かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

大晦日のモノクロの世界

2010年12月31日 | 日記
今日は、12月31日 金曜日 天候は雪。
昨夜からの降雪で゜、庭の松の枝にも、重たそうに雪が積もっています。大晦日に雪景色は、加津佐で
は珍しい風景です。車や歩いて外出できるような状況ではありません。というわけで、今日は自宅前の
雪景色になってしまいました。
 白の世界と言うより、デジカメで撮った写真は、昔の銀塩カメラで撮影したような、モノクロ写真に
なっています。中央には、寒そうなバナナの樹が見えます。この樹は、外国航路に乗船されていた、幼
なじみのお父さんが、植えられたとの事。この辺りで、よく遊んでいましたよ。テレビなどない時代で
すから、“遊び場”を見つけては、そこを拠点にして遊んだものでした。この樹も当時と殆ど変ってい
ません。 もう、半世紀以上前のことなんですね。右側の山は、チャンバラをして遊んでいた山です。
そして、前の雪で覆われた畑では、“鬼火”もあり、家から持ち寄った餅などを焼いて食べたものでし
た。
 今では、子ども時代を懐かしむだけの年代になりましたが、風景だけは変わらずに、その当時を思い
起こすことができます。元日には、ごちそうを前にして、今は亡き父親から、盃に酒を注いでもらい、
「おめでとうございます」と言った後、少しだけ口に含んだものでした。どんな正月料理だったのか忘れ
ましたが、雑煮だけは、よく食べていた記憶があります。今でも、餅は大好物のひとつなんですね。
 今日、午前中のテレビ番組て、詩人の柴田トヨさんのドキュメンタリー番組が放映されていました。
その中で、「先生に」と言う題だつたと思うのですが、主治医の先生のことなんでしょうね。
 「今日は何曜日」とか「99はいくつ」とか聞かずに「島崎藤村は好き」とか「小泉さんはどう」とか、そんな
ことを聞いてほしいという詩だったと思います。99歳にして、この瑞々しい感性。逆境を生き抜いて
来た人だからこそ、紡ぎだされる言葉のひとつひとつに、多くの皆さんが感動を受けるんでしょうね。
 さて、2010年も、間もなく過ぎ去ろうとしています。拙いプログにご訪問頂きましたこと、心から
お礼申し上げます。よいお年をお迎えください。
 

 

加津佐・年の瀬の荒れる海

2010年12月30日 | 日記
今日は、12月30日 木曜日  天候は雨時々曇り。
今日は、朝から、横なぐりの雨と強い風が吹いています。まるで、陸も海も冬の嵐になっています。
とても、とても、穏やかな歳末を迎えているという気分には、なれそうにありません。
異常気象が続いた今年、明日も、この天候が続くんでしょうかね。自然には、とても立ち向かうこと
はできないとわかりつつ、心情的には、大荒れの天気にならないよう、願うばかりです。
 雨が少し止んだのを見計らって、下の下馬松海岸に行ってみました。冬の海は、これだといわんば
かりに、高い波が、次から次へ海岸に打ち寄せています。近寄ると、体ごと持っていかれそうで、か
なりの恐怖感を覚えます。沖合は、かなりの波の高さなんしょうね。
 早崎半島や、その向こうには、天草も見えます。空も、本当に冷たそうな冬空の色をしています。
買い物に行った妻が話していました。スーパーなどは買い物客でごった返していたそうです。お店
の賑わいも、いよいよ明日はピークを迎えるんでしょうね。
 今夜あたりから、正月料理の“前夜料理”が食卓に準備されるのではないでしょうか。
でも、準備や後片付けは“お母さん”にとっては大仕事。せめて“食べる人”ならば、感謝の言葉を
添えて、料理をいただくのも、正月料理の“一品”だと思うのですが…。


 

