言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

政府の借金は返す必要がない

2010-10-20 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.8 )

 公的債務、すなわち政府の借金は返済する必要がない。と聞いたら、あなたはどう思いますか。
 恐らく、そんなはずはない。政府の借金は、自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を押し付けるしかない、と反駁するかもしれません。

(中略)

 さて、意外に思われる方が多いと思いますが、実は政府の借金が伸び続けているのは、別に日本だけではありません。図1-1は先進七ヵ国、いわゆるG7諸国における政府の公的債務 (借金) 残高の伸びを比較したものです。1980年以降、長期的に借金が増え続けていない国が一つもないことが分かります。
 ごく稀に、例えば90年代後半のアメリカやイギリスのように、一時的に「政府の借金が減ってしまった」国は、確かにないことはありません。
 しかし、これらの国々にしても、結局、その後は政府の借金残高が増加に転じました。むしろイギリスなどは、ここ数年だけを見ると、日本を上回るハイペースで残高を増やしている有様です。政府の借金が1980年時点の14倍を超えてしまったフランスやイタリアは言うに及ばず、どの国も政府の借金を増やし続けているのが現実の世界なのです。
 さらにG7以外の国まで含めると、仏伊両国政府の借金の増加ペースでさえも、速いと断言することが難しくなってしまいます。G7以外の欧州諸国に限っても、仏伊両国を軽く上回る速さで政府の借金を増やし続けている国が複数あるのです。
 また、2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻、いわゆるリーマン・ショック以降、特に英米両国は景気対策のために財政支出を増やしています (日本もですが) 。
 例えばアメリカの場合、09年会計年度上半期 (08年10月~09年3月) の財政赤字が、およそ1兆ドルに達したと発表しています。このままのペースで財政赤字が増え続けると、09年通年の米国政府の借金は、何と2兆ドル (約200兆円) を超えて増加する可能性があるのです。ところが、米国政府の財政赤字の増加ペースに警鐘を鳴らすエコノミストこそいるものの、あちらのマスメディアは日本のように、
「アメリカ国民一人当たり、○○ドルの借金!」
 などと意味不明に煽ったりはしません。アメリカ国民にとっての米国政府の借金と、日本国民にとっての日本政府の借金との間に、何か違いがあるのでしょうか。なぜ、日本のマスメディアは、日本政府の借金の話題に触れるときに限って、殊更に、
「国民一人当たり、○○円の借金」
 などという表現を多用するのでしょうか。謎としか言いようがありません。
 逆に、世界のマスメディア (日本も含む) がアメリカ政府の借金について、「アメリカ国民一人当たり、○○ドルの借金」などと言わない点については、明確な理由があります。なぜならば、政府の借金は別に「国民の借金」ではないからです。
 ここで、ほとんどの読者の皆様は、
「ええっ!」
 と思われたかと存じます。
 しかし、改めてよく考えてみてください。日本政府が借りている「借金」は、地方政府分も含めると900兆円を超えており、確かに巨額ではあります。しかし、その莫大な日本政府の借金の「債権者」は、一体誰なのでしょうか。借金である以上、誰かが貸してくれない限り、日本政府は借りることができないわけです。
 あまりにも当たり前すぎ、書いていて何だか気恥ずかしくなってしまいます。しかし、日本のマスメディアやエコノミストが、こんな基本的なことさえも理解せずに「日本政府財政破綻論」を煽っているので、仕方がありません。
 日本政府が借りている900兆円を超す借金にも、きちんと債権者がいます。債務者である日本政府は、債権者である「誰か」からお金を借りているわけです。
 それでは、日本政府が借りている莫大な借り入れの債権者は、果たして誰なのでしょうか。
 答えは、読者の皆さんです。そうなのです。日本政府の莫大な借金は、実は日本国民の皆さんが貸しつけたものなのです。具体的には、日本政府が発行する「国債」を購入することによって。


 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない。政府の借金とは、国民が政府に貸したお金なのである。また、政府の借金が増え続けているのは、日本だけではない、と書かれています。



 政府の借金は返す必要がない、という主張には、さすがに「ええっ!」と思ってしまいます。そこで、考えてみます。



 公的債務 (政府の借金) であろうと、債務 (借金) である以上、返す必要があるのは当然です。

 したがって、おそらく著者の主張が意図しているのは、要は、「借金をゼロにする必要はない」=「破綻しなければよい」ということだと思います。つまり、たとえば新規の借り入れなどで、返済期が到来した債務 (借金) の返済がなされていれば、なにも問題ない、ということではないかと思います。

 「借金を借金で返す」というと、いかにも「危機」という感じがしますが、それはあくまでも、「借金はよくない」という発想が前提になっているからです。「借金はよいことである」と考えるならば、「借金を借金で返す」ことには、なにも問題がないことになります。



 それでは、なぜ、借金はよいことなのか。

 それを考えるにあたって、考えやすくするために、企業の場合を考えてみます。株式会社は、株主からお金を集めて事業を行い、利益を株主に分配することが仕事です。その場合、「借金がなければ」株主から集めたお金 (資本) しか、事業にお金を投入できません。しかし、ここで会社が借金を行えば、さらに効率がよくなります。

 たとえば、株主から 100 億円のお金を集めて 100 億円を事業に投入し、毎年 5 億円の利益をあげている会社があるとします。株主にとっては、5 %の利回り (=5億÷100億) であり、投資先として悪くありません。

 しかし、この会社が「無借金経営」ではなく、50 億円の「借金」をしていれば、株主から 50 億円のお集を集めるだけでよいことになります。その場合、この会社は銀行から借り入れた 50 億円と合わせて、合計 100 億円のお金を事業に投入し、毎年 5 億円の利益をあげることになります。もちろん、銀行借り入れには利子がつきます。そこで金利 2 %で年間 1 億円かかるとすれば、利益は 4 億円 (=5億-1億) になります。とすれば、株主にとっての利回りは、8 % (=4億÷50億) になるのです。

 利回り 5 %の会社と、利回り 8 %の会社を比較すれば、あきらかに、利回り 8 %の会社が魅力的です。とすれば、「無借金経営」はよいことではなく、「経営効率が悪い」ということである、と考えなければなりません。企業のトップが本当に有能であるなら、「無借金経営」を目指したりせず、「借金を抱えた経営」を目指すべきである、ということになります。



 これと同じことは、程度の差はあれ、国にもいえるのではないでしょうか。

 国の場合、利益にあたるものは税収 (から国債の利払い費や公務員の給与等を差し引いたもの) です。税収を増やすには、(税率アップで増税という手を除けば) 国の経済規模を拡大しなければなりません。つまり、GDPを増やさなければなりません。とすれば、

 「国が国債という借金を抱えたまま、GDPを増やすことを目指すのが、いちばんである」という話になります。つまり、「国の借金をなくすことを目指すのではなく、借金を抱えたままで、景気をよくすることが最善である」ということです。



 もちろん、国が破綻してしまえばお終いですが、日本の場合、税収が落ち込んだ現在でも税収は 30 兆円程度、利払い費は年間 10 兆円程度です。したがって当面、日本が破綻する心配はありません。とするならば、

 日本はもっと積極的に景気対策を行ってよいのではないか、と思います。



■追記
 「国の場合、利益にあたるものは税収」であるというのは正しくありません (訂正しました) 。利益にあたるものは「税収から国債の利払い費や公務員の給与等を差し引いたもの」ですが、文章全体の大きな流れ (主張) に問題はないと思います。