みんな幸せになりたいと思っているから
やさぐれ女さんがブログで、『幸せになる方法』とかネットで検索して。
『活動的な人と友達になって、一緒に行動する』という話を、『怠け者の私にぴったりです』と書いていたが。
「そうかな」と思った。
活動的な人は、『ハワイに行きたい』となったら、一緒にハワイに行ってくれる人を望んで。で、一緒にハワイに行く人は、自分の分の旅費は自分で支払う人を望んでいるから。
『活動的』な人と付き合うには、それなりのお金がいる、と。
やさぐれ女さんには、その金がないから。
いくら、『活動的な人』と付き合いと思っていても、その活動的な人は、やさぐれ女さんと付き合いたいと思わないのではないか、と思った。
活動的な人と付き合うには、ある程度お金がないと無理、と。
誰も、『犠牲者』の人間には、自分がなりたいとは思っていない。
自分が『与えるだけ』の関係は、うんざり、と。
天国だって、本当に上の人が、本当に下の人に会いに行っても、本当の下の人には、本当に上の人が、『光の玉』にしか見えず、認識出来ない、と。
『下の人』を救いたいと思っても、自分より、少し下ぐらいでないと無理、と。
あまりにも上過ぎると、あまりにも下過ぎる人は救えない、と。
世の中を救おうとしても、あまりにも上の人は、あまりにも下の人は救えない、と。
少し上の人が少し下の人を救えるけど。
あまりにも上の人があまりにも下の人を救えない。
人間関係として付き合う場合、同程度でないと無理、と。
あまりにも違うと人間関係が成立しない。
(続き)
「誤解」という事は分かっているのですよ。
週刊朝日で、『男性にわざとぶつかられる。女性だから、ぶつかられるのだ。筋肉隆々の男性なら、ぶつかられないはずだ』とかいう話が書いてあったけど。
「誤解だ」と思うのですよ。
東京は人口密度が高くて、人も速足で歩いているから。「人とぶつかる事もある」。その時に、アメリカ人なら、『sorry』と言い、日本人なら、『すみません』と言うのだろうけど。東京の人はそんな事言わないで、さっさと歩くから。
『わざとぶつかられた』とか思う人がいるのかも知れないけれども。
「多分、そんな事はない」と。
で、なんか、被害的に、『女性だから、わざとぶつかられた』と思う人がいるのかも知れないけれども。
多分、そんな事はなくて。
「男性同士でもぶつかっていると思う」と。
単に、被害的に考えるかのどうかの問題、と。
「でも、私その誤解解く係違うし」。
人は色々な誤解をする。
その誤解が全て間違っているとは言えなくて。
『本人にとっては、それは真実』なのかも知れないけれども。
他人というか、状況が全然違う人にとっては、意味不明に思われたとしても。
HSP、傷つきやすい人、と言うけど。
他人は、そこまで、その人に対して、興味ないというか。
「みんな自分の事だけで、十分大変なのだ」と。
『そんな事言っているから、家に帰らせてもらえないのだよ』と言うけど。
多分、そんな事ではなくて。
「親には、親の事情がある」と。
その人だけの問題ではない、と。
『親と仲が悪い』時、親が悪い場合もあれば、子供が悪い場合もある。で、どちらも悪い場合がある。で、どちらも悪い場合でも、悪い割合が、5:5の時もあれば、8:2の時もある。
自動車事故の過失割合みたいなもので。
完全に10:0の時もあれば、4:6の時もある、と。
そんなに、『自分が悪いのではないか』と責める必要はない時もある。
相手が悪いのかも知れないから。
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やさぐれ女さんがブログで、『幸せになる方法』とかネットで検索して。
『活動的な人と友達になって、一緒に行動する』という話を、『怠け者の私にぴったりです』と書いていたが。
「そうかな」と思った。
活動的な人は、『ハワイに行きたい』となったら、一緒にハワイに行ってくれる人を望んで。で、一緒にハワイに行く人は、自分の分の旅費は自分で支払う人を望んでいるから。
『活動的』な人と付き合うには、それなりのお金がいる、と。
やさぐれ女さんには、その金がないから。
いくら、『活動的な人』と付き合いと思っていても、その活動的な人は、やさぐれ女さんと付き合いたいと思わないのではないか、と思った。
活動的な人と付き合うには、ある程度お金がないと無理、と。
誰も、『犠牲者』の人間には、自分がなりたいとは思っていない。
自分が『与えるだけ』の関係は、うんざり、と。
天国だって、本当に上の人が、本当に下の人に会いに行っても、本当の下の人には、本当に上の人が、『光の玉』にしか見えず、認識出来ない、と。
『下の人』を救いたいと思っても、自分より、少し下ぐらいでないと無理、と。
あまりにも上過ぎると、あまりにも下過ぎる人は救えない、と。
世の中を救おうとしても、あまりにも上の人は、あまりにも下の人は救えない、と。
少し上の人が少し下の人を救えるけど。
あまりにも上の人があまりにも下の人を救えない。
人間関係として付き合う場合、同程度でないと無理、と。
あまりにも違うと人間関係が成立しない。
(続き)
「誤解」という事は分かっているのですよ。
週刊朝日で、『男性にわざとぶつかられる。女性だから、ぶつかられるのだ。筋肉隆々の男性なら、ぶつかられないはずだ』とかいう話が書いてあったけど。
「誤解だ」と思うのですよ。
東京は人口密度が高くて、人も速足で歩いているから。「人とぶつかる事もある」。その時に、アメリカ人なら、『sorry』と言い、日本人なら、『すみません』と言うのだろうけど。東京の人はそんな事言わないで、さっさと歩くから。
『わざとぶつかられた』とか思う人がいるのかも知れないけれども。
「多分、そんな事はない」と。
で、なんか、被害的に、『女性だから、わざとぶつかられた』と思う人がいるのかも知れないけれども。
多分、そんな事はなくて。
「男性同士でもぶつかっていると思う」と。
単に、被害的に考えるかのどうかの問題、と。
「でも、私その誤解解く係違うし」。
人は色々な誤解をする。
その誤解が全て間違っているとは言えなくて。
『本人にとっては、それは真実』なのかも知れないけれども。
他人というか、状況が全然違う人にとっては、意味不明に思われたとしても。
HSP、傷つきやすい人、と言うけど。
他人は、そこまで、その人に対して、興味ないというか。
「みんな自分の事だけで、十分大変なのだ」と。
『そんな事言っているから、家に帰らせてもらえないのだよ』と言うけど。
多分、そんな事ではなくて。
「親には、親の事情がある」と。
その人だけの問題ではない、と。
『親と仲が悪い』時、親が悪い場合もあれば、子供が悪い場合もある。で、どちらも悪い場合がある。で、どちらも悪い場合でも、悪い割合が、5:5の時もあれば、8:2の時もある。
自動車事故の過失割合みたいなもので。
完全に10:0の時もあれば、4:6の時もある、と。
そんなに、『自分が悪いのではないか』と責める必要はない時もある。
相手が悪いのかも知れないから。
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