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一期一会

日々是好日な身辺雑記

世界遺産フェラーラへ

2025年04月13日 | 旅行



6日に出発した今回の旅行も丁度1週間経った12日(土)となり、持参した下着も底をついたので、朝からホテルのランドリーで洗濯をした。
洗濯機、乾燥機それぞれ4台有り、タイマー40分をセットし、その時間にまた行って乾燥機に入れるという事をしたが、周遊旅行にランドリーがあると大変助かる。いつもはホテルに着くと手洗いで洗濯して、生乾きの場合はビニール袋に入れて移動していた。
(ホテルのランドリー)


この日はボローニャから電車で1時間の世界遺産のフェラーラに行ってきた。フェラーラは14世紀のルネサンス期に、この地を治めていたエステ家により整備され、文化都市として栄えた。
ボローニャと同じく駅から20分くらい歩いて行くと旧市街になり、そこまでの途中には煉瓦造りの大きな家が建ち並ぶ。
ただアメリカのような玄関までのアプローチが長いとか、庭が• •ではなく、家そのものが大きいのだ。

(ヴォルテ通り)




エステンセ城はお堀に囲まれた、赤煉瓦で造られた四つの角に塔が立つヨーロッパらしい中世の城だ。

(エステンセ城)


(玉石が敷かれた路面)


(エステンセ城のミニチュア)


ミニチュアとはいえ、部屋いっぱいに作られた立派なものだった。
(台所)


窓の少ない石造りの城だが、さすがに台所には沢山の窓があった。



この廊下を行くと牢獄があり、腰を45度屈めないと入れないような小さな入り口で、中は石壁に囲まれた窓もない部屋だった。

塔のてっぺんに上り見渡す旧市街は赤煉瓦の屋根が並ぶ中世の景観だ。網目状の階段は下が覗け、その高さが分かりゾクゾクっとするもので、下りる時にカミさんが数えたら198段だったと。

(塔からのフェラーラ市街)


エステンセ城の次に廻ったディアマンティ宮殿は四角錐に刻まれた外観が目を引く。
1万2000個の大理石で作られており、現在は国立絵画館になっている。前日がウィフィツ美術館で絵画鑑賞をしたばかりなのと、ボローニャで14;30にレストランを予約していたので、美術館には入らずショップを観て廻っただけだった。ディアマンティはイタリア語でダイヤモンドを意味し、その外観からの名となっている。

(ディアマンティ宮殿)




14:30に予約したレストランde Nelloは有名人も訪れるボローニャの人気店らしく、店内を見渡すと地元客なのか、ジャケット姿の中年男女客がいて、ノースフェイスの黒のZipシャツとストレッチパンツ姿ではカジュアル過ぎかと思ったが、後から来た隣のカップルもカジュアルだったので安心した。こんな時の為にジャケットを持ってこようと思ったが荷物になるので止めた。

料理の方は生ハムとメロンの一皿、カミさんがネットで見て美味しそうと言ってた大麦と豆と野菜のスープ、それと3度目のボロネーゼだった。イタリア在住が長かったカミさんの知人女性が言ってた、イタリア人は料理シェアの文化はないとのことだが、日本人シニアの食事量や習慣が知れ渡ったのか、何も聞かずに小皿を出してくれた。

食べ終えた後カミさんは(美味しかった)とご満悦の様だった。

(レストラン de Nello)





(お客としてのエリック•クラプトン)


有名人が多数訪れているde Nelloの中にエリック•クラプトンの写真を発見。彼の鳴くようなギター演奏としゃがれ声が好きでYouTube でよく聴いている。特に1996年のロンドンのハイドパークでのコンサートが出色で、2014年にイギリス旅行をした時にホテルがハイドパークの近くだったので、朝のジョギングで(どの辺がステージだったのだろう)と走り回っていた。





その後旧市街を散策し、翌日の部屋朝食を買ってホテルに戻ってきた。カミさんは旅行中に盛んに野菜が足りないと言ってるが、
持参した青汁とこの日のスープでは、野菜不足を補えないだろう。


