かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

京都・白川巽橋を訪ねて。

2010年06月30日 | 日記
今日は、6月30日 水曜日。天候は小雨から曇り。
加津佐の「今」をお届けするのが、このブログですが、加津佐の情報を主としながら
自分が体験した旅紀行や島原半島のグルメ情報、そして感動した記事や映画・音楽の
ことなども書いていきたいと思います。
 ということで、さっそく旅紀行をお届けします。訪れたところは、京都祇園の白川巽橋。
夫婦で旅する機会が多くて、いつも京都は神社仏閣が主な訪問先でした。
 しかし、今回は予想外の場所。テレビのサスペンス劇場などの撮影場所としても知ら
れている白川巽橋界隈でした。この辺りは、伝統的建造物群に指定されているだけあっ
て、情緒たっぷり。まちなみ景観のすばらしいところは、ブログ等でも、よく見かける
のですが、川底の浅い白川の水の清らかさには、まさに感動。橋は撮影しないで川の流
れの撮影になってしまいました。写真は自分の感動したものを残せばいいわけですから、
別に気にすることはないのですが・・・。そのことを福岡の親友に話したら、早速「京都
カフェ散歩」という本を送ってくれましたよ。
京都の歴史とともに歩んできた喫茶店ー近くに名店があったんですね。ザンネン。
 祇園の京町屋の風情を味わった後は、ウィンナーコーヒーを味わうという贅沢。目から
ウロコですよ。名所旧跡を回らなくても、こういう旅の贅沢さもあったんですね。
 ちなみに左の方に映っているのが、私の奥さん。肖像権の都合上、後ろ姿だけ撮らせ
てもらいました。 注・・・巽橋(たつみばし)

              、
 

平城宮跡を訪ねて

2010年06月29日 | 旅行
今日は6月29日 火曜日。天候は雨。
今朝から、島原半島は大雨警報が発令されています。ということで、加津佐の「今」を
お届けする事が出来ません。 そんなわけで、今日は、平城遷都1300年祭が開催さ
れている奈良からのレポートをお届けします。
 滋賀県大津市に住む娘の所から、奈良を訪れたのが、6月7日。いたるところで、
マスコットキャラクターの「せんとくん」が目につきます。この「せんとくん」最初は、あ
まり評判は良くなかったみたいですが、今では、すっかり奈良の顔になっています。
 さて、最初に訪れたのが、広大な敷地を誇る平城宮跡。復元された朱雀門が見えます。
その門からは、平城宮第一次大極殿が見えます。その宮殿に向かって、アリの行列みた
いに人の列が続いています。ちなみに、ガイドツアーを利用して回るとすれば、全部で2
時間半ぐらいかかるみたいです。
 それから、すぐ、近くには、唐招提寺や薬師寺もあります。中でも、薬師寺の国宝・
薬師三尊像「薬師如来・日光菩薩・月光菩薩」はぜひ、拝観したい仏像です。
 なっとう(710年)の平城宮、なくよ(794年)うぐいす平安京と暗記した受験生
時代を想い出しました。こんなところで役に立つんですね。
 なっとうに掛けて「納豆」を売り込む自治体もあったとか。先日のテレビニュースで知
りました。

口加高校を訪ねる

2010年06月28日 | 日記
今日は6月28日 月曜日 天候は晴。
今、午前9時半。梅雨空に晴れ間がのぞいています。口加高校に来ています。
40数年前と、校舎の姿は変わりましたが、配置は換わっていませんね。
講堂といって、昔は、モダンな建築の建物がありました。今でいえば多目的ホール
といった方がわかりやすいでしょう。
 さて、高校も団塊の世代がどっと入学した時代でした。クラスも進学組と就職組
などに別れていました。進学組の中にも、優秀クラスがあり、主に国、公立を目指
すクラスでした。
 そんな受験競争の中でも、クラブ活動は楽しいものでした。クラブが終わったあ
と、学校の下にある食堂に、顧問の先生から連れて行ってもらっていたのを想い出
しています。先生のおごりでしたけど・・・。それとは別に、先生の所にも、何度も
お邪魔しました。行くたびにご馳走になったものでした。               
 今では、ラジオ深夜便を聴くようになりましたが、その当時は深夜のディスクジョ
ッキーに夢中でした。特にビートルズの音楽は衝撃的でしたね。ほかにも、ポピュラー
音楽にも夢中になりました。
 そんな時代があったから、その当時を振り返りながら、今を楽しむことがが出来る
んですね。今日は、少し、個人的な話しになってしまいました。ゴメンナサイ。
 職員室の窓から、垂れ幕が下がっていました。そこには、県高校総体男子陸上競技
総合優勝の文字がありました。後輩たちの頑張りに、つい嬉しくなりました。

