村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

230.苦を楽と思い、楽を苦と思う、苦を選んで実践しましょう

2012-01-31 10:18:49 | 人生
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10

村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

お久しぶりです、目下人生勉強会立ち上げに取り組んでいます
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会・クリック
村上原基健康体操塾

人生勉強会を2年前に立ち上げて、改めて人生を深く考え、自ら実践して行くようになりました。
人生とがっぷり四つになってみると、日々の当たり前の行いの中に新たな気づきがあります。
また、日本の諺や偉い先人の言っていることも一つづつしみじみわかってきます。

諺というか座右の銘というものは、本来人間が苦手で出来ていない事が多いのです。
すなわち人間として本来すべきことだが、案外と出来ないということなんでしょう。
人間は駄目なもんであり、本来の姿から程遠い生き物であるということですかね。

諺とか座右の銘というものは、もっとどんどん自分に当てはめて実践するべきですね。
そうしないと、そこらへんの安っぽい兄ちゃん姉ちゃんと同じ程度のものにしかならないということです。
実践すべき諺等は、沢山ありますが、例えば「楽は苦の種、苦は楽の種」をとりあげましょう。

口には言うがやっていないこの諺を、最近やっと少しづつ実践できるようになって来ました。
諺とか座右の銘は飾り物ではありません、使い込まないと全く意味がないのです。
素晴らしい器や道具なんてのは、それが素晴らしいほど、飾っているのでなく、使わなくちゃ駄目です。
ところが素晴らしいものは使うべからず、もったいない、傷つけたら恐い・・・・と仕舞ぱなしですかね?

ペーパ^ドライバーでは駄目です、どんどん運転しないと運転は上達しないのと同じですね。
山内鹿之助の「われに七難八苦を与えたまえ」を簡単な事出来る事から実践することですかね。
ところで皆様は一体、日常の暮らしの中で楽より苦を求める生き方をどれだけ実践していますか?

私の推測ですが、多分、無意識に苦より楽を求めてしまっていませんか?
私もつい2~3年前迄は、100%当たり前のように、楽のほうを選択していましたから。
何をやるんでも、「まず一番楽な方法はないか」を探し、それを自慢さえしてしまうんです。
そして、面倒で苦が多いものは、絶対にやろうとしないのです。

ところが私は、最近、極力苦のほうを選択するように努めているのです。
偶然に苦がやってきた場合も、むしろ歓迎みたいに思うように努力しているんです。
人々は「村上さん大変でしょ」なんて言うんですが、
まあ「村上さんは大変だ」と言われることは、ある意味素晴らしい事ですよ。やっと半人前かな?

逆に人々から楽ねーとか、何も言われない生き方は悲しいことですよ
楽して、苦をせっせと貯金しているようなもんですからね。
お金を貯める人と、あればあるだけ使ってしまう人の差ですよ。
楽をしている人はやがてそれが大きな苦になって実るのです
苦をしている人はやがてそれが大きな楽になって実るのです

そういうふうに考え方を180度変えると苦を求めることは山内鹿之助の言うとおりなんです。
鹿之助は別に、不可能なことを言っているんでも、物凄いことを言っているんでもないんです。

今の世界や日本の姿は楽を求める生き方や暮らし方にあると断言してもよいでしょう。
苦を苦と思わず、むしろ苦を選択する生き方・暮らし方を実践してみて下さい。
是非今日から一つでも何でもいいですから嫌なこと苦しいことを実践してみて下さい。
まあ、現実には、なかなかできませんがね。そこは、最初のうちは貴方の精神力次第ですよ。

自信と勇気と元気と人間らしさと温かみと、更には嬉しさまで身体の底から湧き上がってくるはずです。

諺や座右の銘を是非、飾って眺めるだけでなく、実践してみて欲しいですね。
そういうことを日々地道に積み重ねることこそが、人生を深める早道だと思います。

苦は友・苦はくすり・苦は人生・苦は楽・苦は学び・苦は宗教・苦は自律・苦は成長・・・・・・・・

最近読んだ是非お勧めの本です
涙骨抄『生きる知恵』:真渓涙骨(山折哲雄監修)⇒クリック
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229.厳格にトコトンやってもいないのに「自分はやっている」と平然としている、簡単に諦める現代人

