かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

加津佐・野田小学校と二重トンネル

2012年01月27日 | 日記



今日は、1月27日 金曜日 天候は晴れ。
週末になりましたね。勤務していた頃は、この日が好きでしたね。土曜日が休みということもあったのでしょう。
私的なことになりますが、東京に住んでいた、今は亡き兄が「加津佐中学校付近はどうなっているのかな」とよく
口にしていました。帰郷する切符まで買いながら、病気のためその願いもかないませんでした。
 このブログは、風景のいいところだけを投稿しているのではありません。ふるさとを遠く離れた皆さんに「加津佐
の今」をお届けるするのが、大きな役目のひとつです。
 今日は、そんなわけで、「野田小学校」付近の景色をお届けすることにします。少し離れた花房から、撮っています。
体育館の屋根が緑なので、遠くからでもよく目立ちます。ここから見ると、少し高台になっているのがわかります。
 加津佐には、先住民の遺跡と言われる、4個所の貝塚遺跡があるのですが、この辺りは、野田・辻貝塚と呼ばれ
ています。かっては、畑の路傍の断面に、土器のかけらや貝殻類が見られたと聞きます。20年ほど前ですが、野田
小学校の近くで、発掘調査が行われたことがあります。そこからは、縄文式の土器が発掘された経緯があります。
その当時は、野田小学校の児童が、発掘現場を見学に来ていましたよ。
 このことから、加津佐には、紀元前2千年ごろから、文化の高い先住民が住んでいたと、郷土史には、書かれて
あります。今は、貝塚を説明しても、殆どその価値に気付く人は少ないのかも知れませんね。
 今、写真を撮っている場所は、トンネル栽培が多く見られます。馬鈴薯が作付けされてあるのは、見えるのですが。
畑のビニールの上に、また、2重にビニールが被せられています。トラックに乗った農家の方が通りかかられたので、
聞いてみたら、「二重トンネル」ということでした。なぜ、こんな設備をと、再度訊ねると「早く、収穫するためです」という
返事が返って来ました。まったく、農業に無知な私は、これだけでも勉強になりましたよ。でも、今の子どもたちは、社会科
副読本で、学習をしているのでしょう。もう少し、農作物に関心を持っていたらと思うと、反省しきりです。



女島近くの廃線跡から見た天草。ここだけ明るくはっきり見えたのです。
何となく、カメラを向けたくなりました。



自宅の玄関前の沈丁花の蕾。何だか今にも咲きそうですが。まあ~だだよ。