口加高校より口之津港望遠

2010年12月29日 | 日記
今日は、12月29日 水曜日 天候は曇り。
昨日の風も少しは収まっているものの、午後4時近くになっても、白波が海岸の岩を洗っています。
今日は、用事で午前中から出かけたので、すっかりブログを書くのが遅くなってしまいました。
近くのスーパーの駐車場は、普通の日に比べて、多くの車が駐車しています。故郷で正月を過ごすた
めに帰省されている人の車もあるんでしょうね。今年も、残すところ、後2日。年の瀬のあわただし
さが、一層拍車をかけているような気がします。
 今、口加高校の第2グラウンドに来ています。グラウンドでは、陸上競技部の皆さんが、投てきや、
ランニング、跳躍などの種目に黙々と取り組んでいる様子が見えます。こういう日々の努力が、輝か
しい成績となって表われるんですね。陸上競技部員の皆さんに心から応援を贈ります。
 また、グラウンドからは、口之津港が、眼下に見えます。八ノ久保からの望遠とまた違った港の
趣きを感じます。
 さて、子ども時代には、「もういくつ寝るとお正月」と心待ちにしていた正月風景も、様変わりして
しまいました。私たちの団塊の世代には「凧揚げ」「こま回し」などが楽しみでした。「凧」の事を「かん
ぺいさん」と呼んでいたような気がします。今、考えると、どんな意味なんですかね。
それから、「早く来い来いお正月」とも歌っていましたね。でも、この年齢になると、正月も、もう来た
のかと言う感じですよ。子ども時代には時間が遅く感じたのが、今では「アッという間」に過ぎ去る
時間に、ため息をついています。1年と言うと、短く感じるので、3桁にして365日と言う感覚で
過ごすことにしましょうか。
 口加高校は、口之津、加津佐から通学する生徒が、かなり多い学校です。今日は、そんなことから
口加高校からの「口加風景」をお届けしました。
 

加津佐・整備された広大な畑

2010年12月28日 | 日記
今日は、12月28日 火曜日 天候は不規則に変化。
朝から、とても風が強く、空も曇りから雨になったり、時折青空ものぞく、荒れた空模様になってい
ます。寒さは、余り感じません。海岸には、白波を立てて、波が押し寄せてきています。
 出かけるのに億劫になるような気温ではないので、車で出かけることにしました。広域農道の花房
展望所先の、広大な畑が広がる整備された所に来ています。かっての畑がどのような形状をしていたの
か想像できないぐらい、階段状に畑が連なっています。それも、区画整備された畑で、農業機械を使っ
ての作業が、とてもやりやすいような形状になっています。加津佐における一大農地という感じがします。
 畑には、寒さによる被害なのか、詳しくはわかりませんが、葉が枯れたようになっている畑も見受け
られます。でも、場所的には、収穫した作物が、そのまま、広域農道を利用して、市場に運ばれるとい
う好立地条件の場所になっています。テレビ等でも、農業を取り巻く状況がかなり厳しくなっていくだ
ろうということも報道されています。だからこそ、「加津佐の農業」を余計に応援したくなります。
 加津佐は、馬鈴薯栽培の一大産地として、よく知られています。多角的で効率的な農業経営を図る
ためには、このように広くて、整備された畑地が必要なんでしょうね。今でも、畑の区画整備の作業
が進行しています。
 ここから見える畑地は、馬鈴薯の出荷が一区切りついたのか、茶褐色の農地が広がっているだけで
すが、新しい年になってから、また、馬鈴薯の植え付けが始まるんですよね。
 でも、今年のような異常気象だと、自然相手の農業は、本当に大変だろうと思います。
来年も、この広大な農地から、よく実った農作物が収穫されることを願いながら、圃場整備中の広い
畑地を後にしました。
 
 
 