2012-01-26 09:32:57 | 健康作り
村上和隆 
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昨年から腰痛対策を本格化し、やっとどうにか良い結果が出だしています。
そもそもは2年前、かなり腰痛がひどくなって、近くの整体院に行ったのです。
先生きっぱり曰く、「直す気になって継続的に治療すれば絶対に直ります」でした。
「67歳だから、こんなにひどいから、もう直らないなんてことはありません」でした。
そんなことを言う整体師は初めてでしたが、私も「それならトコトンやりましょう」となったのです。

半端でないお金と努力で1年が経過しましたが、当時、直ったような直らないような状態でした。
その後、少しづつ健康体操やら、姿勢を真っ直ぐするやら、自分の努力を加えていきました。
その結果約2年目にして完全100%とはいかないまでも80%くらいは良くなったのです。

特に最近は姿勢が真っ直ぐに歩けるようになりました。実は、これは大きな成果なんです。
姿勢を真っ直ぐにするというのは簡単なようですが、長年できなかったのですがから、
  周囲を見回すと老人が増えたせいもあるが、若者も背筋が曲がった人ばかりです。
  背筋が曲がっていて当然なんです、何でも出鱈目なんですが、それで当然が今の日本の姿です。

独自の健康体操を毎日30分以上欠かさずやることで、それが可能になってきたのです。
身体自身が直ってきたことだけでなく、強い意思が形作られたことによると考えています。
病は身体が病んでいる以前に、気・心が病んでいたことを改めて知らされた気がしています。

健康体操は目下私が普及にも努めていますが、トコトン真面目にやれば、効果を発揮します。
私の過去の反省は、”やることなすこと中途半端というかいい加減だった”ということです。
「やってます」という人の多くは、やってはいるがきちんと厳格にはできていないもんなんです。
「厳格にきちんとやってますか?」と質問すべきであって「やっていますか?」という質問では駄目です。
今後は、会社でも学校でも家庭でも自分自身にも「厳格にきちんとやってますか?」と質問して下さい。

答えが「やっています」では全く意味がありません。厳格さの度合いを確認してないからです。
大事なことは、”やっているか/やっていないか”ではなく、厳格にやっているか?どうかなんです。
現代の落とし穴は、厳格さの欠如や厳格さのチェックの不十分さなんです。

私の場合も「長年、腰痛対策をトコトンやってきた」と勝手に思い込んでいたんです。
「いろいろ一生懸命やったけど、駄目だ」という思い込みや甘えた姿勢だったんです。
しかし今よくよく思えば、「やってはいるが、皆いい加減で中途半端だった」のです。
昔の人は、現代の人の数倍厳格な人が多く社会自体も厳格なものでした。
しかし現代は科学技術の進歩した割りに、厳格さがどんどん欠如しているんです。
時代の進歩に従って厳格さが失われていく、そういう時代になっているということです。
機械化できずに何事も人がやっている時代は、人の厳格さが必要だったんです。

物事を頼む場合も「やっています」という言葉を安易に信じるととんでもないことが起きます。
また自分自身でも「自分はきちんとやっている」と安易に思い込むのも危険なんです。
むしろ現実は「きちんとできていない」のがほとんどなんですから。
平和で便利で豊でなんでも機械がやってくれる社会では、自分に厳格さを求めなくなるのです。
いい加減な所業の積み重ねが長く続く結果、ある日とんでもない災いが降りかかって来るのです。
東北の大津波や原発事故なんかも典型的な安易な思い込みによるものでしたね。
現代社会の問題は、ほとんどがそういうことに起因していると言っても過言ではありません。

腰痛対策として独自の健康体操を続けて私の背筋が真っ直ぐになったことで感じたことは、
いい加減にやっている場合、大きな災いが後々生じると覚悟すべきだということです。
腰痛で背筋が曲がっている人は、最近では老人だけでなく若者にも多いのです。
背筋が丸かろうと左右に肩が傾いていようと、腰が曲がっていようと、一向に平気なんです。
何故なんでしょう?実はすごく大きな問題なんですが、ほったらかしなんです。

膨大な借金を抱えているのに、一向に税金を上げずに借金は増えるばかりでも平気なんです。
国や役人が悪いの政治が悪いのどうのと「俺の知ったことか」と放置するのです。
地球環境問題・病院不足・保険破綻・年金破綻・失業増加・・・・皆いい加減に放置しているのです。
個人的なことでも「もう歳だから病気になっても、足腰が悪くて当然だ」と平然としているんです。
「あるべき完全な姿にするのが当然なんだ」と思う人や、そのように行動する人が少ないのです。

