言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

国家が財政破綻するための条件

2010-10-22 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.34 )

 ところで、ここまで読み進めて頂いた読者の中には、以下の疑問を抱いた鋭い人がいるかも知れません。
「あれ? 政府の借金は返さなくていいなら、どうしてロシアやアルゼンチンの政府はデフォルト (債務不履行) になり、財政破綻したの?」
 そうなのです。
 永久に存続する前提である以上、借金を無限にロールオーバー (繰り延べ) することが可能であり、かつ「四番目のキャッシュフロー」という反則的な手段まで持ち合わせている中央政府でも、破綻することは可能なのです。それは「海外からの外貨建て借金を、返済することができなかった場合」になります。
 ロシア政府は1997年の夏、アルゼンチンは2001年末から翌年にかけ、それぞれ国内通貨であるロシアルーブルとアルゼンチンペソの大暴落に見舞われました。最終的に、双方の政府は共にデフォルト (債務不履行) をしたわけですが、ここで最も注目して欲しいポイントは、それぞれの政府が果たして「何の債務」について不履行になったかについてです。
 ロシア政府、アルゼンチン政府共に、別段、国内向けの自国通貨建て債務を返済できずに財政破綻したわけではないのです。両国政府が返済できなかったのは、外国からドル建で借りていた債務、すなわち対外公的債務になります。
 この「政府が外貨 (ドル等) 建てで、海外からお金を借りていた」という部分が、最も重要なポイントです。
 本書冒頭から、わたくしは日本政府の借金について、
「日本政府の借金の債権者は、実は日本国民」
「政府の借金について、税金で返済している国は世界に一つもない」
「政府は自国通貨建ての借金について、永久に繰り延べしても構わない」
「日本政府は世界で最も安い金利で国債を発行できる」
「四番目のキャッシュフローを持つ政府が、債務不履行になることは不可能」
 などと説明してきました。しかし、これらは全て政府の借金が「自国通貨建て」であることが前提になっているのです。日本政府は借金返済のために税金を上げる必要は全くなく、むしろ増税は日本経済の足を却って引っ張る可能性が濃厚です。
 日本経済の調子が悪くなると、政府はますます借金を増やし、景気対策に精を出さねばなりません。そういう意味で、税金で政府の借金を返済しようとすることは、明らかに本末転倒なのです。
 しつこいですが、政府の借金は完済する必要など全くありません。しかし、それも全ては日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話なのです。

(中略)

 現在日本政府が抱えている借金、すなわち国債発行残高が「ドル建て」であったと仮定してみて下さい。日本国債の発行残高846兆円は、現在の為替レートではおよそ8・4兆ドルに相当します。
 日本政府の「ドル建て」借金が8・4兆ドルの状況で、ある日突然、日本円が対ドルで大暴落したケースを想像してみましょう。現在のレートは1ドル100円末満ですが、これがわずか一日で200円を突破したと想定するのです。
 為替レートが変動しようが、ドル建ての借金の額面は変わりません。結果、日本政府のドル建て借金を日本円に換算すると、846兆円がいきなり1692兆円に倍増してしまうことになります。
 元本だけではなく、当然ながら利払いも倍増します。さらに、日本政府がドル建て借金を返済するべく、日本円を多量にドルに両替すると、円の対ドル暴落を加速する羽目に陥ります。円の下落が進むと、日本円換算の借金残高がさらに増えてしまうわけです。
 さすがにここまでラディカルではありませんでしたが、ロシアやアルゼンチンもこのままのプロセスを辿り、最終的に政府が財政破綻しました。
 景気低迷や経済危機を背景に、まずは通貨が下落を開始します。両国政府は通貨暴落を食い止めるべく、国内の金利を吊り上げていきました。特にロシアの国債金利は、最終的には何と年利150% (注:桁の間違いではありません) にまで達したのです。それでも、ロシアの通貨ルーブルの暴落を食い止めることは不可能でした。
 結果、対外公的債務、すなわち政府が外国からドル建てで借りていたお金の利払いが滞り、両国政府は財政破綻したのでした。外貨建てで外国から借りている借金は、為替相場の変動により、突然、破壊をもたらす「魔神」に姿を変えるケースがあるという現実を、ロシアとアルゼンチンの事例はまざまざと教えてくれました。