口之津・「おこんご」という名前のバス停

2010年12月27日 | 日記
今日は、12月27日 月曜日 天候は曇り時々晴れ。
温度は、昨日よりは、幾分上昇しているものの、体で感じる寒さはあまり変わらないような気がし
ます。午前中は、病院の受診。この歳になると、何種類かの薬の御世話になっています。検査数値を
見た先生の言葉。「寒いから、ウォーキング控えたんでしょう」と、優しくたしなめられます。続けて
いるうちはいいのですが、2,3日休むとズルズルと怠けてしまいます。失ってみて、初めてわかる
健康のありがたさーそうならないためにも、続けることが大事なんだと、改めて再認識しましたよ。
 そんなわけで、出かけたのが、すでに午後3時近く。今日は、防寒対策も十分にして、口之津資料
館から早崎半島の道路を走ることにしました、しばらく行くと、「おこんご」というバス停が目に留ま
りました。想像すらできないような、珍しい名前です。普通は「字」の名前をつけることは、よくある
のですが……。
 早速、帰宅してから調べてみることにしました。k史談会発行の冊子に「オコンゴ」考と題した文が
寄稿されていました。それによると、珍しい名前なので、どうした「いわれ」があるのか、古老などに
訊ねても、返ってくる言葉は「わからない」「知らない」が殆どでしたと書いてあります。「げなげな話」
であっても、「おどんがこまかときにゃ」と言って話してくれたものでした。
 そこで、寄稿したS先生は、インターネットや辞書などて゜調査されたとのこと。その結果、「早崎
名」と「町名」の境を流れる「オコギガワ」でカラムシと言う植物の茎の茎をはぎ取り、それを晒して繊維
をとる仕事をした川であることから、言いなわらした地名であると推論されています。
 でも、地名の由来はどうであれ、バス停の名前になるほど、すっかりこの地区の人には定着してい
る地名なんですね。それにしても「オコンゴ」-いい言葉の響きだと思いませんか。




加津佐・冬の海に蒸気霧

2010年12月26日 | 日記
今日は、12月26日 日曜日 天候はみぞれから雪。
今は、ボタン雪が降っています。気温1℃とかなりの冷たさを肌で感じています。
温暖な気候の加津佐で、今年一番の冷え込みではないでしょうか。“冬将軍”が居座ったようにも
感じます。 
 今日の風景は無理かなと思いつつ、一応車で出かけることにしました。何も撮影できないまま、自
宅に帰る途中、前浜海岸に霧とは違う、湯気みたいなのが立ち上っていました。消えたり、現れたり
何だか、幻想的です。早速、車を止めて、海岸に降りて行きました。まるで、ヤカンから噴き出る蒸
気みたいな感じを受けます。霧にしては、現象の範囲が狭いような気もします。
 早速帰ってから、また、またインターネットにお世話になりましたよ。こんな風に説明さていました。
「温かい海面に陸地から冷たい空気が流れて来た時にできる霧」と。また、釧路沖で、冬にできる蒸気霧
は、「けあらし」と呼ばれ、かなり広範囲に濃く広がるそうですよ。いや~、こんな風景に出会えるとは
思いませんでしたね。今まで、気付かなかっただけかも知れませんが。近づくと小さくなったり、帰ろ
うとしたら、モクモクと大きくなったり、何だか、こちらまでフワフワしているみたいです。
 用事があって、ブログが途中までになっていましたので、また、書き始めています。
今、午後3時。加津佐の町も、辺り一面雪化粧になっています。山間部の木の枝には、積雪も見られ
ます。雪の白さに、寒さも忘れて、何だかうれしくなって来ます。子どもみたいですね。
 今日は、朝から蒸気霧、午後からは雪化粧と、冬.の風情を楽しむことができましたよ。
 
 
 

 




加津佐・冬の海とクリスマス雑感

2010年12月24日 | 日記
今日は、12月24日 金曜日 天候は晴れ。
昨日に比べて、今日は冷たさが増しています。でも、朝の冬日が射しています。
今、朝の午前9時。また、また、前浜海水浴場に来ています。天気のいい日には、必ず海を見に来るん
ですね。何だか、習慣になってしまったみたいです。海岸の上にある郵便局には、年賀状をポストに投
函している人の姿も見かけます。加津佐バス停のすぐ下の海岸に降りてきています。年末のあわただし
さとは思えない、ゆったりとした冬の海が広がっています。そう、そう、今日はクリスマスイブなんで
すよね。先日のテレビ局のアンケートでは、約4割の人が家庭で過ごすという結果を放送していました。
不景気のせいなのか、それとも時代の意識の変化なのかわかりませんが、少なくても、家族の会話がふ
えることは、いいことではないでしょうかね。
昔のクリスマス風景は、繁華街で三角帽子をかぶり、酔っ払ったサラリーマンの姿がテレビでは映しだ
されていたようですが……。団塊の世代の、良き時代だったんでしょうね。クリスマスソングも、余り
流れていないようにも感じます。でも、最近の電飾は、かなり派手になってきていますね。これでもか
と言わんばかりに、夜空に煌めいています。キャンドルの光で、「きよしこの夜」を歌う時代とは、少し
かけ離れた雰囲気を感じています。
 今日は、とりとめのないことを書いてしまいました。今夜は「ホワイトクリスマス」の歌が流れている
と思って、イチゴが上にのった、美味しい「ホワイトケーキ」をいただくことにしましょうか。



