村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

445.平成29年11月、最近の私の毎日の仕事や周辺の状況

2017-11-28 20:08:56 | 暮らし
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会 
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀事務所(田中)へ
テーマ
最近の私の毎日の仕事や周辺の状況
毎日74歳頑張ってはいませんが、すごく動き廻っています

今年は山は台風で木が沢山倒れたが、その後紅葉はひと際綺麗山の曲がり角の小さな林の紅葉

我が家のログハウスの紅葉

山の我が家の前の林の紅葉からログハウスを臨む

長尾の山の友人のログハウス横の広い庭の紅葉

友人の手作りの庭のテラス、お見事

安曇川田中(田舎町)の近所の家の柵をしてあげた

安曇川田中(田舎町)の近所の家のフェンス工事をしてあげた


最近白菜を塩漬けし甘酢で付け直し美味しく食べている
白菜一個を1/4カット塩漬け、水を絞り、甘酢で漬ける
、もずく・唐辛子・ゆずも入れて、タッパーで保存

安曇川田中の庭の大工コーナー改善

朽木椋川の秋の祭りに行って来ました






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

444.再度地震への対策(北朝鮮より怖いこと)

2017-11-19 20:08:56 | 防災
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会 
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀事務所(田中)へ

テーマ
再度地震への対策(北朝鮮より怖いこと)
天は自ら助ける者を助ける

私は東京から関西に来た頃から地震対策を考え続けてきた
それでも阪神大震災が起きたときに自分の甘さを思い知ったし
更に東北大震災では、あまりの恐ろしさに改めて身震いしたものだ

そこで思うことは、大陸の端っこの海にへばり付く日本に住む以上
当然、想像以上の巨大な地震がくるものと覚悟を決め、
自己責任で最大限準備しなくてはと思ってきた

しかし
周辺を見渡すと、そういう自覚がなさすぎる人が多い
老後のお金もないので、致し方ないとは言えるが
戦争に匹敵するような大きな課題であり、戦争に軍備のように
巨大災害に予防と準備だ

いざ近所に大地震が起きて大被害が生じると
「考えもしないことが起きた、早い復興をして欲しい」
とあたかも復興の遅いのは、政治家や役人のせいのようなことを言う
私が思うことは、事前予防と準備であり
大事なことの基本は、自己責任で社会に迷惑をかけないこと

①危険な場所に住まない
②まず家の危険度を調査する
③家のどこかどう危険かしっかり明確にする
④どう改善すべきか具体的な改善計画を立案する
⑤危険な家であるのに、何もせずに平気で住み続けない
⑥危険な場所に住んでいるのであれば、
  引っ越しまたは安全な別荘を持つなど
⑦早速引っ越しや修理を具体化する
⑧いざ地震が起きた場合の身体の安全や当面の暮しを確保する
⑨お金を出し惜しみしない
⑩出来る事なのにやらないで放置しない
⑪都会で巨大地震の悲惨さを肝に銘じる
⑫巨大地震後に自分以外の人の責任のように言わない

まず自分の家について再度確認をするために表を作ってみた
参考になれば幸いである

自分の家を自分なりに評価して、納得できないことがあれば
是非覚悟を決めてすぐにも対処をして戴きたい

例えば
未だに夜寝る場所の防護が全くやってない、よく安心して寝ていられる
畳に布団を敷いて寝ているなんて人が多いが、二階が落ちてきたら
家具が倒れてきたら、まず大怪我や圧死になるのは必至だ
畳の上に布団を敷いて寝ていることに何の問題意識も持ってない

また例えば
地震が起きたら当面何か月かをどこでどう暮らすかも全く想定し・
準備していない、屋根付き駐車場があり、大きなテントも準備しているとか
専用の小屋を家の外に別途専用に準備しているとか
シェルターとまでいかないまでも、何らかのものが必ず必要なのだ

地震後にきちんと列を作ってマナーが良いと自慢している場合ではない
地震が起きても自己責任で他人の世話にはならないというのが大事
自己責任・自立・自律・主体性・自活・自力・・・