(中略)

 翻って我が国日本を見ますと、国債の全ては日本円建て、つまり自国通貨建てです。国債を販売した相手は、ほとんどが日本の金融機関、もしくは日本の個人投資家です。外国人の日本国債ホルダーは、わずかに6・4% (2009年3月末) でしかありません (こんな超低金利の日本国債を買うなど、奇特な外国の方がいるものです) 。その上、日本国債の金利は、すでに十年以上もの長期に渡り、世界最低水準を維持し続けています。
 すなわち、日本は「政府が財政破綻するための条件」を、一つたりとも満たすことができていないのです。マスメディアの皆さんにはお気の毒ですが、日本政府の財政破綻など、今後千年間くらいは起きないでしょう。


 歴史上、たしかに財政破綻した国家はある。しかし、それらの事例は、すべて「政府が外貨 (ドル等) 建てで、海外からお金を借りていた」場合である。日本の場合、政府の債務は自国通貨 (円) 建てなので、日本は財政破綻しない、と書かれています。



 引用文中にいう「四番目のキャッシュフロー」が何か、については、「日本は財政破綻しない」で引用した部分に書かれています (中央銀行による国債の引受です) 。



 著者の主張には、(大筋では) 説得力があります。



 私は昨日の記事「日本は財政破綻しない」において、日本の財政は

   すくなくとも、この先 5 ~ 10 年は「まったく問題ない」

と述べ、さらに中央銀行による国債引受を考慮するなら、もっと長期間、まったく問題ないと考えてよい、と述べました。

 ところが著者は「日本政府の財政破綻など、今後千年間くらいは起きない」と述べておられます。著者はかなり大胆です。自信満々、といってよいかもしれません。



 私が控え目な予測をしているのは、

   今後数年以内 (十年以内) に、日中戦争が始まる「かもしれない」

と考えているからです (始まる、ではなく、始まる「かもしれない」です) 。

 もちろん著者の論理に従えば、戦争が始まろうが何が起きようが、「日本が円建てで国債を発行し続けているかぎり、日本が財政破綻することはあり得ない」ということになり、控え目な予測をする理由は「まったくない」ということになります。

 しかし、ここで考えなければならないのは、「なぜ、ロシアやアルゼンチンは、外貨建てで海外からお金を借りていたのか」です。自国通貨建てでお金を借りれば千年くらいは財政破綻しないのであれば、自国通貨 (ロシアルーブルやアルゼンチンペソ) でお金を借りればよかったはずです。自国通貨建てで借りればよいものを、なぜ、わざわざ財政破綻を招きかねない外貨建てで (お金を) 借りたのでしょうか?

 答えは考えるまでもないと思います。自国通貨建てでは、お金が借りられなかったからです。自国通貨建てでお金を貸してくれる人がいなければ、外貨建てでお金を借りるしかありません。

 日本の場合、いまのところ、たしかに自国通貨建てでお金を借りられる状況にあります。というか、お金を貸したい人が大勢います。しかし、今後どうなるかはわかりません。とくに戦争が始まった場合には、膨大なお金 (戦費) が必要になりますが、万一日本が負けそうになれば、政府がお金を借りることは不可能に近くなるでしょう (すくなくとも、難しくなると思います) 。



 ところで、日本と同様、アメリカについても「破綻するかもしれない」といった予測がありますが、

 アメリカの場合も日本と同様、「自国通貨 (ドル) 建てでお金を借りている」にすぎないのですから、「破綻することは (よほどのことがないかぎり) あり得ない」と考えて、まず間違いないと思います。アメリカが戦争に負けることなど、まず考えられません (局地的な戦いならともかく、降伏せざるを得ない状況にはならない、という意味です) 。したがって、

   アメリカも財政破綻しない

と考えて、よいのではないかと思います。

日本は財政破綻しない

2010-10-21 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.23 )

