かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

加津佐・秋の小雨風景

2011年09月30日 | 日記

     

今日は、9月30日 金曜日 雨時々曇り。
9月も今日で終わり。9月中旬までは、残暑が続いていたのに、彼岸入りになると秋の気配、そして、今日は小雨模様の
肌寒さを感じます。夏から秋への移ろいを肌で感じた、ここ1ヶ月の気温の変化でした。
 さて、外は、今にも、雨が降りそうな気配。昨日も、ブログの更新ができなかったので、小雨になったのを見計らって
前浜にやって来ました。すぐに目に飛び込んできたのが、真っ赤な彼岸花。少し、似つかわしくない風景と思いながら
今日の風景は、これに決めました。でも、海をバックに咲く彼岸花。雨にぬれているせいか、赤の色が、とても鮮やかに
映えています。腕時計の針は、11時を指しています。
 さて、午後からは、雲仙で会議。車中から見る県道沿いや、田んぼには、彼岸花が満開でしたよ。冷え込みで、一気に
咲いたのかも知れませんね。雲仙に到着して、車から降りると、上着なしでは外を歩けないような肌寒さでした。
 これからは、いよいよ雲仙も、秋の紅葉シーズンに入るんですね。


               
              

              午前11時半の野田浜。満潮のため、海岸でいつも見る流木も、今日は海の中。


仲間と一緒に熊本ぶらり旅

2011年09月28日 | 日記

        

今日は、9月28日 木曜日 天候は晴れ。
早朝から、同窓生グループと一緒に、熊本ぶらり旅に出かけることにしました。どちらかというと
気ごころ知れた同窓生同士の“気楽な旅”ということですかね。
  歴史があるとか、ないとかにかかわらず、城郭はいつ見てもいいものですね。観光客用に、顔
だけをくりぬいた、武士の格好をした、撮影用スタンドがあります。これを見つけると、心理的にも
顔だけ出したくなりますよね。変装願望の表れかも知れません。
 私のお目当ては、平成20年に復元された、本丸御殿大広間を見学することでした。障壁画の
ある広間などは、見ごたえ十分でした。数ヶ月前に、佐賀城本丸御殿を見学していたので、違いが
確認できたのは、大きな収穫でしたね。かなりの広さなので、通り過ぎるだけの見学に終わって
しまいがちになります。事前に見学ポイントだけでも、調べておくと、見方も変わってくると思うの
ですが…。これも、佐賀城本丸御殿のガイドの方に聞いた話ですが、この熊本城本丸御殿大広間の
建設費用は50数億という、巨大な経費がかかってるんですね。
 歴史と城郭が好きな人にとっては、調べたうえで再訪すると、余計興味が増して、全国の城郭を
調べるきっかけになるかも知れませんよ。

       

     今日の通潤橋近くの風景です。放水のある日を確認して行くと、より迫力のある写真が
     撮れると思いますよ。


          

          橋の上も、歩いて行くことはできますが、下をのぞくと怖いですよ。
          高所恐怖症の方には、とても、お薦めできません。危険ですから。


ふるさとのバス停ー口加高校前

2011年09月27日 | 日記

         

今日は、9月27日 火曜日 天候は曇り。昨日よりも、朝から、気温が上昇しているように感じます。
先週から、病院の薬を服用しているのですが、なかなか喉の痛みがとれません。風邪にしては、熱もないし、咳も出ないし、体も
だるいという自覚症状もありません。とにかく、医者の処方された薬を飲み続けることにします。
 さて、久しぶりに朝のウォーキングに出かけることにしました。いつもの慣れたコースなので゜、ゆっくり歩いています。口加高校前バス停
近くに来ると、歩道横の法面が、綺麗に雑草が刈り取られ、彼岸花やツワが植栽されています。前を通るととても、良い気分になりましたよ。
ここのバス停も、島原鉄道が廃線になって、その代替え運行として、パスが走っています。今では、ここから、乗降する高校生が大変多くなって
います。
 下校時には、バスを待つ高校生で、あふれています。ここだけでなく、すぐ下のバス停もあり、分散するような形になっていますので、そう
、混雑するようなことはないみたいです。クラブ活動などで、遅くなる高校生もいますから…。
  でも、やはり、列車通学の高校生を、年中、見慣れてきたせいか、列車で通うのが、似合うような気もするのですが。試験間中でも、バス
の車中では教科書も広げられないでしょう。
 でも、高校生が、バスを待っている光景、なかなかいいと感じませんが。一日の勉強やクラブ活動などで、疲れているにも関わらず。
友達同士で談笑している姿をみると、とても、ほほえましく感じます。
 夕方の散歩の時に、下校する高校生が、よく声をかけてくれます。清々しくて、こちらまで嬉しくなります。私も「お疲れ様」と言って返事
を返します。教育方針かどうかわかりませんが、とても、よい伝統だと、感心しています。
  そうそう、この歩道の法面の植栽をされていたのは、かなりのお歳を召された高齢者の方でした。雑草を取り払い、彼岸花やツワを植栽
するのは、かなりの重労働だったのでは…。とても、丁寧な作業だったことをお伝えしときます。
  間もなく、花を咲かせる彼岸花やツワの花が、このバス停を利用する高校生の目をなごませてくれるでしょう。
それにしても、国道の中央をテーラーが走っています。少し危ない気もするんですが…。


