「尿前」という地名のいわれ?
平成30年8月9日(木)
台風13号は、茨城の水戸の方へ。
青梅では、雨混じりのちょっと強い
風が吹き、終日の雨で終わり。
清流に戻った多摩川は、また濁流に。
さて、尿前の関跡の続き。
この関門を潜る。
かつての鳴子町は、平成18年3月、
古川、岩出山など一市五町が合併して
大崎市となる。
芭蕉が訪れた頃は、出羽国で最上、
伊達氏らの対立が続いていたことから、
その波及を恐れた大崎氏は国境の警備を
更に強めるため、「岩手の関」に小屋館
の番所を設置。
小屋館は、尿前の西方の山上(岩手の森)、
薬師堂跡付近にあったといわれる。
元禄2年(1689年)5月15日(新暦7月1日)、
岩出山で一宿した芭蕉は、「道遠ク、難所有之」
(曽良随行日記)という理由から、尾花沢
までの旅を、急遽、小野田経由から鳴子経由に
変更した。
このため、通行手形の用意がないまま
尿前から中山峠越えを目指すこととなった。
「美豆の小島」というのは、江合川の中
にある岩山だそうだが、名称の響きに誘わ
れて探すが、田園と山合の所と化し、
分からずじまいとなる。
芭蕉翁の立像や石碑が・・・。
尿前の関の碑。
詳細は。よく分かるようにまとめられている。
これが、関所の全貌。
芭蕉翁の立像。
嶮しい表情!
角度を変えると、ちょっと柔和になるが・・・。
芭蕉句碑
芭蕉の句は、
「蚤虱 馬の尿する 枕もと」 。
なお、「尿前」という名前は、
義経一行が平泉に逃避する際連れていた
幼児が初めておしっこをした場所と
いうのが由来だそう。
納得!