ダウン症についての説明を受けた帰りのバスでのこと。
あるバス停でいっぱい人が乗ってきたと思ったら、その1人が私の膝の上に座ろうとした。びっくり。
すると、ある女性が「すみません。○○ちゃん、ここは空いてないから座れないのよ。」などと説明していた。
見ると、その集団はダウン症の子達と引率の先生達。
ちょうどそのバス停近くに、ダウン症の子や障害のある子達が野菜を育てたりパンを作って販売する施設があり、そこの子達だと思う。
なんてタイムリーな・・・。
でもこれは神様からの提示としか思えなかった。
もしおなかの子がダウン症だった場合、自分はどの答えに至るのか・・・。
ダウン症の子の団体を目の前にして自分がとった反応や態度・・・。
うぅーん・・・うまく表現できないけれど・・・おっかなびっくり?
大きな犬を連れた飼い主さんが「この子は大人しいから大丈夫。頭なでてごらん」
と言っても、なにかされるんじゃないかと怖くて、結局は手をひっこめてしまう。
そんな感じ。
そんな自分が育てられるわけがない。
パパの答えも、両実家の答えも同じ。
すでに子供ひとりいる。(あおい)
産んでも、経済面・世話する時間・体力・精神力がその子にそそがれ、あおいにまわらない。
自分達が亡くなった場合、あおいに負担がいってしまう。
正解のひとつだと思った。
・・・でも、それって殺人じゃない?
少しずつ大きくなるおなか。
生きてうまれようとしているのを実際に感じているのはママだけ。
パパも両実家の両親も、おなかの子の成長を感じてはいない。
「だからサラっと”無理でしょ”なんて言えるんだ」 そう思ってしまったことも。
ママにとっては、今目の前にいるあおいを自分の手で殺せって言われているのと同じこと。
ずっと望んでやっと授かった命。
お空の上から下界を見下ろして「あの家族の所へ行こう」と選んでくれた。
たまたま入った器(身体)に障害があったからっといって、お空へ帰って下さいなんてしていいのか?と。
まわりが言うこともわかる。頭ではわかる。ただ心がわかろうとしなかった。わかりたくもなかった。
でも実家の母も辛かったと思うんだよね。同じように母親だからね・・・。