言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

「弁護士の質」は増員反対の「口実」ではないか

2010-10-26 | 日記
la_causette」の「旧来の業務と執務態勢に固執することなく、その職域を拡大し、執務態勢を改め、新しいキャリアモデルを構築していただきたい。

 法科大学院協会理事長である青山善充先生が、法科大学院協会のウェブサイトで、「修習生の給費制維持は司法制度改革に逆行(理事長所感)」と題する文章を発表されています。

 ただ、青山先生の本職は民事訴訟法であって司法制度論ではないためでしょうか、説得力を欠くものであるように思われます。
具体的には、第1に、貸与制への移行は、多くの優れた法曹を育てるための法科大学院の創設や、司法試験合格者を年間3000人程度に増加させるとの閣議決定と三位一体として決定されたものである。逆にいえば、厳しい財政状況下で給費制を維持すれば、予算上の制約から法曹人口の増加にブレーキがかかることになりかねない。いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である。

と青山先生はおっしゃいます。

 ただ、一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致しているといえます。そして、現在の実際の需給状況に合わせて計画を見直すことを総じて国民が支持していることは、「仕分け」で腕を振るった蓮舫議員が先の参議院選挙で最高得票を得たことからも明らかです。

 従って、厳しい財政状況下にある現在、合格者3000人の早期実現が果たして必要なのかを問い直す必要があろうかと思います。


 法科大学院協会のウェブサイトで、青山善充先生は「いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である」と主張されている。しかし、「一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致している」、と書かれています。



 要は、法曹 (弁護士) の需要予測が間違っていた。したがって、増員は見直すべきである、ということなのですが、この主張には、説得力があります。しかし同時に、ひっかかるものがあることも、たしかです。なぜなら、

   増員反対派の弁護士さん達は、増員反対の根拠 (…のひとつ) として、
     「増員すれば (弁護士の) 質が落ちる。質が落ちれば市民に不利益が及ぶ」
     と主張されている

からです。

 つまり、「需要予測が間違っていたから増員は見直すべきである」というのであれば、「需要予測通りであったなら増員は見直さなくてよい」ということを、当然、内包しているとみられるところ、

   需要予測が適切であろうが、需要予測が外れようが、
     増員ペースが同じであれば、「(新人) 弁護士の質」は変わらないはず

ですから、

   増員反対の根拠として、
      「需要予測が間違っていた」ことと、
      「法曹 (とくに弁護士) の質が落ちる」こととは、
     両立しないはず

です。

 したがって、弁護士さん達が増員反対の根拠として、「需要」と「質」を「ともに」挙げているのは、論理が破綻していると考えなければなりません。



 ここで、「需要」と「質」、どちらの要素の比重が大きいか、が問題になりますが、

 「弁護士増員に反対する弁護士の本音」で引用した記述によれば、すなわち、弁護士が増員に反対している本当の理由は「俺達弁護士は食えるのか」という心配、すなわち、「(一人あたりの) 収入が減る恐怖」であると考えられますから、

   最初、
      (全体のパイが大きくなるなら)
       増員しても収入は減らない、
      ★増員すれば「弁護士の質」は落ちるが構わない
         (というか、増員すれば競争によって「質が向上」する)
    と考えて (弁護士会=弁護士さん達は) 増員に賛成したが、

   途中で、
      (全体のパイが大きくなりそうもないので)
       増員すれば収入が減る、
      ★増員すれば「弁護士の質」が落ちて市民が困る、
    と増員に反対し始めた、

ということではないかと思われます。つまり、

   弁護士さん達の主張、
      「増員すれば質が落ちるので市民が困る」というのは、
      「増員に反対するための口実にすぎない」

と考えられます。

 この考えかたは、「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」および「弁護士増員論の再検討」で引用した仙台の坂野智憲弁護士の推測、「質」は「口実」にすぎないのではないか、と重なるものがあります。

 また、以前記述した「弁護士増員と、弁護士の質の関係」からも、「弁護士の質」が増員反対の「口実」にすぎないのではないか、と考えられます (引用元記事は裁判官の意見ですが、この裁判官の意見を引用して増員に反対されている弁護士さん達がおられますので、弁護士によって「口実」に利用されている、と言ってよいと思います) 。



