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Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

輪旅 青山町霧生から青蓮寺ダムへ!

2013-01-15 22:45:28 | 自転車旅
《輪旅 青山町霧生から青蓮寺ダムへ!》
昨年の年末、伊賀盆地を訪れた時に時間切れで走れなかったコースを走ってきました。先ずは伊賀忍者・百地砦跡に・・・百地家代々の墓に感動!?

コースは、比自岐神社~伊勢路~奥鹿野~諸木~霧生(きりゅう)~酒屋~長瀬~布生(ふのう)~青蓮寺ダム~名張~伊賀神戸~比自岐神社
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=41f0f26558e86576fd9acd3d41df8fe8

感想・・・期待通りの素敵なコースでした。


(県道683にて伊賀上津・こうづへ)
先ずは、伊賀忍者の上忍御三家(服部、藤林、百地)の一つ、百地砦跡(字名は喰代・ほおじろ)を訪ねました。自然の地形を巧みに利用した砦に感心!

比自岐に移動・・・比自岐神社のところより右折し、県道683号を進みます。これがなかなかの道で、まさしく里山のまっただ中を行く道・・・落ち葉を踏みしめながらのランドナー・ワールドでした。


(里山を走る)
見覚えのある伊勢路へ・・・ここは初瀬(はせ)街道の宿場かと。常夜灯が往時を物語っています。初瀬街道とは、奈良県桜井市初瀬と三重県松阪市六軒をつなぐ街道・・・長谷寺を詣で、次にお伊勢さんへ向かう巡礼が歩いた道だそうです。

県道670号にて奥鹿野へ・・・次に県道767号にて福川へ・・・諸木、腰山・・・県道29号にて霧生を目指します。このあたりから山間僻地の様相が濃くなり、気分が高揚してきます。


(念願の霧生にて)
霧生は何でもない山間の集落でした。川の両岸に並ぶ伝統的な日本家屋、何代も前に組まれた石垣の上に建つ家々・・・とても心が落ち着くのはなぜでしょうか。多分、ここはかつての山間の商業的中心地と想像してみます。ちょっとした買い物、要件は霧生へ行けば何とかなる拠点であったと。

更に県道693号にて名張方面へ・・・ここがまた良いところ、期待通りとはこのことを言うようです。思わず鼻歌が!!なぜかペダルを漕ぐ足も軽いような気が。


(無名の峠にて)
高尾・観音寺へ出て左折・・・県道39号にて上流へ・・・酒屋にて再び県道693号へ入り、無名の峠を越えます。ここもなかなかの場所・・・伊賀の山間風景を満喫できました。

結構な下りを延々と走ると、そこが長瀬。ここは明るい場所・・・ちょっと町の匂いがします。近代的な建物の郵便局前で小休止。背中にかいた汗がひんやりとしました。

(名張市長瀬付近の景色)
再び神社前より上りへ・・・アップダウンが好きでない方には厳しいルートかもです。
その先が布生(ふのう)、後は県道694号にて名張へ下るだけです。


(青蓮寺ダムとカード)
伊賀市青山の山間核心部を抜け、気分的にもリラックス・・・同行のTさんの速度も自然と早くなります。

青蓮寺ダムにて噂のダムカードを入手・・・また新しい楽しみが増えました。

12月、望年ランでも走った道に合流し、名張の中心地へ。時間は午後3時、ちょと小腹を満たすために食堂へ・・・月見うどんがとても美味でした。


(比自岐の酒蔵)
後はスタート地点へ戻るだけ・・・近鉄大阪線に沿って美旗、出屋敷、丸山と走って比自岐へとたどり着きました。

ちょっと気になる建物が・・・それは大きな酒蔵・・・今も美味しいお酒を造っているようです。福井酒造場。銘柄は「福の聲」、ちょっとわびしさが・・・

平成の町村合併は致し方ない!??・・・しかし、かつての歴史ある町村名が消えてしまったのは残念です。大山田村、青山町・・・このエリアには素敵な昭和の風景が今も色濃く残っていました。こんな名称はないのかもしれませんが、私は「奥伊賀」と呼んでみたいです。

輪旅 冬枯れの伊賀盆地を走る!