 ここで再び皆様に想像力を働かせて頂きたいのですが、例えば企業なり家計が財政的に破綻する場合とは、果たしてどんなときでしょうか。この問いに対し、多くの人は、
「利益や収入が足りずに、借金を返せないとき」
 と、答えると思います。企業で言えば決算で損失を出し、家計で言えば支出が収入を上回り、家計簿の収支が赤字化したとき、ということになるでしょうか。
 実は、この回答は完璧に間違いです。
 普通の企業は、決算が赤字化しても倒産はしません。また、家計簿の収支が赤字化しただけで家計の財政が破綻するのでは、自己破産がどれほどの規模に膨らむことか。
 企業決算や家計の収支が赤字化したところで、保有する現金で借金を返せば済む話です。現金や預金が手元に充分ないのであれば、保有する有価証券を売却するなり、あるいは新たな借り入れで現金を入手し、それを返済に充てればいいのです。

(中略)

 さて、ここで先ほどの「財政的に破綻するのは、どういうときか」という問いに戻りますが、回答は以下になります。
「借金返済のための現金が、最終的に入手できなかったとき、破綻する」
 すなわち手持の現金が尽き果て、預金通帳の残高もゼロになり、現金収入が途絶え、保有する現金化可能な資産は全て売り払い、金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに債務不履行となり、破綻するわけです。
 別に、企業決算が赤字化したり、家計簿の収支がマイナスになったからといって破綻するわけではありません。両者が破綻するのは、返済のための現金の流れ (この場合は「入り」) が途絶えたときになります。
 この「現金の流れ」のことを、会計用語で「キャッシュフロー」と呼びます。現在の企業は、損益計算書やバランスシート (貸借対照表) に加え、このキャッシュフローの統計である「キャッシュフロー計算書」を、財務諸表に含めることが義務付けられています。
 キャッシュフローの考え方が秀逸に思えるのは、現金の流れについて三つに区分し、それぞれを明確に定義していることです (表1-5参照) 。
 例えば、企業の損益や家計簿上の収支は、一番上の営業キャッシュフローに該当します。正しくは、企業損益と営業キャッシュフローは異なるのですが、本書は別に財務会計の教科書ではないので、便宜的に同じと見なします。
 繰り返しになりますが、別に営業キャッシュフローがマイナスだからといって、借金返済が不可能になるわけではありません。投資キャッシュフロー (保有資産の売却など) なり財務キャッシュフロー (新たな借り入れなど) でカバーすれば、それで済む話です。
 2008年度末時点の日本政府の借金残高、すなわち国債発行残高は、846兆円となっています (表1-4のバランスシートに掲載された政府の負債は、地方政府分の借金を含んでいます。また、846兆円の借金残高は、厳密には国債以外の中央政府の借り入れ分も含んでいます) 。
 さらに08年度における政府の税収は53・6兆円で、歳出総額は83・1兆円でした。
 この事実を捉え、
「日本は借金を846万円も抱えた家計が、毎年54万円の収入しかないのに、83万円も支出しているような状況なのです。これは、間違いなく財政破綻します。破綻したくなければ、増税をして借金を返済するしかないのです」
 などと、政府の財政を家計のやりくりになぞらえた低レベルな主張を、時たま目にします。しかし、この手の論調は、実際には二重三重に間違えていることになります。
 まず、たとえ一般家庭の収入54万円に対し、支出が83万円だったとしても、別に破綻するわけではありません。これはあくまで営業キャッシュフローの話であり、お金が足りないなら保有する資産を売る (投資キャッシュフローのプラス) なり、誰かに借りれば (財務キャッシュフローのプラス) 済む話です。
 政府の財政で言えば、支出が税収を上回り、お金が足りない際には、同じように誰かに借りれば済む話です。重要なポイントですので、しつこく繰り返します。現実には世界中の政府が、今や支出が収入 (税収) を上回っている状況ですが、どの国も破綻などしていません。理由は単純に、営業キャッシュフローのマイナスを財務キャッシュフローのプラス (借り入れ) で補完しているからなのです。


 日本が破綻するときは、「借金返済のための現金が、最終的に入手できなかったとき」である。支出が税収を上回っていても破綻しないのである、と書かれています。






区分概要
営業キャッシュフロー日常的な営業活動などにより出入りする現金の収支
投資キャッシュフロー工場新設や有価証券の売買など、投資活動により出入りする現金の収支
財務キャッシュフロー借り入れや返済など、財務活動により出入りする現金の収支