 とすれば、法曹 (とくに弁護士) 増員反対の根拠として、「弁護士の質」が落ちて市民が困る、などと主張されてはいますが、「口実」である以上、

   法曹 (弁護士) 増員の是非を考えるにあたって、
      「法曹、とくに弁護士の質」は考慮する必要がない、
      すくなくとも、重視する必要はない、

と考えてよいことになります。おそらく、「(それほど) 重視する必要はない」と考えるのが、現実的ではないかと思います。

量的緩和と岩石理論、そして構造改革

2010-10-25 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.64 )

 また、長期金利が上がり始めた場合は、今度は「四番目のキャッシュフロー」の出番になります。アメリカやイギリスに倣い、日本銀行も日本国債の買い取り枠を増やしていけばいいわけです (すでに日本銀行は規模限定ではあるものの、長期国債の買い取りは実行しています) 。
 中央銀行の国債買い取りが増大すれば、その金額分だけ日本円が市中に供給されていくことになります。日本国内の日本円が増えていけば、当然ながら徐々にインフレ傾向に向かい、厄介なデフレも解消されるでしょう。
 中央銀行の買い取りと聞くと、経済に疎い人が顔を真っ赤にして、
「そんなことをしたら、日本はジンバフェや第一次世界大戦後のドイツのように、ハイパーインフレーションになるっ!」
 などと主張したりします。しかし、これは根本から誤りです。
 現在のジンバフェや、かつてのドイツが、物価が天文学的水準に跳ね上がるハイパーインフレーションに陥ったのは、通貨発行が主因ではありません。国内の供給能力が致命的に不足していたからこそ、インフレが止まらなくなってしまったのです。要するに、極度の物不足だったわけです。
 例えば、第一次大戦後のドイツの場合、そもそも戦争中からインフレが進行していました。さらに戦争終結後、国内屈指の工業地帯であり、地下資源も豊富なルール地方を、フランス・ベルギー連合軍により軍事占領されてしまいます。インフレの状況下における極度の供給不足が災いし、ドイツはパン一個買うのに1兆マルクが必要になるという、途轍もないインフレーションに突入したのです。
 また、ジンバフェですが、生産性が極めて高かった国内の白人農家を、大統領のムガベが国外に追い出してしまいました。自国の主産業であった農業が崩壊し、そこに旱魃が追い討ちをかけた結果、国内で極度の物不足が発生したのです。
 最終的に、ジンバフェは物価上昇率が年率で2億3100万%という、ここまで来ると、もはや何が何だか分からない水準のハイパーインフレーションに陥りました。
 翻って日本を見ますと、インフレどころかデフレに悩んでいるのが現状です。
 日本のデフレ・ギャップ (供給が需要を上回った場合の差) は世界最高水準ですが、これは我が国が世界で最も「物余り」で悩んでいるという事実を意味しています。要するに、現在の日本は供給能力が高すぎるわけです。
 供給過剰に苦しむ日本が、ハイパーインフレーションになるなど、ある日突然、月が地球に落ちてくる確率よりも低いでしょう。物価上昇率を継続的にプラスにするだけでも、大いに苦労すること疑いなしです。
 ちなみに、日本が明治維新以降、最も高いインフレ率になったのは、1946年の300%台になります。一年間で物の値段が四倍強になるわけで、確かに高いインフレ率ではあります。
 しかし、1946年と言えば、日本が第二次大戦に敗北した直後のことになります。国内は空襲で焼け野原にされ、恐らく日本の歴史上、最も供給能力が不足していた時期と言って構わないでしょう。それにも関わらず、日本は精々300%のインフレにしかならなかったのです。


 中央銀行の国債買い取りに対しては、ハイパーインフレーションになるという批判がある。しかし、生産性が高く「物余り」で困っている日本がハイパーインフレーションになる確率は、無視してかまわない、と書かれています。



 上記引用は、「日本は「何に」財政支出すべきか」で引用した部分の続きです。したがって、引用が一部、重複しています。



 ここで著者が批判している主張、すなわち中央銀行による国債買い取りはハイパーインフレーションを招いてしまう、という主張は、一般に、「岩石理論」と呼ばれているものです。「斜面の上で止まっている岩石は、いったん、なにかの拍子で動き始めると、どんどん加速してしまい、止められなくなってしまう」が、インフレも同様である。つまり、

   (岩石理論)
   いったん、なにかの拍子にインフレになり始めると、
        どんどんインフレが加速してしまい、止められなくなってしまう。
        最終的には、ハイパーインフレーションになる

