暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

本当の愛とは

2012-11-19 19:05:20 | Weblog

 『完璧なものしか愛せない』というのは、本当の愛ではないのだよね。『不完全でも愛す』『不完全だから愛す』というのが本当の愛な訳で。『完全ではないから、愛さない』というのは、愛ではない、と。

 

 悪魔が隣にいても、愛せる人というのが、本当に愛のある人間な訳で。条件付けて、『あなたは、不十分な点があるから、永遠の地獄に落とします』などという存在が、神な訳ないではないかと思う。私の目から見れば、世界の多数派の人達は、『神を信じる』と言いながら、「実際は、悪魔を信じている」、まあ、「神のふりをした、悪魔を信じている」ように見える。

 

 神がどうとかいうから、言い争いをしなければならないのだ。「人として、素晴らしい人とはどんな人か」を考えれば。本当の神とはどんな存在かすぐに分かる。本当に素晴らしい人間よりも、さらに素晴らしい存在が、神であろう。なんで、世界の多数派の人達は、悪魔を神と言い張るのか、分からないということで。

 

 老人介護の仕事をしていて。『人生の先輩を話が出来て、素晴らしい経験が出来た』という人がいる。大抵の人達が、その仕事を、苦痛の多い、キツイ、汚いの仕事であるというのに。

 

 障害者だからと言って、人格的に素晴らしい人達であるとは言えないと思う。しかし、健常者の人達に、『障害者の人達に対して、何かを与えている』という部分に気づかせてくれるという仕事をしていると思う。

 世界というのは、与えるだけでは、不完全で。受け取るだけでも、不完全らしいので。

 

 最近、『相手の親切を受け取る』のも、親切ではないかと思い始めている。

 相手の親切をむやみやたらに拒絶することは、善行ではないと。与え、与えられるという関係が、人間として、自然な、あるべき状態なのではないかと。

 

 神が現れたとしたら。『私は神ではない』というかも知れないなと思う。

 『神に頼るのではなく、自分自身に頼りなさい』『神に頼るのではなく、人間に頼りなさい』が、神のメッセージのような気がする。

 

 足りないものを数えるより、あるものを数えた方が良くないか。

 なんで、足りないものを数えて、あるものを数えない人達が大勢いるのだろうかと思う。

 

 “自分の理想をすべて、実現出来た”人なんて、この世界に存在しないと思う。人生というのは、多分、ほとんどすべての人にとって、理想通りにはいかない。でも、問題は、それを愛せるか愛せないか。それがその人が幸せを感じて生きていけるか、不幸を感じて生きていくかの差ではないかと。

 

 最大限の努力をして、今の結果になったのであれば。あきらめるしかない。

 お見合いで、結婚した人なんて、大勢いる。でも、それでも、結婚相手を愛している人達は大勢いる。問題は愛せる人と結婚出来るかではなくて。結婚した人を愛せるかどうかではないかと。

 

 障害者の人達を愛せる人達は愛がある人達だと思う。障害者の人達が愛せる人間かどうかは、その人達が人を愛せる人間かどうか、見分けるリトマス試験紙のような役割をしていると思う。

 

 「良い人というのは、人の事を『良い人だ』という人の事」だと思う。他者に対する評価は自己に対する評価であると思う。人の悪口を言う人が“良い人”には見えない。

 悪魔を信じるのか。神を信じるのか。それが問題であると思う。

 不幸を嘆いて生きる人。幸福に感謝して生きる人。物理的現実は、どちらも、同じように見える。

 ぐちゃぐちゃと、自分の不幸を嘆いている人達はうっとうしい。「そんなにいうほど、不幸でもないでしょう」と思う。「もしかしたら、客観的には私の方が不幸のような気がする」。でも、不幸を嘆いている人達は実際に存在する。例え、私の目から見れば、「そんなに不幸であるように見えなかったとしても」。

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