最初は頸部浮腫やダウン症のことについて調べまくったが、結局は次の検診までなにも状況は変わらない。
精神的に参ってしまうのでなにも考えないようになってしまった。
(⇒楽天家の自己防衛スイッチ作動)
13週に入った日のこと。
PCに向かっていると、下腹部に「ポコン」と感触が。
・・・胎動? 早すぎじゃない? 勘違い?
ネットで調べてみたら、経産婦で17週ぐらい。早いと13週ぐらいから。初産婦は20週ぐらい。
ってことはありえる?
時期が早いからか1日に何度も感じるわけではないけれど、ガスがたまってるとか腸の動きとはなんとなく違う(ガスなどの場合グルルゥーという犬のうなり声みたいなのが伴う)、そんなポコンを時々感じます。(でも便秘だし、びみょー)
そしたらハッと気付いてね。
まだ結果が出ていないのに、まるでダウン症が確定したかのような扱いをしていたな、と。
唯一おなかの子の成長を感じとっている自分が信じてあげていないのは、あまりにも失礼。
考えてみると、これまでずっと授からなかったってことは、それだけ多くの命の元が死んでいったわけで、その中から生き残ったこの命はとてつもなく強い力を持っているはず。
そう思ったら「ダウン症のわけが、心疾患のわけがない」と強気な態度・・・やっぱ根本が楽天家なのねぇ~。
途端にママの態度は急変。
おなかをさすっては
まだ心臓が出来たばかりで弱いからむくんじゃっただけ。
これからすこーしずつ治るよ。
今ちょっと首が痛いかもしれないけど、もう少しの我慢だよー
ママの元気、全部持っていってもいいからねー
ゆっくり、ゆっくりでいいから。そしたらお外にでられるよ。
抱っこもほおずりもしてあげる。ねえねも待ってるよ。
と、話しかけ。
それが素直な気持ちだった。時に娘に参加してもらうことも。
娘自身は「ずっとねんねしてる赤ちゃんでもいいよ」とも言ってくれましたが。
そんなこんなで、ちょっとドキドキしつつ14週の検診をむかえたのでした。
ダウン症についての説明を受けた帰りのバスでのこと。
あるバス停でいっぱい人が乗ってきたと思ったら、その1人が私の膝の上に座ろうとした。びっくり。
すると、ある女性が「すみません。○○ちゃん、ここは空いてないから座れないのよ。」などと説明していた。
見ると、その集団はダウン症の子達と引率の先生達。
ちょうどそのバス停近くに、ダウン症の子や障害のある子達が野菜を育てたりパンを作って販売する施設があり、そこの子達だと思う。
なんてタイムリーな・・・。
でもこれは神様からの提示としか思えなかった。
もしおなかの子がダウン症だった場合、自分はどの答えに至るのか・・・。
ダウン症の子の団体を目の前にして自分がとった反応や態度・・・。
うぅーん・・・うまく表現できないけれど・・・おっかなびっくり?
大きな犬を連れた飼い主さんが「この子は大人しいから大丈夫。頭なでてごらん」
と言っても、なにかされるんじゃないかと怖くて、結局は手をひっこめてしまう。
そんな感じ。
そんな自分が育てられるわけがない。
パパの答えも、両実家の答えも同じ。
すでに子供ひとりいる。(あおい)
産んでも、経済面・世話する時間・体力・精神力がその子にそそがれ、あおいにまわらない。
自分達が亡くなった場合、あおいに負担がいってしまう。
正解のひとつだと思った。
・・・でも、それって殺人じゃない?
少しずつ大きくなるおなか。
生きてうまれようとしているのを実際に感じているのはママだけ。
パパも両実家の両親も、おなかの子の成長を感じてはいない。
「だからサラっと”無理でしょ”なんて言えるんだ」 そう思ってしまったことも。
ママにとっては、今目の前にいるあおいを自分の手で殺せって言われているのと同じこと。
ずっと望んでやっと授かった命。
お空の上から下界を見下ろして「あの家族の所へ行こう」と選んでくれた。
たまたま入った器(身体)に障害があったからっといって、お空へ帰って下さいなんてしていいのか?と。
まわりが言うこともわかる。頭ではわかる。ただ心がわかろうとしなかった。わかりたくもなかった。
でも実家の母も辛かったと思うんだよね。同じように母親だからね・・・。