村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

116.神「人間どもめ、頼みもしないことを知り・考え・勝手に変えたり、作りやがって」

2007-10-24 08:54:32 | 人生
人間どもよ、お前達は自分のことだけを考え、自分を改革し、僅かでも神に近づく努力を死ぬまで続ければいいんじゃ。
生意気に他人のことなんか考えるのは、大きなお世話じゃ、お前さん自身が堕落しているんじゃから
不遜にも、本来神がやるべきことを、お前達みたいな未熟者・やくざ者が勝手にやっている、断じて許さん!
未熟な自分のことを疎かにして、やらなくてもいいこと・くだらんことばかりやりやがる
いつから、そんな世の中・そんな人間に堕落してしまったんじゃ?人間というものはもっと尊厳や謙虚さを有していたはずなのだが
ところで、組織というものは、与えられた役割だけをきちんと実行することが重大なのであって、頼みもしないことをやる組織は最悪なんじゃ
蟻は蟻・牛や牛・ミミズはミミズでいいんじゃ、神の意向だけを黙々とやっとれば、いいんじゃ
最近は、女が男のことをやりやがる、男は女みたいなことをやりやがる、世も末じゃ
人間が神の意向を守らん、人間はもっとも肝心なルールを守らん、けしからん、灸をすえてやろう
お前らの国の政治家や役人、会社のなかにもそんな不心得者・お節介者が、うじゃうじゃおるじゃろ?
わからんか?教えてやろう
野球では投手は投げること、捕手は投手の球を受けること、野手は球を捕って塁に投げることが一番大事なんじゃ
投手が投手の役割を、バッターがバッターの役割ができず、きちんと果たさなければ、当然そのチームは勝てないのじゃ
人間は、近年、そのような矛盾することを、恐れもぜずに、じゃんじゃんやっているんじゃ
学校の校内暴力やイジメにも似て、数々の軽挙妄動を一見立派な人間どもが、亡者のようになってやっておるんじゃ
だから、質(たち)が悪いんじゃ

本来、神しかやってはならないことを、勝手にやりやがって、得意満面な愚か者が世界中に蔓延ってしまった
その結果、多くの人間がどんどん騙され悪の道に染まっていくという最悪な状況が生まれるというわけじゃ
世界中が、俺俺詐欺みたいなもんじゃ

なぜだ?一体なぜこんなことになってしまったのだ、こんなことにしてしまったのか?
誰の差し金なんだ、誰がこんな悪企みを思いつき、平然とやってきたのか?

会社は、よほど立派な社長や専務や常務がいないと会社は遅かれ早かれ、最悪な状況になる
世の中も同じで、よほど立派な権力者がいないと世の中は、どんどん最悪な状況になって行くのじゃ
現代は正に最悪の社長が率いる会社、最悪の監督が率いる野球チームみたいなもんじゃ
そういえば、つくづく周囲を見渡すと、いつの間にか最近は碌でなしの最低の経営者や政治家や親ばかりになっている
多分、すでに金や名誉・名声で動く「権力者=亡者」のような、そういう最悪な時代に突入してしまったのじゃ
末世ということを口にするが、現代を末世と言わずしてなんとしよう

そのことさえも気づけない、気づかない、世界中が狂ってしまって、自然の治癒力を失ってしまったのじゃ
一国ならともかく、世界中が皆、例外なく、過ちをあたかも神に近ずいたかのような錯覚を犯しているのじゃ
地球環境問題も未だに、反省さえできていない、まだなんとかなる、愚か者がなんとかしようとしている
人間が神になるなんてことはあり得ないのだが、彼らはかなり神に近づいた、神を越そうなんて思い上がっている
この思い上がり者めが、罰当たりめが、無能な権力者によって、地球が喰いものにされつつある
もう止まることはないじゃろうな、神も最後の仕事をしなくてはならなくなってきた、その執行年月日が近づいている