                      
                       かっての「白浜海水浴場前駅」。今はこんなになっています。                                                                                       廃線になりましたという張り紙が駅であったことを物語っています。



   

   今日のサンボの途中で見つけた、野草の花たちです。
    写真左は「ホシアサガオ」  右は「ヒメジオン?」。  今、路傍でよく見かける花たちです。。

 



加津佐・今日は各小学校の運動会

2011年09月25日 | 日記

           

今日は、9月25日 日曜日 天候は曇り。
今、時刻は、午後2時。運動会が行われている加津佐東小学校のグラウンドに来ています。音楽やアナウンスなどから、運動会
独特の雰囲気が感じられます。町内では、一番規模の大きい、この東小学校でさえ、全学年の児童数は、200人を切る児童数
になっています。全学年の学級数も8学級とか。
 私の小学校時代の運動会とは、児童数を比べても、隔世の感がありますね。準備゜運動のラジオ体操などは、グラウンドいっぱい
に広がっていたように記憶しています。自治会別のテントも多くて、テントからは、人がはみ出すほどの、保護者の参観があっていま
したね。自治会対抗リレーなど、足の速い選手は、自治会の“花形スター”なみに感じられたものでした。でも、運動会は、一生懸命
頑張るという気持ちを、みんなが持っていたように思います。グラウンドに入場する時などは、緊張の面持ちでしたね。今みたいに
カメラなど余りない時代でしたから、小学校時代の運動会の写真は殆ど残っていないんですよ。
 でも、何といっても、運動会の楽しみは弁当。午前中の種目が終わると、校舎の割り当てられた教室で、昼食ということに。
母親の手づくり弁当には、稲荷ずしなどのほかに、季節の旬野菜の煮物がギッシリ。それが、ご馳走だったんですね。
 最後の、整理運動が終わり、家路に向かう時には、明日は休みということもあり、疲れとともに、何となく、充足感に包まれていた
ように記憶しています。


              

              私の小学校時代には、この木造校舎があるグラウンドで、「運動会」が
              行われていました。



              【今日の風景】

              

               権田バス停下の海岸。帰省する時、ここまで来ると「岩戸」が少し見えてきます。
               故郷に帰ってきたなという感じがしたものでした。

 

 

 

 


加津佐・シロサギと棚田

2011年09月22日 | 日記

         
         
    
今日は、9月22日 木曜日 天候は晴れ。
朝から冷え込みましたね。少し肌寒く感じます。もう、長袖の準備が必要になってきましたよ。
昨日、連れ合いが、スーパーでミカンを買ってきて、テーブムの上に置いています。運動会シーズンになりましたね。
25日には、各小学校、そして、10月2日には町民体育祭が開催されるようになっています。子どもの数などの
減少などにより、ひところの賑わいがなくなっているのが、少し残念な気もします。昔は、自治会対抗リレーなどは、
応援合戦が賑やかで、すごいものでした。旧町の頃は、町を挙げての一大スポーツイヘントでしたから…。
  さて、今日の撮影場所は? 何も、頭の中には、浮かんでこないのです。
そんな時には、とりあえず出かけるのが、私の流儀。でも、バイクを走らせていると、やっぱり稲穂が目に目に付きます。それならば
と、またまた、棚田にやって来ました。すると、白い鳥が飛び立ちましたよ。シロサキです。田んぼのあぜ道を、餌を探しながら
ゆったりと歩いています。しばらく付き合うことにしましたよ。時折、移動するたびに飛び立つのですが、優雅な飛び方ですね。
飛ぶにつれて、私の首も、ゆっくり回転します。お陰で、よい首運動になりましたよ。
 

