「回天」添乗員、当時5歳の弟への遺書
●旧日本軍の人間魚雷「回天」に搭乗し、戦死した新潟市出身の本井文哉大尉(当時19歳)の弟文昭さん(72)と妹昌さん(84)が31日、山口県周南市の離島・大津島の回天記念館を訪れ、本井大尉が突撃直前にしたためた遺書2通を寄贈した。当時5歳だった文昭さん宛てで、「イツデモニイサンハ、フミアキヲミテオリマス」などとつづられている。本井大尉は大津島を出発した特攻隊の第2陣「金剛隊」の一員として、1944年12月30日に出撃。45年1月12日、回天に搭乗して西太平洋の西カロリン諸島ウルシー海域で米軍の艦隊に突撃して戦死した。松本紀是館長に遺書を手渡した文昭さんは、「19歳で『国のために殉じる』と考えるなんて今では想像もつかない。遺書は貴重な国の宝。末永く、多くの人に見てほしい」と語った。
YOMIURI ONLINE より引用した。最初に目についたのが「六本木のビルの屋上から女性が飛び降りようとしている」という記事で説得に3時間も要したという馬鹿げた騒動だ。ビルに迷惑はかかるが「死ぬのは自由だし、放っておけばいい」と書こうと思っていたところ、この回天の記事に出くわした。今とは全く時代背景が違うので比較することすらできないが、それでも現代の方が「幸せな時代」であることは確かだろう。特攻隊などの公開されている遺書には「国に都合の悪いもの」は省かれているということも聞くが、この記事の「…コウコウシテクダサイ。ソレガニイサンノカタキウチニナルノデス…」という一文に、こんなことで死ななければならない悔しさがにじみ出ているように私には感じられる。若者が自分の意思とは関係なく死を強要された時代があったということを、一度はこうした記念館を訪れて再認識したいものだ。
今日の一枚も、「琵琶湖バス旅行その2」です。