2012-12-18 08:32:49 | 自転車旅
《輪旅 冬枯れの伊賀盆地を走る!》
12月、今年のプランもほぼ最終に・・・関西の自転車仲間と伊賀盆地を走ってきました。タイトルは望年ラン・・・来年も一緒に走りましょうと!

コースは時計回りで伊賀上野~大山田~青山~名張~月ヶ瀬~伊賀上野。布引山脈の山裾を縫って伊賀の田舎町を走り抜けました。途中、伊賀街道や初瀬街道とも交差して・・・まだまだ素敵な所は多く残っているようです。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=ef73e046a33cfb83808915f56b416305


(大山田付近の田舎風景)
おなじみのメンバーが伊賀上野駅に集合・・・5人、丁度良い人数かと。ベテランばかりですので安心・・・阿吽の呼吸で走り始めます。先ずは関西本線に沿って北東へ・・・

じきに佐那具へ・・・ここは奈良時代、伊賀の国府があった場所です。国庁を発掘したという場所には看板がありました。街中には府中神社もあります。


(伊賀街道・大山田にて)
名阪国道を横切り、旧の大山田村へ・・・ここから素敵な田舎風景が始まりました。大山田村とは・・・かつては伊勢の津城と伊賀の上野城を大名・藤堂高虎も行き来したという伊賀街道(伊賀越奈良道とも)が通っていました。宿場でもあった平田には植木神社が・・・7月末に執り行なわれる植木神社の祭礼「祇園祭」には三基のだんじり(山車)も曳行されるそうです。

服部川と聞けば忍者服部半蔵・・・服部、百地、藤林が伊賀忍者御三家?だそうだ。東京の半蔵門も伊賀に関係ありか・・・


(出合から名張へ向かう道)
川北で県道2号に入り、馬野方面へ・・・いよいよ待望の田舎道が・・・小さな峠を越えて伊賀上津、伊勢路へ・・・ここの集落も素敵・・・かつての初瀬街道の宿場だったのでしょうか。中心地には常夜灯が建っていました。

次に奥鹿野へ・・・道はますます辺鄙に・・・福川、ここで左折し、諸木、腰山、霧生へと行く予定であったがタイムオーバーで変更・・・真っ直ぐに老川、種生(たなお)へ・・・ここはあの兼好法師(吉田兼好)が「徒然草」を書いた場所とも。

出合より県道691号に入り、ちょっとした峠を越えて名張へ・・・ここがまた素敵な場所でした。伊賀コリドール(回廊の意味)道が出来たため、かつての県道は忘れ去られようとしていました。

夕やみ迫る名張の町をかすめ、赤目口駅より宿へ向かう。這う這うの体で「楽らふ」へたどり着きました。


(峠にて)
翌朝、奈良の大先輩とは別れ、笠間峠へ向かいました。これがなかなかの峠道で、朝食のおかゆが裏目に!??・・・途中から見下ろす名張の町が素敵・・・地蔵さんが祀られた峠も素敵。


(冬枯れ)
上笠間へ降り立ち、右折して葛尾へ・・・この道がまたいい・・・いわゆる簡易舗装でガードレールもない一車線幅の田舎道はいうことなしでした。途中には磨崖仏も・・・


(笠間峠への上り)
毛原廃寺・・・以前より気になっていた場所です。道の横に食堂(じきどう)の基壇が無造作に・・・水田を開墾するときに集めたようです。金堂跡や西塔跡、中門跡は更に下にありました。金堂あと・・・それは民家の敷地にそのまま残っていました。宗教にかかわる遺物のため、崇りを恐れて触らなかったのでしょうか。1300年もの間・・・


(毛原廃寺の基壇)
毛原廃寺の史実は今も不明なようです。基壇の規模からすると唐招提寺規模の寺院があったとも。充分にその威容を残った基壇は物語っていました。


(名張の町を見下ろす)
葛尾で名張川に出合い、左折。月ヶ瀬の五月橋(山添村?)を目指します。更に国道25号、裏道を拾って上野市内へ。


(上野で豆腐田楽を)
鍵屋の辻を通り、「わかや」へ・・・締めは上野名物の豆腐田楽で・・・お腹がふくれれば二日間の自転車旅も楽しかったことばかり・・・またの再会を願って解散としました。

輪旅 別所温泉から野倉道祖神へ!

