あすなろ

塾長日記

あの頃は毎日何をやっていたんだかね

2010-07-18 17:05:27 | Weblog
夏が来ますね。私が講師になって最初にやらされた仕事が、代々木のオリンピックセンターで予備校の旗を持って、生徒を誘導すること。日本全国から来るのに驚きましたわ。
朝6時にラジオ体操、7時から朝食、生徒の点呼とか起こしたりして、8時から8時まで授業、その間、質問に応じたり採点したり夜も部屋に生徒が質問に来て、深夜は各部屋を警備に回る。ひどい日々であった。合宿から帰ってもこんな生活でしたね。夜代々木にあった王将で、店長はずっと朝から晩まで餃子を作っていて、俺たちと同じだねなんて行っていた。140円の餃子と160円のレモンサワーしか毎日食べられないんだもんね。
そこをやめて自分で塾を作ったから、夏は合宿、講習、一日も休まず朝から晩までというものだと思っちまったんだね。92年ころ
バブルのまっ最中1日50人の生徒を13人の講師で個別をやった。身体が一つだから雇ったのに、講師からも休憩はないのか?この辺でおいしい店はないのか(御馳走してという意味)とか終わった後まで『カラオケ行こう』とか(時代だねぇ。今なら行きたくもないのにね)『給料の前借』だとか。なんだかな。今考えると何をやっていたんだか?ね

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