人間よ、簡単なことだ、
  まず最大の謙虚さを取り戻すのだ
  「神から言われた、お前さんがやるべきことだけやること」に戻ればいいんじゃからな
  駄目な権力者を見捨て、神の意志を思い出して、神の意向に従うことだ
  簡単なことじゃが、簡単には行かないのじゃ
  人間は、ひどく思い上がってしまったからのー
  人間は、ひどく怠惰になってしまったからのー

大事なことは「自分だけでもやる」と決意するかどうかだ

昔次のような感じの歌があったように思うが、全くそのとおりじゃ


「止めろと言われても、もうどうにも止まらない」
だからもうここに至っては神としても「やるだけやらすしかない」
むしろ早く崩壊させるしかない、そして人間どもを、まず目覚ますしかないのじゃ
荒治療・大破壊・大リストラじゃろうかのー?
神にだって、出来んことがある、そういう場合は、情けないが、神といえども切れないとしょうがいないのじゃ
役立たんだろうが、最後にキーワードを示して終わらせてくれ
 ①仏性
 ②自然治癒力
 ③謙虚さ
 ④もったいない
 ⑤がんばろう
 ⑥誠実さ・真面目さ
 ⑦無用なものを捨てる
 ⑧原点に戻る
 ⑨心の底から、改める
 ⑩皆、仲良く
 ⑪孫・子のため
 ⑫ありがたい

村上和隆の人生
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115.子育て・会社・学校で「ほったらかし」はいかん

2007-10-21 08:18:48 | 人生
子供を持つ親、従業員を使う社長や部長、生徒を教える先生、妻を持つ夫・・・・・・・が勘違いしている大事なことがあります。
子供や従業員や子供などを大切にすることは、物を与えたり、塾に通わせたり、会社の福利厚生をよくるなど形式的な愛情をかけてやることだけではなく、常に関心を持ってやることなんです。
よく見てやることでなんです。そして話しかけてやることなんです。場合によっては、むしろ、タイムリーにきつく叱ることもあるのです。
野菜や草花や動物やあらゆる物に対しても大事なことは、関心を持って観察すること、常時目を向けることなんです。そうしないと人間も草花もしおれて枯れてしまう恐れがあるのです。
現代の病根の一つは、愛情はかけても、関心を持つことが抜け落ちていることなのです。
物や贅沢などは与えるが、関心を示していないのです。
女性の従業員に、「あれ髪型変えたの」「きれいな服だね」「がんばってるか」「どうや最近、元気でやっているか?」「うまくいっているか?」の一言、朝の「おはよう」の一言が大事なんです。
会社を訪問して、社員さんが「いらっしゃいませ」「おはようございます」の一言も言わない会社は、多分社長さんが”無関心の人”なのでしょう。
例えば、お金持ちの子供さんなんかに、典型的にみられる現象です。「うちの親は忙しくて家で一緒になることがない」
親は「何でも与えています、子供に愛情を注いでいます」なんて言うのです。完全なミスマッチなんですね。
親が子供に関心を持つ、そして子供が親に関心を持つ、双方向の関心の関係があるでしょうか?

「愛する人には関心を持つが、愛していない人には関心を示さない」のが普通であります。愛する=関心を持つことなのであります。

もしうちは無いと思われた場合には、即刻自ら子供に関心を示す行動を開始して下さい。小ぽけなこと目立たないことでもいいのです。
贅沢させてもらうことなんかより、無関心が子供や従業員や生徒や妻には一番つらいことなんです。
全てがそうなんです。大きな勘違いをしているんです。
まあ、「上の空」なんですね

一言で言えば、「ホッタラカシは駄目よ」
ということなんですね。そう言えば、家も会社も学校も「ホッタラカシだらけ」ではありませんか?

