goo blog サービス終了のお知らせ 

Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

船旅 清流・長良川を下る!!

2007-10-22 22:26:17 | Weblog
《船旅 清流・長良川を下る!!》

 清流といえば土佐の四万十川といわれるが、岐阜の長良川も全国区の清流である。今回はうだつで有名な美濃市の美濃橋から、鵜飼で知られる関市の小瀬までの区間の川下りを楽しんだ。

 前日が雨だったせいか水量は増しているが、濁りはない。暑くも無く、寒くも無くて絶好のカヌー日和となった。今日の参加者は4名、静かな川下りにはこのくらいの人数が良いようだ。

 インフレータブルを膨らまして川下りを開始する。鉄製の吊橋としては日本最古といわれる美濃橋をバックに、木製の灯台を左に見送りながら下流へと向かう。

 瀬張り網漁という仕掛けが目前に現れた。近づくと岸の漁師より声が掛かる。それはあまり気分の良い内容ではなく、折角の川下りが憂鬱なものになった。いくら入漁料を払っているからとはいえ、川そのものを独占する権利を得ているものではないと思うのだが・・・

 下渡橋を過ぎると、流れは大きく左に振れ、過激な瀬へと突っ込んで行く。同行のdb氏よりコース取りの説明を聞く。それは瀬の中に隠れたテトラブロックがあるという内容であった。

 アドバイスに従い、右寄りにルートを取って正解であった。まともにテトラに乗り上げれば激沈間違いなし・・・危ないところであった。

 山崎大橋を過ぎると流れは静かになり、会話を交わしながらリラックスをする。このひと時も川下りの楽しみの一つ、和みの時間を楽しむ。

 適当な川原に上陸し、ランチタイムとする。今日のメニューは「風のハル・スペシャルランチ」サッポロ一番・塩ラーメンに野菜とウィンナーの入った豪華版であった。

 いよいよ今日の川旅も佳境へ・・・幾つもの瀬張り網漁の綱をかいくぐり・・・同行のHiro氏はインフレータブルに付いた尻びれ?が綱に引っかかって苦労をしていた。

 釣竿をかわしながら最後の過激な瀬へと突っ込んでいった。先行者が上手く瀬を下ってゆくのを見ながら意を決して流れに乗る。艇が激しく揺れ、しぶきがもろに顔面まで降りかかって来た。

 なんとか瀬をやり過ごし、今日のゴールとなる小瀬へと辿り着いた。清流・長良川・・・確かに全国へ誇れる綺麗な川であり、カヌーイストにはお勧めの川であるが、あの漁をする方々は清流にふさわしくないように感じた。

フォトアルバム(期間限定)
http://album.nikon-image.com/nk/NK_AlbumPage.asp?key=1127126&un=42542&m=2&s=0


峠旅 天生峠~牛首峠~二ツ屋峠~楢峠へ!!その2

2007-10-17 22:13:45 | Weblog
《峠旅 天生峠~牛首峠~二ツ屋峠~楢峠へ!!その2》

 牛首峠(1075m)の向こうは富山県旧利賀村(現南砺市)。初めて訪れるエリアでわくわくしてくる。自転車旅の最大の魅力は未知のエリアを自由に訪れることができるところだと私は思っている。

 旧利賀村。1982年から毎年開催されている国際演劇祭の「利賀フェスティバル」は内外の演劇界から注目を浴びるほどのイベントとなっているそうだ。

 峠より利賀川の源流にそって下り始める。道はまったくの未舗装で、道のいたるところに水溜りがあって走りづらい。下り切ったところが利賀川ダム、川底が透き通っているのが驚きである。

 砺波平野の最南部、岐阜との県境となる水無(みずなし)は利賀川ダムが昭和39年より建設され、その時に離村となったようだ。今も当時のまま、民家の石垣が残っていた。

 水無谷に沿って県道34号を東に向かう。道が大きく右に折れ曲がる辺りより峠への上りに入る。路面はダートとなり、やがて路肩の崩落したところへ出た。工事現場の方に許しを得、自転車を担いでやり過ごす。

 道はさらに荒れ始め、心細くなるが、同行のmiya氏は元気そのもので先行して行った。道が大きく左に折れた先で稜線上に出、ようやく二ツ屋峠(1258m)へと辿り着いた。これより先は岐阜県となる。峠の周りはブナ林であった。

 頑丈なゲートの横をすり抜け、累々と続く山並みを眺めながら後続の二人を待つ。陽も西に傾き、気持ちが焦ってくる。この時期の日の入りは18時頃、暗くなる前にはスタート地点に戻りたい。

 峠から少し下ると北東方向に大きな山塊が望まれた。飛越国境に位置する白木ヶ峰(1596m)のようだ。さらに下って国道417号へと出会う。舗装はされているものの、林道と変わりはない。出会いを左折し、大長谷川沿いに下って行けば風の盆で知られる八尾の町へと至る。少しだけ上がったところが楢峠であった。

