村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

358.まず掃除から、まず掃除から学べ、掃除が完璧にできずに何をなせるのか

2014-01-26 09:35:45 | 暮らし
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言

第二次大戦後、家もおんぼろ、自動車もなく、食料も着る物も乏しい時代、
私が小さい頃の東京は焼け野原や自然があり、毎朝の掃除は子供がやっていた
母は朝早くから夜遅くまで本当に一日中、想像を超えるほど働きづめだった
当時昭和20年代の道路は土で、草木も多く、葉っぱやごみも散らかってた
今思うと不思議だが毎朝起きると食事前、子供が竹ぼうきで掃除していた

当時、京都も奈良も大阪でもそうだったらしい、日本には掃除の文化があった
無舗装のため家の中も土埃で朝晩母や女中が掃き掃除と拭き掃除をしていた
会社勤め後もエンゼル工業やローム時代、会社で私はせっせと掃除をしていた
毎朝早く出社し掃除していた。ところで古都京都も公共の場は案外汚い
滋賀の山に移住後当初から清掃をやって来て、山もスッカリ綺麗に変わった
私は几帳面ではないと思っているが、普通の人が嫌う掃除が好きだった

世の中には①掃除好き派と②そこそこ掃除派と③掃除嫌い派がいる
①掃除好き派は極めて少ないが、地味で目立たないが、私には共感出来る
掃除が好きとは、おもてなしであり、自分のためだけでなく社交も意識している
汚い・混沌・だらしなさ・不衛生・暮らしにくさに我慢できない自分である

掃除癖は最近70歳になった今も続いており、掃除をしないで放置が出来ない
さすが最近は毎日とはいかないし、一頃より掃除する頻度はかなり減ったが
一方私の子供は掃除をしない、そこで必然的に私が掃除するはめになっている
今の若者は、皆そうかもしれないが、布団は干さない、埃だらけでも平気だ

禅寺などでも掃除は、座禅と同じか、それ以上に重要なものなのだ
確かに禅寺に限らず日本の寺社は少なくとも境内は、ごみ一つ落ちていない
俗世間とはよく言ったもので、我々俗世間の人間は掃除をしない
意外に世界的には珍しいらしい、欧米に行ったことはないが案外汚いらしい

最近は日本の街も必しも綺麗ではない、関西特に大阪はゴミが散乱している
京都も観光地以外はゴミが散乱し、疎水に堂々とゴミを捨てる住民も多い
また周辺の県の山や河川にわざわざゴミ捨てに来る不心得者が絶えない

広い寺には仏様や仏壇飾りが沢山あるが、埃やごみをほとんど見受けない、すごい
我が家程度の狭い家でも、よくよく見るとあちこちにゴミ・埃がある場所が多い
台所・洗面所・トイレ・風呂、水回りの汚れが放置されているのをよく見受ける
嘘だと思うならば意地悪婆さんのように隅々を指で触りながら細かくみることだ

私が最近気づいたことは、掃除しているようで、かなり掃除していないことだ
やり易い場所だけしか掃除していなく、長いこと放たらかしの場所が多い
即ち、「掃除が嫌い・面倒」という気持ちが見え見え、明々白々なのだ
とても偉そうに「掃除してます」「掃除好き」とは言い難いということだ
人間の弱さが見える、まだ幼稚な子供だと指摘されている気がする

最近掃除についても、改めて、より深く考えるようになってきた
①整理(無用なものを減らす)
②整頓(区分しきちんと収納する)
③識別(どこになにがあるか容易にわかる)
④清掃(細部まで徹底して拭き掃除も)
⑤清潔(意外に多い不衛生の除去)
⑥かなり汚い非衛生な水回り(台所・風呂・洗面所・便所)
⑦無用な物であふれた収納場所(押し入れ・箪笥・机・引出)
⑧外回り(庭・ベランダ・玄関の外)
⑨放置しがちな玄関の掃除
⑩放置しがちな寝所の掃除
⑪放置しがちな居間の掃除
⑫面倒な絵画や小物や花・飾りの掃除