  1.愛の反対は憎しみでなく、無関心である
  2.幸せの反対は不幸でなく、幸せを実感しないことである
  3.攻めるの反対は守るでなく、無防備である
  4.豊かさの反対は貧しいでなく、豊かさを実感しないことである
  5.捨てるの反対は拾うでなく、捨てないことである
  6.足るの反対は不足でなく、足るを知らぬことである
  7.上昇の反対は下降でなく、停滞である
  8.掃除の反対は汚すでなく、掃除しないことである
  9.無駄の反対は有効でなく、無駄を排除しないことである
  10.活かすの反対は殺すでなく、活かそうとしないことである
  11.平和の反対は戦争でなく、平和の有難さを忘れることである
  12.善の反対は悪でなく、不善である
明るく生きよう明るく生きよう
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114.お寺や神社で神仏などを拝むが、人は皆「偶像崇拝者」なのだ

2007-10-19 10:34:29 | 信仰・宗教
日本人は、無神論者が多い。「貴方は何を信仰していますか?」と訊かれて正確に即答できる人は、明らかに何らかの宗教に入信しているごく限られた一部の人です。
日本では、ほとんど宗教教育がされていません、宗教はむしろ触れてはならないことタブーのような雰囲気があります。おかしい話ですね。日本では、周囲を見回しても、心底真面目な仏教信者なんてさほどいません。
一方、多くの外国では宗教教育は基本的なもの、大事なもの、無くてはならないものと認識されています。
まあ、日本人はそのおかげというか、柔軟であることは確かですがね。悪く言えば、厳格なバックボーンがなく、自分の理念は主義・主張がないのです。それに比べて外国人は結構頑固で個人主義的です。
しかし不思議なことに、日本には非常に多くお寺や神社があります。京都に住むと異常な多さには驚くばかりです。日本人は正月やお彼岸に寺社に出かけて行きますし、仏壇や地蔵さんや日の出などやたらに何でも拝む風習があります。
しかしどうも拝むと言っても、その背景となるしっかりした信仰を持っていませんから、空念仏か御利益のためというような偶像を表面的に拝む浅はかなものにならざるをえません。私には、日本人は偶像崇拝の世界代表みたいに見えるのですがね。
信仰は、ややもすると偶像崇拝、形式的なものになりがちです、否むしろ大半の日本人の寺社への参拝は形式的・表面的・情緒的です。
こういう日本人のような傾向を一般に偶像崇拝と言うのでしょう。
偶像崇拝というのは何も信仰の世界だけのことではありません。社会の全ての物事は99%偶像崇拝(又はバーチャル・幻覚・幻想・蜃気楼・・・・)で成り立っているのです。身の回りは偶像崇拝だらけなんです。「偶像崇拝はいかん」なんて言っている人の多くの暮らし方は実は、朝から晩まで偶像崇拝そのものでありあます。

美人・秀才・社長・金持ち・民主主義・進歩・成長・豊かさ・化粧・おしゃれ・地位・その他あらゆる物・あらゆる事・・・・・・・
名画・名演奏・名著・国宝の仏像・名○○・・・なんかも、まあ基本的には、偶像に過ぎません。

こういうものを崇拝して暮らしているのです。ある意味仏像や神様以上にいろいろな偶像・幻想を崇拝しているのです。

すなわち
「偶像崇拝だらけの暮らしや生き方をしている自分」であることをまずきちんと認識しないといけません。

偶像というと何か格好良いもの・格別なことのように聞こえますが、まあ「マガイモノ」「インチキ」「嘘ダラケ」「幻覚」「幻想」・・・・ということでしょうか?そういう暮らしや人生を日々送っていて何も疑問を感じないばかりか、むしろよろこんで偶像崇拝をやっているのが人間なのです。一見真っ当な人のようで、麻薬やお酒や女に溺れる人とさほど大きく変わりません。本質から遠ざかり、日々次から次に新しい偶像を作り出し、狂気しているのが人間なのであります。
熱中人なんてのがテレビでやっていますが、あれは典型的な偶像崇拝、意味のない最高の馬鹿げたことでしかないのです。一見スゲーけど、何ら本質的に賞賛には値しない愚行でしかないのです。そういうことを言われても頭に来ないで「そうだよ俺はヤクザ者だ・幻覚者だ」と素直に受け入れるのであればまだよろしいのですが。