 楢峠(1226m)から南東方向へは大きな谷が広がっており、飛騨古川や高山の町が遠望できた。その先にどっしりと構えているのは霊峰御嶽のようだ。山間の谷は大昔の断層であり、その割れ目から火山が噴火したとすれば、まさしく目の前に広がる景色はその典型のようであった。その筋の知識に詳しいtaji氏に確認すべきであった。

 最後の記念撮影を済ませ、ダウンヒルに入る。二ツ屋谷に沿った国道は豪快に高度を下げていった。日没との競争・・・宮川と出合ったところで国道360号に入り、右折して朝のスタート地点を目指した。

 飛越国境に位置する牛首峠、二ツ屋峠、楢峠と天生峠の四つを越えるというハードな山岳ツーリングとなったが、長年の夢がかなったことが嬉しかった。同行の三氏に最大の感謝を申し上げたい。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=7164e6b1ce4296ef1fa347eb9876d297

フォトアルバム(期限限定)
http://album.nikon-image.com/nk/NK_AlbumPage.asp?key=1121213&un=49936&m=2&s=0

峠旅 天生峠~牛首峠~二ツ屋峠~楢峠へ!!その1

2007-10-12 21:46:39 | Weblog
《峠旅 天生峠~牛首峠~二ツ屋峠~楢峠へ!!その1》

 奥飛騨の旧河合村天生(あもう)、越中最南部の利賀村水無は、とても辺鄙な山間の地である。

 そこにある天生峠、牛首峠、二ツ屋峠、楢峠を一日で越えようというのが今回のプラン。ダート区間も多く、トータルの標高差も半端ではない。現地情報も乏しく、一部は高岡のサイクリングクラブさんより情報をいただいた。

 東海北陸自動車道を清見インターで降り、小鳥川沿いに北上をする。下小鳥ダムの先、国道360号に出会うところにクルマを停めた。

 ここより峠旅の開始、ブルーに塗られた橋を渡って天生への上りに入る。行き成りの九十九折の坂は、まだ目の覚めぬ脚には応えた。

 まだ紅葉には早い谷を延々と上ってゆく。天候はやや曇り、夏の暑さが嘘のようで、快適にペダルを漕ぐ。

 実は以前、この道路の路肩で小熊を見たことがある。そのことは仲間に内緒であるが、この地域に熊が多いことは確実であった。

 黙々と、ただ黙々と上りつめたところに赤い三角屋根の建物が見えてきた。ここが天生峠(1290m)、泉鏡花の「高野聖」の舞台にもなったところである。峠一帯は高層湿原で、春には水芭蕉の花が咲くという。

 苦しい上りの後は至福の下り。ウィンドブレーカーを着こむが、それでも身体が冷え込むくらい寒かった。白川郷が見下ろせる位置までくると、谷の向こうに白山連峰がドカンと眼前に現れ、思わず自転車を停めた。

 下りきったところに合掌造りの農家があった。庭先の水田では稲刈りの真っ最中で、はさ掛けされた稲と合掌造りの家との組み合わせが美しかった。1930年代、ここを訪れたブルーノ・タウトは合掌造りを絶賛したという。

 白川郷は20年ぶりという仲間のために、荻町の合掌集落を訪れる。ユネスコの世界遺産にも登録されたせいか、観光客でにぎわっていた。凄いということは分かるが、少し離れたところにポツンとある合掌家屋のほうが感動できるように思う。

 島の集落付近より牛首峠への上りに入る。記憶にある地図では2本のルートがあり、地元の方に確認をするが要を得ない。牛首谷の旧道を上がってみるが、数キロ行ったところで道は藪の中へ没していた。

 気を取り直し、もう一つの牛首林道にルートを取った。クルマの通らない路上で質素なランチを楽しみ、意を決して林道を上がっていった。道はすぐに未舗装となった。

 多少、路面は荒れているものの、タイヤはグリップしてくれて快調?に上へ、上へと上がっていく。ときより振り返ると白山連峰が大きく構えていた。ジグザグを描くのは白山スーパー林道、その上部が三方岩岳であろう。

 陽が傾きはじめ、路肩のススキの穂がシルエットになってきた。秋を感じさせる風景である。道が平坦になり始めると峠は近い。最後の力を振り絞ってペダルを漕ぐ。

 「牛首線」の石碑が建つところが牛首峠(1075m)であった。道中で見つけたアケビをほおばり、後続の仲間を待った。まさしく峠旅、人気のない岐阜と富山の県堺をまたがる峠は静かそのものであった。

輪旅 中山道・・・加納宿から愛知川宿へ!!