テレビでも有名人ですごく完璧な掃除をしている人が紹介される
そういう人は何となく嫌味な小ぽけな人間に見えてしまうのだが
よくよく考えれば、若いのに、そこ迄出来るのは自分よりずーと自立できている
私の幼稚さに気づき、こりゃいかんと京都のマンションを自己流で綺麗にし始めた

そこでの基本を次のようなものにしている
 ①自分でやる
 ②古いものを捨てない
 ③和を取り入れる
 ④現状を大きく変えない
 ⑤無駄な場所・死に場所を放置しない
 ⑥手作り感を出す
 ⑦他人の真似しない
 ⑧動線を良く
 ⑨レイアウト的にも良い
 ⑩お金をかけない  ※数百万円もかけるリフォームは反対、せいぜい数万円で
 ⑪新しいものを買わない
 ⑫落ち着く
 ⑬暮らし易い
 ⑭省エネ
 ⑮面白さ・楽しさ
 ⑯隅々までゴミがない
 ⑰汚れもない
 ⑱不要なものが少ない
 ⑲きちんと余裕のある収納にする
 ⑳来客を考慮、お客の宿泊にも対応する

少し脱線したが、掃除もやってみれば奥が深いが、普通はそこまで到達できない
たかが掃除だとか、清掃オバちゃんを見て軽蔑又は無視する人が多い
最近はマンションの清掃おばちゃんを尊敬の目で見ている自分がいる
日本文化の伝承者であり、禅僧と同じかそれ以上にきつい作業をやっている
暑さ寒さ雨風に関係なく黙々と全館を清掃している、私より数段出来ている

「掃除をしろ」と言われて喜ぶ人なんかいるはずもなく
掃除はこの世の中で一番嫌がられ・軽蔑される存在なんだろう
掃除を嫌う人がほとんどだが、だからこそ掃除をやり続ける意義がある

たかが掃除でも、自分なりに掃除の理念を決め、心を籠めてやることが良い
禅僧の修行は座禅だけだと思う人が多いが、そうではない
座禅ばかりしていたら、人は物を飲み食いしないと当然死んでしまう
それならば座禅と食事と排便と睡眠だけかというと、そうではない
掃除とか薪割とか修繕とか洗濯や炊事やその他多くの作務がある
その中でも掃除、整理整頓清掃清潔は最も大事なものの一つなのだ

昔、店に丁稚に入ったり、新米の職人に入ると、最初何年間は毎日掃除だ
誰も嫌がる仕事は、新米にやらせておけ、ということはあるにはあるが
掃除に耐えられないと早晩落伍する、昔掃除は人としての基本中の基本だった
掃除が出来るから立派になるという保証はないが、重要な必要条件だ、
掃除程度のことが完璧にできない人間は大した人間にはなれないということだ

実は日本の文化は、掃除に始まって掃除に終わると言ってもよいかもしれない
最近、物の片付けにおいて断捨離と言う言葉がよく用いられるようになった
掃除=断捨離であり、断捨離=整理・整頓・清掃・清潔・識別なのだ

私も案外掃除を続けてきた一人だが、最近やっと掃除の奥深さが分かってきた
言い変えると人間の弱さ・至らなさを掃除を通じて思い知らされる
最近では、掃除をやる習慣を身につけさすことが物事の始まりだと思っている

ところで、問題を抱え、あれこれやっても解決できない人を私は支援している
まず云うことは「半年かけて自分の家を隅々まで完璧に掃除しろ」である
それ以外にも頼むべきことはあるが、沢山言っても出来こないのは明らかだが