 これ (↑) が引用文中の「表1-5」です。



 著者の主張は、要は、

   収支が赤字 (=営業キャッシュフローがマイナス) であっても、
   資産を売る (=投資キャッシュフローのプラス) か、
   新規の借入 (=財務キャッシュフローのプラス) をすれば、破綻しない

ということです。

 それはわかるのですが、問題は、資産を売るだとか、新規の借入といった手段は、「いつまで続けられるのか」ということです。当座はそれで乗り切れるとしても、それを続けていれば、

   いつかは、売る資産もなくなり、
        新たに借入れたくても誰も貸してくれない状況になる

わけです。著者のいう「低レベルな主張」、すなわち、「日本は借金を846万円も抱えた家計が、毎年54万円の収入しかないのに、83万円も支出しているような状況なのです。これは、間違いなく財政破綻します。破綻したくなければ、増税をして借金を返済するしかないのです」も、そのあたりのことを考えて主張されているのであって、

   単純に、収入よりも支出が多いから破綻するなどと言っているわけではない

と思います。現状のままでは、「いつかは」間違いなく財政破綻します、と言っているにすぎないからです。



 私も、「国債の 60 年償還ルール」のところで、
私たちは、本来の実力以上に、裕福な暮らしを享受しているのかもしれません。

 景気対策などの費用として、次々に国債が発行されています。景気対策には雇用対策としての側面もあり、簡単に 「やめろ」 と言うわけにもいかないのですが、私たちは、贅沢すぎるのかもしれません。
などと主張していますが、同時に、「公共事業における 「ムダ」」で述べたように、
 私としては、収入以上の支出を行うことは、好ましくないと思います。この発想は、ごくごく常識的なもので、当然のことではないかと思います。

 しかし、「つねに」 収入の枠内で支出を行え、というのも、現実的ではないように思われます。「ときには」 収入以上の支出を行わなければならないこともあるでしょう。

 したがって、「税収 40 兆円前後であるにもかかわらず、50 兆円を超える国債が発行される」 ことは、「安心感はないものの、やむを得ないときもある」 と思います。
と考えている (考えていた) わけです。

 要は、「安心感がない」という話であって、「いつまで不況が続くのかわからない」「いつになったら税収が上向くのかわからない」という感覚が根底にあるからこそ、著者のいう「低レベルな主張」がなされているわけで、これを「会計のわからない人の低レベルな主張」などと切って捨ててしまうのでは、著者自身が「低レベルな思い込み」で批判している、ということにもなってしまうでしょう。



 日本の場合、政府の債務も巨大ですが、資産も巨大であり、資産の売却によって現金を入手する余裕が、かなりあります。また、現在の国債金利を考えるならば、新規の借入れもまったく問題ない、と考えてよいと思われます。したがって、すくなくとも当面は、日本は破綻しないと考えてよいのではないかと思います。

 問題は、これを続けていれば「いつかは」財政破綻してしまうので、「いつまで続けられるのか」ですが、すくなくとも、この先 5 ~ 10 年は「まったく問題ない」と考えてよいのではないかと思います (「政府の借金は返す必要がない」「財政再建のために残された道」参照 )。

 さらに、次の手段をも考慮すれば、もっと長期間、まったく問題ないと考えてよいと思われます。



同 ( p.32 )

 しかも、政府の場合は、さらに「四番目のキャッシュフロー」という反則技まで持ち合わせています。ちなみに、この反則技は中央政府にはありますが、地方政府にはありません (だからこそ、夕張市は破綻しました) 。
 四番目のキャッシュフローとは、ずばり中央銀行による国債の買い取りです。つまり、中央銀行、日本ならば日本銀行が通貨を発行し、金融市場から日本国債を買い取ってしまうわけです。これにより、日本政府は発行した国債の償還義務から解き放たれることになります。要するに、返済不要になるわけです。

(中略)

 この「四番目のキャッシュフロー」の存在がある限り、中央政府が自国通貨建ての国債をデフォルト (債務不履行) することなど、絶対にありえません。論理的に不可能であると言っても、過言ではないでしょう。