3度目のフィレンツェ

2025年04月13日 | 旅行
11日(金)は3度目となるフィレンツェに行ってきた。2006年、2015年と10年おきくらいに訪れている。2015年はフィレンツェを起点にトスカーナ地方を廻り、2017年にはローマ、ナポリ、シチリア島と南イタリアを中心に廻ってきた。そんな10年ぶりのフィレンツェだが、歩いていると当時のことが懐かしく思い出された。ボローニャからフィレンツェにはExpressで30分で着く。
ウィフィツ美術館に入る前にドゥオモ周辺を散策するが、感じるのは街全体が一つの美術館の様だと。マドリッドの建物も壁面に彫刻が施されたり歴史を感じるが、フィレンツェは石造りの重厚な建物ばかりで、より歴史を感じる。

(サン•ジョバンニ礼拝堂)


(ジョットの鐘楼)


(ベッキオ宮殿)


(ダビデ像のレプリカ)


(サンタ•マリア•ノヴェッラ教会)




出発前に入場券を購入していたウィフィツ美術館は15分おきの入館となっており、その予約時間ごとに並んで待ち、10:00に入館となる。
そんな時間別入館だが大変な人で、そんな流れにのって観ていては時間がかかるので、主な作品を中心に観て廻った。
前に来た時はもっとゆっくり観て廻れたし、2006年の時は一階にレオナルド•ダ•ヴィンチの絵画以外の資料としてのメモや人体図などが展示されていた。それでも建物がコの字型の構造になっており、観て廻り易かった。
昨年行ったルーブル美術館は複雑な部屋割りで、モナリザに辿りつくまで大変だった。
そんな混雑の中で絵画の端に作り笑顔とポーズを取り立ち、写真を撮る女性3人グループがいた。そしてカメラとの間に立ちはだかる人がいると、(どいて)との指示、その顔とカメラに向ける笑顔の差に苦笑い。尚、念の為に申し添えておくと、中国人や我ら東洋系ではなかった。この美術館での1番の見ものだった。

(ウィフィツ美術館)


(ボッティチェリ/プリマヴィーラ)


(レオナルド•ダ•ヴィンチ/ 受胎告知)


(ミケランジェロ/聖家族)


(ラファエロ/ひわの聖母)


(カラヴァッジョ/バッカス)


ウィフィツ美術館の後は中央市場に廻りランチを取る。この市場の2階が食事が取れる場所となっているが、フードコートというような洒落た場所ではなく、より庶民的なスペースだ。
そんな混み合いなので私が席を確保し、カミさんが買いに廻るので、何となく食事が出るのを待つ亭主関白旦那のような構図だが、海外旅行中はカミさんが財布を持ち、私はトイレ用コインを持ってるだけなので、このような役割分担になる。

(中央市場)








中央市場の後は初めて訪れるサンタ•クローチェ聖堂で、ここにはガリレオ•ガリレイ、ダンテ、ミケランジェロのお墓があり、他にも君主論のマキャベリ、ナイチンゲールの墓もある。
この教会はフィレンツェではサンタ•マリア•ノヴェッラ教会と並ぶ大きな教会で1294年に建てられたゴシック様式の教会だ。アッシジの聖フランチェスコの流れをくみ、屋根は木製で清貧をモットーとするフランチェスコ会らしい教会だ。アッシジの聖フランチェスコ大聖堂には2006年に行った。主祭壇のキリスト十字架磔像やステンドグラス、フレスコ画が印象的なサンタ(聖)クローチェ(十字架)教会だ。

(サンタ•クローチェ聖堂)




(木製の天井)


(主祭壇)




(ミケランジェロ未完の作品:河の神)


(ミケランジェロの墓)




(ダンテの墓)


(ガリレオ•ガリレイの墓)


ウィフィツ美術館→中央市場→サンタ•クローチェ聖堂と廻ったが、やはりフィレンツェは
1日では廻り切れない。フィレンツェの中心街が一望出来るミケランジェロ広場も行きたかったが時間がなかった。
9年ぶりにフィレンツェを訪れて、今度は季節は秋にしてローマ3日で遺跡巡り、フィレンツェ5日でトスカーナ地方巡りをしたいものだ。
(エミリアでの夕食)


