「文理両道」の「消費税をめぐる議論」
消費税の累進性・逆進性は、消費税について考えるにあたって、それほど本質的ではない、と書かれています。
上記ブログの主張は、要は、収入が多かろうが少なかろうが、(数世代先まで含めれば) 最終的にはすべての収入が消費にまわされるので、消費税の累進性・逆進性は問題にならない、というものです。
しかし、「最終的にはすべての収入が消費にまわされる」と仮定した場合であっても、上記主張には問題があると思います。
わかりやすくするために、例をあげて説明します。
いま、年収(手取) 100 万円のAさんと、年収(手取) 1 億円のBさんがいるとします。そしてAさんもBさんも、収入の全額を消費にまわすとします。消費税が 5 %であるとすれば、
Aさんは消費税 5 万円を負担して 95 万円分の消費をし、
Bさんは消費税 500 万円を負担して 9500 万円分の消費をする
状況を想定していることになります。
この状況においては、AさんもBさんも、どちらも、(収入を全額消費にまわしているので) 収入のうち、5 %分の消費税を負担していることには変わりありません。
さて、ここで問題です。AさんとBさん、どちらの税負担が大きいでしょうか?
もちろん上記ブログ主は、どちらの税負担も同じ大きさである、と答えると思います。どちらも 5 %という「同じ大きさ」の消費税を負担しているからです。
しかし、ここで重要なのは、「人間が生きていくうえで、どうしても必要な消費がある」ということです。人間には、お米 (コメ) や電気・ガス・水道など、どうしても必要な支出 (消費) があります。
そして、これらの「どうしても必要な消費」を考慮にいれると、AさんとBさんとで、「消費税負担の大きさ」が異なってくることになります。同じ 5 %の消費税を負担しているAさんとBさんですが、「人間が生きていくうえで、どうしても必要な消費」を考慮すると、
あきらかに、Aさんの消費税負担が大きい
といえます。Aさんは (たとえ消費税負担がゼロであっても) 生きていくのが精一杯、「カツカツ」の状況だといってよいでしょう。しかし、BさんはAさんと同じ消費税率を負担しているにもかかわらず、消費税は「余裕をもって」支払えます。
したがって、消費税における累進性・逆進性を論じる際には、たんに同じ割合で税を負担しているから公平である (問題はない) とはいえないのであって、場合によっては、収入の多い者ほど、消費税率を高くしなければ公平ではない、と考えなければならないことになります。
もちろん、消費税を課すにあたって、小売店などでいちいち、「相手の収入を調べて、消費税率を変える」ことは不可能です。すくなくとも、現実的ではありません。また、このような問題は、すでに所得税の累進税率によって調整されていると考える余地が、まったくないわけではありません。
しかしながら、消費税における逆進性は、「最終的にはすべての収入が消費にまわされる」ので問題にならない、とはいえないことは、あきらかだと思います。
消費税には逆進性の観点で問題があり、所得税とは異なり、それが構造的に解消不可能であるために、逆進性の問題は「強く現れる」と思われます。
したがってこの観点でみた場合、消費税に比べ、所得税のほうが公平であり優れている、といってよいと思います。
ネットで、消費税をめぐる議論がアゴラなどを中心に活発化しているようだ。
小飼弾氏は、彼のブログ「404 Blog not found」で「より高収入の人の方が貯蓄にまわす率が高められるので、消費性向は高収入な人ほど下がる」ために消費税は累進的だと述べている。
これに対して、池田信夫氏は「アゴラ」で「人々が合理的に消費すると仮定すると、死ぬまでに所得をすべて使い切るので、生涯所得に対する消費税の比率は同じ」であると反論している。
この池田氏の反論に対して、小倉秀夫氏は、「la_causette」で、国税庁のデータによれば、「ざっと計算して、一人あたり2億2~3000万円の遺産を残してなくなって」おり、どこにも合理人なんていないと指摘している。
しかし、私にとっては、これらの議論は、物事の一面だけを強調し過ぎているように思える。
