かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

5月最後の熊本散歩

2012年05月31日 | 日記



今日は、5月31日 木曜日  天候は曇り。
昨日は、加津佐町から深江町に点在するキリシタン墓碑を見るために、岡山県から4人の観光客の方が、加津佐
を訪問されました。今までは、加津佐の天辺の丘にあったとされるキリシタン学校のセミナリヨ・コレジヨ跡や、天正
遣欧少年使節が持ち帰った印刷機の復元模型〈加津佐図書館に展示〉を見るために訪れる方はあったのですが
キリシタン墓碑だけを見学とは意外でした。
 早速、加津佐の須崎墓地と野田浜にあるキリシタン墓碑を案内説明の後、口之津の白浜にある切支丹墓碑も
案内し同じように説明しました。その後4人の観光客と同行して、深江町までのキリシタン墓碑を見て回りました。
それぞれ各旧町では、墓碑に詳しい案内人が説明を担当します。そこで感じたことは、旧町だけの歴史事項で
あったのが、各町につながる面として浮かび上がってきた事でした。歴史は、つながってこそ、改めて意義がある
ということがわかりました。このキリシタン墓碑ひとつをとっても、年代的につながる事は、同じような歴史的史実が
存在しているという意味にもなります。当たり前かも、しれませんが、私にとっては、視点が幅広くなったように感じ
ました。
 昨日の事はここまでで、実は、先日の新聞折り込みチラシの中に、旅の案内が掲載されていたのですが、その中
に、1300円〈往復〉で熊本まで行けるという見出しが目に留りました。いまどきこの値段で熊本まで行ける、本当
かなと思ったのが始まりで、利用してみたくなったのですよ。予約をしたのが今日の日でした。
 8時10分の島原港発ということで、朝早く自宅を出発しました。出発時刻になると、貸し切りのマイクロバスが
ターミナルに横づけになりました。乗車後、フェリーに乗船。高速フェリーなので、30分後には熊本港に到着。乗換
えなしで、そのまま、熊本駅に向かいます。新幹線開業に合わせて、新しい道路が出来ていました。時間も15分で
着きましたよ。熊本駅に着いたのが9時半ですから、島原港が8時25分のフェリー出発から、1時間で着いた事に
なります。着いた途端、今までの熊本駅のイメージとはかけ離れた、ビックリするぐらいモダンな駅舎に生まれ変わ
っていました。駅の周りには、宿泊用の高層ビルが乱立しています。新幹線効果をまざまざとみたような気がします。
 熊本駅から、市電で熊本城に向います。熊本城は、前にも来たことがあるので、城の下にある物産館に立ち寄り
その後熊本の繁華街の下通りなどを散策しました。
 書くと長くなるので、これぐらいでやめときますが、1300円で熊本散歩ができるなんて、熊本が一気に近くなった
ような気がしましたよ、
 帰りには、手渡された無料コーヒー券を使用して、ラウンジで、冷たいソーダー水を飲みながら帰って来ました。
これでまた、熊本への“散歩の旅”の楽しみが増えましたよ。



ちょうど新幹線ホームには、列車が入ったところでした。




熊本城下にある物産館。食事処や土産品店が軒を連ねています。



熊本の繁華街。下通り。かなり広いアーケード街が長く続いています。

     

     この暖簾を見ると、つい入りたくなるラーメン店。
     昼食はここで摂りました。久しぶりに半玉追加。大丈夫かな~。
     最近、体重が又増えてきているのです。





アーケード街には、このように水蒸気が…。気温がある程度上昇したら、
自動的にこのようになるんですかね。



帰り葉、このバスで帰って来ました。乗客は、私たち夫婦と同年代らしき夫婦
一組の計4人でした。同乗したガイドさんによると、先週の土曜・日曜は満席
だったとか。


今日の加津佐の町並み

2012年05月28日 | 日記



今日は、5月28日 月曜日 天候は晴れ。
昨日に続いて、晴れの日差しの強い1日になりました。暖かいというより、もう暑いという感じです。
今日も、朝の目覚めがスッキリしません。眠気がなかなか抜けないのです。
体内時計をリセットしようと思って、玄関を開け、朝の光を浴びることにしましたよ。昨日の初夏の強い日差しを浴びた
せいか、疲れが残っているような気がします。
 朝食を摂った後、部屋の衣替えをすることにしました。部屋の片づけをしながら、敷物を夏の敷物に取り換えます。
連れ合いは段取りがいいのか、テキパキと掃除機をかけたり、拭き掃除などで、見る間に片付けていきます。子ども
時代からの、掃除の仕方が身についているのでしょう。私の方は自分の部屋だけにもかかわらず、なかなかはかどり
ません。本も積ん読、資料も積んどく、置いとくタイプなので、いざ片づける段になると、要るもの、要らないものの分別を
するので、余計時間がかかるのですね。
  性格的なものもあるので、片付けの本を読んでも変わらないと、今ではあきらめています
でも、片付いた部屋を見ると気持ちまで軽やかになって来ます。部屋の風通しがよくなったような気さえします。
 掃除の途中、今日の加津佐を撮りに行くことにしました。いい天気なので、今日は遠景もはっきり見えるのではと思った
のですが、霞がかかったようになっています。最近、鮮明な風景写真がなかなか撮れません。雨が降ったり、風が吹いた
時などは、天草や長崎半島がよく見えていたのですが…。
 でも、このブログは、故郷を離れ、遠くに住む人たちに、加津佐の風を感じてもらえればと思って、写真や文で、加津佐
の今をお届けしています。上の写真は、今日の正午頃の加津佐の町並みです。
 部屋の衣替えが終わったのは、午後4時近く。汗を流しに原城温泉まで行ってきました。自宅に帰ってきたのが、もう
5時を過ぎていました。今日の我が家の平凡な一日は、衣替えの一日となりました。

