村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

414.異文化で苦しむのと無文化の山で自由気ままに暮らすことの大きな違い

2016-12-28 08:57:16 | 人生
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
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台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
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メイル

テーマ
異文化で苦しむのと無文化の山で自由気ままに暮らすことの大きな違い

概要
1.状況       なぜずーっと昔に仏教なんて最高のものがあったのか考え直すべき時
「こんな山奥にひっそり暮らしていて何しているの?」とよく訊かれる。私は「何もしない」と答える
何もしなくてよいのだ、何もしないほうがよいのだ
手当たり次第あれこれしようと、欲張って我武者羅に動き廻るから、苦しみ、悩む
山寺での修行僧の座禅や作務の暮らしは、異文化に身を置くのではなく、全てを捨てる行
グローバル化、技術革新、IT化など、豊で便利な時代になっているが、どこまで行っても所詮は空
合理性、科学技術、それらをどれだけ追究し高めたところで、世界は良くなるどころか状況悪化
進歩発展しているようで、むしろ確実に堕落し、問題は複雑になり、仏教の教えから離れて行く

2.問題      現状に甘んじて、きっかけをつかまないと、人間は人間に戻れない
京都の会社を55歳で退職後、経営コンサルタントをし、偶然山に移り住み18年暮らし続けてきた
山や自然が好きだという理由であって、山で修行をしようなどとは全く考えもしなかった
”山は何かするところ”ではない”人がいない”、”店もない””何もしないところ”、”全てを捨てて”
”自然に戻る”、”自分を取り戻すところ”、だから普通の人は耐えられず、やがて来なくなる
長く山に暮らして気づいたのは、数件のログハウスの人は別荘族で私は住人であったことだ
18年都会の人や喧騒を離れて、結果的にいろいろな過去の固定観念が剥がれ落ちたらしい
自然だけの山で暮すことは格別な修行や異文化移住でもなく、過去の垢を捨てさせてくれた

3.私はどうしたのか、何をしたのか     異文化移住でなく、無文化の自然への突入だった
60歳くらいから都会を嫌悪するようになった、そしていつしか山が安住・安楽の場所になった
山の管理放棄の空地や森や庭をきれいに整理、清掃するようになり、付近は綺麗になっていった
自然の山でそういうことを黙々と続けるうちに、徐々に自分の心が洗われて行く感覚になってきた
都会への嫌悪感が更に強まり、田舎暮らしを決意するようになり、71歳で町にも終の棲家を買った
東京から大阪や更に京都に移住したとき異文化に暮らすことがつらく大変だったことを思い出す
東京と大阪や京都の文化や考え方や暮らし全てが違うので葛藤しつつ合わせるつらい日々だった
それに反し、山奥は異文化ではなく、合わせる必要もない、淡々と、捨てる、自然に戻る感じだった
山奥に決まった文化はない、素直に一から見直し、原点に戻り自分自身の文化を形成していく感じ

4.私はどうなったのか       異文化に移り住んで得意になっていても何も起こらず、更に苦しむ
自分独自の決まった文化がないから、次々に異文化に移り住んでも、苦しみは増すばかり
人も何もない場所に自分を置く、そここそ一般人が自分を無や空にするに適切な環境だった
染み付き汚れたままの自分に逆らって真っ当になるのは難しい、いっそ一度全て捨てた方が良い
特に都会人は悪い束縛や影響を多く受け入れ、社会や自分自身に振り回されて苦しみ続ける
まさに麻薬患者そのものなのだ。後生大事に、染み付いたものを捨てられない、止められない

5.一体なにが原因で出来なかったのか      染まった文化を一度完全排除しないと始まらない
属する文化に縛られているから、苦しみや悩みが溜っている、まずそこから抜け出さないといけない
抜け出すこと即ち、大袈裟に言えば、無や空に戻ることだが、現状のままでは簡単に出来ない
例えると、ごちゃごちゃして散らかり・汚れ放題の部屋を、まず全部思い切り捨ててしまえということ
部屋が散らかり汚れているのを、片づけ清掃すればよいのに、いつまで経っても捨てきれない
散らかった部屋をきちんと片づけられる資質や能力を持ているのに、そんな簡単なことも出来ない