  

  今度は、県道下の彼岸花の咲いているところに来ました・。花の周りには、蝶が飛び交っていました。
  ナミアケハとモンキアゲハと思うのですが゛、間違っていたら、ゴメンナサイ。

      
        

案山子ですよ。左の写真は、普通は、田んぼのあぜ道に立てられるのですが、まるで、山道から人が下っているように
見えます。動きのある案山子にビックリしましたよ。右の写真は、私には、洋風の案山子に見えるのですが…。黒と黄の
縦じまと赤の帽子が、目立っています。目立つことが案山子の役目ですからと、逆に言われそうです(笑)

     

 


加津佐・彼岸だからお寺の山門

2011年09月21日 | 日記

             

             今日は、9月21日 水曜日 天候は曇り。
            「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よくいったものですね。彼岸の入りになったと思ったら、
            すっかり秋の涼気になりましたよ。昨年は、猛暑の影響で、彼岸花が咲くのがかなり
            遅れましたね。今年は、彼岸に合わせて、綺麗に咲いているみたいです。やはり秋の
            季節の最初の彩りは、何といっても、彼岸花でしょう。
                彼岸と言うことで、水月地区にある蓮正寺山門前に来ています。このお寺が開創
            されたのが、慶安4年(1651年)。その後、文久3年(1863年)、この地区に起こった
            大火災により、堂宇や記録類すべてが、焼失した。ただ.、この山門だけは、火災の難
            を免れたといいます。その後、幾度かの修理を重ねながら、現在に至っています。
             この山門を見ると、開創された当時の面影を偲ぶことができます。
            私も、小さい頃は、祖父に連れられて、この山門を通り、お参りに来ていたものでした。
            何歳の頃だったのか、定かではありませんが、本堂下の階段近くに出店があって、
            綿菓子などが売られていたように記憶しています。もちろん、私のお目当ては、この
            小さなお店で、お菓子を買うことだったんですね。もちろん説教などわかるはずが
            ありませんから、お寺に遊びに行くような感覚だったのかもしれません。
            記憶の糸をたぐると、日曜学校なども、お寺で開設されていたように思います。
             お葬式などの読経を聴きながら、どういうお経で、どんな意味なのか、いまだに、
            わからないまま、年金年代になりました。若い時には「自力」、歳を重ねると「他力」。
            「自力本願」「他力本願」、今の私には、ふたつとも、とても大切なように思えるの
            ですが…。明日は、連れ合いと一緒に墓参り。予報では、明日はいい天気になり
            です。  

 
          
            
             参道入り口にお寺の掲示板がありました。
             そこには、詩人・榎本栄一さんの詩が書かれてありました。
             たまたま通りかかった人の後姿が、ガラス面に映っています。



          
         

          今、時刻は午後2時半。前浜海水浴場に来ています。
          台風の影響で、うねりがあるのかなと来て見たのですが、あまり影響は
          なさそうです。

                    波

                    日日のいろんな出来事は
                    この永劫の海の 寄せる波
                    どの波も
                    しみじみ尊して

           この詩も、詩人・榎本栄一さんの詩です。
           彼岸の日に、この詩に出会えたことに感謝します。  

           
           
       
            
 

            

 


加津佐・お殿様のお休み処ー下馬の松原

2011年09月20日 | 日記

      

今日は、9月20日 火曜日 天候は曇り。明け方は肌寒く感じました。昨日までの蒸し暑さが、まるで嘘のようですよ。
もう、秋の涼気と言っていいのかも知れませんね。
 さて、朝起きた時、喉の痛みがあったので、午前中は病院を受診しました。最近、免疫力が落ちたのかどうかわかりませんが
風邪の治りも、長引くようになってきました。それだけ、体力も落ちてきている証拠かも知れません。
 さて、今日は、台風の影響で、名古屋市など、局地的な大雨災害が発生しているようですが、加津佐は、風はすこし強いものの、
雨が降りそうな気配はありません。
 今、時刻は午後2時。かって、k病院があった高台から、下馬松を見ています。昔は、海岸と並行して、松並木があったのですが、
今は、その面影もありません。下の写真で、その当時の松並木の様子がわかると思います。
  下馬松の地名は、その昔、時の領主有馬公が、菩提寺への参拝のおり、ここで下馬され、御休みになられたことから、この名前
がついたといわれます。下の写真の説明には、こんな風に書かれています。「内外人の来遊者多き 下馬の松原海水浴場」と。
   殿様も、ここからの眺めには、さぞ満足されたのではないていでしょうか。でも、ここからの眺めは、今も昔も変わっていませんね。
 小学校時代には、ここの曲がった松に登ったりして、よく、道草をしていました。格好の遊び場だったんです。
   それにしても、何だかホッとする「居場所」と思いませんか。


