あすなろ

塾長日記

情けないね

2011-09-13 21:41:59 | Weblog
ニュースの表題に、放射能をつけちゃうぞと言うのがあって、何のことかわからなかった
まさか、大臣がはしゃいで新聞記者に言った言葉だとはね。小学生の言うエンガチョ切ったみたいな会話だぜ。春日武彦著『問題は躁なんです』によれば、一貫性のなさ、こらえ性のなさ、浮ついた感情が支離滅裂な方向へ彼を導いて行く。と躁病をとらえている。情けないよね。こんなのが大臣なんてさ。大臣なんか大変な地位だぜ。明治時代の西郷従道なんか目黒渋谷にまたがる壮大な家を持っていた。とにかくとてつもなく偉大な人だったんだ大臣は、それがさ、なんだこれ
救いは記者会見が、すごかった。
新聞記者の攻撃がすごかった。またこの大臣も最後泣いちゃいやんの。大人の責任が全然ないよね。

親のニーズにこたえていない

2011-09-13 21:04:44 | Weblog
9月だと言うのに暑い日でありました。こういうレベルの学校は駅から遠く、小さな駅からバスで15分さらに歩いて10分、やはり郊外の山の上にありました。到着するまでに、暑くて苦しかったです。大げさではなくて熱中症になりそうでした。校長先生は正直な先生で、だいたいオール2の生徒で、私が来るまでには年間30名の退学者がでた、ひとクラス消えてしまうのです。と言っていた。大体そんなものだろうなと逆に塾はわかります。さらに退学する子はまず勉強が嫌い。入った学校に愛着がないからすぐやめる。そもそも校門をくぐっただけで『私この学校嫌い』なんて言い出します。退学者について、先生がいくら努力してもどうしようもないのは、これも塾の先生ならわかります。
あと、いちいちそういう理由は言わないけれども、経済的理由でやめるのは最近多いです
私がここで言いたいことは、だからこそ学校運営は生徒に媚びない方がいいよと思います
例えばね。制服とか、修学旅行先とか、生徒に選ばせます。という学校『修学旅行先は沖縄かオーストラリアか』みたいな話、チャッチャッと学校側が決めることじゃないんですか。そこに小笠原諸島なんていう選択肢はないんだからね。
この学校でもですから変革、改革と声を限りに叫んでました。進学に力を入れるとしかし大学進学なんていっても、やはり大半はAO入試で入れるんだし、一番の問題は親が望んでいないことなんです。

受験校は家族で相談

2011-09-09 19:29:13 | Weblog
志望校は家族で相談
 何も分からないと言うお母さん。やっと決めると『そんな学校ダメだ』と理由も言わず、却下するお父さん。おそらく自分の嫌いな奴が進学したかとか言うオチ。あるいは、『昔はそんな学校ダメだったわよ』というお義母さんの一言でせっかく決めた学校が流れたこともありました。志望校は、やはりみんなが協力して子どものために、真剣に考えなくてはね。これは志望校は思いつきで決めるなの第二弾ですけれど、どうしたらこういう問題が解決するかといえば、受験生本人がどうしても行きたいと言う強い意志がなくてはね。
子ども自身、どうでもいいのですから
動機づけもまたというか動機づけこそ親ができる受験準備ではないのかしら


だから志望理由書は

2011-09-08 21:32:37 | Weblog
志望理由書なんていうのがあります。
 将来何になりたいかなんていうのがあります。特に中学受験あたりでそんなの決まっているわけないし、それは具体的に書いたところで宇宙飛行士というのとあまり大差ない。
ならば、一見具体的な風に書いておけばいい
『こんな小さな国なのに日本の国が豊かなのは、優秀な自動車や電化製品の貿易で成功しているからです。従ってボクは語学力を高校でつけて』なんていう風に書いておけばよい
模範解答をな。電化製品は今や韓国のが上だとかイチイチ書かなくてもいいのさ。さらに字が余ったら、東日本大震災の時東北が被災して、世界中で部品が調達できなかったとか、あらかじめ持っている知識で武装せよ。だから知識は大切なのよ。もしも韓国のが今やうえだとかそういうことを突っ込まれたらだからもっと勉強しなくてはと書けばいい。そうでしょ。ああ言えばこういう。これが面接でも鉄則。

志望校は思いつきで決めるな

2011-09-08 15:58:14 | Weblog
志望校は思いつきで決めるな
いつまでも阿波踊りのことばかり書いているとね。お叱りを受けるから、本業受験準備の話。その1はかねてからのあすなろの主張、志望校は思いつきで決めるな。です。
入試の問題は学校によって違うからね。偏差値が65ある受験生がそのまま偏差値55の学校も受かるとは限らない。受ける学校を徹底的に研究しなくてはね。成功は無理よ。それは野球でもサッカーでも何でも言えるでしょうね。したがって今や受験を報告に行くと学校側は『説明会は参加しましたか』と必ず聞いてきます。例えば、東京の地図が必ず出題される学校があります。こんな問題は教科書にも塾の問題集にも載っていません。過去問を研究していないとどうしようもありませんね

ここに書いた話は、第二志望の話です。第一志望はみんな決まっています。しかし第二志望となると適当に決めてしまうのです。そこで第二志望まで失敗してしまう。そうなると自信を失ったまま進学する。それは取っても危険なんです。

何をやってんだなという話

2011-09-07 15:58:09 | Weblog
何をやってんだよな
 先日、授業をやっていたらガラッってドアがノックもなくあいてさ。あれっ部長はまだかとかいってオッサンがすぐ顔を引っ込めた
よく顔を出すオッサンで塾の土地を買うようなことを言っているんだけれど、進展はないし、暑い日なんか、人の事務所に涼みに来ているだけで、お前何してんだと(恐らくな)怒られて、いいえいい土地があるんです(これも恐らくな)と言ってアリバイ作りに上司を連れてきたんだな。部長なんかこっちには何にも関係ないしね。バッカじゃないの。それで部長だか、カンチョウだかが来て、ご挨拶ってさ。進展がないなら来ないでほしいと行っただよ。この辺一帯をビルにするという話、もうやらないだろうな。六本木ヒルみたいにやるところはとうに着工しているよね。それも秘密裏にね。

道後温泉の話

2011-09-06 15:37:47 | Weblog
阿波踊りを見に徳島へ行く。よさこいを見に高知へ行く。どちらも祭りのときは泊れないので高松に泊る。
そうです。愛媛県だけは行かないのです。実は、愛媛には中学時代の初恋の人がいて、15年ほど前に行ったことがあります。その時まさか、そのあとこんな風に四国へ何回も行くようになると思わなかったからね。
愛媛に行った時、道後温泉に行ったんです。今回、そうだ愛媛に行こうと、行きました。安い入湯料のところと個室がある高いところがあって、高いところといっても大したことないけれど、に入湯すると、ガイドがあって、天皇陛下が入湯される特別な風呂があって見学させてくれた。この120年間に大正天皇が1回、昭和天皇が2回はいられたそうな。まっこういうところがエライ人の偉い人の所以だよね。なんで四国が好きなのかといえばなんか人気(ひとけ)がすごくいい。道後温泉もね。なんか松山のもの食わせると来ないかなと思っていると通りかかったおばさんが大黒やよと言って15分も歩いて案内してくれた。やっぱり愛媛ヨネ。みかんのかき氷うまかった。徳島では喫茶店の女の人が  ムフッ。

日輪の遺産の話

2011-09-05 16:16:43 | Weblog
日輪の遺産
 を見ました。浅田次郎原作で、感動して何回も読みました。たぶん原作に出てくるところはこの辺だと南武線南多摩駅まで調べに行ったことがあります。子供の国には17名の学生の慰霊碑が立っており、子供の国は旧日本軍の弾薬庫だからね。子供の国の話からヒントを得たのかななんて思いました。どこまでが史実でどこまでがフイックションかわからないほどの出来栄えでさすが浅田文学と思っていましたけれど、映画化は無理だろうと思っていましたけれど、見事に映画化されましたね。原作にある南武線が機銃掃射されて16歳の学徒動員された女学生がブルブル震えて敬礼している図ね。わが母も学徒動員で車掌やっていたからね。読んで手思わず涙ぐみましたよ。