6.何が良かったのか       きれいになり、すっきりし、原点に戻り ⇒ 出直す、やり直す
山奥で長く暮すということは、山で都会的な事をするのではない、むしろ都会的なことを捨てる場所
 ・理屈をこね回さず、捕らわれず、妄念・妄想に縛られなくなる
 ・自立、強い心を持つ、依存しなくなる      ・一切は無・空、拘りを捨てる、欲を捨てる
 ・自在に動く、強い心を持つ     ・自分を知る、自分を捨てる、自分に克つ、自分を取り戻す
偉い坊さんや先生や有識者の話を沢山聞くだけでなく、山奥で18年くらしたほうが早道なのだ
麻薬を我慢するより、専用の更生施設に監禁された方が早道なのと同じことだ
私も読書や講演や坊さんの話を沢山聴いて来た、しかしそれは始まりや小さなきっかけに過ぎない
山暮しを始めるのは、麻薬患者が隔離室に何年も監禁されるのに似ているが、大きく違うのだ
監禁されて、麻薬を完全に断てる深く悔いる人と釈放されたら又又、麻薬をやってしまう人もいる
自分が正しい、自分のおかげだ、自分のほうが優れている、自分が自分が・・・が薄れ、なくなる

7.提言       異文化への移住はつらいだけ、無文化への移住は続ければ、安息や安楽を得る
自分が正しいとか間違っているなんて百年早いのに、何となく自分は正しいと主張してしまう
苦しみ、悩みが抜けず、うつ病や自殺へと進んでしまう、どうでもよいことにしつこく拘わる
そんなに拘らなくてもよいのに、なぜか拘ってしまう、麻薬患者が麻薬を止められないのと似ている
何かに拘って自分を苦しめるなら、それを捨てさえすればよいのだ、「山奥で何している?」ではない
山奥で長い年月かけて心を洗い流すのだ、山奥で都会と同じことやっては何の意味もない
おもてなし・オリンピック・頑張る・栄誉賞・老人ホーム・都会暮らし・大金持ち・・・嘘っぱちを捨てよ
スポーツ競技も芸術も金儲けも、自慢したり、認められたりするものではない、そんなこと喜ばない
競わない、必死にならない、怒らない、がっかりしない、つらそうにしない、頑張らない、自慢しない
都会の現代人も言わば麻薬患者、山奥に監禁でもしなければ簡単には直らない、永遠に直らない

追伸
年寄りは逆に欲が無くなっていくことも問題だ無気力や腑抜け、認知症にもなる
なぜ晩年欲無し人間になるか?麻薬づけみたいな時を長く過ごし無気力が心の底に染み付いた
まず全て捨てる、捨てたら自分自身でルールを決める、決めたルールを守る、間違っていれば直す
徹底して捨て、自分を深く知ってくると、摩訶不思議な状況になっていることが少しづつ分かってくる
悟ということは、自分が悟って、初めてわかることで、悟以前には全く理解できないことらしい

安曇川田中の竹の里の町内会では年末正月の盆栽飾りを作ってお菓子を付けてお年寄りに配る

ど素人男の私もさんざ苦労の末、そこそこのものが出来て年末の我が家を飾っている
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413.仏教や禅から自分の生き方を学び、一般人として少しづつ確実に実践する

2016-12-21 09:38:24 | 人生
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仏教や禅から自分の生き方を学び、一般人として少しづつ確実に実践する

概要
1.世間の状況     仏教なり禅が日本には根強く引き継がれてきた、利用すべきだ
仏教や禅というのは素晴らしいが普通の人間には難しいし、近づき難いという意識がある
便利で豊な時代には、人間の本来の姿には目もくれず、現実に流されやすい
日本で世界一素晴らしいことは仏教や本格的な禅が残っていることなのだが・・・・・
現代の多くの難しい問題は、仏教や禅に頼らないと抜本的に解決できないように思う
裕福・健康・便利・快適・・・を追究したはずが、貧しく・悩み多く・不便で・不快な都会暮らし?
幸せなはずが幸せでない、豊なはずが豊でない、自由自在なはずが自由自在でない、・・・・

2.問題点     現代の問題は昔は問題ないことが問題になっていることが問題なのだ
仏教や禅は、とにかく難しいので、自分とは無縁と諦めてしまうことがほとんどである
一般人に仏教や禅は生き方に馴染んでおらず、ごく部分的にしか役立ってない
特に現代人には仏教や禅は到底理解も出来ないし、習得しようとも考えない
非常に難しいのに、一般人に対して身近に指導者がいないし、教育の機会もほとんどない
便利で豊になると傲慢・横柄になる一方、心身ともに弱くなっており、いざとなると露呈する
現代は、正しいと思ってやっていることが、結果的に正しくないことが多いが、禅で解決
便利になると人間は身体を使う作業をしなくなり、面倒を避け、難しいことも考えなくなる
豊になれば、他人を思いやるようになるはずが、逆に利己的・傲慢になる