2007-09-30 22:10:23 | Weblog
《輪旅 中山道…加納宿から愛知川宿へ!!》

 壮大なプランといえばまさしくこれではないか。私の自転車の大先輩、OさんとTさんが北海道の宗谷岬から九州の佐多岬まで日本列島を自転車で縦断しようというのである。

 お二人の年齢は60代半ば。失礼ながらどこにでも居るオジ(お爺?)さんなのであるが、なんと往年のキャンピング車にバッグを四つ(フォーサイド)とフロントバッグの計5つを自転車にくっ付け、日本列島の中央部を縦断しようというのである。

 装備の重量は30キロとか、日数は50日を予定しているそうである。その行程は毎日、旅先からノートパソコンでブログにアップされ、仲間がそれを見てコメントするという算段である。

 加納宿・・・今回は走っていないが、今も江戸時代の加納城跡が残っている。和傘で有名。

 河渡宿・・・長良川の渡し場があったところ。時代は違うが、ここにある国枝サイクルはホイール組みの名人とかで、今も競輪選手からの依頼があるという。

 美江寺宿・・・中山道は神社の前で90度折れ曲がる。宿はずれの農村風景が素敵であった。揖斐川を渡ったところが呂久、小簾紅園(おずこうえん)には皇女和宮の有名な「おちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそ
すれ」の歌碑がある。

 赤坂宿・・・北に位置する金生山は石灰岩の山で、化石が今も採れるという。宿はずれの青墓は源義朝も寄ったという歴史の里、小栗判官・照手姫 伝説もある。美濃国分寺跡も近い。

 垂井宿・・・美濃一宮の南宮大社がある。いまだに当時の旅籠が営業を続けている。

 関ヶ原宿・・・いわずと知れた天下分け目の合戦があったところ。多くの史跡が残っている。また、壬申の乱の跡でもある。川が血で染まったという黒血川がある。

 今須宿・・・妙応寺は岐阜でも最古の寺とか。宿はずれの「寝物語の里」が美濃と近江の境となる。

 柏原宿・・・往時の建物が多く残っている。伊吹もぐさの産地でもあり、今も盛業している「亀屋佐京商店」の店頭には福助人形が飾ってある。

 番場宿・・・「まぶたの母」の番場の忠太郎は架空の人物ではあるが、あまりにも有名である。

 鳥居本宿・・・琵琶湖を見ながら?摺針峠を越えると鳥居本宿。赤玉神教丸本舗の建物は立派である。雨合羽の看板は見所。

 高宮宿・・・多賀大社への大鳥居がある。提灯屋など、当時の面影が濃く、ゆっくりと散歩をしてみたい宿場である。

 愛知川宿・・・今も繁盛?してる商店街があるが、宿の面影は少ない。この先の五個荘で中山道から外れ、近江商人発祥の地、五個荘を散策してみた。

 最後は今日の終着となる能登川、お二人を宿へ送り、ビールをご馳走になってから帰りの電車に乗った。

 10月6日、お二人が無事に日本縦断を果たされ、佐多岬へ到達されたとの知らせを受けた。


輪旅 八ヶ岳一周・・・麦草峠を越えて!! その2

2007-09-29 21:25:00 | Weblog
《輪旅 八ヶ岳一周…麦草峠を越えて!! その2》

 二日目、朝一で小海町の海尻へ下りる。海からはほど遠い信州の佐久に、海にちなむ地名があることは不思議であるが、それはかつてここが海の底であった名残りであろうか。

 今日も快晴、残雪を抱く八ヶ岳の眺めが素晴らしい。高原野菜の畑の中を疾走する。

 交通量の多い国道141号を避け、小海線の下をくぐって林道を上って行く。結構な勾配で汗を掻くことになるが、新緑の始まりかけた高原は爽やかで、とても気分が良い。

 海ノ口牧場から八ヶ岳牧場への高原ルートは今回のハイライトコースといえる。八ヶ岳を右手に眺めながら雄大な裾野を自転車で走るのは至福のひと時であった。左手には奥秩父の山々も遠望できた。

 日本で一番高い位置にあるという野辺山駅に寄る。ここで自転車関連の本を執筆されているS氏夫妻と合流し、野辺山高原を案内していただいた。

 高原野菜畑のど真ん中にポツンと立つ梨ノ木は見ごたえがあった。年月を経て生き続ける大木には不思議な生命力を感じる。進化したと思い込んでいる人間にも真似の出来ないパワーを持ているようだ。

 次に訪れたのが宇宙電波観測所、その巨大なパラボラアンテナは異様でもあり、また宇宙を探るというロマンも感じた。

 ここでS氏夫妻と別れ、小海線沿いに小淵沢を目指す。途中、清里の駅前を訪れたが、かつての賑わいは無くなっていた。

 大泉、小泉と快適な下りを楽しむ。途中、有名な演歌歌手が営む美術館があった。

 三分一湧水を見学し、小淵沢駅より帰る仲間と分かれる。後は県道「茅野小淵沢韮崎線」をひたすら走って富士見町役場へと戻った。

 自転車で八ヶ岳を一周する今回のプランは走り応えがあった。標高2千mオーバーの麦草峠、刻々と変化する八ヶ岳の風景、雄大な野辺山高原・・・自転車ならではの体験が出来たことに感謝したい。