        


                          【今日の加津佐】 

               
                 午後3時頃の前浜海水浴場。青空も覗いていました。


                       

                      今年の夏は、私は「アサガオ」を見かけませんでした。
                      でも、今日、下馬松近くの「土瀬戸橋」近くに群生して
                       いた「リュウキュウアサガオ」を見つけました。




                      


加津佐・海が奏でる風景

2011年09月19日 | 日記



  今日は、9月19日 月曜日 天候は曇り。
敬老の日ですね。新聞記事によると、全人口に占める65歳以上の人口は、約23%とか。関係ないと思っていた
我が身にも、4人に1人の高齢者の仲間入りまで、あと、数年になりましたよ。同窓生同士の話しでも、話すことは
年金と健康のことが多くなりました。でも.、どちらかと言うと、健康に関する話の比重が大きいですけどね。
 朝から、蒸し暑くて、すっきりしない空模様。でも、4時近くになって、ゴソゴソと野田浜まで、散歩を兼ねて出か
ける事にしました。地平線上に浮かぶ雲も、何だか怪しい空模様になっていますよ。とても、写真を撮る気分に
なれません。
  海岸に降りると、まだ紫色の「ハマゴウ」の花が咲いています。せっかくだから、花の写真でも撮ろうと思って
座り込んで撮り始めました。砂の上に尻もちをついた時、手にやさしい砂の感触が。何だか砂の上に指文字を
書いてみたくなりました。あの懐かしいメロディが頭の中で聴こえてきました。パットブーンが歌う「砂に書いた
ラブレター」。懐かしいですね。あのバラード調のメロディ。その頃は、英語の歌詞よりも、メロディが体にしみ込んで
来るんですね。この曲がかかると、もう“恍惚の世界”ですよ。それほど、何回も、何回も、ドーナツ盤をかけていました。
何だか、半世紀前のポピュラー音楽の話になってしまいました。
 やはり、音楽と言えば、秋がいいですよね。気持ちまで、澄んできそうですから。
ここまで書くと、何だか、60年代からのポピュラー音楽を聴いてみたくなりました。もちろんクラシックも。
名曲アルバムも開いて見たくなりましたよ。
  今日は、9月17日に撮影した風景を“海が奏でる風景”としてお届けします。


              

                 砂の上に。指文字で“かづさ”と書いてみました。


   

 

 


南島原・殉教の祈りの地ー有馬川殉教巡礼地

2011年09月18日 | 日記



今日は、9月18日 日曜日  天候は曇り。今日も、蒸し暑い一日でしたよ。
今日は、午後から仲間のみなさんと一緒に、かって、天正少年使節も学んだとされる「セミナリヨ」があった
北有馬に来ています。世界遺産暫定登録されている「日野江城」がある地でもあるわけですが…。
 長年有馬の研究を重ねてきた、ガイドのSさんの案内で、かってローマに「長く美しい通りと」と報告された
中通りを歩きます。通りには、天井絵がある願心寺があります。堂内に入ると天井の267枚の絵に、皆さんも
ビックリ。中には、猿が素麺を食べているユニークな絵などがあり、そんな楽しい絵を探すのも面白いかも
知れませんね。ほかにも、古風な門構えの家も見ることができます。そして、この辺りの字は「門前町」とか。
Sさんの話では、昔はこの通りをバスが走っていたそうです。昔と言っても、昭和時代でしょうけど…。
ボンネットバスが走っていた頃なんでしょうね。
  さて、通りを一巡した後、有馬川の殉教地にやって来ました。この地では、1613年、棄教を拒む、キリシタン
への見せしめとして、有馬の家臣3人ととその家族の計8人が、火あぶりの刑に処せられた地と言われます。
  説明板には「見せしめのはずの処刑は、2万人の人が見守り、かえって人々の信仰を強くさせたとして、翌年の
禁教令を発令させる誘因の一つとなったという」と書かれています。
   厳しいキリシタン弾圧にも関わらず、キリシタン信者であることを告白し、拷問にも耐えて死んでぃった背景に
何があるのか、「殉教」そのものについて、少し学んでみたいという気になった、殉教跡地でした。