                  

                 自宅の庭には、アロエの花が咲いています。普通は
                 11月頃の寒い時期に咲くのですが…。我が家の
                 アロエは気が早いのですかね。(笑)


初夏の雲仙

2012年05月27日 | 日記



今日は、5月27日 日曜日 天候は晴れ。 
連れ合いは友達と深江で食事会ということで、11時近くに車で外出。五月晴れとは行かないまでも、今日は
久しぶりに、強い日差しが降り注いでいます。
 さて、クラシックカーが勢ぞろいするイベントがあるということで、雲仙まで出かけることにしました。
レトロな車が展示されているのかなと思ったのですが、ナンバーが付いています。ということは、現在でも公道
を走っていることになるんですね。だから、イヘントの名称もクラシックカーミーティングになっているんですね。
年式を見ると、昭和40年代の車も出展してあります。青春映画に出てくるようなスポーツタイプの車です。
その当時の若者には、あこがれの車だったのでしょう。
 会場の近くの駐車場には、大型バイクが駐車しています。バイクの知識にも疎い私でも、このバイクの方が
見ごたえがあるような気がしました。ライダーは意外と私たち団塊の世代かもしれません。
 やはり、その当時の車の歴史やメカを知っていないと、単なる懐古趣味におわり、クラシックカーの価値が
わかるはずないですよね。
 さて、せっかく雲仙に来たので、新緑の白雲の池に立ち寄ってみました。雲仙の山々は、今日は少し霞んで
みえます。でも、湖面に新緑が映えていて、とても清々しい気分になりましたよ。
 しばらく、池の周りを散歩していると、観光客のグループの方から、記念写真の撮影を依頼されました。
手渡されたカメラを手にもつと、前のめりになるぐらいレンズが長いんですよ。少し戸惑いましたよ。
撮った後心配になったので、カメラの所有者の方に言いました。「撮れていますか?」と。
 帰る時、いつものカモがいないかなと思って、手をたたいたら、泳いできました。えさをやらないと感じたのか、
さっさと、もと来た方へ泳いで行きましたよ。つれないな~。
 雲仙の山々はツツジがおわり、これからヤマボウシの季節になるんですね。