「日々、俺は偶像崇拝をやっている」と

毎朝夕思い出して診よ!深刻に腹立つこともくだらん心配もなくなるはずです。なぜかと言えばしょうもない幻想を有り難がって、神棚に奉って、崇拝し日々ヤクザな暮らししているんだということです。「ほとんどの人間は、首相から乞食まで、愚かな偶像崇拝者だ」ということ、この世の物事はほとんどが偶像に過ぎないのです。
否、むしろ悪人や愚か者・ヤクザな人間のほうがあまり偶像を崇拝していないのかもしれません。金持ち・地位の高い人・有能な人ほど幻覚・偶像に酔いしれるものであります。こういう上流の人間どもが、つまらんことを、真剣にあーだのこーだの言っているんですな。
また日本の特徴は「いい加減」「偶像崇拝」「柔軟」「何でもありー」「そんなの関係ねー」・・・なことかもしれません。無心論者の国日本・偶像崇拝の日本・バンザーイ」

ハーイおしまいでーす。
座右の銘座右の銘:http://www.meico.org/zayuunomei.html

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第9号 村上和隆の経営塾「一言」   人間や企業に重要・不可欠なISO並のマネジメントシステム

2007-10-17 07:27:55 | 経営管理
9、不完全な人間や企業に重要・不可欠なISO並のマネジメントシステム

人間というのは非常に不完全なもので、次のような欠陥を沢山もっているのです。
人間という奴はあらためて、わざわざ占いなんかする必要ないほど、全部が全部駄目なんもんなんです。
このじゃじゃ馬人間を家庭でも、会社でも、政治でも、どこでもきちんと手なずけ、うまく誘導していかないと、とんでもないことになるのです。
そこで最近ISOを中心にマネジメントシステムなるものが急速に普及しているというわけです。
企業では今や常識ですが、個人や政治や役所もこのマネジメントシステムをきちんと身に着けないといけないのです。特に政治や役所は最悪で、マネジメントシステムが全く欠落して、やりたい放題、「記憶にありません」だの「知りませんでした」だの「管理していませんでした」なんてのが続出、しんじられなーい、この国は政治家と役人でやがて崩壊するのです。
まず人の基本的な欠陥をあげてみましょう。「私は全くそんなものはない」という方は少なく「全部ある」という方が多いのではありませんか?
さほど人間は、ある意味、困った存在・獣並なんです。
 1)贅沢病
 2)欲張り病
 3)横着病
 4)引きこもり病
 5)浪費病
 6)傲慢病
 7)頑固病
 8)習慣病
 9)自慢病
 10)偏屈病
 11)甘え病
 12)依存病
 13)せっかち病
 14)執着病
 15)放置病
 16)やり過ぎ病
 17)怒り病
 18)落ち込み病
 19)だんまり病
 20)心配病

そこでISO14001並のマネジメントシステムが必要なんです。学校で義務教育として教育すべき最重要事項なんですがね?
貴方自身や貴方の会社は次のどれも完璧にできていますか?
多分どこかに欠陥があると思います。最近の企業の不祥事なんかは、正しくマネジメントシステムの欠陥なんです。

●マネジメントシステム

  調査(業界・自社・他社・法令・リスク…)
   ↓
  分 析
   ↓
  リスク分析
   ↓
  理 念
   ↓
  目 的
   ↓
  目 標
   ↓
  計 画
   ↓
  基準・規則
   ↓
  教育・訓練
   ↓
  日常指導
   ↓
  運用管理
   ↓
  点 検
   ↓
  是正・予防処置
   ↓
  監 査
   ↓
  経営者(主体者・リーダー)所見

経営管理支援経営管理支援
この頁にマネジメントシステムの体系図が乗っています。

経営革新支援経営革新支援
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112.人生を極めるのが人生であり/昔の人間に戻りもっと真面目に生きよう