    ※殉教跡地の写真は、数日前に撮影したのを使用しています。

          【今日の北有馬写真】


             
               日野江城本丸後から原城跡を望む。

             
               セミナリヨ跡地近くに咲いていた「酔芙蓉」の花


老夫婦と稲の掛け干し

2011年09月17日 | 日記

          


今日は、9月17日  土曜日  晴れから曇り。朝からは、青空が広がりましたが、午後からは曇り空。
昨日の温泉のせいか、朝の目覚めもすっきり。そのせいか、体調も良くなったような気がします。
  さて、朝の青空を見ていると、やはり出かけたくなります。と言うことで、早崎方面へ、バイクを走らせました。途中、稲の掛け干し
作業に忙しい老夫婦を見つけました。畑には、コンバインで刈った稲束が散在しています。それを腰の曲がった老婦が、何束か
手に持ち、掛け干し作業をしている老夫の所に運んでいます。年に一度とはいえ、老夫婦にとっては、何十年も続いている作業
なんでしょうね。
  子ども時代の稲刈り風景を思い出しましたよ。昔はコンバインとかない時代でしたから、ノコギリ刃のような鎌で、稲を刈ると、
ザクッ、ザクッとした音がしていました。でも、子どもの力では、とてもそんな音は出ませんでしたけどね。
  その後、刈り取った稲を束ねる作業がありましたね。子どもの私には、その作業はむずかしく、もっぱら、その稲束を、祖父が
掛け干ししているところまで、運んでいました。祖父は、孫の私が差し出す稲束を、嬉しそうに受け取りながら、組んだ木のウマに
掛けていました。今は、その祖父との想い出も、遠い想い出となってしまいました。
 これから、いよいよ、本格的な稲刈りシーズン。田んぼに、黄金色に染まった稲の掛け干しが見られるのも、もう間もなく。
掛け干し作業に忙しい老夫婦にお礼を言って、その場を後にしました。
   

             
                 口之津・瀬詰崎灯台  灯台のすぐ近くを船が通過していきます。
 

            
                                            加津佐・崎谷バス停近くで見つけた彼岸花

 

 

 

 

 

 

 

 

  


敬老の日を前にした小咄

2011年09月16日 | 日記

          


 今日は、9月16日  金曜日  天候は曇り。残暑が続いたと思ったら、台風の影響なのか、雨模様の天気。
でも、農家にとっては、恵みの雨ではないでしょうか。加津佐では、散水をしながら、馬鈴薯の植え付けをされて
いましたからね。
  今日は、朝から体調がすぐれませんでした。少し、喉が痛いので、風邪かもしれませんね。湿気があるのか、
ベタベタした感じがします。こんな時には、気分的にも、さっぱりしようと思い、近くの温泉に出かけることにしま
した。玄関入り口には、〇〇寿会と書かれた看板が立てられています。そうそう、19日は敬老の日なんですね。
どこかの老人会の団体客なんでしょう。
  さて、湯上りのさっぱりした気分になりましたよ。連れ合いが、入浴中の事を話してくれました。湯船の中で゜。
その団体客らしき老婦人が、連れ合いに訊ねたそうです。「ここはどこ」と。とっさのことで、連れ合いは長崎県
ですよと答えたということなんです。おまけに、「ここは温泉?」と尋ねられる始末。そして、落語ではありませんが
オチがいいですよね。「こんな海岸に温泉があるはずがない」と。この話を聞いて、笑っていいのか、呆れていいのか
考え込みましたよ。「温泉」に来て「温泉であるはずがない」という否定的な発想、もう少しで大笑いをするところ
でしたよ。
  さて、今日は、そんなことで、外に出かけることはできませんでしたので、先日、「雲仙」に行った時の写真を
お届けします。「水引草」と言います。見つけた時に、名前がわからなくて、そのままにしていたものです。
見つけた時は、余り気にしていなかったのですが、近づいてよく見ると、深紅の小花が、とてもきれいだったので
撮っていたものです。米粒みたいな、可憐な花が可愛いですね。祝儀袋の水引に似ているところから付けられた
名前だそうですよ。これからは、ルーペを持っていくことにしましょう。
  「敬老の日」の祝儀袋と言うことで、これも、オチとしときましょうか。

