かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

山頭火も見た風景

2010年06月27日 | 日記
今日は、6月27日 日曜日。・天候は曇り。
今、午前9時。岩戸バス停前にいます。やっと加津佐の「今」をお届けする事がで
きました。
 漂白の俳人・山頭火も、ここを通ったんですね。昭和7年2月12日の「行乞記」
に、こう書いています。「けふも日本晴、まるで春。行程五里、海ぞひの美しい道だ
った、加津佐町、太田屋(三〇・中)ーそして、続けてこうも書いています。「此町は
予想しない場所だった。町としても風景としてもよい、海岸一帯、岩戸山、等、等
途中折々榕樹を見出した。また、唐茄子の赤い実が眼についた。」
 榕樹はアコウのことを指しているのでしょう。そのアコウの木は、写真の右側に写
っています。まるで、岩にしがみつくような強い生命力を見せています。アコウの木
の群生は隣町の口之津町でも見ることができます。ちなみにアコウは、「市の木」に
もなっています。
 日記では、30銭で中程度の太田屋に宿泊したことになっていますが、その太田屋
の所在地がわかりません。口の津町に宿泊した朝日屋の場所はわかっているのです
が・・・・。
 惜しいことに、加津佐を詠んだ句がありません。でも、山頭火にとって、加津佐町は
きっと海沿いの美しい町に映ったことでしょう。訪問から、すでに78年の月日が流れ去
ろうとしています。

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1 コメント

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Unknown (suiren)
2010-06-27 16:17:31
こんにちは。
山頭火といえば、
夫が山口で赴任していた時に「防府」を訪ねて
生家跡から宮市の裏を抜けてゆく母校松崎小学校への通学路~「山頭火の小径」を散策したことがあります。
市内には76の句碑が残されていますね。
放浪の俳人らしく加津佐町へも立ち寄られていたのですね。
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