「幸福が正しい」と言う事になぜ、これほどの困難性を感じるのだろうかと思う。
『不幸な人達が、いるから、幸せになってはいけない』と言う。
『全ての人が幸福になるまでは、私は幸福になれない』みたいな事を、宮沢賢治が言ったらしいが、そしたら、『聖者』と言われる。
なぜ、他の人の幸福に責任を取らないといけないのだろうか、と思う。
「自分が働けば良いじゃない」と思う。
他人に働かせようとしないで。
で、他人に働かせようとして、自分は働かないで。
その押し付けをする人達の事を、『善』と言う。
なぜなら、『その人達は、不幸だから』。
本当は、「自分が働いた方が早いのに」と思う。
他者に対して、自分がしない事を、押し付ける人の事を、『善』と言う。
なぜなら、その人達は、不幸を感じているから。
『不幸な人は善だ』というのを止めたい。
本当は、自分がやった方が早いから。
『政治家になる女性は少ない』と文句を言う、女性は、「自分が政治家になれば良い」と思う。
そりゃ、国会議員とか、県知事とか市長になるのは難しいかも知れないけれども。
「市議会議員や、町議会議員になるのは簡単」と思う。
倍率が、1.2倍ぐらいしかないから。
「モデルになりたいという女の子がモデルになれる確率より、市議会議員になりたいという女性が市議会議員になる方が簡単」と思う。
でも、なぜ、それをしないのだろうか、と思う。
本当は、モデルになるより、市議会議員になる方が簡単なはずだから。
『苦労しないといけない』と言う。
でも、「簡単に幸せになって良いはずだ」と思う。
「日本製のお菓子は美味しい」と思う。
「日本製のお菓子を食べて幸せになって良いはずだ」と思う。
誰かに何かをさせようとするより、自分がやる方が簡単でしょう、と思う。
なぜ、それが理解出来ないのだろうか、と思う。
で、『自分達は、不幸だから、善だ』と言う。
本当は、「幸福な人が善なのに」。
小沢一郎さんは、自分は首相になりたくなくて。
誰か都合の良い人に首相にさせて、自分は裏で操りたかった。
だから、首相になれなかった。政権を取れなかった。
そんな都合の良い人はいないからだ。
単純に、「自分がやる」と決めれば良いだけだ。
他人にさせようとしないで。
そして、他人が、『自分の思い通りにやってくれない』と文句を言う。
本当はそんな文句を言わないで、「自分がやれば良いだけ」なのに。
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『不幸な人達が、いるから、幸せになってはいけない』と言う。
『全ての人が幸福になるまでは、私は幸福になれない』みたいな事を、宮沢賢治が言ったらしいが、そしたら、『聖者』と言われる。
なぜ、他の人の幸福に責任を取らないといけないのだろうか、と思う。
「自分が働けば良いじゃない」と思う。
他人に働かせようとしないで。
で、他人に働かせようとして、自分は働かないで。
その押し付けをする人達の事を、『善』と言う。
なぜなら、『その人達は、不幸だから』。
本当は、「自分が働いた方が早いのに」と思う。
他者に対して、自分がしない事を、押し付ける人の事を、『善』と言う。
なぜなら、その人達は、不幸を感じているから。
『不幸な人は善だ』というのを止めたい。
本当は、自分がやった方が早いから。
『政治家になる女性は少ない』と文句を言う、女性は、「自分が政治家になれば良い」と思う。
そりゃ、国会議員とか、県知事とか市長になるのは難しいかも知れないけれども。
「市議会議員や、町議会議員になるのは簡単」と思う。
倍率が、1.2倍ぐらいしかないから。
「モデルになりたいという女の子がモデルになれる確率より、市議会議員になりたいという女性が市議会議員になる方が簡単」と思う。
でも、なぜ、それをしないのだろうか、と思う。
本当は、モデルになるより、市議会議員になる方が簡単なはずだから。
『苦労しないといけない』と言う。
でも、「簡単に幸せになって良いはずだ」と思う。
「日本製のお菓子は美味しい」と思う。
「日本製のお菓子を食べて幸せになって良いはずだ」と思う。
誰かに何かをさせようとするより、自分がやる方が簡単でしょう、と思う。
なぜ、それが理解出来ないのだろうか、と思う。
で、『自分達は、不幸だから、善だ』と言う。
本当は、「幸福な人が善なのに」。
小沢一郎さんは、自分は首相になりたくなくて。
誰か都合の良い人に首相にさせて、自分は裏で操りたかった。
だから、首相になれなかった。政権を取れなかった。
そんな都合の良い人はいないからだ。
単純に、「自分がやる」と決めれば良いだけだ。
他人にさせようとしないで。
そして、他人が、『自分の思い通りにやってくれない』と文句を言う。
本当はそんな文句を言わないで、「自分がやれば良いだけ」なのに。
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