四天門ならぬ二天門
令和元年11月5日(火)
今朝も秋晴れ!
北風が冷たい。晩秋の勢い。
今朝は半田市。
常楽寺参拝!
文明16年(1484)に天台宗仏性寺
を改修し、空観栄覚によって開基
された西山浄土宗の寺院。
しかも、尾張藩初代藩主の徳川
義直から
「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」
とお墨付を得た寺院。
第八世住職の典空顕朗は於大の方
の妹の子で、徳川家康と従兄弟に
あたる。
このことから、家康が永禄3年
(1560)の桶狭間の戦いや
天正10年(1582)の本能寺の変、
天正17年(1589)の上洛の際
にも立ち寄っており、
徳川家康ゆかりの寺として有名。
大正13年(1924)、
火事に遭い多くの建物を焼失、
昭和15年(1940)に再建。
昭和62年(1987)、老朽化した
山門も再建。
主な所蔵品には国の重要文化財
に指定されている
木造阿弥陀如来立像(1263年円覚作)
の他、徳川家康から贈られ鐙や鞍が
ある。
芭蕉句碑は、本堂松の下にある。
句は、
「花の雲
かねは上野か
浅草か」。
常楽寺の山門に安置されている
像は仁王像ではなく、
四天王のうちの広目天と増長天。
阿像は、増長天。
吽像は、広目天
四天王のうちの二体が安置されて
いる門を「二天門」と呼ぶそう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます