あすなろ

塾長日記

その時代僕は

2011-09-24 19:33:08 | Weblog
私は今、25歳から30歳までを思い出して書いている。みんなが麻雀とかほとんど毎日やっているのを見ていた。彼らは仕事もしなければ、それでも会社を休まず遅刻もせず、摩擦も起こさず息を吸っていた。昨年にこの会社が整理されるとき、その時の後輩が随分
脱サラしたボクの事務所にやってきた。
『将来性がないと思いましたか』と一人は聞いてきた。『親会社から無能ゆえにやってくる奴ばかりが管理職になっていくのをみてダメだと思った』と言った。『しかし残っている直採用者だってろくなのいなかったもんな』とは言わなかった。でもキミたちは愚痴ばかり言って管理職と麻雀ばかりやっていたじゃないか。
ボクはその分仕事していた。わけではない。ただね。遊んでくれる人がいなかった分、いろんな本を読んで知識は付けていた。遊んでくれる人がいない分、いろんなことを考えた
清水一行なんか全作品を読んではノートにメモをした。

間抜けな時代だったね

2011-09-24 15:41:51 | Weblog
結婚して子供が生まれて、休日など友人一家と家族ぐるみでドライブにいったり、会社では現場があったからまぁいろいろトラブルがあってこれを解決するのが仕事だったから、仕事が終わると疲れてサッサと帰った。この仕事の解決の仕方はその後の人生でものすごく役に立った。他の会社のメンバーは相変わらず、麻雀の話ばかりしていた。部長が何でも麻雀の話をすればいいと思ってお得意様に行って、麻雀の話をして、その会社では麻雀禁止令が発令されていて、相手を激怒させたなんて話もあった。いづれにしても平和な時代だ。あんな話ばかりしていて、OLの女の子にお茶なんて言って毎日を過ごしていたんだからな。まっボクは働いていたけどな。それにしてもガソリンが1リッターで何キロ走るか車種別にそろばんで計算していたんだからね。原始的なものだ。その後リストラなんて言うけれど、確かに無駄な人間は多かったね。部長。君のことだよ。
当時、ボクの初任給4万円。これはその後すぐにオイルショックで12万になったが、自分で買った最も安いオムロンの電卓、4千円
何にもしていない部長の給料は40万円だった。いつもドライブに誘ってくれた友人は、草津や伊豆に別荘を持っていたけれど、その後3人の子供と奥さんを残して失踪した