会場には、クラシックかーファンの方が多く入場していました。



映画「ALWAYS三丁目の夕日」に出てたような軽トラック。



映画「若大将シリーズ」で見たようなスポーツタイプの車。



会場の駐車場に駐車してあった大型バイク。所有者は本当に、若い時から
バイクが好きな方だったんでしょうね。…と想像します



今日の温泉街の地獄(道路沿い)。日曜日にしては、観光客はそんなに
多くありません。

 《今日の.加津佐》



いつも遠景ばかりなので゜、今日は近づいて撮影した岩戸山。


森の喫茶店のバウムクーヘン・スィーツカフェからこ野

2012年05月26日 | 日記





今日は、5月26日 土曜日 天候は曇り。
昨夜は、同級生グループと、加津佐ではすっかりホタルの名所となった、西越崎の
ホタルの里近くで、同級生グループとホタル鑑賞も兼ねて飲み会。その中に同級生の
岩永君が手際よく、鉄板で「焼そば」を調理しています。何を隠そう、彼こそ、ホタルの里
づくりの仕掛け人のひとりなのです。「一年に一回この地区が賑やかになる時だから」と
笑っていましたが…。昨夜は、次から次に、ホタルの観賞場所近くの道路に車が横付け
されます。何と、愛知県の明石市から修学旅行で訪れ、加津佐の農家に民粕している
中学生も訪れていました。ホタルを見るのは初めてだったとか。とても、いい想い出に
なったんでしょうね。
 今日も、朝から曇り空、いつになったら、五月晴れになるんでしょうね。予報が当た
らない変な天気が続きます。
 前置きが長くなりました。先ごろから、リニューアル・オープンの案内状を頂いていた
「スィーツカフェからこ野」を先日訪れました。オーナーの長谷川武雄さんとは、もう30年
以上の縁があります。陶芸家で、デザイナーである長谷川さんは、加津佐にも深いかか
わりがあります。30数年前、「焼き物教室」の講師から、講座終了後、グループとなった
「加津佐焼きもの同好会」の指導を現在も続けておられます。
 カフェの切り盛りをするのは、長谷川さんの奥さん。訪れると、いつもの明るい元気な
笑顔で迎えていただきました。明るい雰囲気に、私たち夫婦は圧倒されそうです。
前は、ギャラリーカフェだったのですが、今回は新しくスィーツカフェとしてオープンされた
んですね。それも、パームクーヘンのお店として。もちろん、今まで通り「花ロールケーキ」
もメニューの中にあります。
 女性だけが、甘いもののファンではありませんよ。私も、リタイアーしてから、甘いものが
すっかり好物になってしまいましたよ。糖分は年齢的にも、控えた方がいいと思いつつ、
甘い物を食べたくなります。特に、昼食をとった後などに、欲しくなりますね。
 場所がどこでもいいというわけではありません。甘さのほかに雰囲気が欲しくなります。
音楽が流れ、木立ち、鳥の声など、自然が体感できる事が、一番の条件かも知れません。
それだけだったら、どこにでもあるかも知れません。でも、長谷川さんがデザイナーである
事から、器、室内装飾、小物などのすべてが、やすらぎの空間として生かされています。
白磁のプレート皿にもやさしい緑のアクセントがあり、食べる楽しみを伝えてくれます。
 早速、私たちが注文したのは、「からこ野スィーツランチセット」。フォークとスプーンが
四角の白磁の受け皿に置かれています。ランチプレート皿と、とてもバランスがいいですね。
ランチというよりも、スィーツを楽しむためのランチと言ってもいいかも知れません。ランチが
スィーツを引き立てるということでしょうか。パンは、手づくりの本格的なもの。
 ランチで満腹になったところで、お目当てのスィーツ・バウムクーヘンを口に運ぶ。
サクッとした歯ごたえの中に、甘さがふわっと広がります。甘さの口福感でしょう。
 ランチを食した後、お客さんもいなかったので、長谷川さんの奥さんと楽しいおしゃべり。
とにかく明るい。暇な私たちが元気をもらうほどでしたよ。私と同じ年齢で「バウムクーヘン
工房」を立ちあげた奥さん。その勇気と心意気には、心から拍手を贈りたくなりましたよ。
 これからの季節、森山・唐比のハスの花を愛でた後、甘いものが欲しいなと思われた時
には、ぜひ、足を運んでいただけたら…。
 ケーキセット(本日のケーキセット・花ロールセット・森の山バウムセットなど) 600円
 からこ野ランチセット(写真上のケーキセット+写真下のランチ)         980円




 店内は、シンプルな中にも、ゆっくりおしゃべりが出来る広い空間があります。



店内には、お持ち帰り用のバーウムクーヘンも販売されています。

 

「スィーツカフェからこ野」の外からの全景          風が通り抜けるテラス
   


 店の近くには、山アジサイの花が咲いていました。

     《今日の加津佐》



5月30日に岡山県・倉敷市から、加津佐の切支丹墓碑を訪れる観光客の
ために、説明ルートの確認のために野田浜に来ました。


睡蓮の花ー諫早唐比のハス園

2012年05月24日 | 日記



今日は、5月24日 木曜日 天候は曇り。
朝から、厚い雲が空を覆っています。気圧の谷の影響とか。5月にしては、天候が安定していないように思うの
ですが…。
 さて、昨日は帰宅が遅くなり、ブログが更新できませんでした。
昨日は朝から、病気入院中の同級生を見舞いに大村の病院に出かけました。途中、蓮の花はまだにしても、
もしかしたら、睡蓮の花が咲いていないかなと思い、唐比のハス園に立ち寄りました。園内を見渡しても、花が咲い
ているような雰囲気ではありませんでしたが、散歩も兼ねて散策道を周ると、なんと、睡蓮の花が咲いていましたよ。
花を見た途端、一気にテンションが上がりましたね。園内には、散歩をしている連れ合いを見かけるだけでした。、
 鮮やかな色の花が水面に浮かんでいます。この水面に咲く花がいいですね。それにしても、睡蓮の名所は、あまり
聞かないのですが…。花の生育に適した場所が少ないのかもしれませんね。庭園や植物園などではよく見かけます。
 数年前、京都の近くで、ビール会社の経営する「大山崎美術館」の庭園に、モネの有名な作品「睡蓮」とよく似た池
があります。その時には、睡蓮は咲いていなかったのですが、古い建物をバックに、池の雰囲気がとてもよかったの
を覚えています。このブログを書いている途中に、インターネットで、美術館のホームページを閲覧すると、睡蓮が咲き
はじめていますと書かれてありました。近くだったら、すぐにでも飛んで行きたかったのですが…。
 館内には、私も鑑賞してきたのですが、モネの「睡蓮」の連作絵画が展示してあります。有名な「睡蓮」以外にも、睡蓮
の絵を、かなり、描いているのですね。
 この唐比のハス園は、庭園ではないので、そんなに雰囲気のあるものではありませんが、花は、とても魅力的ですよ。
何となく、色香ただよう睡蓮もありますよ。シニアにとっては、いい刺激になるかも知れませんよ。(笑)
上品な貴婦人の色香としときましょうか。
 その後、昼食をとり、病院へと向かいました。同級生と面会をしたのですが、とても元気で、毎日が退屈だと話して
いましたよ。病院で退屈とは少し贅沢とは思ったのですが、5月中には、退院ということなので、一安心というところ
でしょう
 大村まで来たついでに「平谷温泉」の山吹の湯に入っていくことにしました。何と、温泉の入り口にはモミジが色づいて
います。エッと思い、受付の人に聞いたのですが、やっぱりモミジでしたよ。この場所は高地なので、かなり冷え込むん
ですね。5月に色づくモミジって、本当なんですかね。まだ、信じられません。
 湯船に浸かると、窓からの光が、無色透明の温泉を通して、湯船の底まで届いています。ガラス張りの窓からは、
山並みが見えています。ぬるめのお湯に浸かると、ゆっくりとした時間が過ぎていきます。
 入浴後、大村に住む息子夫婦と夕食をともにして、帰宅時間が遅くなってしまいました。このようにして、昨日の
一日も、あっというまでした。