世の中には右も左もそういう「いい加減で良いのだ」という甘い考えの人で満ち溢れているのです。
特にリーダー:指導層にそういう甘い人が増えていることが国をも滅ぼす元になるんです。

二宮金次郎師は、そういう周囲の人を見て、自分が率先して投げやりな状況を改革していくのです。
「俺がやってみる」「できるじゃないか」「あんた達もやってみい」「やはりできるじゃないか」
できるんですよ、どんなことも、やる気さえあれば、きちんとやりさえすれば、

『為せば成る為さねば成らぬ何事も為らぬは人の為さぬなりけり』上杉鷹山(うえすぎ ようざん)
本質をつく・真実を見極める・真面目に・真剣にという姿勢がいつの時代にも大切なんです。

私が健康体操で姿勢が真っ直ぐになって知りえたことは
①真面目にやること
②真剣にやること
③続けてやること
④きちんとやること
⑤くじけずやること
⑥やりながら考えること
⑦工夫すること
⑧改善すること
⑨諦めないこと
⑩やりとげること
でしょうかね

トコトンやる、トコトンやれば何とかなる、トコトンやれば自信がつく、トコトンやれば楽しくなる

逆にトコトンやらない人は、つらい日々が待っているのではないでしょうか?
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228.長年悩んだ夜間頻尿の原因がやっとわかった、一夜で直った

2012-01-23 10:18:40 | 健康作り
村上和隆 
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私は長年夜間頻尿で長年悩んできました。
どうも体質で遺伝するらしく、父も兄も同様の悩みがあるようです。
私の症状は以下のとおりですが、長年腎臓が弱い・冷え症・生まれつきだと諦めていました。
というのは原因がはっきりわからないし、あれこれ対策しても一向に良くならなかったのです。

①昼間は少しはあるが、さほど頻尿ではない
②夜間頻尿は年齢とともにひどくなっていく
③夜間は4~6回は排尿する
  (私は夜何度も排尿するのに慣れ、長年当然のように付き合ってきました)
④夜間約600ccくらい、何故か多量に排尿する(尿瓶に排尿)
⑤最近は高齢化とともに、足の血行や冷えがひどくなっている
疑問は
  ・何故、夜の方が排尿が多くなるのか
  ・夜間、なぜ量も多いのか
  ・毎日運動しても、足を暖めてもなにをしても改善しないのか?
しかも、これらは父や兄も同様な症状なんです。医者も「体質ですかね」だって。

問題が治らない⇒原因がわからない⇒対策の効果がない⇒ますます悪化する
という過程を繰り返してきました。その結果、最近はもうホトホト諦めていました。

原因の分析はとても大事なんですが、残念ですがやらない人や諦める人が多い。
そこで真の原因を見極めずに目暗滅法に手を打つ人が多いのですがあまりうまく行かない。
会社でもどこでも「とりあえずやってみましょう」という人が多いが、根本的には直らないものです。
そして、このやり方は、危険な大きな落とし穴にはまることが多いのも事実なんです。
世の中は、真の原因をつかむ人が成功もし、幸福にもなり、最高の人生を送れるのです。

薬は嫌だったのですが先月、最後の手として病院で頻尿の薬を貰い服用し始めたのです。
ところがやはり、改善は見られません。「やはり駄目だ、もう手の施しようがない」
私が一昨年まで頑固な腰痛に抱いた思いと同じで、「もう諦めよう」だったのです。
おかげさまで腰痛は整体の先生の一言で、昨年、整体治療と独自の健康体操で良くなったのです。
「何事も決して諦めてはいけない」、しかし正直、夜間頻尿だけは、絶望していたのです。

ところが、先日テレビで、足のむくみを寝る前にとれば解消するということを知ったのです。
その時点で「そうかもしれない」とほのかな光明を見出した気がしました。
http://kenko.asahi.co.jp/broadcast_dtl.php?broadcastId=75#theme_204
早速、その時点から、即実行に移しました。
そして足むくみ解消をやってみましたところ、なんとすぐに効果が出たのです。
一日目も二日目も同様に夜は1回しか排尿しませんでした。
当然量も1回分ですから1/4以下になり寝ている時の喉の渇きもなくなりました。
三日目・四日目は1回ではなかったのですが、まあまあの結果でした。

