令和5年4月27日(木)
加賀市: 全 昌 寺
大聖寺城主・山口
玄(げん)蕃(ば)頭(のかみ)宗永公の
菩提寺で、
金沢藩および大聖寺藩の御広敷、
武士、町人などの寄進により、
慶応3年(1867)に完成する。
<本堂>
<五百羅漢堂>
釈迦三尊、四天王、十大弟子、
五百羅漢の総計517体の仏像が
完全に具備され、
京都の仏工・山本茂祐の仕様書、
寄進台帳も現存されている。
元禄2年(1689)
奥の細道の行脚の折、
松尾芭蕉と河合曽良が宿泊。
その部屋は現在茶室として
復元されており、
境内には句碑もある。
<奥の細道「全昌寺の段」碑>
『奥の細道』全昌寺の段では、
「大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。
「大聖持の城外、全昌寺といふ寺にとまる。
猶加賀の地也。
曾良も前の夜、此寺に泊て、
「終宵
「終宵
秋風聞くや
裏の山 」
と残す。
一夜の隔千里に同じ。
一夜の隔千里に同じ。
吾も秋風を聞て衆寮に臥ば、
明ぼのゝ空近う読経声すむまゝに、
鐘板鳴て食堂に入。
けふは越前の国へと、
心早卒にして堂下に下るを、
若き僧ども紙・硯をかゝえ、
階のもとまで追来る。
折節庭中の柳散れば、
「庭掃いて
「庭掃いて
出でばや寺に
散る柳 」
とりあへぬさまして、
草鞋ながら書捨つ。」
と記されている。
それを奥の細道碑として建立。
と記されている。
それを奥の細道碑として建立。
そして、
芭蕉と曾良の句碑が整備されている。
~つづく。
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