予てから高層に上がり、名古屋城の食事施設など、街の賑わいを取り戻したい、というコンセプトの、(仮称)金シャチ横丁の起工式があったとのことです。中日新聞や、ラジオ・テレビの報道です。
中日新聞記事:名古屋城前の金シャチ横丁起工式 来春にも開業
名古屋市web:世界の金シャチ横丁(仮称)基本構想(素案)(pdf) 世界の金鯱横丁(仮称)基本構想概要版(素案)(pdf)
単なる名古屋城入場客の食事施設だけでなく、地域の名産などを販売したりするなど、情報の発信場所としての街の賑わい創出でもある、とのことです。
CBCラジオの解説によれば、類似の施設が熊本城にあるとのことで、そこでピンときました。
熊本城には、行幸坂のそばに、桜の馬場 城彩苑という一角があります。熊本地方の名産や名工品を販売するなど、情報発信の場でもあり、来場するお客さんの多くは、地元の市民であるとのことです。
この市民が多いというのは、熊本城が市中心部にあり、街づくりの核ともなりえるもので、熊本市の市街地続きにこの城彩苑です。
***
そこでピンと来ました。この名古屋市の金シャチ横丁、市民も訪れるようにしたい、とのことですが、どの程度訪れられるのでしょうか。名古屋城が名古屋市中心部の移動で、必ずしも中心部とはいえない位置となってしまいました。
場所はここです。マピオンから。
名古屋農林庁舎の北側の土地。
名城病院のレストランから、よく望めます。
見えている建物が名古屋農林総合庁舎。この北側の森になっている部分に金シャチ横丁が建設されます。
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名古屋市の市街地の変遷ですね。今でこそ200万都市、名古屋市で市域も広がっていますが、藩政時代から明治初期の元々の名古屋はごく狭い範囲です。
そして、その中心部ともいえるのは、美濃街道でも本町通界隈、今の桜通本町から外堀通本町の一つ南の交差点までの間。
この辺りはかつては茶屋町とも言われ、江戸時代、商いで財を成した茶屋家の屋敷があったところ。松坂屋の発祥である伊藤呉服店もこの茶屋町にお店8おたな)がありました。
明治維新で、名古屋市街地の東の外れ、当時の新開地だった、このブログでも以前に降れた蒲焼町のある今の錦三丁目、ここが正式に蒲焼町と名付けられ、栄町も正式な町名となり、武平町に県庁が設置されると、次第にこの栄町界隈が市街地として発展してきました。
これが近代に入り、鉄道開通、さらに新幹線で高速鉄道で他都市との経済交流が大きくなると、名古屋駅周辺が名古屋の中心部と発展するようになり、名古屋城界隈は、街外れになってしまいました。
人の流れを、どのようにこの金シャチ横丁に導くのか、導けるのか、そこが鍵かもしれません。
中日新聞記事:名古屋城前の金シャチ横丁起工式 来春にも開業
名古屋市web:世界の金シャチ横丁(仮称)基本構想(素案)(pdf) 世界の金鯱横丁(仮称)基本構想概要版(素案)(pdf)
単なる名古屋城入場客の食事施設だけでなく、地域の名産などを販売したりするなど、情報の発信場所としての街の賑わい創出でもある、とのことです。
CBCラジオの解説によれば、類似の施設が熊本城にあるとのことで、そこでピンときました。
熊本城には、行幸坂のそばに、桜の馬場 城彩苑という一角があります。熊本地方の名産や名工品を販売するなど、情報発信の場でもあり、来場するお客さんの多くは、地元の市民であるとのことです。
この市民が多いというのは、熊本城が市中心部にあり、街づくりの核ともなりえるもので、熊本市の市街地続きにこの城彩苑です。
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そこでピンと来ました。この名古屋市の金シャチ横丁、市民も訪れるようにしたい、とのことですが、どの程度訪れられるのでしょうか。名古屋城が名古屋市中心部の移動で、必ずしも中心部とはいえない位置となってしまいました。
場所はここです。マピオンから。
名古屋農林庁舎の北側の土地。
名城病院のレストランから、よく望めます。
見えている建物が名古屋農林総合庁舎。この北側の森になっている部分に金シャチ横丁が建設されます。
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名古屋市の市街地の変遷ですね。今でこそ200万都市、名古屋市で市域も広がっていますが、藩政時代から明治初期の元々の名古屋はごく狭い範囲です。
そして、その中心部ともいえるのは、美濃街道でも本町通界隈、今の桜通本町から外堀通本町の一つ南の交差点までの間。
この辺りはかつては茶屋町とも言われ、江戸時代、商いで財を成した茶屋家の屋敷があったところ。松坂屋の発祥である伊藤呉服店もこの茶屋町にお店8おたな)がありました。
明治維新で、名古屋市街地の東の外れ、当時の新開地だった、このブログでも以前に降れた蒲焼町のある今の錦三丁目、ここが正式に蒲焼町と名付けられ、栄町も正式な町名となり、武平町に県庁が設置されると、次第にこの栄町界隈が市街地として発展してきました。
これが近代に入り、鉄道開通、さらに新幹線で高速鉄道で他都市との経済交流が大きくなると、名古屋駅周辺が名古屋の中心部と発展するようになり、名古屋城界隈は、街外れになってしまいました。
人の流れを、どのようにこの金シャチ横丁に導くのか、導けるのか、そこが鍵かもしれません。
ただやっぱり期待したいのは川船かな。名古屋の川船と言えば中川運河でささしまライブ~ららぽーと~ガーデンふ頭を結ぶ計画が先行していますが、これに向けて笹島の船溜まりが最近整備されてきれいな「船着き場」になりました。あのようなものを朝日橋の辺りにも整備できたら良いのですけどね。
名古屋一の観光施設である名古屋城は、場内(城内?)の食事施設が貧弱で、なにか食事ができる所を設けよう、そこで伊勢市のおかげ横丁をモデルにした町を創ろう、という所から始まりました。
しかし、名古屋の繁華街から隔絶されたところ、名古屋城の観光客だけではやっていけないだろうから、人(市民)をどうここまで導いていくか、です。
堀川の水運計画があるのですか。朝日橋にも乗り場を造ろうか、という構想はずっと以前に耳にしたおとはあります。
この場所は堀川とは少し離れており、堀川の舟運(しゅううん)とを結びつけるのは、ちょっと難しいと思います。
能楽堂へよく行く私は、楽しみな施設です。能楽堂の食堂も正直、今一つなので。
余談ですが、名古屋城の団体客が食事の場所としては、この能楽堂のレストランを使用しています。
また名古屋城の個人客も、能楽堂のレストランに行く場合には、一時出場が可能になっています。