ボローニャへ戻ってきたら7時を過ぎていたので、駅構内のカフェでビールを呑みながらの夕食。ホテルに戻りスマホの歩数計を見たら33000歩でカミさんの新記録達成だった。



ラヴェンナでチャールズ国王とカミラ王妃に• • •

2025年04月12日 | 旅行


北イタリア旅行2日目10日(木)はボローニャからExpressで1時間のラヴェンナに行った。
まだ店も開かない真っ暗なうちに目がさめるので、この日も前日に買っておいたクロワッサンとヨーグルト、フルーツミックス(パイナップル、メロン、苺、葡萄)とコーヒーでの朝食。
クロワッサンは日本の倍くらいあり、中にはクリームやチョコレートが入ったものだがなかなか美味しい。マドリッドでのように歩き廻っての観光と違い、鉄道などを使っての観光には、分からない事もあり戸惑う。
8;05発の電車に乗るべくホテルを出たが、自動券売機でのチケット購入でのカード支払いが上手くいかず、次の9:05発になった。
それとイタリアでは駅や町中の公衆トイレでも有料で、1.5ユーロなのでコインを欠かせない。切迫した場合はカフェに入るしかないが、1日のトイレ代も馬鹿にならない(苦笑)。



(ボローニャ中央駅)


(駅構内)


(駅トイレ)


ラヴェンナには10時過ぎに着き、歩いて15分くらいの旧市街の中心に向かうが、途中から規制線が引かれ通行禁止となっていた。
何かあったかと思いながら、地図を見ながら迂回路へ廻るが、すぐ規制線に引っ掛かってしまう。
そんな事をしながら歩き進めると、人だかりが大きくなり、警官やスーツ姿でイヤホンをしているボディガードらしき男性が動き回り、カメラを持ったテレビクルーの姿も見えた。
近くにいた女性に尋ねたら、チャールズ国王とカミラ王妃がメロニー首相とラヴェンナに滞在し、出てくるところを待ち受けているとの事だった。あとどのくらい待つのかと尋ねたら、1時間から2時間くらいで現れるだろうと。まだ時間があり規制ベルトの最前列だったのでチャールズ国王とカミラ王妃を間近に見ることが出来たが、さすがに1、2時間は待てないので、ラヴェンナでの予定を中止し11:40の電車に乗り、ボローニャに戻ってきた。










時差ボケ早起きで朝食が5:00頃の部屋食なので、遅めの昼食は駅構内のカフェ(Dispensa Emilia)でパスタランチとした。再度ボロネーゼにトライと思ったが、あのスパゲッティはなく、平打ち麺のタリアテッレだった。そして食後のデザートは前日カミさんが
お土産のチョコを買ったVenchiのアイスが食べたいとのことから、場所を変えてのデザートにした。リタイア後の週一の飲みにしてからは、3時のおやつで甘い物を欠かさないが、スイーツ系ではなく粒あん系なのだが、このアイスは美味しかった。

(パスタランチ)


(Venchi)


(Venchiのアイス)


そしてラヴェンナ観光に変えて、昨日時間がなく見れなかった井上ひさしの(ボローニャ紀行)に書かれていた三カ所を見て廻った。

(サンタ•マリア•デッラ•ヴィータ聖堂)


(死せるキリストへの哀悼) 


ニッコロ•ダ•バーリ作の群像彫刻で、十字架から降ろされたキリストの死を嘆き悲しむ4人のマリアの姿とその表情が印象的だ。
絶望的な悲しみに駆け寄ろうとするマグダラのマリア、手を握りしめながら悲痛な表情の聖母マリア、こんな動的な姿の彫刻は初めて見た。

(アルキジンナージオ宮)