3.私はどうしたのか、何をしたのか      日本人だったら仏教なり禅を勉強し活かすべきだ
私は松下電器時代に土曜講座で座禅会に参加して以来、座禅に興味を持っていた
そして、心の問題について本を読んだり、講演を聴いたりして、勉強を続けて来た
仏教や禅を学び、一般人の自分にあったやり方に程度を下げて、実践することを選択した
東京から大阪から京都更に滋賀へ、都会から55歳で18年山の暮しを続け更に田舎町に
山の暮らしは、自分を自然や基本原点に戻る効果をもたらした

4.私はどうなったのか       僧侶になるか、何か格別なきっかけを掴むようにする
仏教や禅の考えが少しづつ分かり始め、今、晩年を迎え更に深く自分を見つめ直そうとしている
そのきっかけが長年の便利で人で溢れる都会暮らしを捨て完全に離れた
豊かさ・便利さ・人口が多い・狭さ・忙しさによるストレスが人を追い込む
理屈ぽい、自己主張する、ぶつかり合う、都会で多くの人を意識して暮らすのは疲れるだけ
物や技術や経済は進歩、発展するが、私には、人間はどんどん退化していくように思える

5.一体なにが原因で出来ないのか     かなり面倒で高度なのでよほど教育を充実しないと無理
欧米の合理的とか科学的な考え方がやたらに横行し、人それぞれに理屈を言いあい衝突する
合理的な考えと合理的な考えがぶつかり合い、どんどん議論がエスカレートする
何かというと理屈を考えるようになるが、結果的に何も解決しない、むしろどんどんこじれて行く
なぜ、良い世の中になたのに仏教や禅が一般の市民に浸透するようになっていないのか疑問だ
世の中が発展し、豊で便利になると人間の心は安定し、穏やかに、元気で明るくならず、逆になる
科学技術や経済発展は、人を幸せにするのでなく競争や格差を助長し、問題を多くし複雑化させる
人は、ますます依存し、逃避し、引き篭り、自己主張し、元気なく、むしろ鬱状態になって行く

6.提言       自分なりに出来る範囲で必死に人生を追究するために仏教や禅を応用する
座禅の修行は、確かにかなり難しいので触れないが、私が大事な考えと認識していることは
座禅の考え方なりを自分の人生のモットーとして自覚することは有意義なことだと思う
あくまで考えだけでは駄目で、これを日々淡々と実践していくことが大事だと思っている
我々一般人は、自分なりにモットーを掲げ、ひたすら実践の努力をしつこく続けるしかない

1)物事について無・空・不・虚の面を観る
2)人間が本来持って居る仏性・仏心に目覚める
3)あまりに恵まれ、多忙で、欲望に満ちた現代において見失った自己に出合う
4)自分のことは自分でする、安易に依存しない、甘えてはいけない
5)断捨離・整理整頓清掃
6)あれこれ捕らわれず、自由自在に動く

7)自分中心に考えたり行動することを止める、自我を捨てる
8)固定観念や過去に縛られない
9)心身の安らぎを得る、心身を乱れさせない
10)他人を責めない、批判しない
11)当たり前に日課として、家事、作務、実践する、普通に生きる、暮らす
12)妥協や誤魔化しを戒める

13)難関を乗り切る、いちいち困難に負けたり、悩んでいない、工夫する、やってみる
14)物を大切にし、欲張らず、足るを知る
15)何事も、手を抜かず、真剣かつきちんとやる
16)誰とも気軽に会話し、友となる
17)偏らない、行き過ぎない、バランスをとる、中庸
18)合理主義・科学主義・発展主義・欧米主義に振り回されない


これらの考えの実行も単に表面的・断片的にやるのでは効果がない、深く味わって日々深めていく
厳しい修行は出来ないが、厳しい修行をしているような感覚でいろいろ実践をしないといけない
自我⇒エゴ⇒閉鎖的・孤立的⇒闘争的⇒自我を主張⇒経済発展・技術進歩⇒見かけの豊かさ
禅を手本に、人生のあらゆる場面で厳しい修行に耐え、自分を知り、自分を深め、高めて行くべきだ

安曇川長尾のログハウスの周辺、秋は紅葉が美しい(目下450万円で売り出し中、価格は相談出来ます)
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412.何もない(?)田舎で人生を深める楽しさ⇒田舎こそ都会人の住むところ

2016-12-13 10:12:14 | 暮らし
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何もない(?)田舎で人生を深める楽しさ⇒田舎こそ都会人の住むところ
  都会偏重への警告:都会への集中は第二次大戦の日本人の考え方やあり様に似ていないか?