現状確認・問題点の明確化・対策の具体化がなくては
決して、褒められるものではない

・巨大地震は必ず来る
・北朝鮮のミサイルよりもっと実現性も被害も確実だ
・日本にとって脅威は北朝鮮以上に巨大地震や巨大災害ですよ
・その被害は日本にとって自分にとって致命傷になりかねない
「自分だけは被害を少なくしたい」と言うと「けしからん」と言う人がいるが
そうではない
「自分だけでも助かる、被害を少なくしたい」と努力して欲しい

同様に高齢化老病死についても真剣に対応して欲しい
行き当たりばったりでは、巨大地震同様に悲惨な老後になってしまう
「坐して死を待つ」
努力や面倒やお金の出惜しみは致命傷になるのだ
お金は一体何のためにあるのか?有効に使うことだ

働き方改革も高齢化問題も北朝鮮の問題も皆
自分自身の問題として考え、対処すべきであって
やれ、安倍さんが悪いの、自民党が悪いのと、自分は何も考えずに
他だ単に他人の問題だ、他人のせいだというのは正しくない

巨大地震も巨大災害も全て自分の問題であり自分で考え
自分で出来る範囲は自分でやることなのだ
保護なんて言葉は大人については、本来あってはならない
保護とか支援とか言うことはその国が可能だからやっているのであって
そんなことさえ出来ない国は沢山ある。保護は当然ではない

お節介にもそういう他国の支援に乗り出す先進国の人がいるが
それこそ大きなお世話であり、真に役立っているとは思えないものも多い

天は自ら助ける者を助ける
天も神も基本的に生き物を助けないのである、
助けてはいけないのである


山で留守がちの家で何等かの被害があっても勝手に直さないで放置しておく
というのは親切心でやってあげてしまうと、本人にはどんな被害があったか
わからなくなってしまうからである、
安易にやってあげることは、必しも親切にはならないということだ

おぎゃと生まれたからには成人後は、
保護や支援はよほどのことでもなければ
安易に期待してはならないものなのだが、幸か不幸か日本では当然になっている
成人式というのは、そういうものかもしれないが
今や日本では立派な大人やご老人も保護や支援が当たり前になっている
何とも嘆かわしいことであり、健康保険破綻や巨大な財政破綻の元になっている

正直言わしてもらえば、孫子に大きなツケを残すくらいなら
老人は薬漬けにならずに、さっさと早くあの世に行くべきだと
私自身は覚悟を決めている。
かなりひどい症状でも無理して生かすような行為はもう止めるべきだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

443.人との付合い・会話について

2017-11-09 18:58:59 | 会話
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会 
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀事務所(田中)へ
出来た・出来ます
安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円 ⇒更に変更360万円
その後外回りを整備し、自分でリフォーム工事など実施し、以前よりすっきりさせました

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。

テーマ
人との付合い・会話について

・今自分は、付き合いや会話は上手く行っていますか?
・他人との会話や付き合いに完璧に満足していますか?
・相手も自分との会話や付き合いを楽しんでいますか?
それとも
長年上手く行かず、引き篭もって悩みの種になっていませんか?

他人に負けたくない、自分第一、だから衝突する、ぶつかる
自分が可愛い、自分を褒めて欲しい、相手に負けたくない
しかし、そんなことに拘ると人間関係は上手くいかないが
自己愛・勝ち負けを気にしながら、他人と付き合う人は多い

人の大きな悩みは、①対人・②お金・③健康の3つである
強いて言えばそれにプラス④生きがい⑤住まいだろうか
これらがバランス良くキチンとしている人が幸せになり得る
生きがいとか、ゆとりある環境の良い所に住むことも大事な要素
人付き合いがよくお金や資産があり、健康で、生きがいを持ち、
静かで広い自然豊な家に住んでいることが幸せの必要条件

この3~5つをしっかりコントロールしている人は幸せなはず
私は人をこの3~5つで概略評価する、どれが強くどれが弱いか
相手の人の弱点をしっかり把握し、その人を計り知ることだ
相手を思いやることもでき、付き合いも上手く行く

昔戦後までは非常に濃い近所や親戚付合いがあった
現代は付き合いが喪失、人間関係は極端に希薄化している
今や親子や夫婦、更にはお隣との付き合いをしない人が多い
その傾向は高齢化やスマホや個室化などによって加速している
まさに絆や家族愛や夫婦愛は、死語となり、あるのは自己愛だけ
恋愛をしない・結婚もしない・子供も産まない・妻子を虐待する
ネット・スマホ・テレビによって、漢字も書けない会話もしない人