アルキジンナージ宮は、1803年までポローニャ大学だった所で、11世紀に創立されたヨーロッパ最古の大学で、教会の反対をものともせず、世界初の人体解剖を行った。その解剖学教室が残されているが、予約が優先で学生団体が多く、待つようだったので見学を諦めた。

(サン•ドミニコ教会)








サン•ドミニコ聖堂の小礼拝堂には、燭台を支える天使の像があり、ミケランジェロ19歳の時の作品だ。バチカンのピエタ像は23歳の時の作品だし、天才はいつから、どんな修行をしたのだろうと思う。









夕食はカミさんがネットで調べたホテル近くの地元料理の人気店に行くが、予約でいっぱいで入れず、近くのエノテカでワインと生ハム、ソーセージ、チーズのセットとパスタ、肉ボールなトマト煮の夕食となった。
エノテカだけあり、ワインの種類も豊富でなかなか良かった。
入れなかった店に最終日の予約しようと寄るが、土曜日という事もあり予約がいっぱいで取れなかった。

それでもカミさんはポローニャ最後の食事を人気店でというのを諦めず、もう一軒が昼の14:30なら空いているというので、遅めの昼食を予約した。
このように食の楽しみに積極的なカミさんの後を付いていくだけだ。





イベリア航空でイタリア•ボローニャへ

2025年04月11日 | 旅行

旅行4日目となる9日(水)はイベリア航空でマドリッドからイタリアのボローニャに向かった。
13日(日)まで滞在し、ボローニャを起点にフィレンツェなどの周辺地域を日帰り観光し、13日夕方にはまたマドリッドに戻り、スペイン旅行を再開するという変則的な旅程になっている。
何故こんな旅程になったかというと、今まで訪問国数32か国、同じ国も何回か行ってるので延べ訪問国数が60を超え、今回の旅行先がなかなか決まらなかった。
これは歳と共に好奇心が薄くなり、スーツケースを引いての周遊旅行が面倒に感じてきてるからだろう。この感じ方は私の方で、カミさんからはイギリス湖水地方、ポーランド、カンボジアなどが上がっていたが、アンコールワットは2回行ってるし、アウシュビッツは見たくないと否定的な反応をしていた。 

そのうちにポローニャが上がったところで賛同した。イタリアは最も好きな観光地で、その歴史、文化、食事に強く惹かれる。そんなボローニャ案で時期、日数を決めSkyscannerで便を検討している時に、カミさんがモロッコも良いわねと言い出し、10年前のスペイン旅行の時も、アンダルシア地方からフェリーで渡ろうと計画した事があったのでこれに賛同し、スペイン⇄モロッコ間の移動法は後から考える事にし、2週間での北京経由マドリッド便を手配した。
その移動法を検討している内に、カサブランカ、マラケシュ、フェズ、タンジエを周遊旅行するのは移動時間が長く、バックパック旅行ならともかく、スーツケースを引いての個人旅行では無理だとの結論になった。
そこで当初案のボローニャ行きを2週間の間に組み入れたので、この変則的な旅程になった。
モロッコはバックパック旅行で行ってみたいが問題はその気力があるかどうかだ。

(マドリッド空港)


(空港内で朝食)


マドリッドへ戻って来た日もリンコン•デ•グランビアへ宿泊する事にし、それまでスーツケースを預かってもらう。このスーツケース預かりが今回の旅行で1番問題になった点で、メールでの5日間預かりリクエストに関してはNOで、時間単位だけだと。予約したイベリア航空はLCCなので別途料金がかかる。空港内の預かり所は5日間で75ユーロ。
そこでチェックイン時に再度女性マネージャーと交渉し承諾してもらう。

ボローニャ行き便は9:20発だが、時差ボケで3時頃から目が覚めているので6:30にホテルを出る。マドリッド空港は世界の美しい空港10選に入っていて、天井が竹で作られており、空港内の施設も成田や羽田より店舗数も多く、ゲート数も桁違いだ。朝食として食べたサンドウィッチも美味しかった。ヨーロッパで食べるパンは種類も多く、どれも美味しい。ボローニャへの便はEU内移動なので、入出国審査もなく、自動チェックインで搭乗券とバゲージタグを発行し終わりという簡単さだイベリア航空はLCCで2,2の座席で大阪までの新幹線料金で2時間半のフライトでボローニャへ降り立つ。空港からボローニャ中央駅まではモノレールで7分くらいだが、とにかくよく揺れる、日立製であれば• •とも思った。