概要
1.世間の状況     都会が良い、都会を離れたくない・・・政治家や経営者の仕向け・仕掛け
経済発展に伴って、都会で生まれ、都会で育ち、田舎から都会へ、そして都会で老いて行く
田舎や山奥は限界集落などと、いかにもしょうもない、つまらない場所だとレッテルを貼る
地方再生なんて言うが、都会の人間に地方再生なんて任せたらとんでもないことになる

2.問題点     都会が良いところとは単なる思い込み過ぎない、そんな幻想を捨てることだ
都会がいかにも素晴らしいところ、住めば都みたいな認識をしているが、大いに危険である
都会中心の意識が今にとんでもなく困難が生じ、くだらない幻想であったかを知るはずだ
テレビにインターネットと携帯、宅急便などが普及した時代は、田舎に暮らす時代到来である
税金を無駄使いし、過剰な便利さの都会で嘘誤魔化しの暮らしをしている人々の行く末を案じる
都会は経済衰退、インフラの老朽化により、むしろ安全でなく、不安で、不便な場所になって行く
精神的にも、身体的にも、生活的にも、そろそろ限界なのは都会であり、限界都会なのだ
今こそ周辺の田舎に逃げるのにもっとも良い時期であり、最後のチャンスなのだが・・・・・

3.私はどうしたのか、何をしたのか       偶然55歳で山に篭れた、何たる出会い、神の導きか?
東京・大阪・京都と都会生まれ、育ちの私だが、今73歳滋賀県の田舎町で迎えている
それ以前に55歳から山奥ログを購入し、コンサルタントをしながら18年ひっそりと暮らしてきた
目下、山暮らしのログハウスを売りに出しているが買う人はいない、山の暮しをする現代人は激減
でも、現代人だからこそ、単なる腰掛ではなく、山暮らしを長く体験して欲しいと願う私であります

4.私はどうなったのか      山は都会の影・形もなかった、実に爽やかな18年で生まれ変わった
都会育ちの私だったが、都会嫌い、田舎こそが人間が暮らすべき場所という認識に変わった
都会は京都でさえ、今や好きになれない、時々子供が住む京都に帰るが耐えられない
狭い、空き地も野原も畑も川もない、やたらに人と車が多い、魅力など全くない、息が詰まる
私の専門の経営管理の見地から都会を分析すると、一見良さそうだがが、多くの大リスクを実感
これまで都会は良かったし、今も良い、多分今後も良いだろうは、安易すぎるし大間違いだと思う
実は人口減少・高齢化・経済停滞で困るのは地方以上だと私は推察する
膨大なインフラの維持管理のお金がないので50年以上の古い設備も破損が一挙に進む

5.一体なにが原因で出来ないのか     都会育ちは不便・人がいない・面倒・虫・暗闇を怖がる
・いざという時に不安、都会には病院があるが、田舎にはまともな病院がないから田舎は駄目
・友達や知り合いが都会に住んでいるから、離れられない
・田舎はつまらない、買い物も遊びも仲間も限定される
・田舎は地味、あでやかな都会に慣れている人間には到底耐えられない
そういう風に何事も都会は素晴らしい、楽しい、便利で友達も多いと絶賛を止めない
しかし長い山暮らしを体験した私からすると、堕落・依存・博打・快楽・短絡的・・・に過ぎない

6.提言       そろそろ限界に来ている、その限界都会に何故か人がどんどん群がっている
限界集落が増えているのは一体何を意味するのか?巨大鼠集団が崖プチから落ちて行くようだ
都会が良いという意識もそろそろここ数年で剥げ落ちて行くが、それは都会が崩壊しつつあるからだ
都会は、このままずーっと便利で、楽しく、快適であり続けるという幻想がいつまで続くやら・・・?
都会に満足して暮らす姿は、例えると肥溜めに良い風呂だと気持ちよく浸かっている姿に似ている
”都会が良い/田舎は駄目”という思いは、田舎暮らしを体験しないことそれ自身が災いしている
「外国暮らしなら良いが田舎暮らしなんかする意味もないし、したくもない」というのが大方の認識だ
私は全くそうは思わない、親として子供達に山や田舎で暮らすことを体験させてやって欲しい