2012-12-08 22:28:53 | 自転車旅
《輪旅 別所温泉から鹿教湯温泉へ!》
今回の訪問地は信州の鎌倉と呼ばれる別所・・・温泉でも有名で、終わりかけの紅葉を楽しみながら走りました!?現実は、雨具を着てのサイクリングとなりましたが・・・

千曲川沿いに広がる平野・・・上流から佐久平、塩田平、善光寺平というそうです。かつて信濃の中心地は塩田平、今の上田市あたりにあったようです。信濃国府、信濃国分寺があったことでもその証明に・・・戦国時代に活躍した真田氏の拠点、上田城は必見の場所かと。


(北国街道海野宿にて)
以前、奈良の大先輩と北国街道を走ったことがあります。信濃追分から直江津まで二泊三日で・・・北国街道は、佐渡の鉱山で採れた金を江戸へ運んだルートだと記憶をしています。

想像以上に当時の街道筋の面影が残っていて、感動しました。


(名物のクルミ味噌でいただく蕎麦)
海野宿・・・地元の豪族「海野氏」が支配。通りの真ん中を流れる用水、うだつの上がる家並み、時間が止まったような空間が感動です。


(別所温泉・北向観音)
雨の中、別所へ移動。歴史のある温泉地・別所は塩田平の南に位置します。別名、信州の鎌倉・・・鎌倉時代、鎌倉北条氏が三代に渡って統治・・・その時代に仏教文化が栄えたためだそうです。

北向観音・・・別所で一番有名な場所・・・長野善光寺が南向きに対し、別所は北向きのため北向観音というそうです。本尊は千手観音、境内の愛染かつらは小説の舞台になったとも。


(安楽寺・八角の三重塔)
別所の三楽寺・・・安楽寺、常楽寺、長楽寺(廃寺)・・・安楽寺の国宝八角三重塔は国内で唯一の建物だそうです。重厚な茅葺の常楽寺には国重文の石津造多宝塔が・・・別所の寺院は重みがありました。


(野倉の道祖神へ)
二日目は快晴・・・別所より野倉を通って鹿教湯温泉へ向かいました。この道がまた素晴らしい・・・信州らしい雰囲気の中、仲間とのお喋りを楽しみながら走ります。この時期、紅葉したカラマツが落葉を始め、ハラハラと降り注ぐ中を走るのも格別な感があります。

野倉の夫婦道祖神は有名・・・十二単衣を着た夫婦のほほえましい道祖神は一見の価値ありでした。


(大明神岳への道)
カラマツの落葉を踏みしめながら自転車を走らせます。標高が上がるにつれて雪雲のようなものが流れてきます。その合間に注いでくる太陽の光は温かく、ありがたみを感じる瞬間です。今回の旅の主催者、S氏がコーヒを沸かしてふるまってくれました。こんな心遣いが嬉しいひと時でした。


(ベテランサイクリスト)
大明神岳の下で県道・丸子信州新線と合流・・・ちょっと先で分かれる林道は保福寺峠へ続いているとか。凍える身体を我慢しながら鹿教湯への道を豪快に下って行きました。

鹿教湯で国道254号に・・・あとは旧丸子町へ向かって快走・・・千曲川の手前で解散。それぞれが思い思いの帰路に着きました。

今回の宿、別所温泉の宿「中松屋」はとても素敵な宿・・・まさしく美人女将の宿でした。またいつか訪れてみたいなと・・・

輪旅 信州・御牧ヶ原台地を走る!