日本人は争わないを基本に付き合い術を文化として身に着けた
ところが国境を接する欧米はそういう文化を築き上げて来なかった
ところが一方、昨今、急速に日本人は、欧米化して来たが
やはり日本人や日本的な付合い方がベースとして残っている

日本的付き合い方(良い・悪いでなく日本の文化なのだ)
・謙遜  ・謙虚  ・遠慮
・個人や自分より全体重視
・思いやり  ・お世辞
・事なかれ主義  ・長い者にはまかれろ

当然ながら、日本的な会話や付き合い方の悪い面も出る
最も付き合いが壊れている典型が、家族・家庭だろう
親子、夫婦がしっくり行かないのは、家庭内が欧米化していること
家族は親しい者同士のほうが、つい、はっきりものを言いがちだ
はっきり言うことは欧米的には望ましいことだが
日本人にとっては、あまり望ましいことではない、カチンと来る

家庭崩壊・親子崩壊・夫婦崩壊・・・・
学校や職場でも同様なことが起こりつつある
セクハラ・パワハラ・学校崩壊・職場崩壊も起きている
それらは欧米的な付きあい方が出過ぎる典型である

私のかつて勤めた京都の会社は、ひどいパワハラ会社だった
常務は「死ね」「首つれ」「辞表持ってこい」:一部上場会社だが
そんなことをやらす社長は、付き合い下手で日本人的ではなかった
そんなブラックな会社に勤めたら、早々に止める決断をすること
結婚も、しかりブラックな夫や駄目妻とわかったら早々に離婚を

和式か洋式かどちらかを考え、会話し・付合うことは大事だ
日本では、安易に欧米スタイルで付き合いをすると上手くいかない
逆に、いつまでも和式で付き合っているのも必しも良いとは言えない
自分が、どういう流儀で会話や付き合いをしているか反省したい

私の最近の姿勢は和式も洋式もなく、独自の原基式のようなもの
昨今の私の流儀では、どこでも誰ともうまく会話し、付き合えている
おかげで、私の最近の人との付合いは驚くほど順調・快調だ
しかし言うは易く、行うは難しく、誰でも出来るというものではない
素晴らしい完璧な付き合い方の出来る付合い相手をほとんど知らない
人は「自分が正しい」「自分が可愛い」という思い込みが災いする

『他人と付き合うとは、自己と向き合うことなり』

世間では次のように言う
「遠くの親戚より、近くの他人」だが、一概にそうとは言えない

話はやや脱線するようだが、
大昔、高貴な人の結婚は通い婚だったと、私は「さもあらん」と思う
昔の人は賢かったと思う、結婚とか家庭は、もっと柔軟であるべし
恋愛とは精神的で、恋しい人は遠くにいるほど、思いがつのる
いざ結婚して一つ屋根の下に住むと「美人も3日で飽きてしまう」
言うまでもないが、汚点が目の前に露呈し、生活臭・粗が見えてくる

そのうち恋しい思いは何所かに消え失せる(40年を要しない)
やがて子供が生まれ、恋しさは子供に奪われてしまう
それでも稼いでいるうちは、かろうじて妻子も父を敬っているいるが
やがて会社をリタイアーし家でゴロゴロすると、ゴミ扱いになる
捨てたいが捨てられない鬱陶しいだけの存在になてしまう
憎いを通り越して、どこかに、一緒にいないほうがよい存在に
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となる、全てが嫌になる
「あれから40年」、凄まじい変わり果てたる姿になる
今や、添い遂げるなんてことは、超高齢化の現代では無理な話だ

恋しいものほど、むしろ距離を置くことが実は正解なのだ
「親子だから夫婦だからはっきりものを言う」は大間違い
友達がなぜ良いのかというと、距離を置いているからなのだ
友達なんてのに、親友なんてのはあり得ないそうだ
もし親友になったら別れの始まり、危険信号なのだそうだ

漫才コンビなんてのは一見すごく仲良さそうだが、現実は最悪と聞く
「仕事を終え早く離れたい」という日々らしく、鬱陶しい関係なのだ
親子や夫婦関係が断絶し問題だというが、その言い方はおかしい
親子だから夫婦だから、むしろ断絶するのだ、断絶して当前なのだ
同種の者ほど、近いほど、磁石のように引合う以上に大きく反発する

