「la_causette」の「旧来の業務と執務態勢に固執することなく、その職域を拡大し、執務態勢を改め、新しいキャリアモデルを構築していただきたい。」
法科大学院協会のウェブサイトで、青山善充先生は「いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である」と主張されている。しかし、「一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致している」、と書かれています。
要は、法曹 (弁護士) の需要予測が間違っていた。したがって、増員は見直すべきである、ということなのですが、この主張には、説得力があります。しかし同時に、ひっかかるものがあることも、たしかです。なぜなら、
増員反対派の弁護士さん達は、増員反対の根拠 (…のひとつ) として、
「増員すれば (弁護士の) 質が落ちる。質が落ちれば市民に不利益が及ぶ」
と主張されている
からです。
つまり、「需要予測が間違っていたから増員は見直すべきである」というのであれば、「需要予測通りであったなら増員は見直さなくてよい」ということを、当然、内包しているとみられるところ、
需要予測が適切であろうが、需要予測が外れようが、
増員ペースが同じであれば、「(新人) 弁護士の質」は変わらないはず
ですから、
増員反対の根拠として、
「需要予測が間違っていた」ことと、
「法曹 (とくに弁護士) の質が落ちる」こととは、
両立しないはず
です。
したがって、弁護士さん達が増員反対の根拠として、「需要」と「質」を「ともに」挙げているのは、論理が破綻していると考えなければなりません。
ここで、「需要」と「質」、どちらの要素の比重が大きいか、が問題になりますが、
「弁護士増員に反対する弁護士の本音」で引用した記述によれば、すなわち、弁護士が増員に反対している本当の理由は「俺達弁護士は食えるのか」という心配、すなわち、「(一人あたりの) 収入が減る恐怖」であると考えられますから、
最初、
(全体のパイが大きくなるなら)
増員しても収入は減らない、
★増員すれば「弁護士の質」は落ちるが構わない
(というか、増員すれば競争によって「質が向上」する)
と考えて (弁護士会=弁護士さん達は) 増員に賛成したが、
途中で、
(全体のパイが大きくなりそうもないので)
増員すれば収入が減る、
★増員すれば「弁護士の質」が落ちて市民が困る、
と増員に反対し始めた、
ということではないかと思われます。つまり、
弁護士さん達の主張、
「増員すれば質が落ちるので市民が困る」というのは、
「増員に反対するための口実にすぎない」
と考えられます。
この考えかたは、「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」および「弁護士増員論の再検討」で引用した仙台の坂野智憲弁護士の推測、「質」は「口実」にすぎないのではないか、と重なるものがあります。
また、以前記述した「弁護士増員と、弁護士の質の関係」からも、「弁護士の質」が増員反対の「口実」にすぎないのではないか、と考えられます (引用元記事は裁判官の意見ですが、この裁判官の意見を引用して増員に反対されている弁護士さん達がおられますので、弁護士によって「口実」に利用されている、と言ってよいと思います) 。
とすれば、法曹 (とくに弁護士) 増員反対の根拠として、「弁護士の質」が落ちて市民が困る、などと主張されてはいますが、「口実」である以上、
法曹 (弁護士) 増員の是非を考えるにあたって、
「法曹、とくに弁護士の質」は考慮する必要がない、
すくなくとも、重視する必要はない、
と考えてよいことになります。おそらく、「(それほど) 重視する必要はない」と考えるのが、現実的ではないかと思います。
法科大学院協会理事長である青山善充先生が、法科大学院協会のウェブサイトで、「修習生の給費制維持は司法制度改革に逆行(理事長所感)」と題する文章を発表されています。
ただ、青山先生の本職は民事訴訟法であって司法制度論ではないためでしょうか、説得力を欠くものであるように思われます。
具体的には、第1に、貸与制への移行は、多くの優れた法曹を育てるための法科大学院の創設や、司法試験合格者を年間3000人程度に増加させるとの閣議決定と三位一体として決定されたものである。逆にいえば、厳しい財政状況下で給費制を維持すれば、予算上の制約から法曹人口の増加にブレーキがかかることになりかねない。いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である。