(The Social Hub Bologna)








ボローニャの見所は駅から歩いて20分くらいの旧市街にあるが、今回は周辺地域を日帰り旅行するので、駅に近いホテルを選んだ。4連泊するThe Social Hub Bolognaは四つ星ホテルでランドリーやジム、プールも備えた近代的なホテルだ。部屋も広く次の間まで付いている。4連泊するという事でアップグレードしてくれたのか、予約時には次の間は無かった。

(ラザニアとタリアテッレでランチ)


ポローニャと言えば直ぐに思い浮かぶ食べ物がスパゲッティのボロネーゼだ。チェックインして早々に旧市街に向かい、時刻も13:30を過ぎていたので、途中のカフェに入り昼食を取る。ただメニューにはあのボロネーゼはなく、仕方ないのでもう一つ思い浮かんだラザニアを頼み、カミさんはボロネーゼの平打ち麺版とも言うべきタリアテッレを頼む。
Bon JoviのI'ts My Lifeを聴きながらのパスタは美味しかったが、カミさんのタリアテッレを食べたが、これが本場のアルデンテかと思う固茹でだった。

(マッジョーレ広場)




(サン•ペトロニオ聖堂)








サン•ペトロニオ聖堂はゴシック様式の教会で、14世紀から17世紀にかけて建設されたものだ。奥行き153m、横58m、高さ44mの
ヨーロッパで7番目に大きい教会だ。そしてその外観も下半分は真っ白の大理石で、上半分が赤レンガという奇妙なものだ。中に入ると天井高く奥行きもある壮大な教会で、バチカンの聖堂より大きな物は作るなと言われたという逸話通りの大聖堂だった。
ただ内部は彫刻やフレスコ画が飾られ美術館のようだ。

市庁舎(コムナーレ宮)




(ボローニャの斜塔)


赤レンガ造りのポローニャ市街が一望出来るという事で、カミさんと498階段を上る覚悟で斜塔まで行ったが、メンテナンス中でのぼれなかったが、498階段というのはどんな感じなのだろう?




そんな午後からのボローニャの主な見所巡りに歩き疲れ、残った見所は後日別途にし、夕食は部屋食という事にして、カミさんが料理研究家のブログで見たという惣菜専門店TamburiniをGoogle Mapで探しながら行く。
このオススメ惣菜店は量り売りのようなもので、入れ物のサイズを指定し、店の人と量の調整しながら注文するのだ。
ひき肉ボールとトマトの煮込み、タコとイカのマリネ、トマトの詰め物とオリーブは、さすがに料理研究家のオススメだけあり、美味しかった。ワインはCOOPで紙パックに入った赤と白を買う。

4度目のイタリアにマドリッドから移動し、歴史ある建築物を見ながらの散策は、マドリッドとはまた感じ方も違うが、ボローニャ
の歴史、文化の一端を感じられた。
12月に読んだ井上ひさしの(ボローニャ紀行)で読んだ見所の三カ所は行けなかったので、残り4日の何処かで行こう。

マドリッド観光/ 王宮エリア

2025年04月09日 | 旅行
マドリッド観光2日目8日(火)は時差ボケもあり早くから目が覚め、前夜の夕食がSubwayのサンドウィッチと軽かったこともあり、7時にホテルを出てグランビアの通りを、開いているカフェを探し廻るが無かった。現在の東京の日の出は5時半頃だろうがマドリッドは7時で真夜中の様な暗さだ。グランビアはカフェが多いエリアだが諦めてホテルに戻る。

(朝7:00のグラン•ビア)


(Pan con de tomato)