まず、弾氏の主張であるが、これは課税のレンジをどう見るかということだろう。1世代で考えれば、貯蓄の割合が増えるほど、確かに当面の消費税の支払いは少なくなる。しかし、貯蓄は、いつかは出ていくものである。それが子孫による場合もあるだろうし、銀行の信用創造機能を使って、第三者である場合もあるだろう。その意味ではフラットな税制といっても間違いではないだろう。もちろんフラットだからいいと言っているわけではないので、誤解のないようにしてほしい。
次に、池田氏の主張であるが、小倉氏の言うように、まさに仮定の世界である。経済学の人間はよく理論を構築するためにモデルを仮定する。しかし、それを絶対視するのも、また経済学系の悪い癖でもあるだろう。もうひとつ付け加えれば、たとえ、「平均的」にこのことが成り立ったとしても、問題になるのは、平均から外れている部分であるということを指摘しておきたい。
小倉氏の主張については、確かに合理的な経済人と言う仮定に意味がないことは、上に述べたとおりだが、逆進性うんぬんというのは、私が弾氏の主張に対してコメントしている通りだ。
もっとも、私が消費税増税に賛成しているわけではないのは、本ブログ過去記事「消費税の増税は本当に必要か」でも述べた通りである。要は、消費税が逆進的かどうかを決めつけることは、それほど本質的なことではないということである。
消費税の累進性・逆進性は、消費税について考えるにあたって、それほど本質的ではない、と書かれています。
上記ブログの主張は、要は、収入が多かろうが少なかろうが、(数世代先まで含めれば) 最終的にはすべての収入が消費にまわされるので、消費税の累進性・逆進性は問題にならない、というものです。
しかし、「最終的にはすべての収入が消費にまわされる」と仮定した場合であっても、上記主張には問題があると思います。
わかりやすくするために、例をあげて説明します。
いま、年収(手取) 100 万円のAさんと、年収(手取) 1 億円のBさんがいるとします。そしてAさんもBさんも、収入の全額を消費にまわすとします。消費税が 5 %であるとすれば、
Aさんは消費税 5 万円を負担して 95 万円分の消費をし、
Bさんは消費税 500 万円を負担して 9500 万円分の消費をする
状況を想定していることになります。
この状況においては、AさんもBさんも、どちらも、(収入を全額消費にまわしているので) 収入のうち、5 %分の消費税を負担していることには変わりありません。
さて、ここで問題です。AさんとBさん、どちらの税負担が大きいでしょうか?
もちろん上記ブログ主は、どちらの税負担も同じ大きさである、と答えると思います。どちらも 5 %という「同じ大きさ」の消費税を負担しているからです。
しかし、ここで重要なのは、「人間が生きていくうえで、どうしても必要な消費がある」ということです。人間には、お米 (コメ) や電気・ガス・水道など、どうしても必要な支出 (消費) があります。
そして、これらの「どうしても必要な消費」を考慮にいれると、AさんとBさんとで、「消費税負担の大きさ」が異なってくることになります。同じ 5 %の消費税を負担しているAさんとBさんですが、「人間が生きていくうえで、どうしても必要な消費」を考慮すると、
あきらかに、Aさんの消費税負担が大きい
といえます。Aさんは (たとえ消費税負担がゼロであっても) 生きていくのが精一杯、「カツカツ」の状況だといってよいでしょう。しかし、BさんはAさんと同じ消費税率を負担しているにもかかわらず、消費税は「余裕をもって」支払えます。
したがって、消費税における累進性・逆進性を論じる際には、たんに同じ割合で税を負担しているから公平である (問題はない) とはいえないのであって、場合によっては、収入の多い者ほど、消費税率を高くしなければ公平ではない、と考えなければならないことになります。
もちろん、消費税を課すにあたって、小売店などでいちいち、「相手の収入を調べて、消費税率を変える」ことは不可能です。すくなくとも、現実的ではありません。また、このような問題は、すでに所得税の累進税率によって調整されていると考える余地が、まったくないわけではありません。
しかしながら、消費税における逆進性は、「最終的にはすべての収入が消費にまわされる」ので問題にならない、とはいえないことは、あきらかだと思います。
消費税には逆進性の観点で問題があり、所得税とは異なり、それが構造的に解消不可能であるために、逆進性の問題は「強く現れる」と思われます。
したがってこの観点でみた場合、消費税に比べ、所得税のほうが公平であり優れている、といってよいと思います。