五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

山の唄

2012-11-26 03:00:23 | 五高の歴史


山の唄   三寮知命下    里美 建太郎          
     

阿蘇道場にて

 

山が暮れる                            

                    阿蘇山風景

                  

                           

 

五彩の断雲が、低く
穹窿を這い廻る。
その岐れ目の深い遠い碧

緑の肌の五つの峰が
紫のウェールを被る。
濃白の自然の乳が
その嶺きにのしかかり
山は眠りに入る。

永遠に平和の姿に山は眠り
雲が自由と漂泊の子守唄を歌う

山が暮れる

密立した杉の梢の上を
飄々と夏の思い運ぶ南の風。
露を結ばぬ山の草が
感傷と浪漫に揺れ
郭公のたそがれの唄が流れる。

放れの牧牛の辿る稜線の上に
窈窕の夢の金星(ヴイーナス)が浮かぶ
山が暮れる

ここまで掲げて来た阿蘇道場日誌は未公開日誌で、七十年振りの公開と言った方がよかろう。昭和十五年~十六年の阿蘇道場合宿の主なるものは当時の同窓会報に飯島象太郎先生の「阿蘇道場便り」として詳しく報告されている。また道場合宿の様子は「竜南」より転載として「道場行所感」としてこれまた詳しく報告されている。しかしこの十七年から十八年の分になると参考になるところもなかったのか、公開されている日誌等見出すことは出来ない、この十七年から十八年の約一年間の日誌は何の気なく倉庫を整理していた時発見したものである。

なお道場の記事については、昭和二十三年発行の続習学寮史にまた昭和三十二年発行の五高七十年史にもこの時代の日誌等を見出すことが出来ないことは、学校としては阿蘇道場は創設も五高同窓会が建設したものであり同窓会の財産であると言うことが本心であったと思われる。 

阿蘇研修所敷地は国有財産上の事務手続きを経て昭和四〇年五月台帳面積二四〇四坪(七九四九,三二㎡)の土地寄付受入れを完了し、ここに五高阿蘇道場の敷地は正式に国有地として熊本大学の敷地の一部になったのである。