 ・都会育ちだからこそ山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
 ・便利漬けだからこそ山暮らしで不便暮らしをすべきだ
 ・人が多い町育ちだからこそ人の極端に少ない山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
 ・社会や周辺の影響を受ける都会育ちだからこそ孤独で自立出来る山暮らしや田舎暮らしをすべきだ

都会は、良さそうに見えるだけ、現実には自然豊な広々とした山や田舎のほうが数倍楽しい
1)家: ・狭い ・土がない ・庭がない ・自然がない ・川がない
2)人口が密集 ・自動車が多い ・大気汚染 ・人があふれている ・満員 ・高齢化人口減少
3)リスク: ・大地震 ・テロ ・大災害 ・戦争 ・食料確保 ・水確保 ・夏猛暑
4)インフラ: ・水道 ・電気 ・ガス燃料 ・道路 ・介護施設 ・病院施設 ・近所付き合い
こういうストレスによって都会の人間はますます小さく、ひ弱になって行き、悩み・苦しみが増す

追伸
都会は便利で豊ではない、今や田舎のほうがずーっと便利で豊な暮らしを享受できるのだ
今だけで都会と田舎を比較してないか、10年もすると都会の状況は悪化する、後悔先に立たず
友人なんかいらない、病院なんか近くの都会に出かければよい、買い物はネットでやればよい
いつまでもあると思うな親と金 = いつまでもあると思うな都会の暮らしやすさ
少なくとも田舎に暮らすチャンスが来たら、かつての私のように甘んじて受け入れることを勧める

目下売り出し中の私が55歳から住んできた長尾のログハウス付近の秋の景色です





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411.地震への備え、倒れない家にする、足腰強く二階と屋根は軽く

2016-12-08 19:14:44 | 防災
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地震への備え、倒れない家にする、足腰強く二階と屋根は軽く

概要
1.世間の状況     世界一地震国でありながら、家屋の耐震性への関心が弱い:不真面目だ
地震国日本だから家の耐震化は万全と思いきや、全くそんなことはない、むしろ全く分かってない
新耐震基準の家は倒壊が少なかったが、耐震基準自身が甘いので、必しも万全ではない、倒壊もある
他人まかせで、自分の家なのに自分で耐震性を確認しようとしない、だから地震で簡単に倒壊する
" 問題が現実に起きるまでは、真面目に対処しようとしない、実際に懲りる迄は真剣にならない
(大津波に遭遇し、本当の怖さや被害の大きさを知るまでは真面目にやらない) "

2.問題点     人も家も古くなっている、足腰は弱り、荷物は多くなっている⇒診断と断捨離
自分の家が大地震に強いかどうか、どこがどのように弱いかを検証していない
地震に強い家/弱い家の知識もないので、調べようともしない
最近建てた家でも、一階を広い部屋にするために壁が少なく、脆い家となり、一階が押しつぶされる
弱い部分が分かっても、お金をかけ改善しようとしない、予防のための出費をけちる
甘く見ている、軽く見ている、もし被害にあったら嘆き悲しむのに、ほっかむりしている

3.私はどうしたのか、何をしたのか    いざとなると実に悲惨だから、あれこれ金かけて事前に備える
京都滋賀は地震が極端に少ないが、地震が多い東京の出身であり耐震には強い関心がある
地震に強い家を購入してきた、京都のマンション・長尾山中のログハウス・田舎町の平屋
写真
ログハウスは、地震に対して理想的な構造で、過去も倒壊例はないという

瓦の乗った購入当時の平屋、都会の細長い二階屋に比べると、このままでも十分地震には強い

大地震で倒壊などの危険がある場合はお金を使いリフォーム実施
室内なども大地震が起きたことを想定して対策を実施してきた

4.私はどうなったのか       地震雲を毎日見ている、大地震には前兆・余震がある
いざという場合を考えて、山や京都などにも家を確保、東京の親戚もいざという時は受け入れるつもり
田舎町の田中の平家が目下の私の住まいになっているが、瓦屋根をガルバリューム鋼板にし軽量化した
写真
平屋の屋根を更に念を入れ瓦を撤去

