省略
2010-10-28 | 日記
私の意見に対し、「粗雑すぎる」「間違っている」という人がいれば、私は逆に他者の意見に対し、「粗雑すぎる」「間違っている」と考えるからこそ反対意見を書いているわけで、このように意見が「異なる」のはなぜなのか、考えてみました。
「省略」
これではないかと思います。
人は自分にとって「当然」なことは、あえて書かずに (言わずに) 省略しますし、それが自分にとって「当然」であるからこそ、相手も「これぐらいのことは言わなくてもわかるはず」と考えたり、「これぐらいのことがわからないのなら、話にならない」と考えたりするのではないかと思います。
もちろんいつまで続けても「キリがない」ということもあり得るわけで、「適当なところで切りあげる」ことは、かまわないと思います。というか、やむを得ないと思います。
けれども、「省略」部分が「表現」されれば、「なるほどそうですね。私が間違っていました」ということもあれば、逆に、「そんなことですか。それなら~~ですよね」ということもあり得るわけです。
じつは過去に、現実の人間関係において、「これぐらいのことは言わなくてもわかるはず」だとか、「これぐらいのことがわからないのなら、話にならない」などと言われ (あきれられ) たあとで、「その人の意見が間違っていた」ということがありました (その相手が弁護士だったこともあります) 。
私の意見が「粗雑すぎる」「間違っている」のであれば、なぜアクセス数が減らないのかわかりませんが、もともとブログのアクセス数とは、そういうもの (減らないもの) なのかもしれません。
■追記
これはあくまで一般論です。
「省略」
これではないかと思います。
人は自分にとって「当然」なことは、あえて書かずに (言わずに) 省略しますし、それが自分にとって「当然」であるからこそ、相手も「これぐらいのことは言わなくてもわかるはず」と考えたり、「これぐらいのことがわからないのなら、話にならない」と考えたりするのではないかと思います。
もちろんいつまで続けても「キリがない」ということもあり得るわけで、「適当なところで切りあげる」ことは、かまわないと思います。というか、やむを得ないと思います。
けれども、「省略」部分が「表現」されれば、「なるほどそうですね。私が間違っていました」ということもあれば、逆に、「そんなことですか。それなら~~ですよね」ということもあり得るわけです。
じつは過去に、現実の人間関係において、「これぐらいのことは言わなくてもわかるはず」だとか、「これぐらいのことがわからないのなら、話にならない」などと言われ (あきれられ) たあとで、「その人の意見が間違っていた」ということがありました (その相手が弁護士だったこともあります) 。
私の意見が「粗雑すぎる」「間違っている」のであれば、なぜアクセス数が減らないのかわかりませんが、もともとブログのアクセス数とは、そういうもの (減らないもの) なのかもしれません。
■追記
これはあくまで一般論です。