政府の借金は返す必要がない

2010-10-20 | 日記
三橋貴明 『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』 ( p.8 )

 公的債務、すなわち政府の借金は返済する必要がない。と聞いたら、あなたはどう思いますか。
 恐らく、そんなはずはない。政府の借金は、自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を押し付けるしかない、と反駁するかもしれません。

(中略)

 さて、意外に思われる方が多いと思いますが、実は政府の借金が伸び続けているのは、別に日本だけではありません。図1-1は先進七ヵ国、いわゆるG7諸国における政府の公的債務 (借金) 残高の伸びを比較したものです。1980年以降、長期的に借金が増え続けていない国が一つもないことが分かります。
 ごく稀に、例えば90年代後半のアメリカやイギリスのように、一時的に「政府の借金が減ってしまった」国は、確かにないことはありません。
 しかし、これらの国々にしても、結局、その後は政府の借金残高が増加に転じました。むしろイギリスなどは、ここ数年だけを見ると、日本を上回るハイペースで残高を増やしている有様です。政府の借金が1980年時点の14倍を超えてしまったフランスやイタリアは言うに及ばず、どの国も政府の借金を増やし続けているのが現実の世界なのです。
 さらにG7以外の国まで含めると、仏伊両国政府の借金の増加ペースでさえも、速いと断言することが難しくなってしまいます。G7以外の欧州諸国に限っても、仏伊両国を軽く上回る速さで政府の借金を増やし続けている国が複数あるのです。
 また、2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻、いわゆるリーマン・ショック以降、特に英米両国は景気対策のために財政支出を増やしています (日本もですが) 。
 例えばアメリカの場合、09年会計年度上半期 (08年10月~09年3月) の財政赤字が、およそ1兆ドルに達したと発表しています。このままのペースで財政赤字が増え続けると、09年通年の米国政府の借金は、何と2兆ドル (約200兆円) を超えて増加する可能性があるのです。ところが、米国政府の財政赤字の増加ペースに警鐘を鳴らすエコノミストこそいるものの、あちらのマスメディアは日本のように、
「アメリカ国民一人当たり、○○ドルの借金!」
 などと意味不明に煽ったりはしません。アメリカ国民にとっての米国政府の借金と、日本国民にとっての日本政府の借金との間に、何か違いがあるのでしょうか。なぜ、日本のマスメディアは、日本政府の借金の話題に触れるときに限って、殊更に、
「国民一人当たり、○○円の借金」
 などという表現を多用するのでしょうか。謎としか言いようがありません。
 逆に、世界のマスメディア (日本も含む) がアメリカ政府の借金について、「アメリカ国民一人当たり、○○ドルの借金」などと言わない点については、明確な理由があります。なぜならば、政府の借金は別に「国民の借金」ではないからです。
 ここで、ほとんどの読者の皆様は、
「ええっ!」
 と思われたかと存じます。
 しかし、改めてよく考えてみてください。日本政府が借りている「借金」は、地方政府分も含めると900兆円を超えており、確かに巨額ではあります。しかし、その莫大な日本政府の借金の「債権者」は、一体誰なのでしょうか。借金である以上、誰かが貸してくれない限り、日本政府は借りることができないわけです。
 あまりにも当たり前すぎ、書いていて何だか気恥ずかしくなってしまいます。しかし、日本のマスメディアやエコノミストが、こんな基本的なことさえも理解せずに「日本政府財政破綻論」を煽っているので、仕方がありません。
 日本政府が借りている900兆円を超す借金にも、きちんと債権者がいます。債務者である日本政府は、債権者である「誰か」からお金を借りているわけです。
 それでは、日本政府が借りている莫大な借り入れの債権者は、果たして誰なのでしょうか。
 答えは、読者の皆さんです。そうなのです。日本政府の莫大な借金は、実は日本国民の皆さんが貸しつけたものなのです。具体的には、日本政府が発行する「国債」を購入することによって。


 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない。政府の借金とは、国民が政府に貸したお金なのである。また、政府の借金が増え続けているのは、日本だけではない、と書かれています。