田舎の間口の広い平屋は総体的に強い、今年更に瓦をガルバリュームに軽量化した



まず京都や滋賀に3軒の家を所有し、いざという時に備えて来た
昨年から安曇川長尾の山を下りる計画で、地震に強いはずの平屋を捜して、購入した

5.一体なにが原因で出来ないのか     知らない・わからない・やらない・金出さない⇒必ず後悔する
他人まかせで、自分の家は自分でしっかり耐震性や問題個所の確認が出来てない
命や財産や家財を必死に守る意欲に欠ける、いざ起きると嘆くだけ
大地震や被害を科学的、冷静に分析し、問題点を出しお金をかけて予防対策する姿勢に欠ける
大地震など大災害や戦争を経験した人が減り、家に対し安易な信頼を抱いてしまっている

6.提言       今すぐに猛反省をし、お金使い、耐震予防といざという時の準備を
よくよく見ると危ない家ばかり、現実に、私は、確実に倒れる家を数多く見る

●巨大地震で倒壊し易い家は、例えば次のようなもの
1)古い家、は痛み腐っていることもあるが、耐震補強やきちんと修繕が出来ていない家が多い
2)旧耐震基準の家(新耐震基準でも設計にむりがある場合、倒壊する家がある)
3)2階、3階の家、  都会では難しいが、出来れば平屋が望ましい

4)間口のせまい、細長いひ弱そうな2階家(都会に多いが非常に危険だ、隣も倒れ掛かる危険)
5)隣との隙間が少ない家(都会に多いが、背の高い細長い隣の家が倒れかかってくる)
6)屋根が沢山の重い瓦で出来ている家(軽いガルバリュームなどに変えると良い)
7)一階が壁柱のない広い部屋があったり、耐力壁が少ない家
8)二階に重い荷物が多い家(必要なければ二階を減築又はせいぜい瓦を排除する)
9)一階にピロティー構造になっているなど、一階に部分的に柱や壁がない箇所がある家
10)長いことシロアリの点検や防除をしていない家、古い家では水回りなどに虫喰い被害が多い
11)元々品質の低い・安い・古い家・手抜きの大工が建てた家
12)筋交いや金具や固定がいい加減な家、後年いい加減なリオフォームをした家

●耐震の家の基本     平屋、二階や屋根は軽く、正方形の家、柱・壁多く・筋交い・金具がっちり
1)基礎、土台が頑丈   2)一階の壁が多い   3)二階軽く   4)手入れが行き届いている
5)平屋   6)間口が広い  7)筋交いや金具   8)屋根はガルバリューム鋼板で軽量化
9)必要ならば耐震補強   10)崖や盛り土や傾斜地・坂道は避ける

私が特に危惧するのは、細長い二階建て三階建ての密集住宅でしかも重い瓦屋根の家だ
二階の重さを一階が必死に支えている、平屋ないし二階を狭く・軽く、一階の足腰を強くしておく
田舎の広い土地に正方形の平屋で耐力壁が多く、耐震の最新技術で建て住めば、まず安心

追伸
役所が何とかしてくれるという期待はせず、自分でどうにかするという意識でやる
緊急事態に対しては、一とおりの方法や手段ではなく2~3とおりのものを準備する
おが屑によるバイオトイレや水や缶詰なども確実に個人で確保する
寝ている時の大地震では踏み潰される、寝床にはシェルターのような防護小屋を設置する
地震シェルターを寝床に作って寝ているが、案外落ち着くし、いざという時も慌てず安心です
2~3万円程度の二段ベッドを買って下に寝るのでも良い
写真


いざという時に屋根付き駐車場など生活の場に転用できる場所を確保、大工道具や材料は在庫する
余震が続けば家の中には寝られない駐車場が広く屋根があれば、緊急時に使える
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410.悟ということも、読書や座学だけでなく、実行・修行が必要

2016-12-06 09:33:01 | 人生
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テーマ
悟ということも、読書や座学だけでなく、実行・修行が必要

 注意)
  ミニ悟りは私の造語、一般人がそれなりの修養を経て納得のいくレベルで望ましい心境を得た状況
  当然だが偉い僧侶の悟りとは遥かに比較にならない低いレベルであるが
●お前のミニ悟りなんか悟りじゃないとか、勝手にミニ悟りなんて使うな・・・なんてことはどうでもいい。
便宜上、悟りという言葉を使っているだけで、私にとって悟りらしきもので十分なのである
一般人が人生を真剣に取り組もうとする出発点である、多くの人は出発点に立とうとしないのだ
厳格に証明したり、誰かに証明して戴こうという気もない。迷惑をかけるわけでもなく、
自分にとって、ミニ悟りの状況を更にきっちり自身で維持発展させて行けばよいと考える