人というものは意外と人間関係や付き合い方のイロハを知らない
分かってないのに、漫然と人と付き合うから、ぎくしゃくする
そして状況によっては憎しみ合い、かえって苦しみ悩むことになる

親しいものほど遠くにいる、思いやることが良いということなのだ
逆に近くにいる家族親子や夫婦は争いが絶えないのが当り前
最近高齢化に伴い夫婦が別居するケースが増えているが
あまりに長く近くに暮し続けて来た結果に過ぎない

私の場合は妻が他界する少し前に安曇川の山に一人住んだが
それ以降家族との関係は私としてはきちんと整理したように思う
すなわち家族と距離を置くことによって冷静な関係に戻った
現代は、私のように55~60歳に別婚・離婚をしたほうが無難だろう

「親しい中にも礼儀あり」と言うが、そもそも「親しき中に礼儀はない」
昔は長幼の序があって親や先輩は絶対的に正しいとなっていたが
現代は親の威信等微塵もない、子供も妻も言いたい放題だ
今や、親よりインターネットやテレビのほうが信じる・頼る存在なのだ
「うるせー婆、爺―」「殺すぞ」みたいな親子や夫婦関係になる
親や妻や夫に言うべきでないことを、ストレートに言ってしまう

その結果老いた男は、家の中でゴミ扱いになってしまう
ゴミだから全く賞賛や尊敬や思いやりを受けることはなくなる
「これは、どちらの責任なんだろうか?」と最近、私は考えてしまう
両者に責任はありそうだが、どちらかという男本人側にありそうだ

・親が子供と同居していること
・親がやることをやっていないこと
・親が自立していないこと
・親が子供に思いやりを与えていないこと
・親が親・大人・悟りに近づいていないこと
・家事を自身できちんと遂行できていないこと
・親が現役退職後自堕落な生き方をやり続けて来たこと
・親が‭いい歳して、自分の生き方を発見できていないこと

言いたいことをストレートに言う欧米人の場合も、
実はカチンと来ている、欧米流の夫婦関係は意外につらいそうだ
でも、凄いことは、彼らはトコトン自己主張し、闘い、耐える
その闘いは長年やってきただけあって互いに堂々とやる
陰湿にはならない、明日になればケロッと出来る
だが、日本人には、そういうことがスマートに出来ない
・欧米人には、相手がもっともな意見を言うことに関心があり
 徹底して自己の主張を言うが相手の主張にも耳を傾ける
・日本人は、相手がいかに引いてくれるかに関心がある
 「あいつは、しつこい、嫌な奴だ」ということになるのである

欧米と日本、互いに、到底理解出来ない相容れない行き方
・日本人は「優しい」「謙虚・大人しい人」を結婚相手にする
・欧米はその逆で、自己主張をしっかりする人を選ぶ

ちなみに最今の私は、
厳しいご意見をしてくれることも、褒めてくれることもどちらも好む
辛口の酒も甘い菓子も好きみたいに、両党使い何でもござれだ
凄く楽でストレスがないだけでなく、自己改善に役立っている
だから最近の私は次のように考えてしまう
何でこんな良い付き合い方が誰にも出来ないんだろう?

日本人が一時的にしろ欧米的な会話をする場合があるが
これは上手くいかないはずだ、何故かというと
欧米人が長年かけて築いて来た土台が日本人にはない
土台が違うものに、うわ物だけを別物にしても上手くはいかない
土台も完全に変えた同士が欧米的な会話をやらないと
日本人の場合は、ひどく人間関係を悪化させてしまう
外国人にとって、日本人や御もてなしや優しい反面
上手く付合うのは難しいく悩ましいと言う

従来の日本人的な会話や付合い方で行くのか、それとも
欧米的なはっきりものを言う付き合い方にしてしまうかなのだが
 ・日本では日本的な付合い方が上手く行くのは間違いない
 ・欧米では欧米的な付合い方が上手く行く
最近の私のように両方の生き方が融合出来るようになるのは
並大抵ではなく、普通の人にはかなり困難に思える

日本では、うっかり、はっきりものを言って失敗する人は多い
はっきりものを言えるのは、会社の社長や偉い政治家くらいだろう
しかし安易に、はっきりものを言う人間を日本人は好かれない
はっきり言えば疎まれ、仲間外れされることを覚悟しないといけない
欧米でもはっきりものを言うからには、
発言の裏付けに豊富な情報や実力が伴わなければならない