 


加津佐・修学旅行生の民泊農業体験。

2011年09月15日 | 日記

        

今日は、9月15日 木曜日  天候は晴れ。また、また、暑い残暑の1日となりましたよ。
昨日から、農林漁業体験民泊事業として、広島県の中学校からの修学旅行生が、南島原市を訪れています。
南島原氏は、修学旅行生を受け入れる宿泊施設が少ないことなどから、受け入れは殆どなかったのですが、
今回、市で初めての修学旅行の受け入れとなりました。
  訪れたのは、広島県大竹中学校の2年生83人。昨日の入村式が終わった後、農林漁業者の20軒の受け入れ
家庭に分宿し、2泊3日の予定で、農林漁業の体験をしながら、交流を深めようというもの。
  今、加津佐で受け入れをした、小松のkさんの畑に来ています。畑では、秋馬鈴薯の植え付けが始まろうとしています。
最近では、農業機械による植え付けが、殆どのようで、余り人の手による作業が少なくなっています。この日も、機械に
よる植え付けがなされています。一人の中学生が、kさんの操作する耕運機と並行して歩きながら、馬鈴薯がスムーズに
流れているかをチェックしています。終わった後、その生徒に聞いて見ると、自分が住んでいる町には、馬鈴薯は作付け
されていないとの事でした。これだけでも、彼にとっては「驚き」の体験ではなかったのでしょうか。
  休憩タイムに入り、子どもたちはすでに、日差しを避けるために、青いテントの下に集まっています。kさんの奥さんが
飲料水、御菓子、果物などををいっぱい抱えて、持ってこられましたよ。奥さんにとっては、自分の孫と同じ年齢ぐらいの
生徒たちは、とても可愛いのでしょう。 
 しばらくすると、南島原市の国際交流員で、イタリア出身のスペッキオ・アンナさんも合流。アンナさんの素敵な笑顔と
流暢な日本語に安心したのか、ニコニコ顔に。思いもかけない異文化交流もできたようですよ。
  この修学旅行生の民泊事業には、来年度には、10校、1.671人の予約がすでに入っているそうですよ。
世界遺産の原城や日野江城などの歴史遺産、そして世界ジオパークのジオサイトにも恵まれた南島原市。
修学旅行生だけでなく、一般の観光客も利用して欲しいですね。
   


      
                                   馬鈴薯の植え付けは、機械で、こんな風にしてやるとは知らなかった。


     
                       午前11時。 Kさんの畑からの眺望。 

   


「さやんごしんさん」への願いー佐代姫神社

2011年09月14日 | 日記

                   

今日は、9月14日 水曜日  天候は晴れ。なかなか残暑が遠のいてくれませんね。もう、9月の中旬に
なりましたよ。四季の移り変わりが、はっきりしなくなったような気がするのですが…・
 朝起きて、玄関の郵便受けを見ると、農協からの広報誌が入っていました。何気なくページをパラパラと
開いて見ていたのですが、あるページに目が留りましたよ。そこには、神社の写真と名前が載っていました。
  その神社の名前は、「佐代姫神社」。なぜ、この地に、この名前を冠した神社があるのか、こんなことが頭
に浮び出すと、もう、確かめたくてしようがありません。
 「佐用姫」伝説は、佐賀県の唐津市が、よく知られています。それにちなんだ「言い伝え」もあると聞いて
いたので、この地と何か結びつきがあるのか、素朴な疑問が湧いていたのです。
 早速、連れ合いと一緒に、その地北有馬まで出かけることにしました。場所は、セミナリヨ跡地を通り、日
野江城入り口を通り過ぎ、少し行ったところにありました。赤の鳥居があったので、すぐわかったのですが
日差しはあるものの、少し薄暗く感じます。
  近くに設置されている、説明版を見ると、最初に飛び込んできた文字が、何と「さやんごしんさん」と。
ということは、一般的に言えば「性の神さま」または「子孫繁栄の神さま」につながりやすいですよね。
悲恋の佐代姫には、ほど遠いような気がします。これだけでは、謎は解けそうにありません。
  説明板には、このように書かれていました。
   「古老の言い伝えによれば、敗戦流浪中の姫、疲労のため、一歩も進めず、悲恋の切ない
     思いを残して、、ついにこの地にて、従者の手にかかって死す」 と。
これで、謎は解けましたよ。つまり、悲恋の思いで、なくなったという事ですよね。このことが、佐代姫神社に
なったという、由来かも知れませんね。
  早速、御参りをすることになりました。堂内の片隅には、「立派な男性のシンボル」が。
よかった。連れ合いと一緒に来て。二人並んで、心をこめて「夫婦円満」をお願いしました。
 御参りしたあと、連れ合いが独り言のように、近くの木を見て言いましたよ。「銀杏の木も、二本一緒じゃ
ないと実がならないのよ」と。
 含蓄のある言葉に、一瞬ドッキリ。でも、そこは男。笑いでごまかしている私がいました。
 