2012-11-26 22:31:40 | 自転車旅
《輪旅 信州・御牧ヶ原台地を走る!》
東御(とうみ)市はご存じでしょうか。小諸市と上田市の間にあり、東部町と北御牧村が合併してできた町です。ここに御牧ヶ原台地があります。ここは奈良時代、望月の駒と呼ばれる良馬を朝廷に献上するという勅旨牧(御料牧場)があったそうです。自然の放牧地であった御牧ヶ原には今も野馬除跡(馬が逃げないようにする堤)が残り、のんびりとした風景を心置きなく堪能できました。

明治時代、廃藩置県によって失業した藩士が入植し、この台地を開墾したそうです。問題は水利・・・結果、多くの灌漑用ため池が造られ、今も活用されているようでした。ため池越しに白く雪をかぶった浅間山・・・それがこの台地の魅力でもありました。


(旧丸子町生田からの眺め)
もう何度も信州を訪れましたが、まだまだ素敵な場所の発見があるようです。
東御市の八重原から御牧ヶ原・・・中山道の塩名田から佐久平・・・千曲川沿いを走って布引観音へ。常に浅間山を眺めながらの自転車旅はまさしく至福のひと時・・・

今宵の宿は明神池湖畔の「里の宿きく坊」・・・旅とお酒を愛するご主人とのお喋りは旅のだいご味でもありました。

今回のコースのキーワードは「蓬田」です。


(旧御牧村上八重原付近を走る)
明神池近くにある宿にクルマを停め、八重原の台地を走ります。その広大な台地は肥沃な耕地でもあり、野菜や林檎の畑が広がっていました。遠くには蓼科山の雄姿が・・・そこより八ヶ岳連峰が連なっているのが見えます。


(初冠雪の浅間山遠望)
前夜は車中泊・・・みぞれ交じりの雨の合間に街の夜景が見下ろせます。千曲川の対岸は浅間山の裾野なのでしょうか。山麓には転々と夜景が綺麗でした。

その雨が標高の高い山々では雪に・・・快晴で迎えた朝、浅間山は白く冠雪していました。


(御牧ヶ原からの浅間山)
林檎園を抜けて立科町へ・・・長閑な風景が広がる台地は最高のツーリングコース・・・風もなく気温も丁度、どっぷりと自転車旅が楽しめます。気に入った場所があれば自転車を停め、写真撮影に没頭です。至福のひと時・・・


(印内原付近)
この台地を開拓したのは武士・・・明治期、廃藩置県で失職した藩士がこの台地に入植したそうです。問題は水利・・・台地のため、河川は少なく、多くの溜池が造られたようで、今も転々と池が残っています。


(無題)
まだまだ信州には素敵な風景が残っているようです。こんな写真が撮りたくて信州通い・・・今回は運が良かったようです。

蓬原から中山道八幡宿へ・・・次に塩名田宿・・・佐久平に移住されたMさん宅を表敬訪問・・・築150年の古民家は素敵のひとこと・・・しばし、滞在をさせていただきました。

帰路は千曲川左岸を快走・・・対岸には懐古園が見えるのでしょうか。日没を気にしながら走ります。牛に引かれて善光寺へ!布引観音の下へ・・・お堂は山の上のようです。また次回の宿題となりました。


(今宵の宿 里の宿きく坊)
お酒好きな主との会話が弾み、持参した飛騨の「ひやおろし」はすぐに空っぽ・・・歴史、風土、自然・・・話は尽きない!夜は更けてゆきました。


輪旅 箱根から熱海・伊豆を走る!