山頭火も見た風景

2010年06月27日 | 日記
今日は、6月27日 日曜日。・天候は曇り。
今、午前9時。岩戸バス停前にいます。やっと加津佐の「今」をお届けする事がで
きました。
 漂白の俳人・山頭火も、ここを通ったんですね。昭和7年2月12日の「行乞記」
に、こう書いています。「けふも日本晴、まるで春。行程五里、海ぞひの美しい道だ
った、加津佐町、太田屋(三〇・中)ーそして、続けてこうも書いています。「此町は
予想しない場所だった。町としても風景としてもよい、海岸一帯、岩戸山、等、等
途中折々榕樹を見出した。また、唐茄子の赤い実が眼についた。」
 榕樹はアコウのことを指しているのでしょう。そのアコウの木は、写真の右側に写
っています。まるで、岩にしがみつくような強い生命力を見せています。アコウの木
の群生は隣町の口之津町でも見ることができます。ちなみにアコウは、「市の木」に
もなっています。
 日記では、30銭で中程度の太田屋に宿泊したことになっていますが、その太田屋
の所在地がわかりません。口の津町に宿泊した朝日屋の場所はわかっているのです
が・・・・。
 惜しいことに、加津佐を詠んだ句がありません。でも、山頭火にとって、加津佐町は
きっと海沿いの美しい町に映ったことでしょう。訪問から、すでに78年の月日が流れ去
ろうとしています。

心なごむ布袋像

2010年06月26日 | 日記
今日は6月26日 土曜日 天候は雨。
雨がシトシトと降っています。腰を上げるのがおっくうになります。
そんなわけで、頭に浮かんだことを書いてみたいと思います。
何度か紹介した記事の中に、岩戸山があります。その岩戸山に厳吼寺というお寺が
あります。曹洞宗第6代の法統を継いだ、高僧「大智禅師」にゆかりのあるお寺です。
 そのお寺の山門入り口の右側に、素朴な像でありながら、何か人の目を引く像があ
ります。よく見ると布袋像なんですね。台石には文政3年〔1820年〕の文字が記して
あります。その像の前に立つと「おまえの心はわかっているぞ」と見透かされている
ようで、ちよっとビクッとしますが、耳を澄ますとやさしい声が聞こえて来るようで、
温かい気持ちになります。私にとっては、大好きな石像のひとつです。数年前「相田
みつお美術館」を訪れたとき、相田先生の言葉に「自分の好きな仏像」の絵を掲げる
といいですよ」と書かれてありました。でも、あわてることなく、自分の気に入った
写真に仕上がったら、自分の部屋に飾ろうかなと思っています。            
 この岩戸山一体は、耳を澄ますと、歴史のつぶやき、海のつぶやき、石像のつぶや
きなどを聴くことが出来ますよ。そう、そう、イルカのつぶやきもありますよ。

日本で最初の本が出版された町

2010年06月25日 | 日記
今日は6月25日 金曜日天候は雨。
ワールトカップのサッカー日本代表がデンマークに快勝。スポーツ音痴の私でさえ、
最初の得点になったフリーキックが゜ゴールポストに吸い込まれた時は、超感動でしたよ。
 それにしても、南アフリカでの出来事が、逐次テレビを通して伝わるのですから、
情報通信の発達には驚かされますよね。
 さて、情報といえば、昔は新聞や雑誌が主流を占めていました。新聞なんかを朝
開くと印刷のインクの匂いがしたものでした。気のせいか、この頃は余り感じなく
なった気がします。年齢のせいかな~。
 ここからが本題なんです。加津佐は日本で最初の活字の本が出版された町なんです。
数多く出回っている本のルーツは加津佐町から始まったんですね。
 歴史上有名な天正遣欧少年使節が、長崎に帰ってきたのが1590年のことでした。
そのときには、キリシタンに対する情勢はきびしくなっていました。そのような中で、
持ち帰った印刷機は、荷ほどきをされないまま、この加津佐町に運ばれたんですね。
 そして翌年の1591年、日本で最初の活字の本「サントスのご作業の内抜書」と
いう本ができあがったのです。ローマ字綴りの、この本の扉絵には「・・・加津佐に於い
て・・・」という文字を見つけることが出来ます。今、世界で2冊が現存しています。
 南島原市加津佐図書館では、使節が持ち帰った印刷機の復元模型が展示されていま
す。加津佐は「知的遺産文化」の発祥地として、誇りにして良いことだと思います。
 