要するに日中座り仕事や逆に立ち作業が続くと足に水がたまるのだそうです。
ちょうどポリタンクや貯水池みたいに貯まっているとお考え下さい。
池が身体の下の部分の足だったんです。まあ当然と言えば当然なんですが、気づきませんでした。
むくみ=足のタンクに水が貯まる(約400~600cc)量的にもドンピシャなんですね。
そのまま横になって寝ると、それが心臓に戻り夜間排尿につながるというこなのです。

こういう原理は、私の夜間頻尿の症状を説明するのにドンぴしゃりなんです。
やっと私の症状に完全に納得できる真の原因らしいものに出会えたのです。
当然水が下に貯まるのは納得できます。貯まった水をかい出してはいないのですから。

物事には原因があるのです。その原因を正確につかめない場合問題は絶対に改善されない。
そして寝る前のむくみ解消もすぐに効果になって現れたのであります。

むくみについてまたむくみの解消についてはネットで調べて下さい。

それにつけても日本足で歩く人間にとって年齢を重ねるにつれ、足や末端は大切ですね
末端=足・すね・腿・腰・足・肩・指・目・鼻・耳・口・歯・頭のケアーが大切なんですな。
真の原因を確実につかむまでは、自分のやっていることは単なる推測に過ぎないのであります。
今私は、足先の指からすね・太もも・腰までをきちんと日課としてケアーすべき綱目に追加していました。
皆様は多分ですが、諦めやほったらかしではありませんか?何事もほったらかしの人生ではありませんか?

※テレビ朝日の「たけしの健康エンターテインメント」で夜間頻尿に関する放送

夜の頻尿の原因が足のむくみであることがあるそう。
老化などで静脈の血流が悪くなり水が細胞の間に溜まってしまいます。
細胞の間に溜まった水がむくみとなります。
立ち仕事や座りっぱなし等は足に水が溜まりやすくなります。
横になると昼間足に溜まっていた水分が静脈を通って上半身に戻っていきます。
余分な水分を尿として排出する指令が腎臓へ行き、夜の尿が作られてしまうのです。
[らくらく頻尿解消法]
尿が膀胱に溜まるまでには3~4時間かかります。
そのため就寝5時間前までを目安にむくみを解消する必要があります。
1、足と頭の下にクッションを敷く
2、ひざの位置を心臓より少し上にする
3、足首の曲げ伸ばしを繰り返す

●平成28年9月18日追記

4年前に足のむくみ対策により頻尿改善の73歳のその後

    一つの療法に走りがちだが、一つの療法をやるだけで簡単に直るなんて甘い夢みたいなことではない
    若い時にはきちんとした身体を老化とともに痛み、弱って来た身体をほったらかしにしたせいなのだ
    ほったらかしにした心や行動自体を根本的に悔い改めることだ
    部分的な病気をなおすのが医者、綜合的に身体全体を直すのが自分  

概要
1.過去はどうだったか       まず日々の暮らしを綜合的にきっちりすることから
足のむくみ対策は、テレビかネットで知った方法で、やってみると効果があったのは確かだが
しかし多くの対策同様、効果は一時的であった、その理由は根本原因ではなかったからだろう
よくあることは、一度やって効果があったというデーターが出たことが、永遠に続く保証はない
    しばし、最初の数回だけは良いデーターが出る場合も多いので騙されないように、要注意
足のむくみが重要原因の人は、それで良いのだが、私の場合は、喜びも束の間、頻尿はやがてぶり返した
足のむくみとりは今もやっているが、過去の私の腰痛や頻尿の療法実施の姿勢を反省してみた
あれこれやるが、対象療法・部分療法・真の原因に手を打ててなかったことに気づいた

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       何事もまずきちんと見直しから
私は当時、頻尿・足腰の劣化・腰痛・軽度のメタボ、それに最近は睡眠不良で悩んできた
そういうものが老化に伴ってひどくなっているのは確かであり、多くの老人も同様と推察する
3年前に隣人から自転車に乗りなさいとアドバイスを受けたが70歳の私は、あまりやる気はなかった
とりあえず、隣人の助言を信じ、正しい乗り方も教えて戴き、さっそくやり始め徐々に上達した
これが案外面白く、技術も上がって、空いた田舎道を疾走するのが今や私の大事な日課となっている

