五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

陸軍記念日

2012-11-20 03:30:10 | 五高の歴史

重なるかもしれないが昭和十八年の春休みの五高生の阿蘇道場の合宿研修の様子を掲載する。三月十日が陸軍記念日とある。軍事思想華やかな頃の話であるので記念日があることは当たり前であろう。陸軍記念日の解説をウィキペリアから転載しを下に掲げてみた

三月八日   月曜日  晴後曇 大詔奉戴日
四時来場、直ちに掃除、時雨模様の為、国旗掲揚せず。七時理二甲一龍君来場、十時より坐禅、就寝。

三月九日   火曜日  雪後晴
起床六時二十分、直ちに掃除を始む、所要時間一時間、背に汗を感ず。国旗掲揚するも雪の為間も無く降す。朝の行事を終った頃より雪降り出し午前中読書す。正午騎道部、井手、工藤始め五君、受験生四名を伴い来場する。番人の承諾に依り宿泊を許可す。道場見学の為伴い来たりし由、見学後町の旅館に泊める積りなりと、一時よりガラス拭き、三時終了、掃除、風呂、五時半より三十分座禅、十時就寝。気温下がる。

三月十日  陸軍記念日  快晴
起床六時、近来に無い快晴なり、掃除、参拝、国旗掲揚、座禅、朝食、八時より全員登山す。噴火口着十二時半、帰途町営温泉に入り五時半帰着す、途中坊中にて佐藤、北野両君帰郷す。五時半より直ちに掃除、夕食九時より座禅、十時就寝、

陸軍記念日であろうが五高生はそれは他所のことと言わんばかりで自分たちの阿蘇道場の合宿研修に励んでいる。


三月十一日  水曜日  快晴
起床六時、掃除、参拝、国旗掲揚、座禅、朝食、朝食、九時より作業(根堀り)十一時半終了、二人居残って鶏を料理して晝は鋤焼の御馳走。掃除して午後一時岡君、騎道部員全員熊本に向う、五時より掃除、夕食七時、九時半より座禅。十時十分就寝、

三月十二日  木曜日  晴
起床六時半、掃除、参拝、坐禅、朝食、九時より根堀り作業、十一時終了、中食を済まして帰途につく。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1944年の陸軍記念日式典陸軍記念日は、大日本帝国陸軍の場合、戦前・戦中の休日のことで、3月10日。
1905年3月10日、日露戦争の奉天大会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領し、奉天城に入場したのがこの日であった。これを記念して翌1906年から休日としたもの。
1945年の敗戦(第二次世界大戦)に伴い廃止された

 

昭和十八年の陸軍記念日を取り上げたのは、五高の査閲で査閲官と生徒の間でトラブルが起きているからである。この査閲の問題は昭和十八年の六月何日に実施されたのか確認が出来なかったので今まで?日としてぼかしていたがひょんなことから昭和十八年度学校教練査閲日割表を発見した。

先の五高七十年史に著者高森先生が昭和三十二年発行の「竜南への郷愁」五高七十年史に昭和十八年の査閲事件に鑑み、昭和十九年の査閲は学校全体が昨年の汚名を?とり返そうと努力していることが語られている。

その当時の習学寮総代日誌を掲げてみると・・・・・(前略)偶々山口?陸軍少将なる熊本第六師団兵務部長が来校して一場の講演をなしたが、その態度は恰も軍部から高等学校を説教するが如き態度で、かねがね軍人に反感を持っていた五高生ににとり甚だ傲慢に見えた。・・・(以下中略)・・・・曰く、「或達も大臣になろうなんて野心を抱くな」と、そこで満場一同噴笑したので、彼は激怒して叱咤する等の乱態・・・(後略)

 昭和十八年度学校教練査閲日割表の件通牒
昭和十八年六月十一日        熊本師団長  萱嶋  高
第五高等学校長殿
  首閲の件別紙の通り定めたるに付承知相成度通牒
     別紙
   昭和十八年度熊本師管内教練日割表      熊本師団司令部
 査閲官   陸軍少将      山口信一
 六月二十八日  月     第五高等学校
      三十日  水     第七高等学校
 七月   六日  月     熊本医科大学学部、専門部
 八月二十五日  水     熊本高等工業学校
    二十七日  金     熊本薬学専門学校
              以上関係必要事項だけを記載し他の学校は省略