それは体内に潜む反発心から始まった。 真面目に生きるとき書いたが、本当の意味で僕が脳出血の後遺症である、何事にも自信がなくなって鬱状態になったことから脱出できたのは、負けん気であり、悔しさだ。それまでは自分の人生にプライドを持っていた。そこまでバカにされることあるかと今回の病気で思うようになったことがいくつかある。それは半沢直樹を書いた池井戸潤氏の短編、10年目のクリスマスを読んだところから始まる。銀行に言われたから設備も大きくしたのにここで融資を打ち切られると倒産してしまうとその零細企業の社長が泣きついてくるが本部の許可が下りないと銀行は融資を打ち切る。しばらくしてその工場は火災を起こして倒産してしまう。零細企業なんて結局そんなものだと思って銀行員の彼はその零細会社の倒産を思い出すことなく、銀行内で出世していく。ところが10年目にその零細会社の社長がジャガーに乗っていた。売り上げ10億円の会社の社長に彼はなっていた。彼なりにその後すざましい努力をしてたちなっている。これを読んだとき、そうだこれだと思った。復讐というのではないけれど次行こうかという発想がないと人は次に歩き出せない。
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