加津佐・懐かしの通学路と堀川

2010年12月23日 | 日記
今日は、12月23日 木曜日 天候は晴れ。
冬の日射しはあるものの、薄いベールに包まれているような空模様になっています。
今年、最後の祭日ですね。明日は、各学校では、終業式。いよいよ子どもたちにとっては、冬休みに
入りますね。
 さて、今日もバイクに乗って、町の風景を撮りに行くとしますか。終業式の事が頭に浮かんでいた
ので、堀川の通学路沿いに来ています。私の小中学生時代は、小学校、中学校とも木造校舎でした。
でも、建物はなくなっても、校舎の配置や様子など、鮮明に浮かんできますよ。この堀川沿いの通学
路もよく通ったものでした。もちろん、現在も子どもたちの通学路にはなっているのですが。
 今、時刻は、午前11時。満潮のせいか川面が高くなっています。穏やかな水面に、岩戸山の山影
が、とてもきれいに映えています。最近では、通ることはあっても、こんな風景には出会う機会があ
りませんでした。
 さて、小学校時代には、対岸に渡るのに渡り石がありました。行ったり、来たりしながら、よく遊
んでいたものでした。まだ、ラジオの時代でしたから、視覚で楽しむ遊びはなくて、もっぱら、自然
との遊びが主流だったんですね。
 その当時は堀川沿いの道も、水下津橋まで通っていなくて、途中で折れて、入船を通り、本町に出
るルートではなかったかと、今、想い出しています。今は、自治会名も、入船町となっていますが、
その頃は「船江」と呼んでいました。昔は、漁船が多く係留されていたんでしょうね。そして、今の
「水下津橋」の架かる辺りを「船江口」と呼んでいました。「船江」ー潮の香りがする、いい響きに聞こ
えませんか。
 子ども時代の釣りと言えば、この堀川での「ドンポ釣り」や上流の堰〈いかり〉での「フナ釣り」が
多かったような気がします。もちろん、海釣りもしていたのですが、思い出は、どうしても「ドンポ」
や「フナ」のことが忘れられないのです。
 今年も、残すところ1週間。人それぞれに、思いが詰まった1年も過ぎ去ろうとしています。
 




加津佐・旧役場庁舎跡は「いこいの広場」に

2010年12月22日 | 日記
今日は、12月22日 水曜日 天候は晴れ。
朝から、冬の青空が広がりました。風もなく、太陽の光が、とても気持ちよく感じられます。
そして、今日は冬至。一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長い日。一陽来復とも呼ばれているとか。
 今日は、早速バイクで出かけることにしました。前浜の波打ち際には、カモメの姿も見えます。
広域農道から、内野を通って、宮原小学校跡地を訪れました。昭和51年に加津佐小学校と統合して
すでに、35年近くになるんですね。跡地には、宮原校百周年を記念した大きな石碑が立っています。
一時期、宮原校舎は、そのまま残して、宮原地区公民館として、宮原地区皆さんの、ふれあいの場に
なっていたこともあります。グラウンドでは夏祭りなどもあり、大変賑わっていたものでした。
 しばらく、当時の木造校舎の面影を想い出していました。
その後、宮原地区の風景を楽しみながら、堀川沿いを通り、本町にやって来ました。通りには、人
影は余り見ることができません。でも、年末には、人と車で大混雑でしょうね。
 年末のあわただしさを想い浮かべながら、着いたところは、旧役場庁舎跡地。今では、庁舎は取り
壊され、加津佐いこいの広場となっています。昭和3年にこの地に建てられた旧役場庁舎。取り壊さ
れるまで約80年間、加津佐町の人に親しまれてきたんですね。 
 宮原小学校、加津佐町役場、もう二度と、建物の姿を見ることはできませんが、心の中では、いつ
でも取り出すことができます。そんな思いを大切にしたいですね。
  