3.どうしたのか、何をしたのか       病気を直すのでなく、暮らし方・生活全体を直す
自転車乗りも負荷を上げていき、同時にストレッチや軽い体操もしっかりやるようになった
二年前からは自転車やストレッチは習慣となり、きちんと毎日やるようになり足の筋肉が戻って来た
そして今年、春に目の前にそびえる蛇谷ケ峰に登山したがきつかったが達成感と自信を味わった
そして今年から更にラジオ体操3回/日、ポールウオーキングをやり始めた
ここ20年一日1時間以上草むしりも未だに続いている、独り身なので無論家事も全てやっている
いろいろな運動をやり着実に筋肉を貯金していくことを日々続けている
・歳だからと考えない・総合的にやる・医者を信じない・自分で考える・守りから攻めに・・・・・

4.どうなったのか       過去の問題を反省し個別的な療法から総合的な自分なりの暮らし
過去やれ整体だ、針だ、注射だ、体操だと都度情報を頼りに、思い付きでお金や時間をかけてきたが
一時は治ったようだが、その後はむしろ以前よりひどくなっている、主体性なくやっていたためだ
整体の先生が絶対に直るからと一年通ったが、多額なお金を使っただけのことだった
腰椎注射も薬も結果的に根本的に腰痛は治らなかった頻尿も同様に何をやっても直らない
医者は私の暮らし方や身体全体を知らないで問題箇所だけ診断し治療する、あくまで商売
例えば、サプリは一年飲でも皆効果なく、一応トライしたが皆止めた、宣伝のうたい文句は疑わしい
そこで過去の考え方を180度変えた
歳のせにしない、若い頃にやっていた普通の暮しを年齢相応に真面目やろう
やれ腰痛だ、やれ頻尿だ、やれ眠れないと個々をどうしよう、こうしようというのは止めよう

5.一体なにが原因で出来なかったのか       安易な飛びつき、他人任せ・行き当たりばったり
見たり、聴いたりしてすぐに飛びつき、やるが効果は一時的、永久に根本改善が出来ていない
腰痛を直そう、頻尿を直そうと、必死に苦しむ症状に注目し過ぎてあれこれやり過ぎ、狼狽える
夏はクーラーにあたり家の中でじっとしてましょう、熱い風呂にゆったり浸かりましょうは正しいのか
私は今年から、夏でも外で運動や作業をし、クーラーは使わず、午後3時頃に水でシャワーにした
老若男女皆座る事が多くなっているが、小まめに、頻繁に立ち歩く、外にも出るようにしている
もっともらしいこと、過保護なことはかえって、老化や体力低下に結びつくことを反省すべし
自分に合わないことは止めるが、自分が良いと判断したら、例え、効果が少なくても続けている

6.何が良かったのか       腰痛対策、頻尿対策と個々の対応は限界がある
もはや、腰痛がどうの、頻尿がどうの、睡眠がどうのではなくきちんと暮らすことに大幅変更した
自分が良しとして決めたことは、毎日きちんと続けることにすることhが出来た
少々腰痛や頻尿や睡眠不良に悩まなくなった、一喜一憂しない、しかも諦めないで挑戦する
時々仲間と長い距離歩きや登山など、きつい挑戦を、歳だからと避けずに、時間がかかってもやる
必要なら医者で副作用の少ない薬を処方してもらう。薬も場合によって必要と考えを切り替えた
「年寄りだから、無理できない」でなく、出来る範囲で挑戦や運動や作業をやるようにした
多くのもっともらしい情報に振り回されず、自分がやってみて正しいと判断したことだけするように

7.提言       73歳でも諦めず運動・作業・体操・冒険⇒守りから攻めへ
腰痛を直そう、頻尿を直そう、個別対応だけではなく、暮らし方や療法を総合的に見直し再構築する
自分にあった暮らし方や療法を自分が納得の上、きちんと定め、毎日地道に続ける
老いていく身体をホッタラカシにしない”歳よりの冷や水”だからやらないというのは間違い
間違ったことを鵜呑みにしてやっている場合が多い、やってみて自分で納得することが大事
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227.現代人は、”日々きちんとする”という人間本来なすべきことができなくなっている

2012-01-10 09:52:35 | 人生

村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
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「近頃の若い者は・・・・」というのはいつ時代も大人の口から出る科白です。
世の中は見かけだけは進歩をしていますが、便利で豊で平和になるほど人は堕落しているのです。

