言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

対中経済支援は日本を危険にする

2010-10-10 | 日記
Mutteraway 時事問題 を語るブログ」の「中国のジレンマ:治安が先か人権が先か

いまの中国政府が最も恐れているのは、民族問題・経済格差問題・宗教問題などで、治安が崩壊して国家が分裂する事ではないかと考えています。ゆえに、社会を混乱させる問題を未然に防ぐ事に非常なエネルギーを注いでいるようです。たとえば情報統制(メディアの統制、インターネットのアクセス制限)、民主化運動の抑圧、公的機関による監視(身分証番号による追跡、インターネット情報の監視)などです。

では、このような事はいつまで続くのかといえば、中国内陸部まで一定レベルまで経済発展し、平均所得が欧米並みに向上し、社会弱者が十分に少なくなれば、いま抱えている社会的問題は自然消滅するでしょう。そうなれば、中国も日本なみ(欧米並みじゃなくて)に人権が擁護される国になると考えます。(欧米人と東洋人は根本的なところの価値観に違いがあると感じるので、民主化が進んでも、人権の捉え方は多少異なるでしょう。それは日本の検察をみれば明らかですね。)

つまり中国にとって人権は、社会が到達する目的ではなく、経済発展によって得られる報酬と考えられます。ゆえに欧米社会は、人権問題ゆえに対中経済制裁を課すなどというのは本末転倒です。中国の人権問題を解決したければ、1年でも早く、中国全体が経済発展するように経済支援を続けるべきです。

中国人民を豊かにする事は、中国の軍事リスクを減じる事でもあります。現在の人民解放軍は、貧困家庭の若者の雇用バッファーとしての役割が非常に大きいのです。日本のように豊かになれば、高校を卒業して軍隊に就職しようという若者はほとんどいなくなります。また、豊かになる事で、戦争してまで自国領土を広げたいと考える人も減り、社会的なエネルギーも総じて減少するでしょう。高度成長期が終わって、ひ弱な若者が増大した日本と同じようにです。

対決するだけが解決策ではありません。国家間の問題は、手段よりも結果が大事なのです。


 「いまの中国政府が最も恐れているのは、民族問題・経済格差問題・宗教問題などで、治安が崩壊して国家が分裂する事ではないか」と考えている。いまの中国にとっては、人権よりも治安が優先する。中国人民が豊かになれば、中国の軍事リスクが減るので、日本は中国に対し、経済支援を続けるべきである。対決するだけが解決策ではない、手段よりも結果が大事なのである、と書かれています。



 信じがたい意見です。

 これが、「日本は中国なくして経済的にやっていけない。しかし、中国は日本がいなくても経済的に問題ない。したがって日本は中国に逆らうべきではない」などと主張しておられる bobby さんの意見であるとは信じ難いものがあります。



 まず最初に、「いまの中国政府が最も恐れているのは、民族問題・経済格差問題・宗教問題などで、治安が崩壊して国家が分裂する事ではないか」という点については、私もほぼ同意見です。

 しかし、だからといって、「人権よりも治安が優先する」と主張してよいのか、いささか疑問があります。そもそも、「治安」といえば聞こえはいいですが、「破壊活動」を行った者を処罰するのではなく、「民主化運動」を行った者を処罰することや、「出版等の言論活動」を行った者を処罰することとなると、すこし話が違うのではないか、と思います。

 また、そのために、当局にとって都合の悪いことは国民に知らせない中国政府の態度が「正しい」といえるのかも、大いに疑問とされなければなりません。



 次に、「中国人民を豊かにする事は、中国の軍事リスクを減じる事でもあ」るので、「1年でも早く、中国全体が経済発展するように経済支援を続けるべき」だという主張についてですが、これについても同意いたしかねます。
中国が豊かになれば、中国には、さらに軍事費を増額する余裕が生じるので、日本が対中経済支援を続ければ、日本にとって、中国の軍事リスクは増大する、
と考えるのが、自然ではないかと思います。日本が経済支援したお金が、(最終的に) 中国の軍事費になり、中国が日本を恫喝する軍事力になるのであり、
日本が対中経済支援を行うことは、日本がみずから、「中国の属国」になるために中国を強大化することにほかなりません。
 こんな「おかしな」主張はありません。



 さらに、「対決するだけが解決策ではありません。国家間の問題は、手段よりも結果が大事なのです。」とも書かれておられますが、これは、日本 (日本人) に対してではなく、中国 (中国人) に対して言うべきではないでしょうか。

