村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

586.人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

2024-07-29 20:56:05 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町地図
*********村上原基人生勉強会*********
**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

私は24歳で東京を出て関西に来て以来、会社・住まい・暮らし方・仕事・趣味・・次々にさまざまに変わってきました。まあ普通の人の数倍変わって来たと思っています。変わるということは、まず変わるかどうかの厳しい決断が必要になりその後変わったことに順応していかないといけない、かつ変わったことを続け、それで終わりではなく更に変わることが大事になる。変わることの連鎖反応、その結果今81歳で思うことは「よくぞ積極的に変わって来た」「人間としての成長に満足」ということです。私の人生を振り返ると「変わる」こと自体そのものが大事だったという感じさえしている。逆に変わらない人は、そんな人の一生はおよそ人生とは言えないと思っている。
ところで
26年前、都会暮らしを止めて55歳からの15年間一人の山暮らしは全く初めての経験であったので最初は多くの時間を山の掃除・片付けをしていた時期があり、小さな森に分け入ってそこを綺麗にするために黙々と雑草を抜いて小道を作ったりしていたのですが、その後もそれが習慣になって雑草を採ることが私の趣味というか専門能力になり習慣化している。そういうことをやっている内に森を綺麗にするのに普通1カ月かかりそうな場所でも3日で終わるなんてことにまで進歩した。でもさすが「趣味は草採りです」と、あまり自慢げに言うことはない。今住む町も朝の散歩道路や空き地や空き家の雑草も採ってきれいに保たれていることで私は僅かに知られるようになっている。
さて雑草を抜く専門的な話は別の時にして、ここでは雑草を人間に例えての話をしたいのです。人間にとっては庭や空き地に雑草がびっしり生えてしまうのは気分が悪いし、繁殖してほしくない草花が増えてしまい、蛇や虫やシロアリが住み着くなど困った面が多い。完全な悪者ではないが今日の話では、雑草=ダメ人間の行いとしておきます。結論は雑草は刈るのではなく抜け、抜いた草はそこらへんに撒き散らす(草刈正雄)のではなく、きちんと処分せよ(草抜和隆)ということが大事で、それを今回のブログのテーマ:「変わる」ことの結び付けて後半で説明して行こうと思っています。

今日の話は、人が変わるということについてです。無論良く変わるということですが、私の周辺の多くの知人を観ていて思うことは、人はなかなか変わらないということ。付き合いの中で「この人はこういう点とこういう点を変えたら随分と良くなるのに」と思うことがしばしばある。しかもそれが私だけでなく周囲の皆が同じ意見だったりするのだが、本人は変えようとしない。その点私はプロ級に変わって来た。本人も気はついているし、自分の悪い癖は理解している。治せるならば直したいが治せないか全く治す気がないというかどちらかである。喫煙や飲酒や過食やごみ屋敷程度の些細なことでも人間は簡単にやめられないのだ
その理由は
①長年染み付いた癖である
②本人はさほど悪い癖と認識していない
③変えるには努力が必要だが到底耐えられない、面倒くさい
④変わる事の意味や価値を分かっていない
⑤変わることが苦手
⑥悪な質で、良いことを拒否する性格
⑦自分勝手、自分中心

簡単に一口で言えば ”やる気が全然ない” のである
「俺、変ったよ」と簡単に言う人が多いが、本人がそう言うほど変わっていない。「あたかも変わったように装って」いるが全然変わっていない

よく軽々しく「貴方最近変ったわね」などと言われたが、実は髪の毛や顔の化粧や衣服の好みが変わった程度の事が多い。そんなの変わったとは言えないどころか、むしろ嘘誤魔化し(詐欺)に過ぎない。本人は「やった」と言うが、周辺の人は「ぜんぜん変わってない」という具合

「変った」ということは周囲の大多数の人間から「すごい、よくぞ変わった」と認められないような場合は本当に変わったとは言えないのだが、本人は「変わった」と信じ切っている。皆さんの周囲の街や組織の中で、「あの人はすごく変わった」なんて言う立派な人を見受けますか?
変るということもまあ5段階くらいに分かれる
✕レベル0.変わったというがむしろ悪くなって行く(最悪)
Xレベル1.あまり関係ない些細な事しか変わってない(ごまかし)
Xレベル2.ほんの一部分しか変わっていない(全部はやらない)▢
△レベル3.一見変わっているが完ぺきではない(完全ではない)
ロレベル4.変わってはいるが、それでおしまい
〇レベル5.変わったことを表に出さず更に変わろうと努力を続ける

