言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

弁護士増員に反対する弁護士の本音

2009-11-16 | 日記
弁護士fujita的日々 @京都」 の 「弁護士増員論、再び

会派の総会。
弁護士増員問題を議論。
同志社大学の木下麻奈子教授、大阪から松森弁護士、京都の中弁護士(他会派)を招いてのミニ・シンポ。
司法試験合格者3000人時代を迎え、現在2万2000人あまりの弁護士は、2024年には約6万人になる。
これが9000人だと、10万人を突破するとのシミュレーション。

弁護士増員問題の本質は、「こんなに増やして弁護士は食っていけるのか」「新人弁護士は就職できるのか」、という本音部分ではない。それでは、世間は見放すであろう。
今の議論は、弁護士をどこまでふやして、どういう社会を作っていくのかという制度設計がない。
オリックス宮内氏(村上ファンドでは儲かりましたか?)らに代表される増員論は、乱暴な規制緩和論だけ。ロースクールサイドからの増員論も、大学の経営が第一、と見える。国会議員抱え込みの動きも激しいと仄聞する。
だから、9000人なんてばかげた案が浮上してくる。

しかし、世間はなかなかわかってくれないのである。
弁護士が、懸命に公益的な仕事をこなし、社会で虐げられている正直者の力になる。その結果、発言力を得ていく以外に道はないのかもしれない困難な問題。

懇親会の席上では、「弁護士は本音を言ってはならない」という久保井もと日弁連会長の箴言が紹介された。「ホンネなんてコショウみたいなもんだ。やせ我慢のタテマエがあってこそ意味があるんだ。コショウを山盛りにされて、食えって言われたらたまらんだろう」、とは弁護士のくず。

「人の不幸は金になる」、だから、坊主・弁護士・医者には倫理が大切。


 弁護士増員問題について、「こんなに増やして弁護士は食っていけるのか」「新人弁護士は就職できるのか」 が弁護士の本音である。懇親会の席上、「『弁護士は本音を言ってはならない』 という久保井もと日弁連会長の箴言が紹介された」 、と書かれています。



 弁護士増員には問題があることを、「世間はなかなかわかってくれないのである。」 と書かれていますが、それは違うと思います。

 弁護士の本音が、「こんなに増やして弁護士は食っていけるのか」「新人弁護士は就職できるのか」 であり、弁護士を増やせば、市民にとって不利益が生ずる、というのが 「タテマエ」 である以上、市民には、増員に反対する理由がないのです。

 弁護士を増やせば、市民に不利益が生ずること ( タテマエ ) を、「世間はなかなかわかってくれないのである」 と言われても、市民としては、困ってしまいます。弁護士の本音が 「こんなに増やして弁護士は食っていけるのか」「新人弁護士は就職できるのか」 にあるからです。



 ここで注意しなければならないのは、「新人弁護士は就職できるのか」 については、( すくなくとも現時点では ) まったく考慮する必要がない、という点です。それについては、すでに 「「受け皿」 は問題にならない」 に述べています。

 また、「新人弁護士は就職できるのか」 が、新人弁護士の立場を思いやったかたちを装いながら、じつは 「こんなに増やして ( 俺たち既存の ) 弁護士は食っていけるのか」 が本音とみられることは、「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」 ・ 「新司法試験合格者数に関する嘆願書」 に述べています。



 したがって、弁護士の本音は、要するに、「こんなに増やして ( 俺たち既存の ) 弁護士は食っていけるのか」 に集約されます。これに対しては、「そのなかで努力するのが、競争というものでしょう」 と答えることになろうかと思います。



 ところで、「『弁護士は本音を言ってはならない』 という久保井もと日弁連会長の箴言が紹介された」 という部分は、どう解釈すればよいのでしょうか?

 「自分のこと、カネのことを優先せず、弁護士の使命や責任を優先すべきである。そのために、弁護士は増員に賛成したうえで、生き残れるように努力しなければならない」 と解釈すべきではないかとも思われるのですが、

 「タテマエ」 を持ちだして、増員反対を主張する弁護士が、いまだに存在している現状を見ると、

 「食っていくために増員に反対しなければならない。しかし、本音は言うな。タテマエを主張しろ。市民が困るから増員に反対している、と 『嘘をつけ』」 という意味だと解釈するのが、真実に近いのかもしれません。



 「坊主・弁護士・医者には倫理が大切」 であれば、「タテマエ」 としての口実を持ち出さず、増員を受け入れ、競争をしていただきたいと思います。




■追記
 この記事は、「「使命や責任」 を重視せずして、何を重視するのか」 を書いた際に送ったトラックバックが、坂野弁護士によって承認されなかったために、書いたものです。「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」 の際のトラックバックも、坂野弁護士のブログに反映されなかったのですが、
 「反対意見を、自分のブログの読者に知らせない」 姿勢は、「増員問題について、その正当な着地点をみつけよう」 とするものではなく、「世論を増員反対に誘導しよう」 とする姿勢であるかに思われます。これは、「正しさ」 を社会にもたらすことを使命とする弁護士として、どうなのかな、と思います。
ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 政府の信認と中央銀行の信認 | トップ | 金融政策と財政政策、どちら... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (改革派)
2009-11-22 02:52:19
弁護士の多くは独善的でギルド的な弁護士会の統制の中で生きていますからね。

改革的な手法を取り入れると攻撃されるのです。

たとえば少数の破産事件を扱う共産党系弁護士は称賛されるのに、市民に向けて広告をして多くの債務者を救ってきた大手事務所は弁護士会では攻撃の対象です。

これが弁護士会というものであり、ニューヨーク州のように任意加入に移行することは司法改革の一環として不可欠です。

日弁連の会長選挙の結果で司法改革の行方が左右されるなんて言う状況がおかしいのであって、制度は国民を代表する国会で決めてください。日弁連もABA(アメリカ法曹協会)のように任意加入に格下げしてください。

弁護士ギルド制こそもっとも改革されるべき部分です。
本当に任意加入にしてよいのですか? (memo26)
2009-11-22 11:29:14
 改革派さん、コメントありがとうございます。

> ニューヨーク州のように任意加入に移行することは司法改革の一環として不可欠です。
> 日弁連の会長選挙の結果で司法改革の行方が左右されるなんて言う状況がおかしいのであって、

 任意加入に移行、については、「弱者にも法的救済が必要」 のコメント欄に、ご返事させていただきました。
 しかし、本当に任意加入にする ( 弁護士自治を放棄する ) ことに、弁護士さんは抵抗がないのでしょうか? こちらのほうが、増員問題よりもはるかに重要な問題ではないかと思われるのですが、改革派の弁護士さんはともかく、増員反対派の弁護士さんが任意加入を主張されるのはなぜなのか、疑問ではあります。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。