2012-11-08 12:02:04 | 自転車旅
《輪旅 箱根から熱海・伊豆を走る!》
サイクリングクラブのイベントで箱根から熱海方面を走ってきました。
函南町役場~熱海峠~十国峠~箱根峠~芦ノ湖~富士見峠~(椿ライン)~湯河原~伊豆山(宿泊)~熱海市~多賀~山伏峠~韮山反射炉~蛭ヶ小島~函南町役場
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=44a54..
天気にも恵まれ、快適なツーリングが楽しめました。生憎と富士山は望めませんでしたが(二日目はバッチリ)、椿ラインの豪快なダウンヒルは最高でした。


(熱海峠より箱根峠へ)
スタートは函南町役場から・・・熱海函南線(県道11号)をゆるゆると上がって行きます。今日は生憎の曇り空、期待した富士山は雲の中でした。途中、丹那の表示が・・・昔、東海道線の丹那トンネルは難工事だったとか・・・そんな記録映画を観たように思います。


(十国峠の登山電車?)
熱海峠の手前で熱海箱根峠線(県道10号)へ左折します。伊豆スカイラインは自動車専用道のため、自転車は走れません(とてもエコなのに締め出されている?)唯一、この区間だけは県道のために走行が可能でした。

直ぐに十国峠のドライブインへ・・・ここより峠へはケーブルカーが出ています。十国の意味は、10の国が望めるからでしょうか。賑やかな観光施設はほどほどに先を急ぎました。この先、笹に覆われた稜線に沿って箱根峠を目指します。晴れていれば雄大な富士山がずっと眺めながら走れる素敵なコースなのですが。


(芦ノ湖目指して)
それほどの勾配もなく、箱根峠に着きました。国道1号線を横切り、芦ノ湖へ下って行きます。


(旧東海道 箱根宿の杉並木)
旧東海道、箱根の関所が再現されています。新居の関所などと比べると歴史の重みは感じられませんが、東海道最大の難所である箱根宿は多くの旅人を悩ませたことでしょう。現存する杉並木は往時の雰囲気が色濃く残っていました。

向こうからランドナーに乗ったサイクリストが・・・なんとグリーン・アルプスさんではないですか。しばし歓談・・・

その後は県道75号「椿ライン」にて大観山、湯河原温泉へと向かいます。約16㌔のダウンヒルは豪快そのもの・・・ブレーキを掛けるほどの勾配でもなく、快適な走行を楽しむことが出来ました。見下ろす眺望も大迫力!



(輪友の雄姿)

盛大なクラブラリーも無事に終わり、京都のウィンディさんに案内をしていただきながら帰路に・・・結構な町の熱海市内を抜け、錦ヶ浦(魚見崎)、多賀方面へと東海岸を走ります。クルマも多く、暗いトンネルには緊張させられました。

多賀より地方道?にて山伏峠へ・・・これがとんでもない激坂で、電動アシスト!?の自転車が欲しくなるところでした。それぞれが無口になり、ひたすら峠を目指します。途中で昼寝?をする人も・・・

山伏峠・・・そこよりパラグライダーが飛ぶようです。見晴らしの良い高台より上ってきた相模湾方面を眺めます。沖合に島は初島でしょうか・・・


(韮山反射炉)
峠より下って韮山へ・・・以前より気になっていた反射炉を訪れました。萩にも反射炉は残っていますが、こちらのほうが立派・・・幕末、これで大砲を作り、欧州列強と戦おうという武士の熱い思いが伝わってきます。


(頼朝配流の地 蛭ヶ小島)
最後の訪問地は蛭ヶ小島・・・平治の乱で敗れた源義朝父子は比叡山の北の竜華を越え、瀬田から関ヶ原へと敗走します。若い頼朝は馬上で居眠りをし、大きく後れを取ってはぐれます。結果、近江の北(長浜の奥)にある大吉寺へかくまわれ、天井裏に潜むことに・・・結果、平治方につかまり、伊豆へ配流(島流し?)・・・その場所が蛭ヶ小島です。

そして20年後・・・北条政子と出会い、やがて鎌倉幕府を設立は有名な話です。


(富士山を見ながら 函南町あたり)
ラストラン・・・真正面には富士山がくっきりと・・・やはり日本人、富士山を見ると感動します。無事に函南町役場へ帰着。