言語空間+備忘録

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量的緩和と岩石理論、そして構造改革

2010-10-25 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.64 )

 また、長期金利が上がり始めた場合は、今度は「四番目のキャッシュフロー」の出番になります。アメリカやイギリスに倣い、日本銀行も日本国債の買い取り枠を増やしていけばいいわけです (すでに日本銀行は規模限定ではあるものの、長期国債の買い取りは実行しています) 。
 中央銀行の国債買い取りが増大すれば、その金額分だけ日本円が市中に供給されていくことになります。日本国内の日本円が増えていけば、当然ながら徐々にインフレ傾向に向かい、厄介なデフレも解消されるでしょう。
 中央銀行の買い取りと聞くと、経済に疎い人が顔を真っ赤にして、
「そんなことをしたら、日本はジンバフェや第一次世界大戦後のドイツのように、ハイパーインフレーションになるっ!」
 などと主張したりします。しかし、これは根本から誤りです。
 現在のジンバフェや、かつてのドイツが、物価が天文学的水準に跳ね上がるハイパーインフレーションに陥ったのは、通貨発行が主因ではありません。国内の供給能力が致命的に不足していたからこそ、インフレが止まらなくなってしまったのです。要するに、極度の物不足だったわけです。
 例えば、第一次大戦後のドイツの場合、そもそも戦争中からインフレが進行していました。さらに戦争終結後、国内屈指の工業地帯であり、地下資源も豊富なルール地方を、フランス・ベルギー連合軍により軍事占領されてしまいます。インフレの状況下における極度の供給不足が災いし、ドイツはパン一個買うのに1兆マルクが必要になるという、途轍もないインフレーションに突入したのです。
 また、ジンバフェですが、生産性が極めて高かった国内の白人農家を、大統領のムガベが国外に追い出してしまいました。自国の主産業であった農業が崩壊し、そこに旱魃が追い討ちをかけた結果、国内で極度の物不足が発生したのです。
 最終的に、ジンバフェは物価上昇率が年率で2億3100万%という、ここまで来ると、もはや何が何だか分からない水準のハイパーインフレーションに陥りました。
 翻って日本を見ますと、インフレどころかデフレに悩んでいるのが現状です。
 日本のデフレ・ギャップ (供給が需要を上回った場合の差) は世界最高水準ですが、これは我が国が世界で最も「物余り」で悩んでいるという事実を意味しています。要するに、現在の日本は供給能力が高すぎるわけです。
 供給過剰に苦しむ日本が、ハイパーインフレーションになるなど、ある日突然、月が地球に落ちてくる確率よりも低いでしょう。物価上昇率を継続的にプラスにするだけでも、大いに苦労すること疑いなしです。
 ちなみに、日本が明治維新以降、最も高いインフレ率になったのは、1946年の300%台になります。一年間で物の値段が四倍強になるわけで、確かに高いインフレ率ではあります。
 しかし、1946年と言えば、日本が第二次大戦に敗北した直後のことになります。国内は空襲で焼け野原にされ、恐らく日本の歴史上、最も供給能力が不足していた時期と言って構わないでしょう。それにも関わらず、日本は精々300%のインフレにしかならなかったのです。


 中央銀行の国債買い取りに対しては、ハイパーインフレーションになるという批判がある。しかし、生産性が高く「物余り」で困っている日本がハイパーインフレーションになる確率は、無視してかまわない、と書かれています。



 上記引用は、「日本は「何に」財政支出すべきか」で引用した部分の続きです。したがって、引用が一部、重複しています。



 ここで著者が批判している主張、すなわち中央銀行による国債買い取りはハイパーインフレーションを招いてしまう、という主張は、一般に、「岩石理論」と呼ばれているものです。「斜面の上で止まっている岩石は、いったん、なにかの拍子で動き始めると、どんどん加速してしまい、止められなくなってしまう」が、インフレも同様である。つまり、

   (岩石理論)
   いったん、なにかの拍子にインフレになり始めると、
        どんどんインフレが加速してしまい、止められなくなってしまう。
        最終的には、ハイパーインフレーションになる

というのが、岩石理論です。

 著者はこれに対して、日本は生産性が高すぎるために、供給過剰 (物余り) になり、デフレになって困っている。その「日本が、ハイパーインフレーションになるなど、ある日突然、月が地球に落ちてくる確率よりも低いでしょう。物価上昇率を継続的にプラスにするだけでも、大いに苦労すること疑いなし」だと説いています。

 私も著者の意見に賛成です。

 デフレで困っている状況下で、ハイパーインフレーションを恐れるのは、どこかナンセンスだと思います。



 もっとも、この主張 (著者の主張) には、逆の見かたも成り立ちます。すなわち、「デフレは経済正常化の過程であり、デフレを止めてはならない」という考えかたです。

 この考えかたは、「量的緩和反対論」において、私が「ひとつの考えかた」として主張したものです (リンク先をご覧になっていただければわかりますが、私が量的緩和反対論を支持する根拠として述べた、というのではなく、このような考えかたも「成り立ちうる」と述べた、という趣旨です) 。



 これについては、すなわち、

 デフレを「経済正常化の過程」と捉えるべきか否かについては、デフレは「緩やかな」インフレに比べ、経済に悪い影響を及ぼすと考えられます。したがって、「あえて、意図的に」デフレを止めない選択をする必要はなく、早急に、「緩やかな」インフレに戻すのが正解だと思います。

 もっとも、デフレにも利点はあります。効率の悪い企業が淘汰されるなどの利点です。デフレの利点を最大限に活かすなら、デフレ期にこそ構造改革を行うべきである、ということにもなりますが、雇用が失われるなどの弊害には無視しえないものがあります。そもそも構造改革とは「既得権・利権との戦い」であり、時間がかかるものなのですから、デフレ期・インフレ期を問わず、つねに構造改革への努力は続けるべきものでしょう。

 したがって、「緩やかな」インフレを志向する政策をとりつつ、同時に構造改革に向けた努力を続ければ、それでよいのではないかと思います。

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