言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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公共事業における 「ムダ」

2009-12-01 | 日記
 先日、「借換債」 のコメント欄で、日本の財政状況 ( および公共投資に対するスタンス ) について反論をいただきました。

 日本の財政状況について、どう捉えるか、については、

  1. 『日本国破産への最終警告』 の著者 ( 森木亮 )

  2. maemae さん

の順に、「大変 → それほど大変ではない」 と、意見に相違がみられるのですが、

 私は、『日本国破産への最終警告』 の著者 ( 森木亮 ) の意見に同意していないとはいえ、「税収 40 兆円前後であるにもかかわらず、50 兆円を超える国債が発行される可能性がある」 ことをもって、「現在、大変な状況であることには変わりありません」 と述べており、maemae さんが反論されたことは、当を得ていると思います。

 そこで、今日は、公共事業についての私の意見を書きたいと思います。



 私としては、収入以上の支出を行うことは、好ましくないと思います。この発想は、ごくごく常識的なもので、当然のことではないかと思います。

 しかし、「つねに」 収入の枠内で支出を行え、というのも、現実的ではないように思われます。「ときには」 収入以上の支出を行わなければならないこともあるでしょう。

 したがって、「税収 40 兆円前後であるにもかかわらず、50 兆円を超える国債が発行される」 ことは、「安心感はないものの、やむを得ないときもある」 と思います。



 しかし、公共事業はムダなものであってはならないと思います。そこで、「ムダ」 の判断基準、「ムダ」 とはなにか、が問題となります。

 それでは、「ムダ」 とはなにか。この判断は、事業の 「目的がなにか」 によって変わってくると思います。公共事業の目的が 「社会のインフラ整備」 であれば、「インフラとして効果的か」 が判断基準になりますし、目的が 「デフレ脱出」 であれば、「デフレ脱出にどの程度効果が見込めるのか」 が基準になるでしょう。

 この 「目的」 については、さまざまな考えかたがあるとは思いますが、現在の社会状況を踏まえれば、「雇用の確保」 がもっとも重要な要素ではないかと思います。つまり、「雇用がどの程度守られるのか」 が、判断基準になるのではないかと思います。したがって、

   「労働者の利益になるように」 公共事業を行わなければならず、また、行うべきである、

と考えます。「インフラとして効果的か」 なども考慮しつつ、「労働者の利益・雇用の確保」 を最重要視すればよいと思います ( 地価はさらに下落すると予想していますので、いまならインフラ建設が安くつく、といったことは考えていません ) 。



 したがって、私としては、
  • たとえば事業費の一部が ( 天下り後の給与として ) 公益法人等によって抜き取られるならば、その部分は 「ムダ」 であり、その部分を削る工夫をしなければならないと思いますし、
  • 地価の高い都市部で、事業費のうち、かなりの部分が用地買収費に充てられるならば、その部分は 「ムダ」 であり、地価の安い地方で事業を行ったり、用地買収が不要な既存施設の更新 ( 橋の架け替えなど ) や、地下の事業 ( トンネルなど ) の割合を増やすなどすればよい ( 「雇用対策としての道路建設」 ・ 「社会資本の更新」 参照 )

と思います。

 一般的に、所得の少ない者ほど、収入に占める支出の割合が多くなります。労働者の収入 ( 取り分 ) が増えたほうが、景気対策としても、効果が大きいはずです。



 なお、「『ムダ』 とはなにか」 については、私とは視点が異なりますが、次の記事が参考になります。



ある女子大教授の つぶやき」 の 「無駄な事業とは

無駄なこととは何か

 無駄を排除して予算を有効に使うために、自民党政権時代に作成した予算案の事業仕分け作業が進んでいる。ムダ無駄というが、ムダな事業とは何を指しているのであろうか。先日のブログで、予算の3分の1ぐらいは無駄なものであろうと、腰だめで書いたら、当然のことであるが反論が来ている。これに対して反論を試みるつもりは毛頭ないが、予算なるもの実態を考えてみたい。
*会場:国立印刷局市ヶ谷センター

 普通に働いて生活している人は、その地域でごみ回収など或る種の便益を受けているし、国からは日本国民として、身分保証などの恩恵を供与されている。これに対して、各個人は所得税をはじめ、さまざまな税金を支払う義務を負っている。憲法25条に定めるように「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことに対して、30条に定める通り「納税の義務を負う」こととなる。

 民が支払った税金に対して、しかるべき便益を享受しているとの実感が伴う事業については、誰も無駄なこととは言わない。ところが、仕分け事業の議論を聞いていると、巨額の費用を投じているにしては、その便益を受けている人が極めて少ない事業があまりにも多いことに気がつく。仕分けの舞台となっている国立印刷局の市ヶ谷センターなどという施設の存在を知っている人は、ほとんどいなかったであろう。10億円の土地に5億円を投じて作られたそうだ。職員の健康増進の施設という。

せめて1億人のうち100分の1ほどの人が該当するのであれば、あまり問題はないと思う。また国立女性教育会館の話が出ていたが、女性全員がそのことを知っていて利用するのであれば問題はないが、殆どの女性はその存在すら知りえないし、利用したことのある人は年間数千人程度というから、全く話にならない。

 管理人が感じている無駄な事業というのは、せめて国民の1000人に1人位は、その事業を知っていて、何らかの便益を受けているもの以外は、すべて無駄な事業ではないかと考えている。そのような基準で国の事業を眺めれば、95兆円のうち3分の1ぐらいは必要のない無駄なこととなる。要するに、ピーターの法則に従って、国でも地方でも役人たちは、仕事のための仕事を作り出していることとなる。そして予算というものは、作成する人は削られ代を含めて算出するのは普通と思う。




 ここには、「予算の3分の1ぐらいは無駄なものであろうと、腰だめで書いたら、当然のことであるが反論が来ている」 とあります。

 ( 私を指しておられるのかどうか、わかりませんが ) 私は 「ムダな事業摘発作業の効率化」 に、3 分の 1 の根拠がわからない、と書いてトラックバックを送りました。私の意図は反論ではなく、「その前提で考えると」 です。せっかくの機会なので、書き添えておきます。
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