布をバッグと鎖付けしている。YouTubeのパリ情報を見るとスリ対策の動画が数多くアップされている。
気を引き締めていかなければ。

トラブル!エアチャイナ北京経由パリ行き

2024年05月16日 | 旅行
16日(木)は羽田発8:30のエアチャイナ(中国国際航空)便に乗り北京経由でパリに向かう。
この便は昨年10月に上海旅行から戻り直ぐに、格安航空券サイトのエアトリ、トラベルコなどで探し、最終的に英国本社のSkyscannerで航空料金、乗換え時間、飛行時間の3点から前述のエアチケットを購入した。今回のパリ、プロヴァンス旅行は2020年秋に計画していたが春先のコロナ禍発生により中止していた。昨年5月のコロナ禍の五類移行までの3年間の空白は、海外旅行を1番の楽しみとしている我々にとって長かっくた。

このコロナ禍の3年間で10万マイル以上あったJALマイレージもファミリーマートのクーポン、Suicaの一万円チャージ、国内旅行に代わった。コロナ禍前の3年遡ると2017年10月にローマ、ナポリ、シチリア旅行、2018年9月ボストン、トロント、モントリオール、ケベック旅行、2019年ブダペスト、ウィーン、ミュンヘン旅行としてきた。海外旅行も飛行機の搭乗時間や時差ボケなどに体力が必要で、我々の年代には一年一年が重要だ。
そういう意味ではエールフランスやJALでのパリ直行便がベストなのだが、ヨーロッパのインフレによる物価高や1ユーロ170円という円安から、JALの半額のエアチャイナ利用とした。
2018年のボストン旅行にはJAL直行便を利用したが、アメリカ東海岸ボストンへの飛行時間が長いのと、3回のボストン行きで東周りのフライトは時差ボケが酷いという経験があったのと、この年の株式投資が1番パフォマンスが良かったので直行便を買えた。



このブログの上段まではバス車内と空港ロビーで書いたものであり、現在時刻5/16(木)12:30で本来であれば北京空港でパリ行きの便を待っているところだが、それが機体トラブルで未だ羽田空港である。以下はライフログとしてトラブル顛末記をリアルタイムで書いている。修復の案内もなく持参した本を読んでも集中できないので、ブログでも書くしかない。iPhoneのイヤフォンを忘れたので、YouTubeで音楽も聞けない。

4;30発の羽田空港行き高速バスに乗り6:00に着く。チェックインして案内の出発ゲートは135番という事で3階の出発ロビーからエスカレーターで1階に降りるのだが、そこはバックパック旅行でよく利用したLCCエアアジアの待合所のようだった。機内にもゲートからダイレクトに乗るのではなく、トップ写真のようにバスに乗り搭乗するのだ。バスの乗車時刻はチケット記載の通り7:40で、搭乗した飛行機本体はやや古めで、座席前のモニターも洋画や音楽は聴けそうにもなかった。

座席で8:30の出発を待つが9時過ぎても動きだす様子がなく、中国語と中国訛りの英語で
機体トラブルで修理中とのアナウンス。チャイナエアライン(台湾)は日本女性CAがいたが、エアチャイナには日本語が通じるCAはいなかった。そこで(エアチャイナ運行状況)とGoogle検索したら9:45の出発となっていた。それでも離陸する様子もなく、とうとうバスに乗りまた空港ターミナルに戻ることになった10:30。搭乗カウンターには日本人女性がおり、今後の見通しを尋ねるが、欠航ではなく遅延というだけで復旧時刻も不明だった。
(搭乗カウンター)

(カフェでのランチ)


その内に12:00になり1500円の食事券を渡され出発ロビーのカフェでサンドウィッチとマンゴージュースでランチを取る。
この辺になるとすっかり諦めムードで、18:40パリ着も無理だろうと判断し、保険をかけてきた損保ジャパンに電話して、遅延に関わる保証や手続きの事を確認する。
それと在宅勤務だった娘からも連絡があったのでパリのホテルへのキャンセル連絡を頼む。この時点で羽田泊まりか北京泊まりか分からないが、パリに今日中に辿りつけないのは明らかだ。

保険の保証はともかくパリ滞在日数が1日減るのが残念だ。このような遅延トラブルは3度あって一つは現役時代だったので20年位前か、カミさんとニュージーランド南島をレンタカーで一周した時に帰りのキャセイ航空の便がエンジントラブルで5時間近く遅れ、香港で一泊する事になった。勿論キャセイ航空手配のホテルで無料だった。

