五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和十八年春の合宿の様子その2

2012-11-18 03:50:31 | 五高の歴史

阿蘇道場の道場行(研修)に関して参加する学生の気持ちというか、その精神状態について西寮総代の高妻氏の感想というべき日誌がある。規則に縛られている道場生活についての不満を中心に当時の学生の心意気を汲取ってみたい。昨日の続きでその2である。

三月三日  水曜日 晴強後静
起床六時、清掃、神前礼拝、朝の挨拶、国旗掲揚、体操、坐禅、朝食、九時より作業、開墾、十一時中止、中食、一時より作業続行、二時十三分に完成、四時より掃除、入浴、坐禅、夕食、夕食後は「茶の湯」の講習、九時十五分より坐禅、十時前就寝、

三月四日  木曜日  晴
六時起床、掃除、洗面、神前礼拝、その頃太陽既に出ず。国旗掲揚、詔書奉読、体操、坐禅、朝食、休憩、九時過ぎより裏の外輪山より大観峯に向う、午前十一時河原畑教授来場一泊、四時五分前に内牧青年会館に入り、温泉につかる。五時十分道場着、直ちに掃除、坐禅、夕食、時に七時、午前中に来られた河原畑先生を囲んで九時十五分迄坐談、坐禅、就寝十時、午後二時理二甲一、加茂野明君来場、満徳寺住職来場、大観峯登山一行より途中にて、寺田君別れ熊本に向う。

三月五日  金曜日  晴 春季合宿最終日
六時起床、清掃、小休して神前礼拝、国旗掲揚、詔書奉読、体操、小休して、坐禅、朝食、九時半より道場下の麦畠の麦ふみ並びに肥料撒き。十一時に仕事を終える。十一時五十分より昼飯用意、十二時昼飯、午後一時退場、仕事終了後の休息の間に、合宿の感想を草す。合宿中、山登り昼食弁当の外は玄米食。

玄米食はどのような方法で炊いていたのだろうか、現代のように圧力釜があったのだろうか?しかし思い起こしてみればこの研修所での食事は蒸していたので釜は確か圧力式になっていた記憶がある。