2007-10-13 07:59:01 | 人生
便利で豊かな時代、若者だけでなく大人達までも一見楽しそうに、幸せそうにしているが実は、目標を見失い、虚ろ・空虚な暮らしをしている日本人が増えている。
そういう日本や欧米先進国のような、生きがい喪失先進国を、よりによって真似せんと中国もインドもブラジル・ロシアなどが、我先にと、経済発展に国をあげて取り組んでいるのです。
本当のことを言えば、日本や先進国家は、過去の反省に立って、新たな人間のあるべき生き方や新たな国家のあるべき姿を提案しないといけないのですが。
しかし相変わらず経済発展・経済中心・世俗的欲を満たすための政治に偏っている。
国益のための政治というが、人間のための政治というものが、戦後欠落してしまった。
今こそ、失ったものをどう取り戻すか、俗世間的なものとは別の政治体制や社会体制が併存的であってもいいから、存在してもいいのではないかと思うのです。あまりにも人類は真面目さや謙虚さや人間らしさを失ってしまっている。

衆議院は俗院、参議院は清院
みたいな新たな性格付けが必要なのではないでしょうか?

参議院は「良識の府」というが、現在はあってもなくてもいい単なる衆議院のコピーに過ぎないのですが、参議院の性格を大きく変えるべき時が来たのであります。衆議院に欠けるものとして参議院がなくてはならないのです。昔はそういう趣旨だったはずですが、米穀通帳のように無意味・無用・無駄な税金泥棒の存在になっているのにそのまま放置されているのです。国会議員は情けない無力・無誠実・無能さぶりであり、彼等は選挙に勝つことが目的なのであり、国民のための政治なんてのは、その合間に申し訳程度にしかやっていないのです。

・経済や俗っぽいことのための政治、国会
・真面目な人間の生育のための政治、国会

経済や俗っぽいことのための堕落政治・堕落国会だけをこれ以上続けて、やっていれば、間違いなく地球環境も社会環境も人間自身も崩壊してしまうでしょう。
人間も生き物ですから、俗世間で生活の糧を得るために金とか名誉とか権力を得ようとする一面があってしかるべきですが、反面真面目な人間としての面も持つべきでなのです。政治、国会も指導層として、正にそうあらなければならないのです。
しかるに現実は、両院とも自分が選挙に勝つためだけの俗っぽい低俗な政治、国会運営をやっていますから、この先、先進国も後発国も、ごちゃまぜになって、ついに世界中が俗ぽい人間で全面埋め尽くされて、ペストにかかったネズミの巨大集団か、はたまたインフルエンザにかかった鶏の大集団のような状況になっていくのでしょう。
昔、しばしば世の中が乱れたときに日本においても、寺を建立し、僧侶を敬い、経を読み、国をあげて仏教がその乱れを救ったという話をよく耳にしましたよね。
世界的=グローバルに地球崩壊・人間崩壊が進む現在は、今こそ、仏教みたいなものをよりどころにして真面目な生き方に立ち戻らねば、崩壊をぎりぎり食い止めることさえ益々困難になり、人類復活・地球復活なんてことは不可能であり、世界中の人が「もう何をやっても無駄だ・駄目だ」と焼け糞になって酒やセックスや麻薬に溺れ、ここ数十年で急速に悲壮感と無力感が漂う社会に間違いなくなっていくことでしょう。
私もイチロー選手が大好きですが、現代は、金や名誉や力を得ることや人が賞賛される時代であり、よく考えてみれば、イチロー選手さえも、現代の典型・象徴の一つなんです。しかしこんな俗世間的なことを中心にドカッーと置いて、人間を続けていて良いのでしょうか?
まあ力のない私がこんなことを一生懸命・真剣に説いたところで、何ほどの効果もないのですが、この60億人近い世界の人間の中で、例え、たった一人でも二人でも真っ当に生きることを目指す人がいて欲しいというのが今現在の偽らざる私の心境です。
まあ世の中が今以上に欧米流の考え方で、グローバルに発展し、グローバルに加速度的に乱れて行ってますから、キリスト様でもマホメット様でも仏様でも観音様でも、修復は到底無理なことでありましょう。
修復は無理だから、俗っぽくこのまま人生を生きて行こうとするのではなく、せめて自分だけでも俗っぽさを捨て去って、残された人生を真面目に生きて行きたい、そして清清しくあの世に旅立ちたいとは思いませんか?