というのが、岩石理論です。

 著者はこれに対して、日本は生産性が高すぎるために、供給過剰 (物余り) になり、デフレになって困っている。その「日本が、ハイパーインフレーションになるなど、ある日突然、月が地球に落ちてくる確率よりも低いでしょう。物価上昇率を継続的にプラスにするだけでも、大いに苦労すること疑いなし」だと説いています。

 私も著者の意見に賛成です。

 デフレで困っている状況下で、ハイパーインフレーションを恐れるのは、どこかナンセンスだと思います。



 もっとも、この主張 (著者の主張) には、逆の見かたも成り立ちます。すなわち、「デフレは経済正常化の過程であり、デフレを止めてはならない」という考えかたです。

 この考えかたは、「量的緩和反対論」において、私が「ひとつの考えかた」として主張したものです (リンク先をご覧になっていただければわかりますが、私が量的緩和反対論を支持する根拠として述べた、というのではなく、このような考えかたも「成り立ちうる」と述べた、という趣旨です) 。



 これについては、すなわち、

 デフレを「経済正常化の過程」と捉えるべきか否かについては、デフレは「緩やかな」インフレに比べ、経済に悪い影響を及ぼすと考えられます。したがって、「あえて、意図的に」デフレを止めない選択をする必要はなく、早急に、「緩やかな」インフレに戻すのが正解だと思います。

 もっとも、デフレにも利点はあります。効率の悪い企業が淘汰されるなどの利点です。デフレの利点を最大限に活かすなら、デフレ期にこそ構造改革を行うべきである、ということにもなりますが、雇用が失われるなどの弊害には無視しえないものがあります。そもそも構造改革とは「既得権・利権との戦い」であり、時間がかかるものなのですから、デフレ期・インフレ期を問わず、つねに構造改革への努力は続けるべきものでしょう。

 したがって、「緩やかな」インフレを志向する政策をとりつつ、同時に構造改革に向けた努力を続ければ、それでよいのではないかと思います。

日弁連のコメント「施行後でも給費制の維持を求め全力を尽くす」は異常である

2010-10-24 | 日記
時事ドットコム」の「修習生貸与制、来月から施行へ=自民、給費維持応ぜず」( 2010/10/22-12:53 )

 自民党は22日の法務部会で、司法修習生に国が給与を支払う「給費制」が11月1日から「貸与制」に切り替わる問題への対応を協議し、民主党などが求めている貸与制への移行時期の延期に応じない方針を決めた。これにより貸与制が同月から予定通り施行されることが確実になった。
 修習生には現在、月額約20万円などが支給されているが、返済義務のある貸与制への移行が2004年の裁判所法改正で決まった。しかし、民主党は「金持ちしか法曹になれなくなる」との日弁連の主張を受け、9月の法務部門会議で延期方針を決定。自民党などの協力を得て、関連法案を委員長提案で月内に成立させることを目指している。


 (民主党は給費制廃止に賛成していたものの、なぜか継続へと方針を転換していたのですが) 自民党が「貸与制への移行時期の延期に応じない方針を決めた」ことで、貸与制が来月から「予定通り施行されることが確実になった」、と報じられています。



 これに対する、日本弁護士連合会の反応を見てみると、



日本経済新聞」の「司法修習生、貸与制実施が確定的に 自民が反対決定」( 2010/10/22 13:05更新 )

 司法修習生に国が給与を支払う「給費制」の「貸与制」移行を前に、民主党などが検討していた給費制を継続する議員立法について、自民党法務部会は22日、反対する方針を決めた。民主もまとまっておらず、改正裁判所法が予定通り施行され、11月から貸与制が実施されるのは確定的だ。

 自民法務部会の平沢勝栄部会長は同日、「与党がまとまらないのに議員立法が通るはずがない」と指摘。今後、修習生が経済的に困窮した場合の返済免除の方法や、法曹人口のあり方などを検討する場を党内につくる考えを示した。

 給費制存続を求める日本弁護士連合会は「国会議員のなかで理解は確実に広がっている。施行後でも裁判所法の改正は可能で、引き続き給費制の維持を求め全力を尽くす」とコメントを出した。


 日弁連は「国会議員のなかで理解は確実に広がっている。施行後でも裁判所法の改正は可能で、引き続き給費制の維持を求め全力を尽くす」とコメントを出した、と報じられています。



 日弁連 (日本弁護士連合会) の主張は、法律家 (司法修習生) の「既得権(?)」の維持を要求するものにほかならないとみられることは、すでに「日弁連の「司法修習生に対する給費制維持」論について」に書いています。