漁場に向かう漁船

2010年06月24日 | 日記
今日は、6月24日 木曜日 天候は晴から曇り。
今日の予報では、晴マークが出ていたのに、午後からは曇り空。もどかしい天気に
スッキリしない気分です。でも、心は穏やかですよ。
 さて、今日は、スッキリしない気分をスカッとさせる風景を皆様にお届けしたいと
思います。先頃、岩戸山に登ったおり、ちょうど眼下に、漁船が我先にと、一斉に出
漁する光景に出会いました。デジカメを手に標高約90メートルからの断崖絶壁からの
撮影は、まるで紺碧の海に吸い込まれるようです。
 しかし、恐怖感はどこへやら、実に爽快、まさに爽快という感じ。船団が通り過ぎ
て行ったあとでも、日本昔話の歌に出てくるような「いいな、いいな」の気分ですよ。
 実は、午前11時をもって、投網の最適な場所を求めて、いっせいに漁場へ向かう
漁船でした。
 加津佐の漁法は刺し網、定置網、流し網、一本釣り、素潜り漁、タコ漁の漁法が主
なものです。魚の種類によつて漁法が選択されています。
 5月~8月にかけては、タコ、アジ、カサゴ、水イカなどが多く水揚げされます。
 実は、先日仲間の会員から、タコを頂いたのですが、その美味に酔いしれましたよ。
酒ではなくて味に酔いしれたんですよ。食べた者だけの、至福の味ですよ。
 タコの旨みがギュット詰まった味でしょうか。グルメレポーターの○○○さん的な
言い回しになりましたが・・・。グルメ番組の見過ぎでしょう。
 加津佐は海も、魚も丸ごと味わえる、すばらしいところです。



海の家憶えていますか

2010年06月23日 | 日記
今日は、6月23日 水曜日  天候は雨。
雨だれの音を聴きながら、今日も雨か~とため息をついています。
 ということで、今日も想い出日記を開きたいと思います。
 岩戸山の麓にあった海の家、憶えていますか。今、この建物はありませんが、洋館づくり
のこの建物は、岩戸山の景観とよく似合っていました。その当時は加津佐ホテルと呼んで
いました。昭和12年発行の町勢要覧には、海水浴を楽しむ外国人の姿が掲載されています。
 夏の季節に、海の家に一歩足を踏み入れると、涼しい風が迎えてくれていました。
洋風の階段を上がって行くと、客室が、かなりの数あったと記憶しています。
 梅雨が明けると、本格的な夏の到来になります。加津佐の海浜のすばらしさを発見した
のは、雲仙に来ていた外国人でした。ある本に、外国人から見た加津佐の浜がこんな風に
書かれていました。「この透き通った海の色や宝石のような玉石は見たことがない」と。
 その当時は、洋館づくりのホテルだけでなく、町内の商店街には、横文字の看板さえ
見られたそうです。今、自然体験が見直されてきています。加津佐には、いろんな自然や
史跡などの体験メニューが数多くあります。自然体験は、こども達の学力向上にも、効果
的だと書かれていましたが・・・。
 今年の夏は、ぜひ「加津佐の旅」をご計画ください

新田と悲しい伝説

2010年06月22日 | 日記
今日は、6月22日 火曜日。天候は曇り。
相変わらず、梅雨特有のどんよりとした曇り空です。
 今、午前10時、新田に来ています。この地区もすっかり様変わりしています。
昔は、辺り一面すべて田んぼでしたが、最近では、住居は、もちろん公共施設や民間施
設も多く目につくようになってきました。南島原市の加津佐支所もこの地区にあります。
 さて、中学校時代は、この新田が、部活の練習場所でした。新田を一週すると、かな
りの距離になりましたからね。年齢を重ねるにつれて、その当時の状況が鮮明に浮かん
で来るから不思議ですね。
 この新田には、こんな伝説があります。この辺りは、一面の海でした。埋め立てには
大変な難工事が伴いました。この難工事を完成させるのには、人柱が必要ということに
なったわけですね。そこで、世話役の人が、袴のほころびを布で繕ってある人をという
提案でした。ところが、袴のほころびを布で繕ってある人は、言い出した世話役の人だっ
たんですね。約束だから仕方がないということで、その人が人柱になり、その後工事は
無事にはかどり、立派な干拓ができあがったという伝説があります。
 立派な工事の完成の陰には、伝説ではあっても、こんな悲しい出来事もあったんですね。