すなわち欧米でさえも、はっきり言うと失敗するケースも多い
だからユーモアによって、厳しい論争を笑いで円滑にするのだ
洋式も和式も笑いは大事、優しくオブラートに包むことだ
厳しい事を言い合う場合ほど、笑いを上手く入れるべきなのだ

会話下手な人を観ていると、ほとんど笑いを入れないし、笑い下手だ
日本でさえも、はっきりものを言えない日本人は時として馬鹿にされる
私も少し真面目なことを言う場合は、笑いを入れるようにしている
自分を褒めて恐縮だが、昨今の私の笑いの入れ方は絶妙なレベル
笑いの技術を高めると会話は数段楽になる、スムースに楽しく進む
(正直な話、笑いで誤魔化す・紛らわすという側面もないではないが)

そもそも日本人は正面切って争うことに慣れていない
すなわち争い方が極めて下手な国民なのだ
平和国家日本ではなく、争い下手国家日本なのだ
本質を忘れて下手に闘争に踏み込むと日本の国も人も大失敗する
外交も日本独自のスタイルを維持すべきで、それこそ尊敬を得る道だ
最近「日本人も国際化にあっては言うべきことをはっきり言うべきだ」
というが、そう簡単には身につかない
日本人は悪いことも出来ない、悪人にはなれない体質の国民なのだ

トランプ大統領を引き合いに出すまでもなく、
いかに立派な意見を言おうと、必しも結果が上手く行くとは限らない
だから日本人は安易に欧米的な闘争に踏み込んではならない
欧米は国境を接し、争いが絶えない地域だったこと忘れてはならない
そんな地域で、日本的な温和な付き合い方があっさり通じるわけがない

日本的な付き合い方が通用するのは日本においてだけなのだ
韓国や中国においても全く通用しない、長い争いの歴史だったからだ
外国人が日本に来て「日本人は優しい」と言うが、当然のこと
日本は良かれ悪しかれ、それほど世界に珍しい平和な国なのだ
結論をすぐに出さず、じっくり心の中で温め続け、考え続ける
相手を深く思いやる、そんな器用なことを欧米人が出来るはずがない

争い下手な日本人が争うと、無用な苦しみ、悩みがやって来るだけ
争わない文化を持っている日本人が争っては価値が半減する
それでも、愚かな日本人の争いが
・親子喧嘩  ・嫁姑喧嘩  ・夫婦喧嘩  ・親子喧嘩
・しょうもない小競り合い  ・いちゃもん  ・弱い者苛め
・いいがかり  ・ヤクザ者  ・クレームモンスター

意外に、小ぽけな・些細な喧嘩が多い、争いとか闘争とは程遠い
日本人は大きな事は我慢するが、小さな事は案外相手を許さない
即ち日本人は、感情で喧嘩し、相手を許さないところまで行きがち
日本人同士の付き合いでは「そんな事はいかん」と私は思っている
どうしても相手と争う必要がある場合、よほど大きな問題に限るべし
日本人はどんな時も笑顔で悠然としているのが似合う
つまらん争いをする日本人は、価値がない野暮な人である

すなわち日本人同士の喧嘩は小ぽけで、恥ずべきことが多い
70歳以降私は他人への怒りや不平を抱くのを一切止めてしまった
つまらんことで相手を嫌ったり・怒ったりしても何も解決しない
第一、相手の人も不愉快や憂鬱にし、無用な敵対意識が残ってしまう
何も役立たないどころか自分の成長にとっても大きなマイナスになる
何の意味も価値もない事を感情のままに人間はしたがるものなのだ

私なりに正しい人間関係とは、あるべき人間関係とは
人との付き合いとは、楽しく味わうもの
くれぐれも、つらい思いや嫌な思いをするためのものではない
会話や付き合いというのは努力や工夫で楽しくすべきだ