 日弁連の「わがまま」が続いている (今後も「わがまま」を「続ける」と日弁連は主張している) ものですが、本当、

   「いいかげんにしてほしい」

と思います。

 国会で決まれば、それ (法律) に従うのは当然です。「法を社会に適用する」ことを職業としている者 (=弁護士) の集団である日弁連が、「たとえ国会が日弁連の主張に反対であっても (=裁判所法の再改正が否決され、法が施行されても) 、あくまでも給費制の維持を求め全力を尽くす」というのでは、

   (法を守ることが使命の) 弁護士として、態度が「おかしい」

と思います。これでは、日弁連の「独り善がり」であり「わがまま」である、と言ってよいでしょう。

 日弁連は、そんな主張をする「ヒマ」があるのなら、弁護士懲戒制度を改善するなど、もっと重要な、やるべきことがあるはずです。どうして日弁連は、弁護士にとって都合が悪くなる (けれども社会正義を実現するうえで重要な) 改革を行おうとせず、「利益をくれ!」といわんばかりの主張を続けるのでしょうか (「弁護士懲戒制度は不公平である」「弁護士懲戒委員会のメンバー構成には問題がある」参照 ) 。



 そもそも、自民党は「修習生が経済的に困窮した場合の返済免除の方法や、法曹人口のあり方などを検討する場を党内につくる」と言っているのであり、日弁連はこれに対して、何の不満があるというのでしょうか。「返済免除」(=事実上の給費制) どころか、「増員見直し」も検討するというのであり、日弁連は「要求以上の成果を手にした」といってよいでしょう。

 日弁連のキャッチフレーズ「金持ちしか法律家になれなくなる」は表向きで、本音は「金持ちの法律家にも、法律家である以上特別待遇をしろ!」だったのでしょうか?



 ところで、弁護士の小倉先生は次の記事をアップし、給費制維持を主張されています。



la_causette」の「東京新聞にとっては、新人弁護士に多額の借財を負わせることが司法改革の柱

(給費制維持に)納得してくださらない納税者が皆無とは言わないものの、意外と納得してくださる納税者が多いのが実情です。

(中略)

 続いて、論説委員は、
法律家の特別扱い存続では司法改革の歯車が逆転しかねない。
とあります。マスコミにとっては、「司法改革」の本質は、「法律家の処遇の悪化」にあったので、こういう言い方になったのだろうと思われます。

(中略)

 さらに、東京新聞の論説委員は、
そのかわり希望者には「無利子、五年据え置き、十年返済」の好条件でこれまでと同額が貸し出される。
とします。

(中略)

なぜ法律家だけが特にに研修期間中の給費制を必要とするのかといえば、単純に、必要とする研修期間が長期間にわたり、かつ、その従前の生活拠点と離れた場所に転居させることが余儀なくされるからです。ドイツの司法修習生は、アルバイトが容認されており、かつ、アルバイトをしても死なない程度のカリキュラムが組まれていますが、アルバイトをせずとも死なない程度の給費制が組まれています。

(中略)

獲得した資格が生かせない例は多いのに、弁護士だけはなぜその資格で生活できるよう人口制限が許されるのか。これも合理的説明がない。
として、東京新聞は給費制存続論と合格者数制限論を絡めて批判するという禁じ手も打ってきています。しかし、この両者に強い関連性がないことは、合格者数を制限していないドイツにおいて給費制が維持されていることからも明らかです。

 なお、上記質問に答えるとすれば、「職業人として十分な能力を身につけるのに相当の時間とコストが掛かる職業において、それだけの時間とコストを費やしても生活できるようにならない蓋然性が高まると、他の職業をも選択しうる才覚の持ち主は、その職業を選択しなくなる可能性が高い」からということになるでしょう。例えば、医師資格取得者の半分しか医師として働くことができなくなったら、誰が医学部なんぞ受けるか、と考えてみてください。


 意外と給費制維持を支持してくださる納税者が多い。給費制の廃止は「法律家の処遇の悪化」である。給費制を維持しないと、「他の職業をも選択しうる才覚の持ち主」は法律家になろうとしなくなる「可能性が高い」、と書かれています。