 


加津佐。海の見える居場所

2010年12月21日 | 日記
今日は、12月21日 火曜日 天候は雨から曇り。
朝から雨が降っています。午後からは、雨は止んだものの、まだ、厚い雲が空を覆っています。
 というわけで、加津佐の「今」をお届できません。
加津佐には風景のいい場所、歴史のある場所、何となく気になる場所があるんですね。昨日、私の気
になる場所を見つけましたので、今日は、そこからの風景をお届けします。バイクで国道を走ってい
て、小松川河口下の海岸に、数十羽のカモメたちが、気持ちよさそうに、日向ぼっこをしているのが、
目にとまりました。こんな光景に出会えるのも、海の町ならではのことですよね。
 双眼鏡を持ってきていたら、カモメの表情なども観察することができたのにと思うと、少し残念な
気もしました。これからは、双眼鏡も携帯することにしましたよ。せっかくの機会と思い、最大限ま
で近づき、何枚かの写真も撮ることができました。
 帰ろうと思い、海岸への階段を登ろうとしたところ、ベンチが目に留まりました。ベンチ横の松の
枝が、岩戸山に重なり、とても、いい風景に見えました。海風の影響で、幹が後に押し倒されている
ように見えますが、海に向かって伸びる枝が、とても力強く感じられます。松のしたたかな生命力さ
え感じます。近くには、散策道も完備され、ウォーキング途中の「休み場所」として、一息つけるには
最適な場所かも知れません。四季折々の海の色、波の音、風の音、海鳥の姿、松の緑、白砂、天草の
島々や長崎半島、権田公園、串漁港などなど、このベンチに座るだけで、「自分だけの世界」に浸れる
ような気がします。
 気になる風景は、「自分の居場所」として、とても心安らぐ場所なんでしょうかね。
これからも、知られていないけども「加津佐の気になる風景」をお届けしたいと思います。
 






 
 

加津佐・愛宕の山登り雑感

2010年12月20日 | 日記
今日は、12月20日 月曜日。 天候は曇りから晴れ。
ここ数日、冷たさも、だいぶ緩んでいます。朝の曇り空も、午後からは、薄日和になっています。
昨日の愛宕登山から一夜明けて、少し疲れが残っています。日頃使っていない筋肉を使ったせいか、
あちこちこわばっています。平地だけをウォーキングしているせいか、山道では平衡感覚が必要とい
うことが分かりました。専門的なことは、全然わかりませんが、脳にもいいんじゃないでしょうかね。
筋肉の動きをつかさどる脳神経も、フル稼働でビックリしたのではないでしょうかね。登山中は、登
ることに精いっぱいで、考えるということはできないですね。初心者の私にとっては、これまた、新鮮
な気付きでした。
 標高約100メートルの岩戸山には、登る機会が多いのですが、その時でさえ、心臓がパクパクし
て、息切れしていました。心臓が悪いのではないかとさえ、思ったほどです。でも、今回は、さほど
息切れもなく、皆さんと一緒についていけましたよ。もちろん、最後ですが……〈笑〉。少しだけ、
体が登山になれてきたんでしょうかね。
 今まで、自分は登山に向いていないという、固定観念もあったかも知れませんが、山に登るのも悪く
はないなという風に変わりつつあります。足にかけた岩がグラリとしたり、よろけて木の枝を握ると、
ポキンと折れてみたり、いい加減な気持ちではケガすることもわかりましたよ。
 ふるさとの山「愛宕山」に登る途中の、展望が開けた場所に出ると、何とも言えない「爽快感」があり
ますね。気分だけでなくして、加津佐に住む皆さん一人ひとりの歴史や思いが詰まっていると思うと
余計、ふるさとを応援したくなります。
 今日の昼近くにわざわざ、愛宕山の頂上で撮った写真を届けてくださった、口加山岳会の事務局長
の、Мさん、これからも、ひとりでも多くの人に、山登りの楽しさを教えてください。
 写真は、昨日愛宕山の頂上近くから撮った1枚です。 