旧加津佐駅に昔を想う

2010年06月21日 | 日記
今日は6月21日 月曜日 天候は曇り
今、午前9時半。 廃線になった島鉄の旧加津佐駅に来ています。
当たり前ですが、誰もいない駅舎なんて、本当に寂しいですね。ときたま訪れると
余計そう感じます。
 現在の駅舎よりも、前の駅舎者がもっと情緒があったような気がするのですが・・・。
その古い駅舎を思い浮かべながら、乗客の乗り降りが多かった時代のことを思い浮か
べています。駅舎のそばには池がありました。前には松林もありました.
食堂も2軒あったように記憶しています。
 集団就職で、都会に向かう同級生を見送ったのも、この駅からでした。その当時は
蒸気機関車ではなかったかと思います。白い煙りを吐きながら、一生懸命目的地に向
かうその姿に、後ろから押してやりたくなるほどでした。
今の新幹線に比べたら、速度はどのくらいだったのかなと考えています。
 すべてが、ゆっくり流れていた時代だからこそ、よけい郷愁につながるのでしょうか。
ローカル線の終着駅として親しまれた加津佐駅も、2008年3月末の廃線に伴い閉鎖
されました。廃線が決まってからは、廃線を惜しむ乗客が加津佐駅に多くあふれました。
 わずか、2年前のことですが、遠い昔だつたような気もします。
今、駅前には、列車の代わりにバスが停まっています。

脇役から主役の女島に

2010年06月20日 | 日記
今日は、6月20日 日曜日 天候は雨。
昨日の新聞コラムではないが、ジトジト、ベタベタと濁点のつく日が続くと、何か
腰を上げるのが、おっくうになります。
 さて、さて、今日は皆様に加津佐のどこを紹介しようかなと、考えているうちに浮か
んだのが女島でした。岩戸山が多く取り上げられるのですが、ちゃんと存在価値を示し
ているのが、この女島でしょう。高さ76メートルのこの山は、昨日も、少し触れまし
たが、ジオサイトとして、200万年前の貴重な地質や地層を観察する事が出来ます。
 私の小学生時代には、古老からは、愛宕山が噴火して出来たと聞いていました。
その当時、そうなんだと、自然の力はすごいなと子ども心に思ったものでした。
 しかし、実際は、海底でマグマが水蒸気爆発を起こして、柔らかい層にめり込むよう
に地上に吹き上げ、その後次第に柔らかい層が浸食され、現在の女島になつたと言われ
ます。何層もあるショートケーキを思い浮かべ、下から固いものて押し上げるという風に
考えたら、わかりやすいかと思います。
 今、頂上まで登る登山道があり、そこに広がる風景は、海の色と松林、そして白砂と
絶妙のバランスを見せ、その眺望はまさに絶景です。

津波見海岸の両子岩

2010年06月19日 | 日記
今日は6月19日 土曜日 天候は曇り。 
今朝から、濃い霧が立ちこめています。今日も写真撮影が出来ません。
今日は、津波見海岸について紹介したいと思います。
 島原半島は、世界ジオパークネットワークの日本パーク第1号に認定されました。
世界で認定され、それも日本で最初ですから、大いに誇りにすべきだと思います。
ジオパークとは、一種の地質公園といっていいでしょう。
 加津佐においては、岩戸・女島・津波見海岸が地質等を観察できる場所として、認定
されています。
 さて、加津佐から、小浜方面に向かう途中の、津波見海岸に屹立しているのが両子岩。
ちょっと何かに似ていると思いませんか。人の顔に見えますね。誰の顔でしょうか。
 そうです。50年前に、日米新安保条約を調印した、時の内閣総理大臣、岸信介首相に
似ていることから、地元では、「信介岩」とも呼ばれています。
 またこの海岸は、150万年前に出来た地層で、ステゴドンゾウといわれるゾウやシカ
の化石などが産出されました。日本では、脊椎動物化石群として、著名な場所になってい
ます。150万年前の世界、想像するだけでも、楽しくなりますね。