 政府の借金は返す必要がない、という主張には、さすがに「ええっ!」と思ってしまいます。そこで、考えてみます。



 公的債務 (政府の借金) であろうと、債務 (借金) である以上、返す必要があるのは当然です。

 したがって、おそらく著者の主張が意図しているのは、要は、「借金をゼロにする必要はない」=「破綻しなければよい」ということだと思います。つまり、たとえば新規の借り入れなどで、返済期が到来した債務 (借金) の返済がなされていれば、なにも問題ない、ということではないかと思います。

 「借金を借金で返す」というと、いかにも「危機」という感じがしますが、それはあくまでも、「借金はよくない」という発想が前提になっているからです。「借金はよいことである」と考えるならば、「借金を借金で返す」ことには、なにも問題がないことになります。



 それでは、なぜ、借金はよいことなのか。

 それを考えるにあたって、考えやすくするために、企業の場合を考えてみます。株式会社は、株主からお金を集めて事業を行い、利益を株主に分配することが仕事です。その場合、「借金がなければ」株主から集めたお金 (資本) しか、事業にお金を投入できません。しかし、ここで会社が借金を行えば、さらに効率がよくなります。

 たとえば、株主から 100 億円のお金を集めて 100 億円を事業に投入し、毎年 5 億円の利益をあげている会社があるとします。株主にとっては、5 %の利回り (=5億÷100億) であり、投資先として悪くありません。

 しかし、この会社が「無借金経営」ではなく、50 億円の「借金」をしていれば、株主から 50 億円のお集を集めるだけでよいことになります。その場合、この会社は銀行から借り入れた 50 億円と合わせて、合計 100 億円のお金を事業に投入し、毎年 5 億円の利益をあげることになります。もちろん、銀行借り入れには利子がつきます。そこで金利 2 %で年間 1 億円かかるとすれば、利益は 4 億円 (=5億-1億) になります。とすれば、株主にとっての利回りは、8 % (=4億÷50億) になるのです。

 利回り 5 %の会社と、利回り 8 %の会社を比較すれば、あきらかに、利回り 8 %の会社が魅力的です。とすれば、「無借金経営」はよいことではなく、「経営効率が悪い」ということである、と考えなければなりません。企業のトップが本当に有能であるなら、「無借金経営」を目指したりせず、「借金を抱えた経営」を目指すべきである、ということになります。



 これと同じことは、程度の差はあれ、国にもいえるのではないでしょうか。

 国の場合、利益にあたるものは税収 (から国債の利払い費や公務員の給与等を差し引いたもの) です。税収を増やすには、(税率アップで増税という手を除けば) 国の経済規模を拡大しなければなりません。つまり、GDPを増やさなければなりません。とすれば、

 「国が国債という借金を抱えたまま、GDPを増やすことを目指すのが、いちばんである」という話になります。つまり、「国の借金をなくすことを目指すのではなく、借金を抱えたままで、景気をよくすることが最善である」ということです。



 もちろん、国が破綻してしまえばお終いですが、日本の場合、税収が落ち込んだ現在でも税収は 30 兆円程度、利払い費は年間 10 兆円程度です。したがって当面、日本が破綻する心配はありません。とするならば、

 日本はもっと積極的に景気対策を行ってよいのではないか、と思います。



■追記
 「国の場合、利益にあたるものは税収」であるというのは正しくありません (訂正しました) 。利益にあたるものは「税収から国債の利払い費や公務員の給与等を差し引いたもの」ですが、文章全体の大きな流れ (主張) に問題はないと思います。

弁護士の質

2010-10-19 | 日記
 「批判の際には根拠を書いてください」について。



 反論、というか根拠の提示がないようです。

 おかしな話です。

 他人のブログをけなしておいて、根拠を示さない、というのでは、論外だとしか言いようがありません。



 根拠の提示がないので、私なりに推測すれば、おそらく、コメントされたかたの思考は、

   現在、司法試験合格者 (司法修習生) の就職は困難である。受け皿はない。
   それを知りもせずに、知りもしないことを知ったかぶりをして書くな

ということなのではないかと思われます。

 しかし、仮にそうであるならば、「過当競争とはいえない」と主張された「仙台の坂野弁護士の意見が間違っている」ということであり、私のブログの主張・論理がおかしいのではありません。