 
 

 睡蓮の植物図鑑みたいになりましたが、こんな種類の睡蓮が咲いていました。



蓮の花は、まだまだ先という雰囲気の「ハス園」の昨日の様子です。



シロサギでしょうか。写真を撮っている間も、飛び回っていました。

 
今の時期に色づくモミジがあるとはビックリ。        山あいの温泉なので、湯船からは山なみが見えます。


南島原市・6月2日はキリシタン大名サミット

2012年05月22日 | 日記



今日は、5月22日 火曜日 天候は晴れ。
朝から、初夏の青空が広がりました。初夏の風、薫風が肌に心地よく吹いています。
朝早く、6月2日に開催される「キリシタン大名サミット」を主管する有馬歴史研究会の佐藤会長から、5月30日
に訪れる観光客に、加津佐地区のキリシタン墓碑を案内してくれないかとの電話がありました。長年の付き合い
がある佐藤さんからの依頼なので、二つ返事で引き受けましたよ。加津佐には、野田浜と須崎墓地の2か所に
キリシタン墓碑があります。野田浜の墓碑は、年代はわからないのですが、須崎墓地の一基には、慶長十八
年〈1612年〉の文字が刻まれています。前年が、徳川家康が禁教令をだした年であり、キリシタン禁教が厳しく
なっていた時代なんですね。
 少し、前置きが長くなりました。南島原市は、キリスト教に関連する遺跡や史跡が多く点在します。国指定の
日野江城と原城はキリシタンの“陰と陽”の関連歴史があり、キリスト教の関連遺産として、世界遺産に暫定
登録されているのも、うなづけるような気がします。
 ただ、島原の乱の原城が取り上げられる機会が多く、それに比べて、日野江城については、語られることが
少なかったように思います。作家の遠藤周作氏は作品「キリシタンの里」の中で、「日野江城と言っても、7人の
人は関心がないであろう。2人の人が、有馬村にあって、戦国時代、有馬晴信、直純の城だったと知っている
だろう」と。文中の中には、「……私ははじめてこの城が日本の文化の上で、どんな大きな意味を持っているか
を知ったのである」と書かれてあります。
 そういった意味で、6月2日に開催される「キリシタン大名」サミットの開催は、とても大きな意義があると思い
ます。きっと、九州の4キリシタン大名に造詣が深い研究者の皆さんによるパネルディスカッションは、戦国時代
のキリシタン大名たちの姿を浮びあがらせてくれることでしょう。
 有馬晴信没後400年にして、この北有馬の地に、やっと〈有馬晴信公〉が登場してきたように思います。
写真は、会場になっている「北有馬ピロティ文化センター」内に展示してあるある有馬晴信公の坐像です。

            

            日野江城跡の階段遺構。平成十年度の発掘調査により
            セミナリヨが置かれていた時代の16世紀末のものといわ
            れます。現在は埋め戻しされているため、階段が見れない
            のが残念です。(写真は解説版のものを使用)



北有馬町内には、天正遣欧少年使節をイメージした、人形のモニュメントが
設置されています。スチール製の人形には、それぞれ数字が書かれてあります。
手前から、1・5・8・2と。この数字は、天正10年(1582年)に、天正遣欧少年
使節が、長崎を出港した年をあらわしています。このほかにも、学校付近や通り
などに、これより、少し小さい、22体のモニュメントが設置されています。
町歩きを兼ねて、探し歩くのも面白いかも知れません。



キリシタン大名サミットが開催される近くにある「有馬川殉教巡礼地」です。
慶長18年(1613年)、棄教を拒むキリシタンへのみせしめとして、有馬の
家臣3人とその家族の計8人が火あぶりの刑に処せられました。説明版には
「みせしめのはずの処刑は、2万人の人が見守り、却って、人々の信仰を強く
させたとして、翌年の禁教令を発令させる誘因のひとつになった」と書かれて
あります。