人生とは
 ・豊かさを得ること
 ・楽しさを得ること
 ・名誉、名声を得ること
 ・権力を握って人を支配すること
 ・金や財産を得ること
 ・裕福な家庭を持つこと
 ・見目美しい奥様やだんな様をもらうこと
 ・・・・・・・・ではありません。

「人生を極めることだけが人生」それを孫子に受け継ぐことなのであります。

こういう大事なことを忘れた人間はどこかに捨てられる運命であり、捨てられてもいたしかたないと思うのです。
人類は、つい5百年前は5億人くらいであったのですが、今は10倍の60億人近くにもなっています。真面目な人間が1億人2億人の昔の時代と、俗っぽい人間ばかり60億人の現代とでは、世の中どちらが崩壊するか言うまでもなくおわかりでしょ。

今後俗っぽい親が更に俗っぽい子供を生み育て、その子が更に俗っぽい孫を作って、近い将来そういうくだらん人間が100億人にも膨れ上がるというのです。
ここ100年くらいの間に人類がしでかした取り返しのつかない愚かな行為に気づき・反省し・悔い改めるべきなんです。人間は誰でも過ちを犯すものですが、その過ちを直すことができるかどうかが重要なポイントなんです。

ここ20年後、30年後の惨澹たる状況というか結果は、言わなくてもわかりますね。そういう時代の中で「自分自身も、百億人という多くの俗っぽい人間の一人であった」というのでは、いかにも情けないではありませんか?

残された20年~30年の余生を、微力ながら努めて真面目に「人生を極める」の心境で生き抜くつもりです。
「真面目に生きることが楽しい」というようなことにならなんといけないのです。そういう認識や感覚をまず持つことが第一ステップ(最初の一歩)なんです。その第一ステップを踏み出せない・踏み込めない・踏み越えられなず、安易な生き方を選び、そこから抜け出ようとしない者が真の幸せなんか永遠に理解できるわけがないのだと思います。
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111.なぜ、人間は「ゆっくり」を味わえないのか?楽しめないのか?

2007-10-03 10:30:02 | 人生
私は、幼い時からずーと「せっかち」が癖でした。良い面もありますが、悪い面も同じ位あるのです。
自分の特徴でもありますが、大いなる欠点・欠陥という意識をづーと持ち続けてきましたが、長いこと結論は出ませんでした。
「直さなくては」と思いながら、直るどころか、むしろどんどんエスカレートして行ったように思います。
”せっかち”というのは、良い結果になる時は「やったー」となるのですが、結果が大失敗になることも多くて、そういう場合は、つくづく落ち込み、反省したものです。
その都度「もう少し落ち着こう」「ゆくりしよう」と思うのですが、あくる日から、せっかちに行動している自分を発見するのです。二日酔いと似ています、もう酒は止めようと思うが止められません。
”せっかち”も絶対に止まることはありません。それどころか64歳になっても未だに元祖せっかちで「せっかち」の癖は抜けません。
どうも”せっかち”そのものを止めるのは不可能のようですし、結果も良くなさそうなんです。そこで無理やり”せっかちそのもの”を無くそうとせずに、とりあえず、そのままにしておいて”ゆっくり”する時を少しづつ増やそうと気づき始めました。
今思うと、親や先生や友人や上司から、過去「せっかちを直せ」と何度も言われたのですが、「せっかちは君の長所でもあり、そのままでいいから、ゆっくりする機会を持て」と言う人は皆無でしたね。
毒を取り去るのではなく、毒には別の毒をみたいなことでしょうか?
そうすると「この64年思い悩んできた”せっかちを直さなくては”という責め苦からひとまず開放されてきました。
そこで64歳の今、少しづつ始めたことが、ゆっくり=スローなことを幾つかやってみようということです。
そうすると、意外なことに、せっかちな自分にも”ゆっくりすることは”ある程度できましたし、案外楽しいこともわかってきたのです。まあ64歳ですから、慌てる必要がなくなったことも追い風なんですがね。若い頃には無理だったかもしれませんね。