 「弁護士増員論の再検討」でみたように、坂野弁護士の主張・論理は「間違っている」うえに「むちゃくちゃ」だと考えられます。

 その坂野弁護士が、「過当競争とはいえない」という「間違った」主張をされたと考えるのが、自然ではないかと思います。



 もっとも、弁護士業界が「過当競争とはいえない」という坂野弁護士の主張は、間違ってはいない可能性もあります。なぜならば、

   弁護士業界は、いまだ過当競争とはいえないので「受け皿」はあるが、
   既存の弁護士は、利益を減らすことを嫌がって、
                  「受け皿」になることを拒んでいる

という可能性があるからです。

 仮にこれが事実であるならば、「弁護士 (…の大部分) はあまりにも身勝手である」ということになるでしょう。



 したがって可能性としては、次の二通りがあります。

(1) 坂野弁護士の弁護士業界は「過当競争ではない」という主張は「正しい」が、
  既存の弁護士の大部分が「あまりにも身勝手」であり、受け皿になることを拒んでいる

(2) 坂野弁護士の「過当競争ではない」という主張が「間違って」おり、
  坂野弁護士の主張が「一から十まで間違った議論」であり「むちゃくちゃ」である

 後者、つまり (2) の場合、坂野弁護士の「議論する能力」「論理的思考力」には「一から十まで」問題がある、ということにもなりかねず、坂野弁護士がキャリアの長い弁護士である (法曹増員以前の合格者である) ことを考えるならば、

   弁護士の増員とは無関係に、(一部の) 弁護士の質は低い

ということを示している、とも考えられます ( なお、関連記事として「弁護士増員と、弁護士の質の関係」があります ) 。



 これを要約すれば、

   「弁護士の増員とは無関係に、(一部の) 弁護士の質は低い」か、
   「弁護士の大部分はあまりにも身勝手である」か

のどちらかである、と結論されます。

弁護士増員論の再検討

2010-10-18 | 日記
 新しい記事を書きたいところですが、

 お前のブログの記事は「一から十まで間違った議論」であり「むちゃくちゃ」である、という批判 (というか見下し) がありましたので、この際、当該記事「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」の内容を再検討してみたいと思います。



一、合格者数減に対する坂野弁護士の推測と、それに対する私見

 坂野弁護士の推測は、

   受験者の成績がよくなかったので、司法試験の合格者が少なかったとされている。
   しかし、本当は 「受け皿」 に配慮して合格者を減らしたのではないか

であり、これに対する私見は、

   この推測が本当だとすれば、とんでもない話である。
   政府の法曹増員計画を前提に、
     数年間、授業料を払って法科大学院に通った人にしてみれば、
     「ふざけるな!!」 といったところでしょう。

   そもそも、「受け皿」 に配慮して合格者を減らすことには、
     「配慮された受験者」 にとって、なんの利点もありません。
     「合格したけど働き場所がない」状況と「合格しなかった」状況を比べれば、
     「資格だけはある」ほうが、よほど良いと考えるのが普通である。

です。

 この私の意見に対し、「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だと主張するためには、

   「合格しても働き場所がないなら、俺を不合格にしてくれ!」と
     司法試験の受験者が主張している、と証明する必要がある

と思います。

 現実問題として、受験者が、「合格しても働き場所がないなら、俺を不合格にしてくれ! 合格させないでくれ!」と主張するとは考え難いところです。現に、「新司法試験合格者数に関する嘆願書」が出されており、受験者は「合格しても働き場所がないなら、俺を不合格にしてくれ! 合格させないでくれ!」などと主張するどころか、私の推測通り「予定通りの人数を合格させてくれ!」と主張しています。したがって、受験者に配慮するなら (=受験者の意志を考慮するなら) 、「予定通りの人数を合格させるべきである」と考えることになります。



二、合格者数を減らすべきだとする坂野弁護士の主張と、私の批判

 坂野弁護士の主張は、

   受験者一人一人の人生がかかっているのだから、
   弁護士増員は直ちに見直すべきである、

であり、私の批判は、

   受験者は、「一人あたりの収入が減るかもしれない」 ことや、
        「一人あたりの仕事が減るかもしれない」 ことは、
     「わかったうえで、法科大学院に通い、受験している」 のであり、
   受験者のために、増員政策はやめるべきだという主張は、筋が通らない。