 また、私は「ノーベル平和賞と、中国の立場」において、日本は「中国との対立もいとわない」選択をすることが望ましい、と述べたにすぎず、「中国との対立」が望ましい、と述べたのではありません。中国が対決姿勢・強硬な態度を示すにもかかわらず、「対決するだけが解決策ではない」と日本 (日本人) に対して述べることは、すなわち、日本にとっては「中国の恫喝に屈し、中国の属国になることこそが望ましい」ので、日本は「中国がさらに強大になり、中国が軍事力を増強しやすくするために、中国に対する経済援助を行うべきである」と述べることにほかなりません。

 日本としては、「対立することもいとわない」態度をとることは、当然必要だと思います。



 そもそも、日本はこれまで、対中経済援助を行ってきました。にもかかわらず、中国政府は、中国人民にその事実を積極的に伝えていないようですし、それどころか、先日の尖閣諸島沖漁船事件にみられるように、日本を恫喝してくるわけです。

 そのような中国が「もっと軍事的に強くなる」ように、日本は「対中経済支援すべき」だという主張は、どこか、ズレているのではないかと思います。

政府紙幣発行の効果

2010-10-10 | 日記
田中秀臣 『デフレ不況』 ( p.98 )

 スティグリッツは、政府紙幣の発行が、景気悪化からの脱却の経路として、
 (1) 信用のアベイラビリティー
 (2) 長期実質金利
 の二つに影響を及ぼすと考えており、前者をより重視しています。
「信用のアベイラビリティー」とは、お金を借りる (信用が供与される) 条件を意味します。お金を借りやすい状態か、なかなか借りられない状態かということで、つまり政府が紙幣を発行すると、それによって企業や家計がお金を借りやすくなるということです。
 後者の長期実質金利に影響を及ぼす方法としては、短期国債と長期国債の構成を変更すること、つまり長期国債買いオペを積極的に勧めています。
 この点ではバーナンキと同様のわけです。ただし、これは信用のアベイラビリティーよりも効果が小さいというのがスティグリッツの考えであり、より大きな効果を出すためには、日本銀行が長期国債買いオペをかなり積極的に行う必要があると指摘しています。
 他方で政府発行紙幣の方はより金融的な効果が大きいと見ているので、「慎重なペース配分」が必要となるわけです。わたしは年間五〇〇〇億~八〇〇〇億円規模の政府紙幣を発行する社会実験を試みてはどうかと思っています。
 しかし、問題はこの「政府紙幣の発行」というアイデアに対しても、日本銀行が強烈な拒否反応を示していることです。おそらく「中央銀行としての権限を政府に奪われる」といった、「行益優先」の発想なのでしょう。
 長期国債の買い入れ増額はお断り、政府紙幣の発行も認めない。
 日本銀行はこれら世界一流の経済学者たちの提案をすべて拒否して、なんの手も打たず、なんの責任もとらず、日本の中央銀行として居座っているのです。


 スティグリッツは、政府紙幣の発行によって景気悪化から脱却できる。なぜなら、信用のアベイラビリティーと長期実質金利に影響を及ぼすからである、と説いていると書かれています。



 信用のアベイラビリティー (お金を借りる条件) について、私は、たしかに影響はあるとは思いますが、効果はそれほどでもない、と考えます。なぜなら、

   いかにお金を借りたいニーズがあろうとも、
      返済能力のない人・企業には、銀行はお金を貸さないし、

   いかにお金を貸したいニーズがあろうとも、
      返済能力のある人・企業は、すでに十分お金を持っている

からです。要は、

   借りたい人は借りられず、(銀行が) 貸したい人は借りたくない

という状態である以上、政府紙幣を発行したところで、根本的に状況は変化しないはずだと思います (「FRB の金融緩和は効くのか」参照 ) 。



 次に、長期実質金利については、スティグリッツの説くように、信用のアベイラビリティーよりも効果が小さいのであれば、

   信用のアベイラビリティーの効果が小さい以上、
         政府紙幣発行の効果はもっと小さいはず

だと考えられます。とすれば、やはり、政府紙幣を発行したところで、根本的に状況は変化しないはずだと考えられます。



 しかし、いかに効果が小さかろうと、「対策をしないよりはよい」という考えかたも成り立ちます。政府紙幣発行の効果として、もっとも重要だと私が考えるのは、

   政府紙幣の発行により、中央銀行に金融緩和を促す効果が生じる

ことです (「ルーズベルトの政策 ( 量的緩和 )」参照 ) 。

 もっとも、これについては、金融緩和の効果をどう考えるかも影響してきますので、いちがいに、金融緩和を促せばよいというものではないこと、もちろんですが (「バーナンキの背理法」「クルーグマンの比喩「子守協同組合」」参照 ) 、

 私はいまのところ、金融政策と財政政策の両方を実施すればよい、と考えています (「金融政策と財政政策、どちらが効果的か」「デフレの脱出策と日銀の説明責任」参照 ) 。