 給費制維持を支持しない納税者が多いからこそ、国会は廃止の方向で動いているのではないでしょうか。「意外と」多いのが実情である、といわれましても、おそらくは、

   過半数には及ばないが、思ったよりも「意外と」多い

ということではないかと思われます。小倉先生の上記主張は、説得力がありそうに見えて、じつは説得力がありません。



 小倉先生は「法律家の処遇の悪化」とも書いておられます。たしかに、「いままでの恵まれすぎていた」状態を前提とすれば、「処遇の悪化」であると言えないこともありませんが、

   「無利子、五年据え置き、十年返済」というのは、
                「他の資格に比べて、破格の好条件」

です。これに何の不満があるというのでしょうか。

 小倉先生の「給費制存続論と合格者数制限論…(中略)…に強い関連性がない」という主張には同意しますし、私は司法修習生のアルバイトを認めるべきだとも思いますが、

 司法修習生には「破格の好条件」で貸与がなされるのであり、給費制廃止が不当であると主張するには、根拠として説得力に欠ける面があることは否めません。



 さらに、給費制を維持しないと「他の職業をも選択しうる才覚の持ち主」は法律家になろうとしなくなる「可能性が高い」という主張については、

 現に「法律で」給費制廃止が決まっているにもかかわらず、法律家になろうとする人は多いという現実を、どうお考えなのかと思ってしまいます。まさか彼ら・彼女らは、裁判所法が変わり、給費制が廃止になることが「決まっている」ことを知らずに、法科大学院に進んでいるとでもいうのでしょうか。常識的に考えれば、彼ら・彼女らは、

   給費制が廃止になっても、司法修習生 (になって法律家) になりたい

と考えて法科大学院に進んだ、とみるのが適切ではないかと思います。したがって、小倉先生の「可能性が高い」という主張にも、説得力に欠ける面があることは否めないと思います。



 それにもかかわらず、なぜ、小倉先生の記事へのトラックバックに



ろーやーずくらぶ」の「情緒的な反・反貧困キャンペーンを展開し給費制維持に反対する東京新聞

 東京新聞は、20日付社説で、給費制維持の動きが納得できないと述べています。しかし、事前規制緩和・事後救済という誤った「司法改革」=自己責任論がしみついた東京新聞社説子には、納得できないのはやむを得ないのでしょう。だからといって、自らの独自の見解を垂れ流し、挙げ句に「貧しい人については、将来の公益活動を条件に貸与金の返済を免除する制度を設ければいい」などと述べて、「情緒的な反・反貧困キャンペーン」を展開するのはいただけません。


 といった主張や、



非国民通信」の「何もかも自己負担

 現行の制度では法曹資格を得るためには司法試験合格後、ここで言及されている「司法修習生」として1年間の実習を受ける必要があります。この期間、アルバイトなどの副業は禁止されており、従来の制度では代わりに月額20万円ほどの給与が国から支給されていました。しかるに制度改正によって11月からは支給ではなく「貸与」となることが決まっています。司法試験に受かるまでが結構な長い道のりになるのが一般的と思われる中、そこからさらに1年間、強制的に無給の期間が設けられてしまうわけで、元から裕福な人でもなければ法曹資格を得る頃には借金漬けになってしまうことが予想されます。それだけに日弁連は前々から給費制の維持を訴えてきたのですが、それに対する反応はどうでしょうか。

(中略)

 さらに早稲田大総長に就任するという鎌田薫氏は「給費制を維持すれば予算の制約上、合格者を減らすことになるのではないか」などと言っています。この人、司法試験の合否がどういう基準で判断されているかご存じないのでしょうか? そりゃ早稲田大学の入学試験なら定員という形で合格者数にも制約があらかじめ設けられるのでしょうけれど、司法試験は違うわけです。絶対評価で一定以上の点を取れば合格できるものであって、「今年の合格者は○○人まで」みたいに決められているものではありません。合格者が増えるか減るかは受験者次第なのですが、そんなこともわかっていないようです。


 といった主張がみられるのか、理解に苦しむところです。



 なお、「非国民通信」さんの主張の後半部分、「司法試験は絶対評価で一定以上の点を取れば合格するのであって、今年の合格者は○○人まで、などと決められているのではない」という部分は、あきらかに「非国民通信」さんの「誤解」です。司法試験は人数で切られるのであって、○○点以上なら全員合格、という試験ではありません (平成○○年には○○人合格をメドとする、といった閣議決定がなされています) 。