「64歳急ぐことは全くないんだ」

例えば、「新幹線で京都から東京へ行く必要なんかない、バスでもJRの鈍行でもいいのだ」というような感じですね。
     「エスカレーターなんか乗る必要はない、ゆっくり歩いて上ればいいじゃないか」
     「マイカーなんかいらない、自転車や電車でいいじゃないか」
     「今日やらなくても、明日やればいいじゃないか」

重要なポイントは,”ゆっくり”を少しづつやりながら「今更、急ぐ必要は全くないじゃないの」ということをまず実感し、そういう意識を強く持てるようにしていくことなんです。昔私が禁煙した時、ジュギングやテニスをやることで、少しづつタバコの弊害を身をもって実感できていったことを思い出します。

”ゆっくり”を少しでもやっていくと「急ぐ必要がないのに急いでいる」ということが少しづつ実感できてきます。そういうことに気づくというか強く認識することからが出発点だということにも気づき出したのです。
私の場合、理由はわかりませんが、幼少の時から、どんな場合でも「急がねば」と急ぐ意識が身体に根深く滲みこんでいたのです。
こういう傾向は、案外どんな人間でも、あるように思います。例えば、次のようなことです。

 ・何でこの人、偉そうにするんだろう?
 ・何でこの人、すぐに怒るんだろう?
 ・何でこの人、大人しいんだろう?
 ・何でこの人、のろまなんだろう?
 ・何でこの人、ごみをあちこち捨てるんだろう?
 ・何でこの人、つーんとすましているんだろう?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういう人は、私同様に、幼い頃から何故か、そういう脅迫観念みたいなものが身体に滲みこんでしまっていたのでしょう。
そして、本人も多分悪い癖を直そうとするのですが、一向に直らないんだろうと思います。
そういう方は、私同様に、直そうとせず、反対の状況を少しでいいから、取り入れてやってみることだと思うのです。
そうする結果的に、二次的効果として、元々の悪い癖が良い方向へ是正されていくような感じがします。

日本人は、世界一几帳面で待ち合わせの時間に遅れることをひどく嫌ったり、非難します。ほとんどの人が時間を守り、もし1分でも遅れると真顔で、人生論や倫理なんか持ち出して、「時間を守らない人は駄目な人間だ」みたいなことを言い出すのです。それを聞いている多くの人達も、そうだそのとおりだと、大きくうなずくという「一種の時間厳守の狂気集団」なんです。そういう時間厳守の日本人が世界では、特殊な人種であるとは絶対に思わないのです。多くの他の国では、少しくらい遅れるのは当り前であり、人間性を問われることもないし、非難の対象でもないのです。
事ほど左様に、人間の悪い癖というのは強い思い込みが根本原因なんです。
たかだか10mくらいのバンジージャンプでも飛び込めない人が多いのですが、丈夫なゴムの命綱がついているので、全く危険ではないのですが、自分で勝手に”すごく危険だと思い込んでいる”から飛びこめないだけなんです。ところが思い切って飛んでみると、案外どってことはないのです。
鳥など獣にも”刷り込み”という現象があるようです。例えば、子猿が生まれた時に、たまたま犬がそばにいると、その犬を親と強く信じてしまうらしいのです。
まあ人間も動物ですから”刷り込み”という影響を受けてしまうようで、この”刷り込み”は想像以上に強いものですから、無理やりそれを治そうと思っても無理なようです。教育というのは重要ですが、やり方によっては、危険極まりないものであることは、歴史も証明済みです。
だからそのものを治すのでなく、その反対のことを少しづつやって慣れていくことのほうが効果的であるというのが私の結論です。