●私にとっては、悟ったかどうかはどうでもいい、新境地の自分に生まれ変わったことは確かなのだ
単なる73歳の老い耄れにとっては、その程度のことで十分なのだ。悟ることが目的ではない
私にとっては73歳と言えども新たな出発点なのだ。華々しくもない、格別凄いことでもないのだ。
格別世間に表明すべきようなものでもない、昨日も今日も同じなのだ。
ミニ悟りは私が一般人としてとりあえずの越えるべきハードルと思っているだけだ

概要
1.世間の状況     悟るとは私の体験では、ミニ悟りでさえも実に気分爽快なものだ
簡単に言えば、すっきりするのだ、長年つかえていたものが、とりあえずとり除かれるのだ
例えば、ゴミや物で溢れた汚い部屋からガラクタを捨て、整頓し清掃したあとのような状況だ

最近の若者は過程より結果を求める、本を読むと分かった、出来ると勘違いしてしまう
本を読まない人も困りものだが、本ばかり読んで行動や実践をしない人も困りものである
座学やインターネットで知ったり、分かっても実践や行動が伴わなければ実際に出来るはずがない
面倒なこと、つらいこと、時間がかかるやり方をしないから、悟りはますます遠ざかる

2.問題点     一般人にはミニ悟りでいいのだが、そういうものさえ得られない現代は哀しい
そもそもミニ悟でさえも、その価値にあまり関心がなくなってきた
現代は、面白可笑しいものが身近に沢山あるから、悟りなんてものはどうでもいいのだ
清水の舞台から飛び降りる、虎穴に入る、そういう経験を数多く積もうとする人が減って来た
ましてや悟りという尤も困難な課題を達成しようとも、出来るとも考えなくなった
少しは本を読んだり、考えはするが、やろうとしない、要領のいい人、頭のいい人が増えて来た
コンピューター、インターネット、携帯、便利なものが出てくると悟りなんてどうでもよくなる

3.私はどうしたのか、何をしたのか       55歳からの山暮らしが私を新たな心境へと導いてくれた
私は、戦争中に生まれ貧しい時代、ひたすら、いろいろな努力を続け、その後豊な時代へ、
東京工大合格、東京から大阪そして京都更に滋賀へ、都会から山奥へ、大企業から中小企業、
考えるより、良いと思うことを、あれこれやるということが、結果的に良い効果を生んできた
過去を振り返ると東京を離れ単身で関西に赴任して以来、自分の考えで状況を大胆に変えて来た
また、どちらかというと頭が悪く、身体も弱い、精神も軟弱なことがむしろ良かった

4.私はどうなったのか       お金持ち、金メダル、世界的発明、最高芸術・・・に関心はない
私は、能力・性格・行動・頑張り等むしろ駄目な人間であったことが、かえって幸いしたように思う
東京から関西へ、都会から山奥に長く暮して70歳くらいでミニ悟りを得たように思う
禅の僧侶には到底及ばないが、ミニ悟りは自分の生き方暮らし方で日頃の心がけで可能だ
一般人は便利で豊な都会で必死に働いた結果、嘘誤魔化しの生き方を続けて、年取る
今思えば山奥で一人自然と向き合い、案外忙しかった日々が座禅修行に似ていたかもしれない

山の暮し当初は暮らし方が分からず、万一の場合も対処できず、迷うばかり
55~65歳山暮し時期に、病気などで2回手術したり、必しも万事順調であったわけでもない
大半は荒れた山の清掃をしてきて、最近も次々に管理放棄の家の草ぼうぼうの土地を整備していった
また、10年目くらいで山の暮しをベースに人生勉強会を立ち上げblogを書き続けて来た
そのblogの内容も、あくまで自分の山暮らしを通じて考えたことから書き下ろしたもの
単に山暮らしをしていただけだが、山暮らしを通じて得た人生観を自分で考え書き留めていったのだ

師匠もいなかった18年の山での暮らしが、ミニ悟りの修行らしきものになったのではないか?
65歳くらいから、以前の私とは大きく変わり、あれこれ改善されて行き、心の乱れは大幅に減った

5.一体なにが原因で出来ないのか     欲張り、勘違い、楽したい、面倒臭い、固定観念・・・・・
何もしない、頭で考える、変わらない、人生に無関心な人は、一生を無駄に過ごしてしまう
人生に関する本を沢山読んだ末、本のとおり、出来るかというとそうはいかない
泳ぎ方を知ったら泳げるようにはならない、同様に、悟りも厳しい修行をしないと開けない
都会に住む現代人の多くは、山に続けて暮らすなんてことはしない
考えて、「つまらん、くだらん」と頭ごなしに否定し去ってしまい、行動をおこそうとしない