加津佐・愛宕山に口加山岳会で登山

2010年12月19日 | 日記
今日は、12月19日 日曜日 天候は快晴。
冷たさはあるものの、冬の太陽が顔をのぞかせています。
 さて、今日は、故郷・加津佐の山、愛宕山に登ることになっています。朝、8時の集合時間に
遅れないように、昨夜は早く就寝。目覚まし時計より、ひと足早く目が覚めましたよ。
集合場所の加津佐海水浴場前には、もうすでに皆さんが集合し始めています。本格的な登山スタイル
の皆さんが多く参加されていますよ。そりゃそうです。今日の主催は、口加山岳会の主催ですから…。
参加者数は、38名。これだけの人数が集まると、皆さん何事かと思われますよ。皆さん、天気が
いいせいか、とても、いい笑顔をされていますよ。笑顔の挨拶に、心も温かくなります。
 さて、出発。最初の目的地は、愛宕山の中腹にある愛宕神社の鳥居を目指します。それぞれの皆
さん和気あいあいに、下に見える加津佐の町並みを見ながら、登っていきます。登り坂なので、汗
がジワリと滲んできます。鳥居でしばらく休憩した後は、急な坂が続く山道を、足元に注意しなが
ら、登っていきます。やっと、視界が開けた所は、岩がゴロゴロとした場所。道なき道という感じ
ですよ。それでも、岩に手をかけ、登り続けます。やっとたどり着いたところが、愛宕神社の祠。
手を合わせる間もなく、頂上を目指します。足取りが軽くなったと思って、辺りを見回すと、まる
で樹海みたいに見えます。ところどころに、石垣も見えます。一緒に歩いていた、Мさんの話では、
「ここにはイモを植えていた」と話されていました。この辺りは、かなりの広さの畑があったんでし
ょうね。
 みなさんが集まっています。頂上と思われる三角点も見えます。本来なら、ここからの視界は抜
群なんでしょうけど、木々にさえぎられて、見ることはてきません。
 でも、頂上ですから、やっぱり記念写真でしょう。事務局のSさん、準備よろしく、三脚にデジ
カメを設置。タイマーでパチリ。口之津と加津佐の皆さんが仲良く写真に収まりました。
 ふるさとの山も、遠くから眺めているだけで、余り、登る機会がなかっただけに、参加された皆
さんも、これからは親しみを込めて「あたごさん」と呼ばれるのではないでしょうか。

 

加津佐・洞窟の矢嶽観音

2010年12月18日 | 日記
今日は、12月18日 土曜日 天候は快晴。
朝から、冬の日射しが降り注いでいます。一昨日、昨日とかなりの冷え込みに震え上がったせいか、少
しだけ温かい冬の陽気に、太陽の恵みを感じています。
 そんな冬の陽気につられて、さっそくバイクで、出かけることにしましたよ。2.3日乗っていなか
ったせいか、なかなかエンジンが始動しません。キック始動でどうにか始動。勢いよく、2、3回エン
ジンを吹かす。これで、準備完了。
 向かった先は、洞窟に観音様が祀られてある矢嶽観音。訪れたのが、いつの頃だったのか、頭には浮
かんでは来ません。参道入り口の赤の鳥居の前に来ました。思ったより、参道は荒れていないものの、
山中には、枯れた木などが横倒しになっています。途中には、竹林もみることができます。
 着きましたよ、昭和11年建立の石の鳥居が崩壊して、柱だけが残っています。そばに「矢嶽観音」と
書かれた額束が放置されています。階段を登ると、断崖絶壁の洞窟の中に、社が祀られてあります。郷
土誌によると、創建は、南北朝以前のことかも知れないと書いてあります。かなり古くから信仰されて
きたんでしょうね。岩肌には、蔦が絡みついています。この地に立つと、何だか、パワースポットにい
るみたいに感じますよ。
 上の方まで、足を延ばしてみました。大きな岩が立ちはだかっています。まるで。修験者の修行の場
所みたいです。足がすくみます。写真を2、3枚撮って、そこそこ降りてきましたよ。
 山中は荒れているものの、久しぶりに山中を歩いたせいか、もと来た参道を気持ちよく帰ることがで
きました。
 