例で話ましょう。
貴方がもし、すぐに怒るタイプの人だったとします。周囲の人は「お前な、すぐに怒るけど、あれ止めろよ」なんて言うでしょうが、多分そんなことで治るものではないはずです。むしろ逆効果で、切れて、喧嘩になってしまうかもしれません。
禁煙なんて張り紙を部屋中に貼っても禁煙など成功することはありえないのです。どだい無茶な話なんです。会社や学校や家庭ではそういう指導方法が当然のようにやられています。しかし実際の効果はごく少しなんです。
最近の私だったら、「結構すぐに怒るけど、貴方は正義感が強いみたいですね、でも時々10回に1回でいいから、人に優しくしてみたらどうですか」と言うようにしています。というのはその人には”強い刷り込み”があるから、怒りっぽいから直せなんて言っても、他人の一言で治るなんてのは、無理だからです。禁煙しようとすることだけでなく、コーヒーや緑茶や軽い体操や散歩やお菓子などをやってみることです。

ところで、私のそういう変化によって、わかってきたもう一つのことは、左程せっかちでない人でも、結構人間は”ゆっくり”という無上の素晴らしきものを味わい切れていないということに気づきはじめたことです。
特に多くの日本人は、”ゆったり文化”ではなく”せっかち文化”なんです。
 「とにかく忙しくてね、今一番欲しいのは暇だよ」なんて言う人は多いのですが、
 実は、そうではなく、暇になると「退屈で退屈で、つまらねー」なんて言う人がほとんどなんです。
 スーパーのレジで1分でも並ぶのが苦痛なんです。電車に乗ってじっとしているのが苦痛なんです、エスカレーターも走って上るんですが、馬鹿じゃない。家で暇もてあまし、ごろごろしている老人わざわざ新幹線のぞみで家に帰るんですが、鈍行で、弁当食べて、ゆっくり景色でも見ながら帰ればいいじゃないか。
 暇に慣れていなんです。少しづつでいいから暇に慣れ・暇を味わう習慣を持ちなされ。そういうことを続けると”ゆっくり”の感じが理解できてくるはずなんです。”ゆっくり”の楽しさや素晴らしさが少しは理解できてくるはずなんです。

まだ私も、偉そうなことは言えませんが、”せっかち”という刷り込みから脱皮し、日本人に欠落している”ゆったり”を心から味わえるように進化・成長することを実行しつつあります

・男は女をやってみ
・金持ちは貧乏やってみ
・関東人は関西人やってみ
・社員や社長やってみ
・議員は国民やってみ
・都会人は田舎暮らしやってみ
・引きこもりは旅してみ
・日本人は外人やってみ
・親は子供やってみ
・恥ずかしい人はどんどん恥じかいてみ
・老人は若者やってみ
・美人はぶすやってみ
・二枚目は三枚目やってみ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして刷り込みを解消して下さいね

◎悪い癖を直そうと思ったら、そのもの自体を止めさそうとしても駄目・無駄ですよ!反対側に少しづつでいいから導いていくことです。(彼岸に渡らすこと)

例えば、東京人は関西に暮らすと東京のいろいろなことが見えてくる。
製造の人間を営業させてみる・営業の人間を製造させてみる・金持ちの子供は貧乏な家庭で預かってもらう・平社員に課長やらす・・・・・・

昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言いますでしょ!旅というのはそういうこと(彼岸)ですよ。
人生(http://www.meico.org/p14.html)
明るく生きる(http://www.meico.org/p19.html)
老後の生き方(http://www.meico.org/kokoronowakasa.html)
座右の銘(http://www.meico.org/zayuunomei.html)





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