   本当に、受験者の人生を考えていれば、
     「一人一人の人生がかかっているのだから、
      予定通り、増員を継続すべきである。
      既存の弁護士の利益のために、増員を中止してはならない」
   と主張するのが当然である。

です。

 この私の意見に対し、「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だと主張するためには、

   司法試験の受験者がどう考えているかは、関係がない。なぜなら、
   受験者にとって何がよいかは、受験者本人にはわからないのであり、
   受験者にとって何がよいのか、本当にわかるのは、
     (坂野弁護士などの) 既存の弁護士だからである。

と主張する必要があると思います。

 このような主張は、「未成年者に対して」主張する場合などでは、認められる余地があります。しかし、司法試験の受験者は法科大学院を出ており、「どうみても、全員が大人」です。子供に対してならばともかく、大人に対して、「本人にとって何がよいかは、本人の意志・判断を考慮せずに決定すべきである」といった主張は認められる余地がないと思います。



三、弁護士自治についての坂野弁護士の主張と、私の意見

 坂野弁護士の主張は、

   司法改革を主張している日弁連は世迷い事を言っている。
   次の会長選挙でも司法改革論者が会長になりそうだが、
     強制加入はやめて任意加入にした方がよいのではないか、

であり、私の意見は、

   世迷い事を言っているのは、坂野弁護士のほうである。
     既存の弁護士の都合に配慮して、政府の方針を変えよ、
     受験者の人生計画を狂わせろ、と主張しているからである。

   日弁連の方針が気に入らないからといって、
     強制加入はやめて任意加入にした方がよい、などと書いては、
     「弁護士」に対する社会の信頼を失わせる。書かないほうがよい。

です。

 この私の意見に対し、「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だと主張するためには、

   弁護士増員 (法曹増員) は「間違っている」と主張する必要がある、

と思います。

 しかし、ここまでみてきたように、議論の流れをみるかぎりでは、坂野弁護士の「増員は間違っている」という主張に対する (私の) 批判は有効に成立しています。したがって、私の主張が「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だとはいえない、と思います。



四、弁護士業界の現状についての坂野弁護士の実感と、私の意見

 坂野弁護士の主張は、

   未だ過当競争になっているとは言えない現時点でも
   「金もうけにまい進する一部の人たち」はいる

であり、私の意見は、

   「未だ過当競争になっているとは言えない」とすれば、
   合格者の「受け皿」はあるはずであり、「働き場所」もあるはずである

です。

 この私の意見に対し、「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だと主張するためには、

   弁護士業界は未だ過当競争になっているとは言えないが、
   合格者の「受け皿」はない。
     または「受け皿」はあるが「働き場所」がない。

と主張する必要があります。

 過当競争になっていないのなら「受け皿」はある、という主張は、自然なものだと思います。また、「働き場所」もある、という主張も、自然なものだと思います。私の主張のどこが「むちゃくちゃ」なのか、私にはさっぱりわかりません。



五、 中坊さんに対する評価・呼称について

 坂野弁護士の主張は、

   中坊の大馬鹿者が2割司法などと言って自らを卑下して以来、
     弁護士はマスコミや世論(と称するもの)から、
     特権意識だなんだとバッシングを受け続けてきた。

であり、私の主張は、

   ( 弁護士増員を推し進めた ) 中坊さんが気に入らないからといって、
   「中坊の大馬鹿者」などと書くのも、やめたほうがよいのではないか。

   名誉毀損になりかねません。
   このような発言は、弁護士として、慎むべきではないかと思います。

です。

 これについては、すでに「批判の際には根拠を書いてください」に書いていますが、これについても

   私の主張は、「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だとは「いえない」

と思います。



 以上、再検討してみましたが、私には、

   なぜ、私の主張が「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」なのか、わからない

わけです。当該コメント者によって、「間違った議論」であり「むちゃくちゃ」だという根拠が提示され、議論に深みが出ることを期待しますが、根拠の提示がなければ、私の主張には問題がないものと判断したいと思います。