あまり変われない人の特徴は、意外かもしれないが、強い人・元気な人・明るい人でもどこか大雑把で反省はあまりせず、前進する気がなく、大事なことが抜け落ちている人「そんな小ぽけな事、どーでもいいじゃん」みたいな”変わることが全くない人”。”変わらない人=頑固=自分勝手=いい加減=自分を観ない”私のもっとも苦手な人の一人である。職場の同僚や上司や先輩にも、そんな人がいませんか?
まあ0~3はよくあるパターンで、こんな人はある意味どうでもいいと言うかまあどうやっても変わらないダメな人。問題は実は4の人なのだ。こういう人は変わったことを自慢するが、時々元の悪い状態に戻ったりする。”変わる”ということは私の経験で言うと自慢する事ではなく、むしろ他人に知られなくても黙々と地道にやる性格でない人は長続きしないし、やった行為の奥深さがなくなってしまう。まあ一応変わってはいるのですが、それが頭のてっ辺から足先まで身体全体に完璧に染み着いていないのです。「変わった変わった」と大騒ぎする奴に碌な奴はいない、騒ぐほどシッカリ変ってはいないものなのです。
例えば、オリンピックで金メダルを取ったといって大騒ぎで喜ぶ選手は私としてはあまり感心しない。むしろ銅メダルでも負けてもオリンピックの本来の目的を黙々とやる人格的に優れた選手のほうを称賛したい。人から称賛されることを追求する人やお金儲けの手段にしている人は私にとっては話にならない類の人なのだ、そんな人を目標にしたり、尊敬なんかしてはならない。例えばイチロー選手や大谷選手がいかに素晴らしい成績を上げても大金持ちでも、私にとっては、単なる野球の美味い普通のおっさんとしてしか認識していないし格別尊敬もしていない私は競技スポーツを勝ち負けを気にして真剣に観ることはない
喫煙に例えるとたしかに「禁煙した」でも時々酒を飲んで盛り上がったときなどに、つい「1本くれる」なんてことで喫煙してしまう。いかにも変っているようで定着や進歩がない。まあタバコならまだよいが麻薬や厄介なものの場合は深刻だ
ダイエットもそうだ、ダイエットで20%も減量したがある時に油断してリバウンドして前より太ってしまう。ちなみに私も喫煙は当初は「1本くれる」タイプだったがも
 ・変わったことを続けること
 ・それで終わりでなく更に引き続き変わること
 なのだ変わったらそれで御終いではない
更に更に大事なことは
  自分がやったとか自分は偉い・素晴らしいと思わないことだ


例えば私は長い都会暮らしを捨て、山暮らしや田舎暮らしを始めたが、こんなことは普通の都会人はあまりやらない
私の歯はかなり健全な状態だが、私のやっているきちんとした歯磨きのやり方や間食しないなどという事をごく普通にやっている人も少ない、だからそういう多くの高齢者が入れ歯だ
私が、あれこれ変わって来て今も続けていることを多くの老人の場合は変われていないのだ。歯磨きの例でもどこか欠陥があるが、「それでよい」と思い込み続けている人が大半だ


変わるということを分かって戴きましたか?
変わって、変わることが身についてくると何にでも対処できる、自信がついてくる、活力が湧いてくる、人生が分かって来る、健康で明るくなる、迷いが減って来る・・・・

山暮らし以降私も村上原基人生勉強会を立ち上げブログを書き続けてきたがその結果自分が本物に変わるように追い込まれることになった。そういう経過を通じて変わることも単なるchangeではないなということが少しは分かって来て、ますます人生の到達点は遠ざかっていくのを実感している。変わろうとして努力してもなかなか難しいのだが、変わろうとしない人は、俗にいう「死ななきゃ治らない」のであり=生きている本物の価値がない人で一生を終えることになります。
以上の考え方は禅でもそのようなことが言われているように思います。

高齢化して気になるのは病気だが、なかなか病院に行って検査や診察をしない人というのがいるが、これがまた「変わらない人」のもう一つの特徴なのだ。こういう人はいくら検査を進めても絶対に病院に行かないのだ。「怖いのだ」そしてアドバイスする人を毛嫌いするのも特徴なのだ。これが夫婦だと「うるさい、黙ってろ」で喧嘩になってしまうのだ。

高齢になって「もうあまりジタバタしないでゆったり老後を暮らす」なんて言う人が多いが、これは大きな間違いだと思う。生まれて必死に勉学を続け、社会に出て更にいろいろ経験し、専門能力を磨き、苦しみや悩みを潜り抜け、成功や失敗も積みあげてきた、いよいよ老後となれば人間の完成のために貴重な時間を費やさないでどうするのだ、一体何のためにこの世に生まれてきたと言うのだ?
65歳以降日々人間として反省したり、更に人間完成のためのチャレンジをしたり、人間としてあるべき本来の姿に仕上げていくべきではなかろうか?「もう変わる必要はない。あとは余生をゆったり好きな事をして暮らせばよい」なんてのは実にもったいない。例えば若い時は日本一の剣豪だった宮本武蔵は、老後は180度生き方を変えて人間らしく暮らしつつ寺の奥にある「霊厳洞」に籠って「五輪書」を書きあげた。
  老後に変わらなくていつ変わるというのだ

「衆生本来仏なり」…人は本来仏なのだから、生きているうちに立派な仏のような人間になりなさい・・・そのために自己を徹底して捨てきって、本来の仏性に近づく生き方をしないさい
死んで仏になるのは、すなわち”仏にならずに死んだ”、”餓鬼のまま死んだ”という意味で人間として最低なんですよ。老後にこそ過去を反省し大きく変わりましょう

私は50歳くらいから大工を趣味にして来た、81歳の今も何がしかの大工作業は続けている。LIXILの「店舗用引戸のキット5.3万円」(2枚アルミ引き戸180×180㎝)を庭の土間の入り口にやっと一人で組上げた「よくやった」

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