 大名サミットの会場となる「北有馬ピロティ文化センター」。かって、この地に
あったイエズス会の神学校「有馬セミナリヨ」を模した建物。

〈今日の加津佐〉



岩戸波止場から、愛宕山を望む。今日も大潮、海面の水位がかなり下がって
います。


今日の幸せな朝寝と温泉

2012年05月21日 | 日記



今日は、5月21日 月曜日 曇り時々雨。
今日は、24節気のひとつ、小満ですね。自然界のすべてが、夏に向けて、陽気とともに満ちてくる日なんだそう
ですね。とはいえ、今日は小雨がパラついて、半袖のポロシャツを着ていると、外は少し肌寒く感じます。少し
強い風も吹いています。
 朝から、連れ合いが、朝早くスーパーに焼きたてのパンを買いに行ったのですが、店に勤務する同級生の女性
従業員が、私がまだ寝ているのを、連れ合いから聞いて「幸せね」と言われたそうです。私も、羨ましがられる身分
になったのですかね。(笑)  
 小原正助さんではありませんが、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで……という歌がありますね。
私は、どちらかというと、朝湯が好きなんですよ。また、また、「幸せね」という声が聞こえてきそうです。
 ということで、で、朝から雲仙の小地獄温泉館へ、温泉入浴へと向かうことにしました。途中、馬鈴薯畑には、
白い馬鈴薯の花が咲いています。品種によって、馬鈴薯の花が違うとか。何と言う馬鈴薯の花何でしょうかね。
白なので、とても清楚に見えます。畑一面というほどでもないのですが、畑のあちこちで咲いています。
 この前は、紫色の「メークイン」の花を撮影しました。農業経験がないので、余計ジャガイモの花に興味がわく
のかもしれませんね。それはそうと、花が咲くということは、収穫の時期なんでしょうか。
 温泉館に着きましたよ。早速、男湯の方へ。湯船には、7、8人の入浴客が、入っておられます。
私は、いつものように、ぬるめのお湯に、ゆっくり時間をかけて入ります。この時間が、“小地獄”ではなく、天国なん
ですよ。源泉から、直接湯船に引かれているだけに、温泉が濃いんですよね。乳白色の色が、温泉の成分そのまま
みたいに見えます。ここの温泉に入ると、2,3日硫黄の匂いとポカポカ感が、なかなか抜けないのです。それだけ
温泉の効能が体に働いている証拠でしょう。
 いつも、思うのですが゜、こんな効き目のある温泉に、ブラリと来ることが出来るのですから、幸せなことですよね。
今日は、朝の女性同級生から聞いた“幸せね”という余韻が、温泉とともに、続いた1日でした。
 写真は、小地獄館の裏手にある「乳白色」の源泉です。今日は温度が高いのか、湯煙は立ち上っていません。
この風景を見ると、温泉という、「大地の恵み」を感じます。



小地獄温泉館の入り口です。今まで、この暖簾の下を、どれぐらいの回数
通り抜けたのでしょう。健康が続く間は、この温泉に通いたいと思います。



 雲仙へ向かう途中の馬鈴薯畑に咲いていた「ジガイモの花」

【今日の浜辺の風景】 時刻は、午後4時近く。



前浜では、今、小雨がパラついています。でも、海面はとても穏やかです。



下馬松の砂浜 大潮の干潮のせいか、広い砂浜になっています。


長崎・ネーミングがいい「食の遊宴地」

2012年05月20日 | 日記



今日は、5月20日 土曜日 天候は曇りから雨。
昨日のテレビ放映で、以前、よく行っていた串揚げ専門店が紹介されていました。昼間の放送でランチメニュー
でした。テレビ画面とは言いながら、とても美味しそうに見えます。お得感もあります。
 最近、食べたいと思ったら、先延ばししないことにしている私たちは、今日、そのお店がある長崎へと車を走らせ
ましたよ。車を駐車場に停めて、その店へと向かいました。前の場所と変わっていたので、あらかじめ、その場所を
テレビ放映の時に確認していた連れ合いの後をついていきます。店は、電車通りにある看板ですぐわかりました。
  ビルの階段を上がると、店の入り口では、多くのお客さんが、席が空くのを待っています。私たちと同年代と思える
人もかなり見受けられます。テレビ放映のせいだけではではないようです。席が空いて、カウンターに案内されました。
掘りごたつみたいに、足がゆっくり延ばされます。これだったら、ゆっくり食事も楽しめそうです。
  早速、注文しましたよ。連れ合いは、テレビで紹介されていた「鳥そぼろ弁当」を、私は「串揚げ定食」を注文
しました。串揚げ専門のお店だけあって、揚げたての野菜や魚などの串がとても美味しいです。その上、酢の物の
小鉢や漬物などもつき、何と女性が喜びそうな、白玉ぜんざいまでついています。ご飯やみそ汁はおかわり自由で
食後にはコーヒーまで付きます。
 テレビで紹介されたものは、時々がっかりするようなお店もあるのですが、かって、よく行っていたこの店は期待を
裏切りませんでしたよ。帰る頃になっても、お客さんの列が途切れませんでした。
 


観光通りの電車道路に面したお店の看板。



連れ合いが注文した「鳥そぼろ弁当」(コーヒー付き)。これで750円



私が注文した「串揚げ定食」(コーヒー付き) これで800円。

昼食を食べた後、おくんち広場で開催されていた「食の遊宴地」会場に足を
伸ばしました。
 「食の遊宴地」なんてネーミングがいいですね。それだけでも行ってみたく
なりますよ。40店の出店があっているとか。会場には、多くの.お客さんで
混雑していましたよ。テレビ等でとりあげられたお店の前には、やはりお客さんの
人だかりが出来ています。特徴あるお店や異色のお店などもあり、ゆっくり食できる
ような雰囲気が感じられました



「食の遊宴地」会場に向かう途中、おらんだ橋のデザインとオランダ人の像が
いい景観に見えました。



ステージでは、長崎らしい「カステラの早食い競争」が行われていました。
男性の部では、制限時間内に1斤(800グラム)を早く食べ終えた人が勝ちです。



昼食で満腹だったので、連れ合いと私が買い求めたのは、「食べるミルクセーキ」
ミルクセーキは食べるんですかね。何だか、変な感覚です。



「食の遊宴地」会場から、今度は、ジュディオングさんの木版画展が開催されて
いる「長崎美術館」へ足をのばしました。
歌手のイメージしかない私にとって、ジュディオングさんの木版画の素晴らしさ
にはビックリしましたね。日展での特選や入選を重ねて来られたことにも、驚き
でした。木版画の世界を十分に堪能することができました。


