芭蕉を変えた師匠たち ②兼好篇
令和3年2月28日(日)
今年の2月は、緊急事態宣言下、
逃げるように立ち去っていこうと
している。
秌(あき)のいろ
ぬかみそつぼも
なかりけり
芭蕉は兼好法師の生き方にも
相似。
吉田兼好というお坊さんは、
どこの宗派にも属さず、都のはずれに
建てた庵で生活。
時には旅に出てみたり、
違う地域で暮らしてみたり……。
自由気ままに生きながらも、
自分の心と静かに向き合う。
その綴りが、『徒然草』。
吉田兼好は和歌の才にも秀でていたそう。
『花は盛りに』から始まる『徒然草』
第137段には、
「花は満開の時のみを、月は雲がない状態の
時のみを見るものではない。
降っている雨を見て思いを馳せる月や、
今にも咲きそうな梢(こずえ・樹木の先の部分)、
花が散ってしまったあとの庭などにこそ、
しみじみとした趣深さがある」
という内容が記されている。
吉田兼好の風流さを芭蕉は受け継いだ感あり。
また、達筆であったことでも知られ、
当時から文化人として名高い人だったよう。
しかしながら吉田兼好は、
そのような自分の才を誇ることはせず、
世捨て人としての暮らしを全う。
名誉などよりも自分の心が豊かである
ことの方がずっと大切であると、
気づいていた。
そのためか、吉田兼好が残した随筆集は
死後しばらく埋もれていましたが、
それから250年以上もの時を経た江戸時代に
大流行し、世に広まったといわれている
この句は、『徒然草』の言葉として
詠まれていると捉えても過言ではない。
人が死んだ時、墓に持ち込める物は
殆どない。だから、死んだ時に、
あの世大事に思う者は、現世の一切の物、
壺ひとつでも持ってはならない。
この無一物の生活こそが、死を前にした
人生に願わしいというのだ。
学生時代から大切にしていた書物も
その他諸々の物を大分整理したが、
死を前にしても、まだまだの感ある己、
恥ずかしい限り。
死が遠のいてくれているのなら
有り難いが・・・・?