 人数で切られる試験だからこそ、「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」および「弁護士増員論の再検討」で引用した坂野弁護士の主張、すなわち、「今年は、受験者の成績がよくなかったので、司法試験の合格者が少なかったとされている。しかし、本当は 「受け皿」 に配慮して合格者を減らしたのではないか」などといった推測が出てくるのです。

回転行列の導きかた

2010-10-24 | 日記
 「回転行列の覚えかた」にコメントをいただきましたので、

 この際、回転行列の導きかたについても、書いておきます。



 導きたい式 (回転行列の式) は、これ (↓) です。



R(θ) = | cosθ -sinθ | …… (*)
| sinθ  cosθ |



 xy 平面上の回転を考える。

   x 軸方向の単位ベクトルを ex (e sub x, e の右下に小さく x と書く)
   y 軸方向の単位ベクトルを ey (e sub y, e の右下に小さく y と書く)

と定義すれば、

 それぞれの単位ベクトルを xy 平面上で (反時計まわりに) θ 度回転すると、

   ex は 座標 ( cosθ, sin θ) に、
   ey は 座標 ( -sinθ, cosθ) に移動

する。これは次の式で「まとめて」書ける。



R(θ)×( ex, ey ) = | cosθ -sinθ |
| sinθ  cosθ |




 ここで、( ex, ey ) は単位行列 E であるから、

   R(θ)×( ex, ey ) = R(θ)×E = R(θ)

 したがって、式 (*) を得る。



 ここで、xy 平面上にあるすべての点は ex と ey の合成ベクトルで表せるから、式 (*) は xy 平面上のすべての座標について、反時計回りにθ度回転したあとの座標を与える式である。すなわち、式 (*) は回転行列の内容 (成分) を示す式にほかならない。

(証明終)



■追記
 この証明は私が大学入試 (模試等ではなく本番) の際、試験場で考えたものです。なにかの文献に載っていたものではありません。したがって、「正しくない」可能性があります。試験等でこの証明を用いるのであれば、本当にこの証明で「正しい」のか、自分で確かめてください。
 結果が正しいことは私が確認していますが、「たまたま」正しい結果 (=成分) が得られたのかもしれません。
 なお、入試では証明は要求されておらず、回転の計算 (…を用いた処理) が要求されていたにすぎません。つまり、試験官 (採点者) は私の証明の当否を判断していません。

日本は「何に」財政支出すべきか

2010-10-23 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.60 )

 図1-13の通り、拡大を続けていた日本政府の支出は、1997年以降は横ばいになりました。さらに2003年以降に至っては、明らかに減っています。
 1997年から98年にかけて、日本政府は消費税アップにより景気を冷やし、同時に政府支出の伸びを押さえつけるという、どう考えても無謀としか表現しようがないことを実行してしまったのです。
 そして日本は、GDP成長率が低迷する中、ひたすら政府の借金の累積金額のみが増加するという、いや~な状態に陥りました。
 景気が低迷すると、当然ながら税収は落ち込みます。不況下において企業が設備投資を拡大するはずがありませんので、政府の支出を一気に削減することも、現実問題として不可能です。これまで説明してきた通り、政府の借金残高は好景気の環境下でなければ、まず減りません。
 すなわち、借金残高を気にして政府の支出を絞りこんだ結果、日本政府は却って財政を悪化させてしまった可能性が高いのです。

(中略)

 再び1997年の話に戻りますが、この時期における消費税アップと歳出削減開始がなければ、日本は政府の財政が開題視される状況には陥っていなかったかも知れません。景気の順調な拡大が続き、若干のインフレにより、名目GDPが実質GDP以上に成長すれば、公的債務対名目GDP比率の伸びは抑えられたはずなのです。
 ところが、現実には増税と歳出削減という最悪の組み合わせにより、1998年以降の日本の名目GDPは、実質GDPを大きく下回る成長に甘んじるしかありませんでした。名目GDPの成長率が、実質GDPのそれを下回る現象は、現在も変わらず継続しています。
 すなわち、日本はデフレーションに陥っていたわけです (今も陥っています) 。

(中略)