散歩日記

2012年05月19日 | 日記



今日は、5月19日 土曜日 天候は曇り。
朝から、、母校の口加高校の創立百十周年記念事業のために募金をしていただいた同窓生の各家庭に
お礼の文書を持って伺いました。といっても、自分が住んでいる自治会の分だけですけどね。母校のためなら
これぐらいのお手伝いは、リタイアーした身にとってはたやすいことです。
 昨日は、雲仙の温泉の長湯のせいか、すこし体がだるく感じます。しかし、贅沢な疲労感ですよね。
そんなわけで、午後は自宅でゆっくり過ごしていました。
 午後4時近くになって、連れ合いから「散歩にでも行ったら」と促されたので、素直に出かけることにしました。
それならばと、今日のブログの写真は、あやめが丘を入れた口加高校の、今日の風景としました。あやめが丘も
新緑が綺麗です。新高校一年生も、学校の雰囲気には慣れてきたのでしょうか。高校生活を楽しんでほしいですね。
母校の卒業生の一人として…。変わらないあやめが丘風景を見ながら、体育祭などを想いだしていました。
 


 口加グラウンドから上った八ノ久保から口之津港を望んでいます。
 今年の9月22・23日には口之津港開港450年の記念式典やイベントが
 開催されます。多くの観光客で賑わうといいですね。




途中では、知り合いの方が、梅の収穫作業をされていました。ポリバケツには
収穫の梅が一杯。



 ビワの実が色づき始めています。



口加高校グラウンドの下の民家には、大きなアママリスの花が目を引いて
いました。




雲仙仁田峠・青空と新緑に映えるツツジ

2012年05月18日 | 日記



今日は、5月18日 金曜日 天候は晴れ。
昨日から、今日の予定は決まっていました。前の日に予定を組むと、1日がスムーズに流れるような気が
するんですね。
 ということで、今日は雲仙仁田峠にやって来ました。ツツジが満開になっています。その光景を一目見て、
今日来てよかったと思いましたね。ツツジの織りなす自然の彩色が素晴らしいですね。今日は、特に空の青さ
と新緑が、一段とツツジの花の色を際立たせています。平日なせいか、駐車場の車もそんなに多くありません。
ゆっくり、ツツジの花を愛でることができましたよ。4月から緋寒桜、桜、芝桜、しゃくなげ、八重桜、そして今日の
ツツジと花紀行が続いています。菖蒲の花がこれからですね。花の咲く季節が愛おしくなったような気がします。
これも、歳を重ねてきたせいかも知れませんね。
 いろんな場所からの花めぐりをした後、ロープウェイの乗り場がある展望台にやって来ました。せっかくなので
森林浴も兼ねて、あざみ谷まで、連れ合いと一緒に歩くことにしました。日差しに反射する新緑が目にまぶしい
ぐらい鮮やかに映えています。連れ合いが、急に「深呼吸したら」と言うので、一緒に深呼吸。体中の細胞が
いきいきしてくるような感じを覚えましたよ。日常は、浅い呼吸しかしてないですよね。
  途中、登山者の方とすれ違います。「こんにちは」と声を交わしながら通り過ぎます。山で会うと、すぐ親しく
なれそうな気がするから不思議です。すれ違う登山者の人は、中・高年者の人が多いですね。中には、苦し
そうにして立ち止まっておられる、高年者の方も見受けましたが…。
 仁田峠から20分ほどで、あざみ谷につきました。それにしても、新緑が綺麗ですね。ここから、新登山道に
入ります。行ってみたい気は山々(?)なのですが、もう少し、体力づくりをして、秋口にでも挑戦してみたい
と思います。
 少し、汗をかいたので、最近改装された.小地獄温泉の「青雲荘」で入浴していくことにしました。もちろん
お目当ては露店風呂。脱衣所はもちろん、露天も広々としています。乳白色の温泉につかると、青もみじ
の枝が目の前に。雰囲気がいいですね。休憩所もガラス張りで、四季折々の雲仙の風景が楽しめそう
です。



ツツジの花の絨毯です。

 

加津佐の「円通寺」を開創した、大智禅師の句碑が立っています。
誰も、立ち止まって見る人はいません。
碑文は難しいので、省略します。書は徳富蘇峰。
訳文は、左の写真です。大智禅師は道元禅師の流れをくみ、六代の法統を継いだ
禅僧です。