8日は王宮見物10:00からのチケットを出発前に予約しておいたので、8:30にはホテルを出てスペイン広場を通って王宮に向かう。
途中開いていたカフェがあったので、そこで朝食を取る。宿泊しているリンコン•デ•グランビアにはレストランもなく、宿泊するだけのホテルで日本には無いスタイルなのでイメージしにくいと思うが、イタリアやスペインには多く、今までもこのスタイルのホテルを利用している。
メニューの写真を見て入った店はカミさんが前に食べて美味しかったパンコンデトマトと言う、潰したトマトにニンニクや何かを入れ焼いたもので、オリーブオイルをかけて食べるというスペインらしいものだった。私の方はハムとチーズのトーストサンドウィッチなので特にスペインらしいという事もなかった。元々食にそれほど拘りはなく、海外旅行の時は店の選択、メニューの決定もカミさんに委ねているので、自分で決めるのは飲み物くらいだ。

(Casa Callardo)






王宮開館は10:00で時間があったので、街並みを眺めながらブラリ歩きをする。スペイン広場の周辺は公園も整備され、それぞれの建物も壁面に彫刻が施されていたりと、同じような建物はなく、さすがガウディーを生んだ国だけあり、街並み散策をしても飽きる事がない。

(アルムデーナ大聖堂)




(王宮)


マドリッドの王宮は2015年5月に来た時は、予約していなかったので長蛇の列に並ぶ事になり、見学を断念した。この時は5/13から6/13の1ヶ月間でバルセロナ→サン•セバスチャン→マドリッド→アンダルシア地方→リスボン→イスタンブールと廻ったのでそれぞれの都市のスケジュールはタイトだった。
この日も予約有り無しで2列に分かれ、予約無しの列には開館10分前には100人くらいの人が並んでいた。我々は予約有りの5番目くらいで、ツアー客の前だったので先頭に近い位置で比較的ゆっくり見て廻れた。

30年かけて1764年に完成されたこの王宮は150m四方の建物の中に2700を超す部屋があるが、現在のスペイン王室は居住していない。
見学コースの中の部屋の説明は長くなるのでカット。




(ゴヤの描いたカルロス4世)


(ゴヤの描いたマリア•ルイサ妃)


(黄金の間)


(カルロス三世の寝室)




(Yellow Room)


(饗宴の食堂/Come de Gala)

 
(同上)


150人が収容出来るという饗宴の間、その豪華さに圧倒される。












(アントニオ•ストラディバリ1696年製)


今までヨーロッパ各地でお城や宮殿を見学し、代表的な所で同じハプスブルク王家のウィーンのシェーンプルーン宮殿、パリのベルサイユ宮殿、ミュンヘンのノイシュバンシュタイン城と比べても、マドリッドの王宮は建物としてのスケール、展示品としての宝物の数とその素晴らしさが格段上だった。
宝物という点では2度行ったイスタンブールのトプカピ宮殿も素晴らしかったが、それは帝国としての支配地域の広さと支配期間によるのか。
それにしても色々な面でマドリッドの王宮には圧倒された。

(オリエンテ広場)


(エンカルナシオン修道院)


(ランチはパッタイ)


(メゾンデルシャンピニオン)








夕食のカミさんの選択は、サンミゲル市場近くのマッシュルームの鉄板焼きで観光客に人気のメゾンデルシャンピニオン。1964年創業の人気店で、場所確認へ昼に行ったら、ツアー客が並びに待ちしていた。
マッシュルームの鉄板焼きは、大きなマッシュルームにニンニク、パセリ、レモン、生チョリソが入っており、たっぷりのオイルがかかっているという料理だ。他にもう一つの名物ピミコントス•デ•バドロンという獅子唐の素揚げと、生ハム、サラミ、チーズのミックス一皿を頼んだ。

飲み物は最初にそれぞれ赤、白のグラスワインで、追加でカミさんがシャングリア、私が白ワインのクォーターボトルを飲んだ。

この日のカミさんのスマホ歩数アプリでは28000歩だと言う。時差ボケの寝不足ではあるが、いつものように何でも見てやろう式に朝から歩き廻っいる。