現代人は、進歩するだけ又はそれ以上に堕落・崩壊して行くことを認識しておかないと落とし穴にズボッ。

進歩発展の副作用として「近頃の若い者は・・・・」というのは、いつの時代も正当性を持っているのです。
世の中は大津波のように古びた価値観をぶち壊してしまうのです、あたかもそれが良いことのように、
大人の古びた観念は新しい時代には無用なんだ、ばっさりと切り捨て御免なんです。
若者の「ナウい話」なんてのは、私にとってはうんざりもいいところ、「いい加減にせい!」なんです。

”何かを得る=大事なものを捨てる”ということを理解しないと、大事なものが根こそぎ欠落していく。
便利さを得れば当然人間は汗水たらして働くことは減りますから身体は確実に退化していくのです。
運動不足になれば体力は落ち、長い年月を経て手足足腰そして精神さえも退化していくのです。

昔私の勤めていた頃の会社の仕事と今の会社の仕事ぶりはあまりにも大きく変わりました。
一日中動き回り、多くの人と言い争い、電話は鳴り続け、出張も度々・・・でしたが、
今、多くの従業員は机に座り、パソコンと電話に向かう姿に大きく変身してしまったのです。
その結果、エアコンのきいた部屋で一日ほとんど動くことなく暮らす鶏のようになっているのです。
当然基礎代謝が減り、体力だけでなく気力も生きがいも人間関係も希薄になっていくばかりです。
家に帰ると、更に、エアコンつけて、家に引き篭もりインターネットやテレビやゲームに興じるのです。

足腰が退化した人間や直接的人間関係を持たない人間が家に引き篭もり、自動車や繁華街が減る
大災害が起きる時だけ「絆が大事よね」「助け合いしましょう」なんてインターネットで言って慰めあう
インターネットや高度技術によって人間は結局、パソコン操作者になり下がっていくのだろう・・・
エアコン・パソコン・テレビ・ゲーム機・机と椅子とベッド・電化製品・薬・・・個室に閉じ篭る人人人

昔の人は一日中立ち作業をしていました、ぎっしり詰まった身体を動かす日課があったのです。
昔の主婦はガスで炊事・手で洗濯・一日2回の掃除・遠くまで買い物・・・休む暇もなっかたのです。
そして、それぞれにルールや習慣が決まっていて、忠実にそれを毎日守っていたのです。
子供や生徒や部下がそれらのルールや習慣を守らないとすぐさま親や先生や上司にどなられたものです。

しかし現代は全くそういうことがなくなった。勝手気儘、ルールも習慣もあまりない、あっても守らない。
どちらかというとルールを嫌う・避ける・拒否するという飽きれぶり・放蕩ぶりなんです。
そういうルールや習慣に縛られない暮らしをしていると人間は、ルールを作る能力自身も失ってしまう。
掃除・洗濯・掃除・片付け・作業・運動・人間付き合い・・・というものが習慣化されなくなるのです。
習慣と言えば、パソコンを立ち上げ、テレビ、ゲーム、コンビニに買い物、レトルト食品を温めるくらい。
そんな事にさしたる厳格なルールなんか要らない、そうこうするうちに人間はどんどん退化し堕落していく。
きちんとしたルールなんて全く必要性を感じていない。日々堕落という川を流れにまかせて下っている。

私は毎朝7時から独自の健康体操をする。
自分自身でも「まあ何がよくてよくも続くもんだ」「いっそ止めようなかな?」とか思うこともあるのです
近所の人は「村上さんよく頑張りますね、毎日続きますね」と言われるが、
まあ禅の超厳しい修業に比べたら屁みたいな物だと言い聞かせている。厳しさのない人生や日々は空しい。
4時早朝ラジオを聴く6:50起床、食事の準備、そして外で30分のゴミ拾いと健康体操が早朝の日課、
自分のルールに基づいて毎日、時間どおりきちんとできている人は、人間として退化も堕落もしていない。

自分に厳しさを課さない、続けない現代人は、いざとなると弱くて脆い、そして鬱病になり、自殺する。
本当の意味で人間的に進歩・成長する人は次々に自分に新たなルールを作り実践するものなのだ。