        

堂内の様子です。千羽鶴も見えます。あらゆる願いを聞き入れてくださる「神様」なんで
しょうね。これだけでは、わかりづらいと思いますので、再度、説明板から引用させてもら
います。
  「…また、男根を奉納して、供養祈願すれば、世俗のあらゆる願望が叶えられるといわれて
近郊の信者をあつめ、殊に毎月3の日は、参詣者も多く、特に婦人にあがめられている」と。


加津佐・夏の海から秋の海へ

2011年09月13日 | 日記

               

今日は、9月13日 火曜日 天候は晴れ。今日も、残暑は感じられるものの、幾分、しのぎやすくなったような気が
します。
 今、時刻は、午後2時。下馬松海岸に来ています。海は、とても穏やかな表情をしています。渚を歩いていると、波紋が
とてもきれいです。大潮の干潮のせいか、渚が広く感じます。 今日は、それぞれの“今”の海岸の様子をお届けします。

        
 
誰もいない海です。前浜と、野田浜の“渚のウォーキング”。時間的にどれくらいかかるのか、今度、ゆっくり歩いてみたいと思います。

                

松林の散策道の下にベンチが設置されています。海風に吹かれながら、ぼんやりと海を眺めるのもいいかも知れませんね。
渚では、海鳥が何かを話しているようですよ。「だいぶ。涼しくなったね」と言っているかも知れませんよ。どんなことをしゃべっているのか
想像するだけでも、楽しくなります。  

                          【夏の思い出風景】

                               

                           懐かしい夏の子ども時代が想い出された光景でした。

     

今年も、多くの海水浴客が夏の前浜を楽しんでいました。         夏の夕日が、こんなにも、心落ち着くのかと感じた、しばしの時間でした。



 





     


聖母マリア像なのか?ー青面金剛

2011年09月12日 | 日記

              

今日は、9月12日  月曜日  天候は晴れから曇り。初秋の足あとが 、少し遠ざかったような暑さ。
午前中は、澄んだ青空が広がりましたが、午後3時過ぎると、にわかに厚い灰色の雲が。これが秋の
空ですかね。
 先日、北有馬に行った時に訪れた「青面金剛像」です。この地域の人は「庚申様」と呼んでいます。
先日のブログにも書きましたが「庚申」「猿田彦」「道祖神」とは、本来全く関係のない別々の信仰で
あったものが、いつの間にか、路傍にあるだけで、一緒になってしまったとも。
  普通、「青面金剛像」と言えば、怖い顔をした像を思い浮かべるのですが、この像には、その雰囲気
が感じられません。それどころか、像の前に立つと、とても穏やかな印象を受けます。
 この像は、、聖母マリア像をかたどった隠れキリシタン碑ではないかと言う、キリシタン研究家もおられ
るとか。 
 庚申は、もともと中国から伝わったもので、人間の体の中には「三し虫」と言うのがいて、人間の悪事を
こっそり、天の神に告げるという。それで、人々は、その虫が抜け出さないように、一晩中寝ないで見張っ
ているという習慣がありました。それが、日本に伝わって、人々が「庚申の日」に集まり、世間話や講談
などを語り、夜を明かす「庚申講」になったといわれます。
 いずれにしても、この像は、キリシタン関連とも含めて、興味深い像であることに変わりはありません。



             

               加津佐町内には、「庚申」は民家の庭の隅に、ただ、1基あるのみ。  




【今日の加津佐の風景】
     

 加津佐東小学校の放課後の様子。もう一枚は、花房の上の方で見つけた竹林。加津佐には竹林は少ない
のですが、秋空にとても似合っています。