・相手を差別しない
・相手を毛嫌いしない、頭こなしに嫌いと思い込まない
・相手を立てる、自己主張を強くしない
・頑固、堅物や固い難しい話も禁物
・相手のことを質問もし、いろいろ聴いてあげる
・相手の関心のある話題を盛り込む、相手を敬う
・楽しく会話する、明るく付き合う
・笑顔、笑いを忘れない、必死・マジにならない
・会話付き合いが互いのプラスになる
・相手と言い争わない、喧嘩厳禁
・意見がましくしない、上から目線は禁物
・女と男の付き合い会話は全くの別物
・相手の機嫌を損なうのは禁物、ソフトに、穏やかに
すなわち自分の狭い、小ぽけな了見や性格を表に出さないこと
堂々と明るく、大きく、楽しく、明るく、優しく、暖かくである

そしてこういうことが普通に、当り前に出来るようになるためには
自分の大きな人間的成長が背景というか土台に必要になる
人間的な成長がなくして、細かいことをあれこれやったところで
良い結果は出ない、相変わらず付き合いはぎこちなく上手く行かない

私の場合、20年の山暮しによる過去の総清算であったように思う
過去のつまらん拘りを全て消し去る・捨て去ってしまうこと
一からごくごく普通の、まっさらな人間として出直すことである
というのは、
人間が付き合い難い原因は、長年染み付いた性格や悪癖なのである
個別的に悪癖を一つづつちまちまと捨てるのはそう簡単なことではない
むしろエイヤーと全部一挙に投げ捨ててしまうほうが楽なのだ

最近私は誰とも付き合い、会話するようになったが
そんな私でも、付き合い易い人は、良い性格で悪癖の少ない人だ
私でも、了見の狭い悪癖のある人と付き合うのはしんどいのは間違いない
ただ私にとっては、最近は、何とかして誰とも付きあうようにしている

相手や自分が大きな、広い心の持ち主であれば、
付き合いは円満ですこぶる楽しい会話が出来るはずである
是非、相手を毛嫌いせずに楽しいお付き合いを楽しんで欲しい
私の経験でも「嫌いな人とも無理に付き合おう」などとしても
誰でも簡単に上手くいくような簡単なものではない
やはり自分自身の人間的な成長が基盤として絶対的に必要になる

たかが会話や付き合いだが、人間的な成長のバロメーターだ
いかにも付き合い上手なような人が社会には存在するが
よくよく分析してみると、付き合い下手な人なのだ
それほど世の中には付き合い上手は少ない
私の経験でも本当の付き合い上手、会話上手の人は一人もいない

なぜならば
人間として土台が弱い不完全な人が大半なのだ
その不完全な人間同士がいかにうまく付き合おうとしても
人としての土台の不完全さ脆さが表面に出てしまうからなのだ

人との付き合いが
①好きな人とだけ付き合う
②知り合いだけと付き合う
③同性とだけ付き合う
④同年輩の人とだけ付き合う
⑤抵抗のない範囲で誰とも付きあう
⑥初対面でもどんな人とでも制限なく付き合う

さあ自分はどうだろうか?
①~④の人は明らかに付き合い下手だ
女子会だけが付き合いだなんて言う女性がいるが、
単に好きな女友達と狭い付き合いをしているだけのこと
相手を限定し狭い付き合いは、引き篭もりの僅かな延長に過ぎない
異性や若者や年配者や異文化人とは会話もしないのも付き合い下手

一度自分の現在の付き合い方を根本的に見直してはいかがでしょう
良い人生は良い付き合いから、良い付き合いは良い人生から
幅広く円満な付き合いが出来ることは、楽しい人生のバロメーター
高齢化・便利な暮し・都会化・家族崩壊・スマホ・ゲーム・・・
人との付合いを閉ざし、引き篭もる人は確実に増えている

技術進歩・都会化・便利化・家が狭く庭や空き地消滅によて
人間として基本的にあった文化が消滅していく
会話や付き合いは大事な文化だが、それさえも消えつつある

年齢とともに、真剣に自分の付き合いや会話を見直す
そのためには自分の人間的な成長度を見直しましょう
付き合いや会話は、人生最大・最高のテーマです

語る禅僧  南直哉 ちくま文庫 880円+税
すごく参考になります。私の人生勉強会の方向にも合致しています
是非いつかお読み下さい

付近の人のお兄さんが買った空き家の荒れ果てた庭を作り直しました
私の得意であり私の大の趣味です、二日くらいで綺麗に修復できました


60年ぶりに絵を始めて半年、高島市新旭の文化祭に絵を出展しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする