苗苗老師的心言苗語

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☆  水仙(shui3xian1) ナルキッサス・水仙

2006-03-08 19:26:52 | ☆ 心言苗語 ☆ (Diary)

     スーパーで水仙を発見しました。東京ではあまり見ないので、嬉しくて早速買いました。 

    故郷のアモイでは水仙はポピュラーな花です。旧正月が近づくと市場のあちこちに水仙の球根が売られています。ほとんどの家が球根を購入して、旧正月に開花できるように大切に育てます。緑の茎、白い花びら、黄色い花蕊という姿はシンプルですが、爽やかで南国的な情緒があふれる上、独特な清清しい香りがあるので、「凌波仙子」(ling2bo1xian1zi)ーー水上に舞う仙人という美しい名前まで付けられました。

  母は水仙が大好きで、毎年の冬は必ずたくさんの水仙を育ちます。水仙の球根はたまねぎに近い形をしているが、そのまま土や水に入れるだけで大きく育ちます。アモイでは水仙の球根を刻んで、盆栽のように自分の好きな形に育てるのは流行です。母も例外なく、冬になると、彫刻家のように毎晩水仙の球根を刻み続けます。しかも、花期まで計算しますので、旧正月に家はいつも水仙の花があふれて、清清しい香りが家中に漂っています。

  なので、目の前に水仙の花があって、水仙の香りに包まれると、旧正月の情緒に彷彿させ、胸がいっぱいになります。

  郷愁は、時々、一種のにおいだけにあります。

                                                      

     在超市偶然看到水仙花。 惊喜之余,快快買了一捧回家----因為東京難得看到水仙花。

     水仙花在故郷厦門也許是最受歓迎的花了。毎年一入冬,市場到処可見賣水仙花球根的小攤販。几乎家家都会買上一些水仙花球根来精心栽培。

     水仙花顔色素雅。緑色枝茎,白色花瓣,黄色花芯。花的模様簡約,但却清雅喜人,頗具南国風情。自从詩人黄庭堅在《王充道送水仙花五十枝》中以一句“凌波仙子生塵袜,水上軽盈歩微月”将水仙喩為洛水仙子之后,水仙更得有“凌波仙子”之雅号。

      我母親酷愛水仙。毎年冬天総要買上一堆水仙。水仙的球根形状和洋葱极為相似,如果直接埋入土中,或放入水中栽培,也能軽易長大開花。但是,厦門人喜将水仙雕刻一番,如栽種盆栽似的育出各種芸術造型。母親更是楽此不疲。毎年冬天就変成雕刻家似的,在家刻个不停,連花期都経過精密計算。一到春節,家里処処可見水仙,満室尽是水仙花那淡淡的清香。

      所以,即便坐在東京家中,因了眼前水仙那熟悉的花姿,因了那一抹幽香,仿佛之間,似乎時光竟已流轉。

      郷愁,有時,只是一種气味而已。  


☆  半歳了!(ban4sui4le) 半年経ちました!

2006-03-05 18:37:06 | ☆ 心言苗語 ☆ (Diary)

    苗苗中国語教室は去年9月にオープンして、今日で半年になりました。

  お蔭様で生徒さんがたくさん来てくださって、忙しくても楽しい毎日を送ることができました。忙しいくて今日はオープン半年の「記念日?」さえ忘れてしまいました。

  午後WZさんからお祝いのお花が届いたので、やっと気づきました。気を遣ってくださって本当にありがとうございます。

  これからも一生懸命頑張っていきますのでどうぞ宜しくお願いいたします。

                        

  去年九月五日是苗苗中国語教室的生日。轉眼半年飛逝,苗苗教室迎来了半歳記念日。

     托大家的福,苗苗教室的歓声笑語越来越不絶于耳。我毎天的生活也越来越緊張充実。只是因為太過忙碌的縁故,我居然把苗苗教室的半周歳記念日忘得一干二淨。

     下午收到満載WZさん祝福的美麗花籃,才頓然発覚。

     謝謝WZさん♪

     我会好好努力,繼續加油的!!!


☆  さよなら、親知らず。

2006-03-02 19:51:07 | ☆ 苗苗の日本語Essay

  やっと2本目の親知らずにさよならすると決心した!

  前回親知らずとさよならしたのは5年前の夏だ。歯医者さんに「右側の親知らずを抜いたほうがいいよ」と言われたので、「そう?じゃ、お願いします。」と軽く返事した。

  子供の時から虫歯が絶えなかった。ずっと歯医者さんの常連客だった。慣れていたせいで、親知らずを抜くぐらいなら別に大したことないと思った。だから、いくらお医者さんが丁寧にその親知らずの状態を説明してくれても、なぜ医科大学病院を紹介する理由を教えてくれてもあまり気にとめかった。先生の紹介状をもらって軽い気持ちで医科大学病院を訪れた。

  しかし、この一時の不注意が一生忘れない苦痛の思い出の元になってしまった。

  お医者さんの話によると、私の親知らずは横に生えているため、そのまま抜くことができないそうだ。医科大学病院の先生2名は私の歯のレントゲン写真を見ながら、小さい声で意見を交換したあと、私の左右に立った。「私は逃げたりはしないから心配しなくていいよ~」と、まだ冗談を言える余裕をもった私だったが、麻酔をされたとたん、顔の右側の感覚は失ってしまった。少しずつ絶望感が込み上げ、私は覚悟するように目を閉じた。しかし、目を閉じても、耳から金属がぶつかる音やギーギーとする機械運転する音は丸聞こえだったーーーーいま歯を切られているんだ!あっ、もしかして、先生はいまハンマーを使って歯を敲いている?あああ、あとどのぐらいで終わるの?!体は硬直状態になっているにもかかわらず、頭は狂いそうなスピードで回転している。 先生に終わったと告げられた時、もう脱力状態に近かったが、心の中は喜びでいっぱいだった。やっと終わった!なんて勇敢な私だ!だから、先生に「大丈夫ですか?」と聞かれた時、「大丈夫ですよ」と答えて、冷静に先生の話を聞いた。それから、先生に感謝を言って病院を後にした。

  悪夢はこれからだとは夢にも思わなかった。病院から自宅まで電車で30分ぐらいかかるが、まだうちについてないうちに麻酔はもう覚めてきていた。

 一回目の激痛に襲われた時、頭を鈍器に殴られたかと思うほどだった。まだよくわからないうちに、二回目の激痛が襲ってきた。先ほど歯が抜かれた時の苦痛はまだまだ序章だと少しは気が付いていたが、この苦痛が三日も続くとはまったく予期していなかった。顔も倍ぐらいに腫れ、口を開けることさえできなかった。空腹は普段より鮮明ではあったが耐えられないほどではなかった。一人でベッドの上で涙を流しながら、痛みがいつ止まるかと心の中で叫んでいた。――激しく泣くことや人と話をすると、口を動かすから痛みが増すから。

  だから、2年前、お医者さんは左側の親知らずも出てきたと教えてくれたとき、私の反応は「うそ!それはうそ!信じたくない!」しかし、この親知らずは前より勢いよく成長し、あっというまにほかの歯の場所を占領してしまった。おかげで、本来の場所を取られた歯は傾いてしまったが、それでも無視してその親知らずの存在に知らぬふりをしていた。

 しかし、最近疲れがすこし溜まると、親知らずのところはすぐに炎症をおこしてしまうため、お医者さんに「抜かないと、隣の歯も虫歯になるから、そのうち抜かなきゃいけないのは親知らずだけではすきなくなりますよ」と言われた。ああ、もう逃げる道はない。勇気を出して、このずっと無視してきた親知らずにさよならする決断をしなければいけない。

 今度はどういう結果になるか?まったく予測はつかないが、祈るしかない。