村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第22号 村上和隆の人生塾「一言」   大自然から遠ざかる現代人・都会人それで良いのか?

2008-04-28 09:28:46 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)
※お知らせ:今後は事務所が滋賀の山中になるため毎日掲載できなくなります、やや日があきますが了解下さい

22.神仏から与えられた大自然から遠ざかる現代人・都会人それで良いのか?

私は滋賀県安曇川の山中で10年暮らしていて、今、たった一人で自然の良さを痛感しています。村上和隆の安曇川暮らし
しかし地元の人でさえも、山中の私の生き方に首をかしげる時代に変質してしまったのです。
田舎の人も山の近くに住んではいますが、想像以上に都会化してしまっているのです。私のほうが、貴方方の都会的な生き方に首かしげたいくらいですがね。

私は「人は、神仏とか自然に近づくことが一生の目的」で、そのために「敢えて、浅はかな人間の密集する土地を離れ、できるだけ母なる自然の近くに住んで、偉大な教えを戴こうと」と考えています。

「なぜ便利な都会に住まないのか?」でなく「なぜ母なる豊な自然の近くに住まないのか?」なんです。
自然が本来の師匠であって、人間はむしろ妨げでさえあるのです。

人は神仏によって大昔おおよそ6500万年前に作られました。ちなみに地球は46億年前に誕生したとか。
形は神仏に似せて作られていますがパソコンみたいなもので、中身はかなりお粗末なものなのです。

人間は生まれる時、他の動物と同様に、「本来無一物なはず」です。しかし現代、人間は無一物でない状況で生まれるように変わってしまいました。
生まれた時から否応なしに、あまりにも多くの人工的なものを持たされているのです。
人間は、本来無一物であるのですが、神仏は生き物に多大な自然の恵というものを平等に与えているはずなんです。

しかし人間は近年神から与えてくれたはずの自然からどんどん離れていってます。
ここ百年急速に人間の浅知恵によって技術進歩や経済発展や都会の暮らしを手にしてしまいました。
偉そうに人間の技術なんてのは、単に術であって手品や忍術みたいなものなんです。
本質的なものではない誤魔化しに過ぎない、道具や便法でしかありません。
しかし恐れ多くも、人間の浅知恵が勝手に作り上げたシステムが自然に取って代わったようなものになっています。

自然というのは50億年くらいじっくり気の遠くなる時間をかけて生み出してきたもので、これほど貴重なものはないのです。
しかし人間はたかが10年・百年で忍術まがいのあこぎなやり口で自然界をゆがめ、破壊してきました。
50億年と百年は5千万倍ですよ。ぜんぜん価値が違いますが、ところが人間は偉大だなどと傲慢な態度を平然とやっているのです。

世の中が進歩すれば「先進的な都会の人間にとって良いことは=考えるまでもなく良い事だ」みたいに傲慢になっているのです。
この世に正義というものがあるとすれば何億年~何十億年、試行錯誤の末に妥当性が客観的に認められたものなんです。

しかし人間の世の中は10年くらいの、はかない期間の単位で動いているのです。ある意味蝉と同じようなはかない生き物なんです。
千年も万年生きられないのです。そういうことは何を意味するかというと、人間は刹那的な生き物以上にはなれないのです。ですから人間は神仏や自然に近づく心を取り戻すべきなんだと思います。

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
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