 さて、かつての日本政府は、増税と歳出削減を同時にやるというミスを犯しましたが、ここに現在の日本が抱える最大の課題「経済成長 (が高まらない)」を解決する、最大のヒントがあります。すなわち、単純に当時の逆をやればいいわけです。
 まず、消費税のアップはやらずに、政府の支出を増大させます。
 政府支出を増やすには、公共事業が最も効果的ですが、僻地のインフラなどに投資をすると、またマスメディアに盛大に叩かれてしまいます。そのため、今回の公共投資は主に都市圏の交通インフラや、耐震対策に重点を置くべきでしょう。
「子どもたちが通う学校や、病院の耐震性を強化するために、公共事業を増やします」
 と宣言すれば、マスメディアも表立っては非難しにくいのではないでしょうか。
 すでに具体的に動き出していますが、リニア新幹線やエコカー (電気自動車) 向けのインフラ整備も、大いにやるべきです。
 これら政府支出の財源は、もちろん国債の増発になります。長期金利が上昇しない以上、日本政府がどれだけ国債を発行しようとも、全く問題ありません。と申しますか、長期国債金利が、極めて低い状態に維持されているという事実は、金融市場が、
「まだ大丈夫ですよ」
 と、日本政府に向かって、こにやかに頷いてくれているようなものなのです。
 また、長期金利が上がり始めた場合は、今度は「四番目のキャッシュフロー」の出番になります。アメリカやイギリスに倣い、日本銀行も日本国債の買い取り枠を増やしていけばいいわけです (すでに日本銀行は規模限定ではあるものの、長期国債の買い取りは実行しています) 。
 中央銀行の国債買い取りが増大すれば、その金額分だけ日本円が市中に供給されていくことになります。日本国内の日本円が増えていけば、当然ながら徐々にインフレ傾向に向かい、厄介なデフレも解消されるでしょう。


 日本の景気をよくするには (デフレを終わらせるには) 、消費税をアップさせずに政府支出を増やせば (公共事業を増やせば) よい、と書かれています。



 この主張は、「バーナンキの背理法」に従い、金融緩和を行いつつ、同時に財政支出を増やせばよい、という私の主張と「おおむね」同じ「方向性」です (著者は金融政策には言及しておらず、私は消費税について考慮中です) 。

 「クルーグマンの比喩「子守協同組合」」で述べたように、金融政策のみで景気を上昇させることは困難だと思われますが、金融政策に財政政策を合わせれば、景気は上向くと考えます。金融緩和 (信用緩和) と財政出動で市中のお金の量を増やしつつ、(政府支出によって) 確実に消費を増やせばよい、というわけです。

 財源はあります。「日本は財政破綻しない」のですから、財源を問題にする必要はありません。



 そこで、財政政策として「何を」行うのか、「何に」財政支出すべきか、が問題になります。



 著者は、
 政府支出を増やすには、公共事業が最も効果的ですが、僻地のインフラなどに投資をすると、またマスメディアに盛大に叩かれてしまいます。そのため、今回の公共投資は主に都市圏の交通インフラや、耐震対策に重点を置くべきでしょう。
「子どもたちが通う学校や、病院の耐震性を強化するために、公共事業を増やします」
 と宣言すれば、マスメディアも表立っては非難しにくいのではないでしょうか。
 すでに具体的に動き出していますが、リニア新幹線やエコカー (電気自動車) 向けのインフラ整備も、大いにやるべきです。
と述べ、

   都市圏の交通インフラや耐震政策に重点を置けばよい、
   リニア新幹線やエコカー (電気自動車) 向けのインフラ整備もよい、

とされています。「政府支出を増やすには、公共事業が最も効果的ですが、僻地のインフラなどに投資をすると、またマスメディアに盛大に叩かれてしまいます」などと書かれているところからみて、著者の主張は、

   要は政府支出を増やすことが重要なのであり、
  「何を」行うのか「何を」造るのかは、あまり重要ではない。なんでもよい、

ということだと思います。社会的に反対意見の出にくい分野に支出すれば、もっともスムーズに、もっとも早く対策が打てるので、それを行えばよいが、有益な「何か」であるに越したことはない、ということだと思います。



 私はおおむね、著者の意見に賛成ですが、二点、付け加えたいことがあります。

 ひとつは、都市部でのインフラ整備は、既存施設の更新や、トンネル等地下構造物の建設に重点を置くべきである、というものです。その理由は、すでに「公共事業における 「ムダ」」に記述しています。

 ふたつ目は、国防分野の財政支出を増やすべきである、というものです。その理由は、「国家が財政破綻するための条件」に記述していますが、「国防分野の財政支出を増やさなければ、日本は財政破綻するかもしれない」というものです。また、「日本は軍備を増強すべきである」という危機感も、(私の主張の) 背景になっています。