歯医者の話

2011-09-03 19:14:01 | Weblog
歯医者の話
 歯が折れたから、前歯だしね予約でいっぱいなのはわかっていたけれど、以前住んでいたところまで、タクシーで行っただよ。
此方はこの歯医者がオープンした15年前からの最初の客だぜ。予約でいっぱいだけどちょっとくらいちょっとくらいいいじゃんかな。1時間待ったけれど夏期講習に遅れちゃうから、見てよと言ったらダメだっていうんだよ。
なんかカチンときて、じゃあいいと言って前歯がないまま飛び出て渋谷でやってもらうからいいやと思ってみるとなんとその隣に歯医者がオープンしている。飛び込んだらすぐやってくれた。そのずっと行っていた歯医者ね
歯が抜けるたびに1年に1から2回、行っていたんだけれど診察料も190円とかさ。
結局、歯なんかそんなにすぐ取れない。適当だったんだよね。15年間も他に行ったりしなかったからわからなかったんだよね。新しい歯医者は、こことここをやりますとレントゲンを見て説明してくれた。そうそう途中一回、たまプラーザの歯医者に痛くて飛び込んだら、また来いと毎回説教の電話してくる歯医者もあったな。まっここも必死に新規の客を開発しているんだろうけれど、やる気を出してみてくれるのはありがたい。この話
いろんなことに言えるんじゃないかな
 帰る時、携帯会員にならないかと言われた
予約の確認とかできるそうだ。何でも進化しているんだね。
 歯医者もね。この団地ではクリーニング屋と歯医者ばかりだものね。予約がいっぱいで日々のルーティンワークに追われていると気がつくと客いなくなるぞ。久しぶりにこの団地へ行ってみると塾もみんな変わっていたか潰れていたね。肉屋が店頭で焼き鳥なんか焼いていたのにね。店ごとなくなっていたよ。

この素晴らしい世界。

2011-09-02 14:13:38 | Weblog
手紙
Kちゃん。お手紙ありがとうございます。
3日ほど前、夏の夜、授業をしておりましてね。生徒はみんな当然のことながら平成生まれだしこの3カ月で入った子で、今日もまた僕はあの頃と変わらず授業をしている。そしてKちゃんはどうしているのかなと思いました。もう教え子は1200人になりますこの夏、随分元教え子も遊びに来てくれました横浜の青葉台で、昔、あすなろの合宿の時みんなが手づかみした鮎を一人でさばいてくれた高校生だったO君が、コックで奥から先生と言って出てきた時はびっくりしましたよ。

いろんなところでたくさんの元生徒に出会います。出会いのあるいい仕事だったなと思います。(まだ過去形じゃないつもりですけれどね)最後の年賀状でまた赤ちゃんが生まれると書いてあったし、その赤ちゃんがもう1年6カ月なんですね。何より驚いたのは長女のHちゃん。Kちゃんの写真かと思いましたよ。うちの塾には合宿ばかりしていたからKちゃんの写真がたくさん残っているんですね。時代もバブルでしたね。合宿ばかりしていた。当時ボクは35歳、Kちゃんは14歳。そうするとKちゃんは今41歳ですか。あの頃は創業したばかりで、事件バッカのあすなろでした。

3年前、入ってきた生徒の親がさんの同級生でえっと思ってKちゃんに手紙を書こうと思って3年たってしまいました。3/11には震災のあとであすなろを必死で探してくれた最初の生徒、Nさんを紹介してくれた生徒から『大丈夫だった』というメールが来ました。彼女も42歳です。

この5-6年、入院して退院してから東海道をずっと歩いて、その後阿波踊りとかよさこいに凝って四国はおろか、いろいろな所へ行っています。光が丘のよさこいもいつかは行ってみたいと思っているんですよ。もう少し涼しくなったら遊びに来てください。11/3は渋谷区祭りで忠犬ハチ公のパレードにはうちの娘の秋田犬も参加するんですよ。きてみてね