と青山先生はおっしゃいます。
ただ、一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致しているといえます。そして、現在の実際の需給状況に合わせて計画を見直すことを総じて国民が支持していることは、「仕分け」で腕を振るった蓮舫議員が先の参議院選挙で最高得票を得たことからも明らかです。
従って、厳しい財政状況下にある現在、合格者3000人の早期実現が果たして必要なのかを問い直す必要があろうかと思います。
法科大学院協会のウェブサイトで、青山善充先生は「いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である」と主張されている。しかし、「一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致している」、と書かれています。
要は、法曹 (弁護士) の需要予測が間違っていた。したがって、増員は見直すべきである、ということなのですが、この主張には、説得力があります。しかし同時に、ひっかかるものがあることも、たしかです。なぜなら、
増員反対派の弁護士さん達は、増員反対の根拠 (…のひとつ) として、
「増員すれば (弁護士の) 質が落ちる。質が落ちれば市民に不利益が及ぶ」
と主張されている
からです。
つまり、「需要予測が間違っていたから増員は見直すべきである」というのであれば、「需要予測通りであったなら増員は見直さなくてよい」ということを、当然、内包しているとみられるところ、
需要予測が適切であろうが、需要予測が外れようが、
増員ペースが同じであれば、「(新人) 弁護士の質」は変わらないはず
ですから、
増員反対の根拠として、
「需要予測が間違っていた」ことと、
「法曹 (とくに弁護士) の質が落ちる」こととは、
両立しないはず
です。
したがって、弁護士さん達が増員反対の根拠として、「需要」と「質」を「ともに」挙げているのは、論理が破綻していると考えなければなりません。
ここで、「需要」と「質」、どちらの要素の比重が大きいか、が問題になりますが、
「弁護士増員に反対する弁護士の本音」で引用した記述によれば、すなわち、弁護士が増員に反対している本当の理由は「俺達弁護士は食えるのか」という心配、すなわち、「(一人あたりの) 収入が減る恐怖」であると考えられますから、
最初、
(全体のパイが大きくなるなら)
増員しても収入は減らない、
★増員すれば「弁護士の質」は落ちるが構わない
(というか、増員すれば競争によって「質が向上」する)
と考えて (弁護士会=弁護士さん達は) 増員に賛成したが、
途中で、
(全体のパイが大きくなりそうもないので)
増員すれば収入が減る、
★増員すれば「弁護士の質」が落ちて市民が困る、
と増員に反対し始めた、
ということではないかと思われます。つまり、
弁護士さん達の主張、
「増員すれば質が落ちるので市民が困る」というのは、
「増員に反対するための口実にすぎない」
と考えられます。
この考えかたは、「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」および「弁護士増員論の再検討」で引用した仙台の坂野智憲弁護士の推測、「質」は「口実」にすぎないのではないか、と重なるものがあります。
また、以前記述した「弁護士増員と、弁護士の質の関係」からも、「弁護士の質」が増員反対の「口実」にすぎないのではないか、と考えられます (引用元記事は裁判官の意見ですが、この裁判官の意見を引用して増員に反対されている弁護士さん達がおられますので、弁護士によって「口実」に利用されている、と言ってよいと思います) 。
とすれば、法曹 (とくに弁護士) 増員反対の根拠として、「弁護士の質」が落ちて市民が困る、などと主張されてはいますが、「口実」である以上、
法曹 (弁護士) 増員の是非を考えるにあたって、
「法曹、とくに弁護士の質」は考慮する必要がない、
すくなくとも、重視する必要はない、
と考えてよいことになります。おそらく、「(それほど) 重視する必要はない」と考えるのが、現実的ではないかと思います。