掃除以外に、もう幾つかお願いしていることは
禁煙・節酒・節食・早寝早起きである、これらを半年やってから
はじめて、悩める問題の解決支援をする、禅寺の入門と同じようにしている
いきなり支援をしてあげるとどうなると思いますか、多分問題解決できない
問題解決は原因究明と対策に過ぎないが、肝心なことは本人の素質素養である
意志の弱い人間・決めたことが続けられない人間には、問題解決は出来ない

問題解決がうまくいかない理由は一体何なのだろう?
いかなる問題も必ず解決する、解決できない理由は
①解決しようとする意志がない②解決を始めない③解決が続かない
占い・医者・宗教・賭け事・酒・麻薬・嘘・誤魔化しに依存し、解決を誤魔化す
一口で言ってしまえば、意志の弱さと徹底して断捨離をできないことだ
掃除は毎日やらなくてはならない、つまらん事でもやり続ける強い意志が必要だ

同様に私は支援を願い出た人に次の要素の大切さを強調している

きっかけ+弱さの自覚+素養・素質+意識改革+継続+支援

この要素のどれかが欠けても問題解決は成功しない

またまた話しが少し飛んで恐縮だが
日本昔話しも、しみじみ味わってみると、奥が深い、舌きり雀・桃太郎・・・
例えば花咲か爺、そのはじめの部分は次のような内容

真面目で正直・心優しい老夫婦が、川で一匹の白い仔犬を拾い
わが子同然にかわいがって育てる。
あるとき犬は裏の畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始める。
驚いた老人が鍬で畑を掘ったところ、金貨(大判・小判)が掘り出される。

という話だが次のそれぞれを自分や現代社会に置き換えてその深さを味わって欲しい
こういう何ともないようなお伽ぎ話の深さが理解できないようでは何も始まらない
・真面目な優しい人間=?やはりいつの時代も真面目で真摯なことが大事
・川で拾った犬=?些細なことでも、きっかけをつかめ
・かわいがる=?そういう芽を大事に育てること
・裏の畑=?表ではなく裏にこそなにかが隠れている
・犬がここ掘れ=?人間ではなく、犬畜生が言ったことさえ採り入れてみる
・鋤で=?やはり道具なり方策をきちんと用いることは大事、手では深く掘れない
・掘ったなら=?馬鹿馬鹿しいと頭ごなしにせず、とにかく掘ってみる
・大判小判がざくざく=?素晴らしい結果や幸福がもたらされる


掃除に当てはめてみると
馬鹿にせずに真面目にきちんとやり続けると長い間には何か大きな得るものがある
ということになる
自分の弱さの自覚は大切であって、掃除さえ完璧にできない自分を反省すべきなのだ
そこに自分の弱さ、駄目さが隠れている、悲しいかな弱さとは人間本来の姿なのだ
人間と言うのは、強がりを見せようとするが「弱い」ものだ、弱さの塊なのだ

嘘だと思うのならば、一か月でよいから完璧な掃除をしてみて欲しい
昔の丁稚でさえも嫌々ながら、掃除を3年も5年も必死に続けたのだ
些細な日常の事をやり続ける凄さと自分の弱さを認識しないといけないのだ
また掃除から多くの基本的なことを学び取らなければならないのだ

お金かけて、つまらん旅行やグルメや遊びなんかするんだったら掃除をせい
掃除に人生を発見しろ、掃除の奥深さを知れ、掃除で自分を強くしてみろなのだ
掃除塾・掃除訓練なんてのがあってもいいかもしれない

私が迷って未だに出来ていないことは衣服やこまごました物が捨てられないこと
過去、すでにかなり捨てて来たが、ほとんど使わないのに捨てられない
まだまだ掃除さえが満足に出来ない私なのであります
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1 コメント

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掃除 (木村)
2014-01-31 11:13:09
同感です。私も今年から掃除を始めました。現在は自給自足農業をしていますが、一汁一菜、1日2食、昭和30年代から江戸時代に戻るを目標にしています。茶道、着物生活もスタートしました。今後ともお付き合いください。
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