もう一つは40代前半の外資コンピュータ会社時代にボストン本社への出張で、正月三が日明けの出発だったが、当日朝から大雪で電車が止まり箱崎ターミナルまで地下鉄で行ったが、バスも動かず昼出発の予定が箱崎ターミナルで缶詰状態になり、夜の出発になった。
この当時はボストン直行便はなく、シカゴ乗換えでオヘア空港は広く、乗り換えに電車を使った記憶がある。翌日ホテルの新聞で浩宮様と雅子様の婚約記事が大きく載っていた。
雅子様がハーバード卒ということからかと思った。その日は日曜日だったのでボストン美術館に地下鉄で行こうとしたが、外に出たら寒さで頭が割れるような痛さで、レンタカーを借りた。ボストン市内とケンブリッジの間を流れるチャールズリバーも凍っていたのが強い思い出だ。

もう一つは東日本大震災の時にタイに行った時に台湾から羽田への便が原子力発電所事故の影響で欠航になり、台湾に一泊した。
この件は1年後にタイ旅行をした時にこのブログに書いた。

現在時刻15:30、3階の出発ロビーのコンセント付きシートで書いたり、一階搭乗カウンターに見通しを確認に行ったりして全く見通しが立たない。これ以上書くこともないので
アップする。北京のWifiではSNSやGoogleも繋がらないし、今回はフランスではWifiのアクセス制限もないだろうと国際ローミングもしてない。

無事パリに辿りついたらこの顛末の続編をアップします。トラブルが完全に修復し取り敢えず北京に着くことを願ってここまでとする。

GW後半

2024年05月08日 | 日記
GW前半は前のブログの通り、親戚会という飲み会とマンションの理事会、ジムでのヨガ、テニスと過ごし、3日(金)は快晴予報だったので奥武蔵の関東ふれあいの道伊豆が岳を越えるみち14.5km4時間半の低山歩きを計画していたが、前日23時近くまでの飲み会があり、朝起きたら咳がひどく、カラオケをしたわけでもないのに、ガラガラ声になっていた。出がけにカミさんから薄着過ぎないかと指摘されていたので、大当たりだった。
そんなことで新緑の低山歩きを中止した。その代わりに航空公園を散歩したり、パリ散策の見所をリストアップし、5日間のスケジューリングをして過ごした。


4日(土)は夕方から娘が遊びに来た。義妹も来て家飲み会をする予定だったが、私の風邪情報により大事をとって参加見送りとなった。GW前に息子からワイン2本を送ってきたので、夕食にはその内の1本を開けたが、カミさんも娘もそんなに飲まず、私も風邪気味でグラス2杯で止めたので1本は空かなかった。

そしこの日は孫の4歳の誕生日で、WeChatのビデオ通話をした。中国も5連休らしく前日にはインターコンチネンタル上海ワンダーランドへ小旅行をした様子が動画投稿アプリにアップされた。2020年の誕生以来コロナ禍や息子の上海単身赴任、それに伴う西宮への一年半の移住、そして昨年1月の上海への移住などで、なかなか会えないが無料ビデオ通話や動画投稿アプリでその成長ぶりを見ることが出来るので、そんな空白期間の長さを感じさせない。





翌5日(日)はカミさんと娘は東久留米の竹林公園へ行くと言い誘われたが、ドジャース戦がテレビ放送されるので、風邪気味を口実にその誘いを断った。今年NHK BSでは全試合放送されるのでそのテレビ観戦が日常生活の中での大きな楽しみになっている。この日も8号ホームランを打ち、昨日まで11号と絶好調だ。

そして夕食は3人でタイレストラン(ナムチャイ)へ行った。この店は我が町の郊外にあり、交通の便も悪いのだが、広い店内は賑わっていた。娘は初めてだったがその味や店の雰囲気は好評だった。

そんなGWが明けた昨日7日(火)は朝一で近所のクリニックに行き、咳と痰の症状を伝え薬を貰ってきた。普段熱もなくこの程度の症状ではウガイと睡眠で治すのだが、昨日は南越谷での飲み会があり、その席で咳をしていたのでは余計な気を使わせてしまうと、薬を貰ってきたのだ。症状を的確に伝え夜に会食があるので、と言ったら抗生物質の咳止め薬を出してくれた。
家に戻ってから早速トレーニングウェアに着替え、1週間ぶりにジムに行き筋トレとヨガをしてきた。ジムは平日会員なのでGW中は利用出来ないのだ。

そして17;00からの南越谷の飲み会に参加した。この飲み会は3ヶ月に一回くらいのペースで行われており、いつも通りハシゴ酒の2軒目のBARでお開きとなり、次回は8月下旬から9月上旬にクライトガルテン八ッ場に行くことを決めた。

今年のGWはコロナ禍の5類移行になってから初めてのGWで、円安もあり外人観光客が増え、全国の観光地も賑わっていたようだ。そんな時期に小旅行とはいえ出かける必要がない。登山に代わる楽しみとして、低山歩きや旧街道歩きをしたいと思い資料集めをしており、9月か10月にそんな一人旅を計画している。来週からフランス旅行、7月中旬の五島列島旅行までは決まっているので、次は昨年6月の隠岐の島旅行以来の一人旅に行きたいのだ。