暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

愛と自己評価

2018-03-25 11:38:59 | Weblog
 愛と自己評価

 甘えって、何だろう。
 『可愛い、可愛い』と言う事は、別に問題ない。
 多分、問題があるのは、口では小言を言いながら、実際は、何でもやってあげる態度の事だろう。
 「人の仕事をとってはいけない」。
 相手が言わないうちから、勝手に、『やってあげる』のは良くない。
 『やってあげても』良いのだけれども。それは、相手が、『やって』と言ってからでないと。
 『勉強、勉強』ばかりで、家事とかの事をしない人(させない親の子供)は、結局、勉強出来なくなる、と。
 アメリカとかでも言われているものね。『旅行とか連れていくことで、賢くなれる』と。
 現状観察を忘れた、勉強だけでは、勉強出来なくなる、と。

 もっと素晴らしい人達がいて、もっと、ダメな人達もいる。
 
 今日(3月23日)、ユーチューブの広告で、『日本の女子高校生は、一番、自己評価が低い人が多い国である』というのを言っていた。自分に価値があるとみているのは、7%だって。だけど、そのユーチューブの広告に載っていた、女子高校生は、確かに、そんなに、自分の事、可愛いなんて、思えない人が多いだろうな、という感じだった。
 『得意な事って、人それぞれって、学校で教えてよ』と言うが。学校で教えていると思う。だけど。結局、学校では、『勉強と、運動と、友情』しか、評価基準がない。評価基準が、もっと、たくさんあれば、『私は、ここが出来るけれども。あそこは、出来ない』というのが、もっと、分かるだろうに。多様性が、自己評価を高めるのではないか、と。
 『ダイエット』を自己啓発の一種だという人がいる。
 結局、『目に見えた数字』でしか、自己評価を得られない事に問題がある。
 もっと、太っている人がいれば、『それに比べれば、私は全然、太っていない』と思えるのに。身近に、痩せている人達ばかりだから、体重計の数字でしか、自己評価を得られない、と。
 髪の毛が、金髪の人が身近にいれば、『それに比べれば、私の髪の毛は黒い』と思えるのに。周りが、黒い髪の毛の人達ばかりだから、自分の自己評価は下がる、と。
 多様性が、自己評価を高める。『みんな同じ』だから、自己評価が下がる。結局、比べる、他者がいないから。

 愛と憎しみは等価。
 憎む事で、『私は、それに比べれば、素晴らしい』というのを、得ている。
 ダメ人間がいる事、ダメ人間がいると信じる事によって、『私は、それに比べれば、素晴らしい』というのを得ている。だから、『ダメ人間』には、価値がある。だから、ダメ人間を否定してはいけない。存在価値のないものとみてはならない。

(続き)
 ハワイに旅行に行った時に、クルーズ船で、みんなに、お酒配っているのに、私達だけ、くれなかった。「何で?」と思っていたら。どうも、『20歳以下の人には、お酒あげないよ』と言っている事が分かった。その当時、私が33歳で、妹は、30歳だったのに。
 海外行くとこういう事は、良くある話らしいが。それは、海外旅行しないと分からない事で。日本にずっと暮らしているだけでは分からない話ということで。

 人に、『あなたは、素晴らしい』と言われて、上がる自己評価なんて、たいしたことないよね。人から、『あなたは、ダメだ』と言われて、上がる自己評価が本物だと思う。
 日本人は、すぐに、組織を、同一のものだけにしたがるが。それでは、自分の価値を見出せないままだと思う。

 私の考えは、変わっていると思うが。だけど、それは、私と違う考えの人達がいるという認識があるから、分かる事で。自分と同じ考えの人間しか周りにいなかったら、自分の考えの特殊性に気づかないと思う。

 日本の女子高校生には価値がある。だけど、それは、同じような女子高校生の中では、分からない、気づかないと思う。

 私が、韓国関係の2ちゃんねるのまとめサイトを見るのは、私にとって、必要だから。
 「他者との比較なしに、自己について、定義出来ない」。
 日本の医療制度の素晴らしさは、海外との比較なしに、出来ない。信じない。
 結局、比較によってしか、自分の偉大さは、信じられない。

 頑張って、説明しても、大勢の人達は、信じないと思う。
 で、自分、自分達の不幸を嘆くが、そんな事はないと思う。
 ただ、自分、自分達の幸福を信じられないのが、問題なだけで、と。
 でも、自分だけでは、自分自身について認識出来ないし、自分の幸福についても、認識出来ない。
 他者との比較によって、自分自身について、認識し、自分の幸福について、認識出来る、と。
 他者なしの、自己の幸福なんてありえないのに。

 『絶対幸福』なんて、ありえない。そしたら、“知る”と言う事を、失うだろう、と。
 『不幸』がある事によって、『幸福』を認識する。
 そういう、システムなのだから。

 もう一つ。「ダメだと言われても、やりたいという事が、本物だよね」。
 「ダメだと言われて、あきらめる事なんて、本当にやりたい事ではなかったという事だよね」。
 どんな人生を生きても、それなりの苦労はあるのだから。それを、苦労を笑えるかが問題だよね。それが出来なければ、無職、ニートになるしかないと思う。それでも、親には、文句を言われるけれども。でも、『働いても、問題があるのだ』は正しいと思う。
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