あざみ谷の様子。鮮やかな新緑に目を奪われます。


加津佐・ホタルが飛び交う時季

2012年05月17日 | 日記



今日は、5月17日 木曜日 天候は薄曇り時々晴れ。
朝から空の様子を見ていると、大気が不安定なのか、すっきりしない空模様になっています。午後からは雲行き
が怪しくなってきました。
 さて、蛍が飛び交う時季になりましたね。昨年は、ホタルの出現が遅くて、ヤキモキしましたけども、どうやら、今年
は平年通りの、幻想的な蛍の乱舞が見れそうですよ。
 加津佐中学校近くのガードレールには、蛍出現の看板と幟が設置されています。蛍が出現する自治会の方による
「手作りの告知板」です。嬉しいですね。この看板を見て、蛍の時季かと気付かれる方も多いのではないでしょうかね。
 ほう、ほう、ほたる来い あっちの水はにがいぞ こっちの水は甘いぞ ほう、ほう、ほたる来い と子ども時代には、
歌っていたような気もするのですが…。
 少し調べてみました。この歌は「ほたるこい」という江戸時代から親しまれている童謡で、ホタル狩りの時に歌われて
いたとか。ホタルを手のひらに包み込むように、そっとのせ、不思議な光の点滅を楽しんでいたことを、ホタルの光で
記憶が戻ってきたように感じています。子ども時代の想い出が、故郷を想う一番の郷愁かもしれませんね。

 せっかくですので、場所を案内してみたいと思います。



ここは、小松川上流にある東越崎自治会。ここからは、ホタル蛍鑑賞場所まで
250mと案内されています。丁寧に、ここから、徒歩で楽しんでくださいと
も書かれてありますよ。子ども心に帰るみたいでワクワクしますね。



ここが、蛍の幻想的な光の乱舞が見られる「越崎大橋」下のポイントに
なります。何と、椅子まで準備されていますよ。心配りが嬉しいですね。



道路沿いのガードレールには、場所の案内をするための幟がはためいています。
小さく集落が見えるのが、ホタルの乱舞の里の「東越崎」自治会になります。



今度は、岩戸山入り口に来ました。新しく、ジオパークの説明板が設置されて
います。岩戸山は、学術的にも、貴重な地質遺産なんですね。岩戸山の成り立ち
がよくわかります。「岩戸山野外博物館」みたいです。



せっかくなので、お寺の急な石段を登ってみることにしました。山門近くの
梅の木に、青い梅の実を見つけましたよ。子ども時代には、この青梅に、
塩をつけてかじっていた事を思いだしました。



参道を帰る途中に、「ホタルブクロ」を見つけました。不思議ですね。今日は
ホタルの記事を書いたのに、「ホタルブクロ」に出会えるなんて…。

 


加津佐・初夏の海辺の花

2012年05月16日 | 日記



今日は、5月16日 水曜日 天候は晴れ。
5月の連休に、娘のところに滞在していた折り、琵琶湖が目の前にある文化施設で音楽祭が開催されていた
会場の屋外で、大道芸などのイベントがあっていたので、見学していたのですが、何だかしっくりこないのですよ。
そこから見える風景は海と変わらないんですけどね。海の近くに住む私にとっては、潮の香りが恋しかったのかも
知れません。
 ということで、今日は早速野田浜にやって来ましたよ。海風が潮の香りを運んできます。私にとっては、これが
一番よく効く“心のビタミン剤”のひとつかもしれません。遠く離れていても、子ども時代を過ごした、ふるさとの匂い
が心に染みついているから、余計懐かしく思えるのかもしれませんね。
 今日の野田浜は、すっかり初夏の陽気になっていて、砂浜は日差しがかなり強く感じます。松林に沿って砂浜を
歩くと、まるで、砂の中からでてきたように、淡紅色のハマヒルガオの花が顔を覗かせています。朝顔より、一回り
小さい花が、とても可憐にみえます。季節の移ろいを、この小さな花は教えてくれます。
  幼少時代を一時期、加津佐で過ごした菊田一夫の原作で、一世を風靡したドラマ「君の名は」の主題歌の中で
こんな歌詞を作詞しています。

 「君の名はと たずねし人あり その人の名も知らず 今日砂山に ただひとり来て 浜昼顔にきいてみる」

菊田一夫にとって、加津佐の海は「心の故郷」だったのかも知れませんね。
這いつくばうようにして咲いているハマヒルガオを、私も這いつくばって撮った写真が上の写真です。
 私も、聞いてみたくなりましたよ。「今日の写真よく撮れている?」と。

ハマヒルガオを撮影した後、松林の散策道をウォーキング。そこにも、トベラやシャリンバイの花が
咲いていました。とても、目につきますよ。



ハマボウフウの白い花。根が深くはびこることで、浜辺の砂が風で飛び散る
のを防ぐことから「浜防風」の名前がついたとか。



シャリンバイ(車輪梅)の花 花が梅に似ており、枝を輪状に伸ばすことから
ついた名前だといわれる。



トペラの花  樹木全体に悪臭があり、扉にさして魔よけにしたことからついた
名前と言われる。「とびらの木」が次第に略され変化して「とべら」になった
とも書いてある。