現代人は頭で考え過ぎる、頭で考えて分かったことは、本当に分かったことにはならないのだ
そういう意味では本もインターネットもテレビも困ったものだ、現代人の多くが錯覚しているのだ


6.提言       基本・原点に帰る⇒原基だ⇒元気だ⇒厳喜だ
都会に暮す現代人にとっては、きちんと修養して悟ること自体が意識にない
何事でも言えることだが、特に悟ということは、頭で考えたり、本を読むだけでは到達できない
そういう意識で悟ろうとしないと、一生懸命本を読んで「わかった」なんてのは何の価値もない
どうにかすると、人生は本を読み、頭で考えてわかればよいみたいな感覚に陥りがちだ
この20年山暮らしの結果がミニ悟りであったことが不思議、かつ、感激だ
本格的に座禅で悟るということもあるが、何も座禅だけが悟るための道、方法ではないのだ
座禅とは大違いではあるが、座禅と山での一人暮らしの共通点らしきものを考えてみた

  1)人や都会の雑音を遮断できる
  2)過去染み付いた都会の嘘誤魔化しから隔離出来る、良い意味の監獄生活だ
  3)自然との親密なふれあい、不自然な都会の暮らしを断捨離
  4)山で、周辺の清掃や山菜とりや野菜作りや土木大工や家事など一日中の多忙な作務
  5)本や過去の固定観念を捨てて一からやり直す、出直す暮らしの日々
  6)他人と接することがほとんどないので雑念を忘れる
  7)山でいろいろなことが起きるが助けを求められない、自分でやるしかない暮らし

1)捨てる  2)自然な環境に暮す  3)贅沢しない  4)自分でやる:自立  
5)不便を厭わない   6)続けて暮らす   ⇒ミニ悟り

言っておくが、山暮らしで悟ろうとか、山暮らしをとりたてて格別なものと思ってはいなかった
しかし時々都会から来る人の質問は「こんな山の中で何をしているのか?」であるが、
この質問こそが現代人の人生に対する後ろ向きで逃避的な態度の現れなのだろう
私があえて聞き返したいことは、「貴方はなぜ狭苦しい都会でせわしなくもがき苦しむのか?」だ
嘘誤魔化しで悩み・苦しみの生き方から脱出するには、頭で考えず、自然な環境に身を置くこと
都会から山に移り住む、しかしそれだけで、誰もが悟りに近づくことは保証できないのだが
私が馬鹿で、不器用で、能無しで、何やかやと、あれこれ無駄にやって来たのが幸いしたようだ
多くの本を読み、自分で考え抜き、人生が分かったというような18年では全くなかった
72歳から麓の田舎町に平屋を買い終の棲家としてひっそり、質素に、ひっそり静かに暮している

追伸
山暮らしでは悟ろうなんて思ったことはない、18年くらいして、なんとなく気づいたのだ
枯れかけ、腐りかけた原木のまま、朽ちて行くか、原木の中に潜む仏像(仏性)を彫り出すか
・人との付き合いは円満で楽しくなり  ・悩みや苦しみもあったがさほど気にならなくなった
・何でも自分で何とかするようになった  ・一人でいる時も複数の人と付き合う時も同じ
・自分なりの人生感をもてるようになった  ・贅沢をしなくなった、欲張りもなくなった
・淡々と暮らせる、退屈でも多忙でもない  ・固定観念に捕らわれない  ・気力もある
・悟ったと断言する自信もないが、昔のように悩み苦しむことはない  ・身体の調子もそこそこ良い
・付近の清掃も続いている、前の空き地を毎日少しづつ雑草を抜き、掃除し、整えている
・明るい、工夫して何でもこなせる、最近は苦手だった習字や卓球や読書も再開した
・毎日自転車で町まで買い物に、付近のポールウオーキングやストレッチ、筋肉強化も続けている
・気力が萎えて、歳とったなあと思っていたが、73歳読書など根を詰めることも復活してきた

私は山でもここ田中でも炊事場の汚れた水は下水に流さない、都度汚水を貯めて、草木にやるのである。
雨水は貯めて庭の草木や清掃などに使っている
こんな些細なこともやらない人ばかりとなった。「都会ではそんなこと出来ない」と言うが万事が万事だ
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