蒼い海ー菊田一夫・こころのふるさと

2010年06月18日 | 日記
今日は、6月18日 金曜日 天候は雨。
朝から、雨がはげしく降っています。。せっかくの漫歩も今日はお休み。
 と言うことで、今日は、「君の名は」「放浪記」「がしんたれ」 などの名作で
知られている劇作家 菊田一夫について紹介したいと思います 
 平成20年には、菊田一夫生誕百年として、各地で記念イベントが開催された
ようです。加津佐に縁があるのは、養母が加津佐町出身者だったことから、小学
校の一時期の一年近くを、この地で過ごしたことでしょう。
 前浜海水浴場の松林近くに設置されている詩碑には
  「がしんたれ けふは泣きけり ふるさとの海の蒼さよ」
  と自筆の詩が刻まれています。 
 加津佐の海の色は、一夫少年の心をどんなにか癒したことでしょう。
小説「がしんたれ」の中で「・・・雲仙岳の山裾に広がる白い砂浜と濃緑
の長い松林に包まれた南国の漁師町・・・」と加津佐の様子を書いています。
 2005年9月に放送された、NHKアーカイブス「あの人に会いたい」では
菊田一夫の至言として「人間どこまで行っても結局ひとり」の言葉が紹介され
ています。がしんたれに代表されるように、加津佐の地においても、結局は
ひとりではなかったかと、かって住んでいた住居地を見ながら、想像しています。




 

加津佐の温泉神社

2010年06月17日 | 日記
今日は6月17日 木曜日 天候は晴。
今、午前10時 昔から、お四面様と親しまれてきた、温泉神社に来ています。
なかなか普通は、お参りする事はありませんが、この地に立つと、何か厳粛な
気持ちになります。鳥居の手前には、小さな石橋が見えます。大正年間に架け
られた橋で、太鼓橋と呼ばれています。
 昔は、この付近の子どもたちにとっては、この神社も遊び場でした。のどが渇い
たら、神社の敷地内にある、湧き出る泉からの清水で、喉を潤したと言います。
 神社の背後には、「どうげんさま」と呼ばれている小さなお堂があります。
かっては、堂の裏の崖から、夏でも冷たい清水が、こんこんと湧きでてたといわれ
ます。この地区の人は重篤の病気にかかったとき、末期の水として用いる風習があ
ったとも言われています。
 堂内には、「道元水基」と刻まれた石碑があります。道元といえば、曹洞宗の開祖
で、永平寺を創建された名僧として知られています。この地に「どうげん様」の呼称
や「道元」と刻まれた石碑があるのが、不思議でなりません。
 この付近には、清水が湧出する場所が何ヶ所もありました。汗をかいた体にとって、
喉を潤す冷たい感触は、何物にも代え難いものでした。今は冷蔵庫などに入った水が
冷たい水になってしまいました。


権田公園より野田浜を望む

2010年06月16日 | 日記
今日は6月16日 水曜日 天候は晴。
今、時刻は午前10時。梅雨空に日差しがのぞいています。津波見・権田バス停から
上に登った権田公園に来ています。
眼下には、「日本の名松百選」に選ばれた野田浜を見ることが出来ます。公園には多
目的広場、芝生広場、児童遊技広場などがあります。
 加津佐の風景は、何と言っても、「岩戸」「女島」が主役になります。島原半島唯一
の景勝地でしょう。今、この風景を眺めていると、この地に生まれ、育って良かったと
つくづく感じます。「自然のご馳走」と勝手に自分で造語し、勝手に味わっています。
 野田浜の白砂も、昔に比べたら、だいぶ少なくなっています。どんな影響かわかりま
せんが、素足で遊んだ砂の感触が、今では懐かしく想い出されます。
 野田浜の松林には、キリシタン墓碑2基があります。そのうち1基には美しい花十字
が刻まれています。時折出かけるのですが、墓碑には花が手向けられています。
 そこにたたずむと、松林越しに見る海の色と相まって、たゆまない波の音、風などに
こころが和みます。海は女性にたとえられます。信仰者は海にマリアを見たのでしょうか。