加津佐・愛宕山の鳥居

2010年12月17日 | 日記
今日は、12月17日 金曜日 天候は曇り。
温度計では、昨日より気温は高め。でも、冷え込みはあまり、変わらないようにも感じます。
昨日テレビで放映されていた、氷点下23℃なんて、温暖な気候の加津佐では考えられないです
よね。想像すらできません。どんな寒さ、冷たさなんでしょうか。
 さて、今日は、私用で、外での撮影ができませんでした。そういうわけで、10日に撮影した愛宕
山神社の鳥居の写真をお届けします。いつも、見慣れている山ですが、数回しか登ったことがありま
せん。19日に山岳会の皆さんの引率で登りますが、その途中の中腹にあるのが、写真の鳥居です。
 宝永4年(1707年)に、時の領主、松平忠房の命によって作成された「島原大概様子書」によると
愛宕山は高さ300間、山上に平地5町歩あり、先年まで、愛宕社があったが、今はなくなっている
という記述があるそうです。今から300年ぐらい前の話ですよね。でも、300間の高さと言うと、
一間1.8メートルとして換算すれば約540メートルぐらいになるんですよね。どんなにして測量
したのでしょうか。
 さて、私の子ども時代には、愛宕山には大蛇がいると聞かされていました。近づくと、鎌首をもた
げて追いかけてくると…。なんか、想像するだけでも、怖かったという記憶があります。
 今、この山がいつ頃形成されたのが、わかりませんが、鳥居近くには、岩がゴロゴロしています。
もう、だいぶ前になりますが、地質学に詳しい先生からは、「火砕流」の跡ですよとお聞きしたことは
あるのですが。いずれにしても、火山活動があったことは、事実みたいですね。
 「山の神」として愛宕神社があったのか、それとも、歴史的な謂れがあるのか、乏しい知識では、わ
かりそうにありません。頂上からの展望は無理としても、途中の展望が開けたところから、もう一度
加津佐の町並みを見てみたい気がします。もちろん、報告は致します。お楽しみに。
 明日は、予報では、晴れマークになっているみたいですよ。

 

凛として咲く冬の花ー水仙

2010年12月16日 | 日記
今日は、12月16日 木曜日 天候は曇り。
昨日より、一段と冷え込んだ今日、外の気温は4℃~5℃となっています。テレビでは、長崎地方も
初雪が観測されたとか。冬がすっかり居座ったような、寒さと冷たさが入り混じっています。
 今朝は、あまりの寒さに、出かけるのに、少し二の足を踏んでいます。冷たさで、頭の思考回路も
熱いヤカンを頭に載せないと、働かないようですよ。〈笑〉
 でも、冬の加津佐の風景を探しに、一応車で出かけたのですが、思うような風景には出会えませ
んでした。ガッカリして帰宅したのですが、妻が回覧版を隣に持っていた際に、「水仙」見つけたよ」
と言って帰って来ました。場所は、自宅近くの下の畑。それも、石垣に隠れるようにして咲いてい
たので気付かなかったのですね。日当たりが良いのか、とてもいい姿をしています。冷たさに、凛
として咲く姿に、清楚なたたずまいと言うより「気高さ」さえ感じました。最近、メタボ体型を気に
していた私にとって、スラリとした容姿には、うらやましい気分になりましたよ。
 妻に、撮ってきた報告をすると、自分の部屋からゴソゴソと何やら持ってきました。生け花の本
ですよ。妻の話によると「水仙の花」は一種生〈いっしゅいけ〉と言って、水仙一種のみを使う生花
に使われるとか。生け方も、とても難しいそうです。
 ついでに、妻が持ってきた本からの引用ですが、こんな風に書いてありましたよ。
「陰の花水仙に限る。賞美すべき花なり」と。これは、生花七種伝の水仙の項の冒頭にあるとか。
続けて、「陰」とは冬の事であるとも書かれていましたよ。
 今まて、「水仙の花」を「可憐な花」ぐらいにしか、見てなかった私にとっては、華道の美意識の奥
深さに気付かされましたよ。
 これからは、自然に咲く路傍の「水仙」にも、以前にもまして、「心を留める」機会が増えるような
気がしてなりません。