8月31日付 読売新聞編集手帳
風雅な茶会の席に緊張が走ったという。
京都仏教界の重鎮、立花大亀(たいき)老師が松下幸之助氏を面詰した。
「君のおかげで、
こんなに心がなく物ばかりの嫌な日本になってしまった。
君の責任で直してもらわねばならん…」
1975年(昭和50年)秋のことであると、
同席していた博報堂社長(当時)の近藤道生さんが
『茶の湯がたり、人がたり』(淡交社刊)に書いている。
松下氏は温容を崩さぬまま、
じっと考え込む様子だったという。
国家経営の人材を育成するべく「松下政経塾」を創設するのは、
それから4年後のことである。
第1期生の野田佳彦氏(54)が新しい首相に指名された。
大亀老師が嘆いた「心の不在」はそのまま、
政権交代後の鳩山、菅両内閣が国民の信頼を失ってきた原因でもある。
野田新首相が双肩に担う責任は限りなく重い。
松下語録に、
〈客の好むものを売るな。客のためになるものを売れ〉
という格言がある。
子や孫の世代に借金漬けの苦しみを押しつけることのないよう、
増税など国民の好まない政策も避けては通れない。
“経営の神様”が野田氏のために残したような言葉だろう。