私が毎朝体操をしながら見る光景は
忙しそうに肩を丸め、危なっかしい足つきでよたよた会社へ急ぐ、苦難を背負う亡霊のような現代人の姿だ
時間ぎりぎりに飛び起きて、余裕もなく、家を飛び出て、周囲の景色や私に目もくれずに、すごくあわて、
ゆとりもない、気力もない、明るさもない、なにか物憂げな元気ない姿の若者・老人・子供達が気にかかる

特に朝の体操なんかはやらない人がほとんどだNHKの朝のラジオ体操やっている人は、一部の高齢者。
運動しなかったり歩かない人は多い、起きる時間もまちまち、食事も食べたり食べなかったり。
朝から定期的に水を飲む・毎食後と就寝前に丁寧な歯みがき・ストレッチ等やっていない人も多い。
歯みがきだってひどい人は、朝起きて30秒くらい無意味に磨いてあとは一日磨かない。
布団なんか何年も干したことはない。一日1万歩歩くなんてのもルールを決め守っいる人は少ない。
ゴミの処理や片付けも毎日とか数日おきにきちんとやる人も少なくなった、ひどい人は1月1年もやらない。

   ・きちんとやる     ということができなくなった時代
   ・きちんとやるためにルールを       決めなくなった時代
   ・ルールを作るが     守らなくなった時代

まあ現代はゴミ屋敷の老人のような人ばかりになっているのだ、横着・怠惰・惰性・無気力・怠慢・・・
そういうだらけきった人は一部の若い人だけではない、大人も親も上司も先生も政治家までも蝕んでいる。
「きちんとルールを決めてきちんと守っていますか?」という質問をしてみると現代人は悲劇的な状況だ。
まあ昔は多くの人が「やっています」と答えたはずだ、今は「やっていません」という人が大半でしょう。
やっていてもほんの一部しかやっていなかったり、やり方が極めていい加減でしかないがそれも問題だ。

禅の修業僧を見習うべきです。彼らの修行や暮らしはきちんとした規則を守ることが基本です。
神仏や僧侶は拝むためにあるのではない、見習う又は近づくべき手本とすべきなんです。
ルールを守る、そんなことすらできない人が偉い僧侶になったり素晴らしい人生を送れるわけがないのです。
「神仏や高僧になりたくないからルール等作らないし守らない」というのは人間否定・自己否定でしかない。

どうですか一つでもいいですから、厳しいルールを課して毎日きちんと実践してみたら。
まあ三日坊主はまだ良いほうで、一日坊主ですかね。
それができない人は改めて”弱さ””自分の計り知れない堕落””人間失格”を認識すべきですね。
マネジメントの基本はルールを定め・守ること、そしてルールを見直し、不断に改善していくことなんです。
ルールを決めて守り続けるというのは人間が人間である証ですが、現代人はあっさり捨てようとしている。

それと大事なことを最後に一言
・自分の習慣やルールが本当に的確適正なものか一度総点検してみること
・自分の習慣を一度きちんと整理整頓し文書化してみること
・そして厳しいルールを自らに課すこと、それを守り続けること

そうすることで、自分がやっと、どうやら人間になれることを実感して欲しい
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226.曲がり角で、きちんと進むべき方向をチェックすることの大事さ

2012-01-05 09:51:55 | 人生
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10

村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

お久しぶりです、目下人生勉強会立ち上げに取り組んでいます
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会・クリック
村上原基健康体操塾