今日の午後2時半頃の野田浜。


安土城跡を訪ねて

2012年05月15日 | 日記



今日は、5月15日 火曜日 天候は小雨から曇り。
大津市に住む娘のところに滞在していた折の5月5日に、安土町にある織田信長が築城した「安土城跡」を
訪れました。「城跡」ということで、大きくても唐津の「名護屋城跡」ぐらいだろうと思っていたのですが、受付を
済ませて、前を見ると、急な石段が目の前にあります。それも長い一直線の階段が続いています。これだけでも
すごい城郭であることが一目瞭然。まさに山城という感じそのままです。
 天正4年(1596年)から3年の歳月をかけて、織田信長が築城した、天主を持つ近世城郭の先駆けとなった
城なんですね。安土桃山時代の幕開けとなったこの城も、本能寺の変により、織田信長が倒れた後、焼失して
石垣のみを残しています。
 城と言えば、復元された天守閣に登れば、それで終わりという感がしますが、歴史に思いをはせるということに
なれば、まさに、この安土城跡は、最適でしょう。築城当時の石垣や歴史に名を残す重臣の屋敷跡ががそのまま
残されているわけですから…。
 早速、急な坂の大手道と言われる石段を登り始めました。直線コースで180メートルもありますから、途中休憩
なしでは、とても登れません。階段の途中には、信長が重用した羽柴秀吉や前田利家の屋敷跡もあり、歴史ドラマ
を見るような感覚にさえなります。石段には、石仏や墓石なども使ってあり、信長の天下統一の野望が見え隠れして
とても興味深いです。信長の性格そのままかもしれませんね。
 それにしても、延々と石段が続きます。まるで登山しているみたいですよ。それも、そのはず、ここは標高199
メートルの安土山を登っていることになるわけですから…。
 本丸跡を通り、やっと天主跡にたどり着きました。石垣に囲まれた天主跡には、礎石が整然と並ぶのみですが
この部分は、天主の穴倉にあたり、その上に大きな天主がそびえたっていたといわれます。パンフレットの説明に
よると、五層七階の天主は、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスによれば、ヨーロッパにもあるとは思えないほどの
壮大さであったといい、高さ33メートルの木造高層建築は、当時我が国で初めてのものであったとか。内部は信長公
の御用絵師・狩野永徳の豪壮な障壁画などが飾られていたそうです。
 4歳の孫娘と一緒に登ったことも、いい思い出になりました。成人したとき「じぃ~じ。ばぁ~ば」と一緒に登ったことを
想い出してくれたら、嬉しいのですが…。それは叶わぬ夢かも知れません。

 

 羽柴秀吉邸跡に設置されている説明板より。




 

天主跡。地下穴倉の礎石だけが残っています。



天主跡からの眺望。琵琶湖が見えます。



 かって安土城内に見寺があり、その本堂跡近くには創建時のままの
二王門や三重塔が残っている。



安土城跡近くにあるセミナリヨ跡。ここから、セミナリヨは、天正16年(1588年)
北有馬の八良尾に移された。 


シニアにはフェリーの船旅

2012年05月14日 | 日記



 今日は、5月14日 月曜日 天候は小雨。
琵琶湖近くに住む娘のところから、やっと帰って来ました。やっぱり我が家が一番落ち着きますね。
2週間以上も、ブログをお休みしていたことになります。にもかかわらず、多くの方にご訪問頂き、深く感謝します。
今日から、ブログを開始いたします。
 さて、今までは、高速道路を利用していたのですが、今回は、フェリーを使っての船旅となりました。10時間以上
かかる車での走行は、体力的にも、少し負担が重く感じたからです。
 出港地は新門司港。出港時間が午後7時50分なので、港近くで夕食をと思ったのですが、これが甘かった。
レストランらしき店は、見当たりません。意外でしたね。結局、門司まで行き、夕食を済ませて乗船することにしました。
らせん状に車が船底に誘導されます。目が回るみたいですよ。よくまぁ、こんなに車が入るもんだと、船底は、車で埋ま
っています。
車を降りると、エレベーターでフロントまで。そこで、客室のカギを受け取り、部屋へと移動します。私たちの部屋は一等
洋室の4人部屋。申し込んでいたのは、2人部屋だったのですが、その日のお客さんの人数で、4人部屋になったので
しょう。何だか得した気分になりました。広々としていますからね。
 船が動き出しました。少し船酔いが心配になって来ました。しばらくたっても、船の揺れは殆ど感じません。船は揺れる
とばかり思っていただけに、意外な気がしました。部屋には、テレビもあるし、シティホテルに宿泊しているような感覚で
す。
 十分睡眠をとった朝を迎えましたよ。洗面が済んだあと、朝食を摂りに食堂へ。バイキング方式の朝食は、船食とは思
えないほど、贅沢なものが出されています。
 朝食を摂っていると、窓から明石大橋が目の前に迫って来ます。慌てて、カメラで撮ったのが上の写真です。橋の向こう
には淡路島も見えています。
 大阪南港にフェリーが接岸したのが、午前8時30分。約13時間の船旅でしたよ。船の速度は、時速に直すと約40キロ
だそうです。それにしても、体は疲れないし、一夜明けると、もう目的地に近いところまで来るのですから、シニアにとって
はとても、いい“旅手段”に思えました。
 帰りも、このフェリーを利用したのですが、出港時にはかなりの強風にも拘わらず、殆ど揺れませんでしたね。
帰りには船内の夕食を摂ったのですが、いろんなメニューがあり、選ぶのに苦労するほどでした。自分の好きな副食が
選べるシステムですけどね。
 今回の船旅は、フェリーのよさを見直す意味で、いい体験になりました。これからの旅に活用できそうです。



 バイキング方式の朝食。ぐっすり眠った後の朝食だけに、とても美味しく
頂けましたよ。



一等洋室の内部。タオル、歯ブラシなどもそろっています。お茶も準備されています。



展望ストリートの様子・朝にはサンドイッチなども販売されています。



奥の方は、朝食や夕食をとる展望レストランになっています。