私は冬場は、京都のマンションに暮らしています
マンションのエレベーターは1.4.7.10階だけ止まるので、通常10階で降りて1階歩いて下りるのです
私は健康上、時々、わざわざ4階や7階でエレベーターを降りて9階の我が家まで歩いて上るのです
ところが通常10階で降りて1階階段で降りるので、つい間違って上に行くべきところを下に行ってしまう
また出張で近鉄電車に乗る場合、通常ほとんどが京都駅に向かうことが多いので
時々奈良方面に行く用事の時にでも、間違って京都方面のプラットフォームに行ってしまう
このように長年の習慣は、違う局面の場合で、ついついいつも通りに行動させてしまうのです
間違った方向に乗っているのに本人は疑問を全く感じず平然と京都まで行って、やっと間違いに気づくのです
昨年世界や日本は、非常に大きな曲がり角に立たされましたが、過去の考え方で行動してしまうのです
私は常々経営において大事なことは、「適時・的確なチェックである」と申し上げています
きちんとしてチェックがあっての計画・実施・アクションなんです、チェックが土台なんです
チェックを怠ったために大きな災害や事故や損害に結びつくことが非常に多いからです
計画自体も実施自体もアクション自体も、それぞれきめ細かいチェックが必要なんです
チェックを怠ると、下手するととりかえしのつかない命取りになることが多いのです
病気も早期発見・早期治療と言いますが、検査=チェックの大事さを強調しているのです
「歳とって物忘れがひどくなった」という人がいますが、実は歳のせいなどでではないのです
真の原因は、チェックが確実に行われているかどうかなんです
例をあげましょう、
自宅に帰って鍵とか財布とか携帯をどこかに置いたとします
きちんとした場所におけば、まあ1日経った翌日でもありかを容易に見つけるでしょう
しかしときたま、いつもは置かない場所になんとなく置いてしまう場合があります
そうすると、さあ大変、あるはずの財布や鍵や携帯が見当たらないのです
そうなんです、物を紛失する原因は、物を置くときにチェックをかけないからなんです
物を置く場合私がやっていることは、「ここにおいて次に見つけられるか」とチェックをかけるのです
多くの人の場合、そこに置く意識がなく置いてしまう場合が多いのです
電車で網棚に荷物を置くのは危険です、忘れる可能性は大です
私は、物を置く・物をポケットなどにしまう場合、そこにおくことを強く意識し記憶させています
ちなみに切符や財布や鍵をポケットなどに入れて、降りる駅でどこに入れたか思い出せない人が多いのです
嘘だと思うのならば、一度やってみて下さい
そうです、なんとなく意識せずに、いい加減な場所に押し込んでしまうのです
一番いいのは財布はどこ、鍵はどこ携帯はどこ、切符はどことしまう場所を決めておくことです
更にものを置いたりしまう場合に、その場でしっかり記憶させることです
要するに私の言いたいことは無意識になんかやるのでなく
特に曲がり角的な場合や場面では、きちんと意識的なチェックを入れることです
工事現場や運転手のやる”指差し呼称”というのはその典型です
今日本は膨大な財政赤字を抱えている、震災のためにまたお金を使う、年金も怪しい・・・・
そういう時、すなわち曲がり角で人間は、立ち止まり、自分独自にチェックをかけるべきなんです
財産はどうする、健康はどうする、住む場所はどうする、暮らし方はどうする・・・・・
大事なことは、自分なりにきちんと納得して曲がり角を右に行くか左に行くか真っ直ぐ行くか決めることです
時間をかけて調べ・考え抜いて、財産よーし、健康よーし、住む場所よーし、暮らし方よーしとやるんですよ
日本人は平和ぼけなのか、そういうことが苦手で「どうにかなるさ」というノーテンキな人が多いですね
日本人は、過去の道をそのまま漫然と進むタイプか座して死を待つ諦めタイプのいづれかが多いですね
人間は平和に長く浸っているといつしか曲がり角を意識もせず、いつも真っ直ぐに進み続けるのです
昨年は巨大地震や津波や原発事故・節電・ユーロ危機・超円高がありました
大きな曲がり角、さあ自分は今この曲がり角で立ち止まってどうするか考え直すべきなんです
ところが私の周辺の人は、まあそういうことができていないし、私が忠告しても無視ですね
人生には日々曲がり角が次々にやってきます、特にここ10年の日本には、大津波のように押し寄せます
過去、多くの曲がり角をどうにかうまく乗り越えてきたから今後もうまく行く保証なんて何もないのです
否、むしろ過去に、偶然にうまく行った人ほど、今後はうまく行かないはずなんです
過去は、どうやら、たまたま運が良かっただけなんです、企業経営でもありがちなことです
チェック・チェック・チェック・チェック・チェック・チェック・チェック・チェック・
時々刻々、日々、月々、年々曲がり角がやってきて、その曲がり角も困難なものになってくるのです
「また、今後も政治や役人や会社や親が助けてくれるなんて」甘いんです
さあ私がやっているように日常の些細なことから「曲がり角でチェック」を励行して下さいね
自分自身でしっかり考えて結論を出して、地道に行動に結びつけることです
二宮金次郎は言っています
 ①大農は草を見ずに草を刈る、中農は草を見て草を刈る、小農は草を見ても草を刈らず
 ②貧富の分かれ道「遠きを図る者は富み、近くを図る者は貧す」
チェックは早いほうが良い、遅いチェックは命取りになるということです
遠くを見ている人は、曲がり角でも適切な道を選べるのです


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