村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

19.WBC(世界野球大会)で日本が勝ったことはそんなに良いことなのか?

2006-03-25 18:16:17 | 虚業
『物事の元凶は、物事を二つに分け、そのどちらに属するのか、白黒はっきりさせて、終えてしまおうとする心にある』

日露戦争の日本海海戦の勝利さながらに、WBC(世界野球大会)で日本が土壇場で奇跡的に勝ったということで日本中が大騒ぎし久々に明るくなっているようです。
そういう中で私の気分は、どうであったかというと、正直な話、嬉しかったし、日本野球の能力の高さに感激しましたが、その一方、少しへそ曲がりでは、ありますが、
「喜び半分・そうでない半分」「目出度くもあり目出度くもなし」というような気分でした。

①韓国の人達は、さぞかし頭にきているだろうな、ものすごい復讐を誓っただろうな
②アメリカは、がっかりしているだろうな、日本の大相撲みたいに絶望しているのだろうか?
③長いこと世界一だったキューバも、残念に思っているだろうな、大いに反省しているだろうな
④その他の国は、日本の勝利に関心さえないだろうな、チクショウ日本の奴め、覚えてろ・・・
⑤ニューヨーク・タイムスは、しきりに自国批判だ、米国野球選手は大いに反省したことでしょう
⑥喜びの絶頂は日本だけだ、「奇跡の優勝・実力世界一」だなんて手放しの喜びようだ

今回の日本の技術に感動し・学び、参加した他国野球の改革に結びつくことは間違いありません。今頃真剣に繰り返しビデオを分析し、研究していること間違いなしなんです。
逆に日本は他国から得る具体的なものがあったのでしょうか?かつてのバレーボールのように、「恐るべし日本」とばかり、急速に今回の日本の優れた技や戦術や練習方法まで分析され、吸い取られ、技術・秘術をまんまと盗まれることでしょう。早速、日本のコーチ獲得なんかやったりしますよ?油断してはいけません。次回のWBCは、コテンパンにやられますよ。一体、前回の日本の優勝は何だったのか?とならないようにしないといけませんよ。本当に勝つということは、とてつもなく厳しいことなんです。

■勝ちチーム(例:かつての巨人)
・喜ぶ
・奢る
・強いと思う
・チヤホヤされる
・問題点をつかまない
・目標を持たない
・祝勝会に振り回される
・緩む
 → 駄目になる

■負けチーム(例:かつての阪神)
・悲しむ
・謙虚になる
・弱いことを反省する
・非難される、なじられる
・問題点をつかむ
・目標を持つ
・即座に反省会をすぐに行う
・厳しい努力が始まる
 → 良くなる

どちらにしろ「勝つ」ことそのものは、結果に過ぎず、一時のハカナイ喜びでしかありません。大した意味はないどころか、むしろ以上のような弊害を生むことが多いものです。かつて大勝したために、その後急激に没落する選手や企業はどれだけあったことか。

日本がかつて日露戦争で、大国ロシアに勝ったことを思い出します。今回の日本の優勝は私にとっては、実のところ日露戦争の勝利のような気分なんです。日露戦争に勝った当時の日本は、提灯行列・花電車が繰り出し、祝勝ムード・日本強し一色だったと聞いています。まあ戦争でないからスポーツだから平和的だから素直に喜びたいとも思いますが、どうみてもタナボタですし、本物の初代チャンピオンなのかなー?

日本では、昔から、次のように言います。
①負けるが勝ち
②奢れるものは久しからず
③勝って兜の緒を締めよ
④勝てば官軍
⑤勝敗は時の運
⑥敗軍の将、兵を語らず
⑦勝てば負ける

日露戦争後、日本はロシアに勝ったことで不幸な状況に追い込まれていきます。そしてやがて第二次大戦によってアジアを中心に多大の苦痛を隣国および日本自体にも与えるように突き進んでいくことになるのです。

しかし他方、第二次大戦で、大空襲と原爆二発を落とされ、決定的な敗北によって、日本人の誇りとあらゆるものを奪われましたが、その後、結果的には、日本は世界の技術大国・経済大国にのし上がって行ったのです。

勝つこと、勝つことによって奢ること、お祭り気分になること、勝つことで自分を実態以上にすごいものと誤認することが不幸な結果をもたらすのです。
そういう意味から多くの諺が言っているように、勝つことは、むしろ結果的に大いに危険であることを認識しておくことが肝心です。
勝って悪いことはありませんが、

①異常なほどに勝とうとすること
②勝つことを異常に喜ぶこと
③勝つことで傲慢になること
④謙虚さを失うこと

ことは厳しく戒めなくてはいけないのです。というか勝つことなんかそんなに素晴らしいことではないのです。歌の歌詞にあるように「他人に勝つより自分に勝て」なんです。勝つというのは単なる方便なんです。もし、勝つことで思い上がり、結果的に自分を駄目にするしたとしたら、なんのことはないのです。
勝つことは単なる結果に過ぎないので、勝つ能力を持ち・不断に能力を高める努力を続けることこそが大事なんです。
日本人の私でさえ、今回の優勝は韓国であったような気がしていますし、韓国に優勝させてあげたかったと思います。日本に2回も勝っているし、勝率もトップだったということを忘れてはいけません。(日本は、韓国の言うように、恥ずかしい優勝でした。韓国の人々から日本は汚い国だと思われたでしょうね。恥を忘れ・失った日本選手に良い気分はしませんでした)3回も戦って3戦に勝つというのは確率的にも難しいことですよ。日本選手や王監督は、自分達が喜ぶ前に、韓国の健闘を贊え敬意を表するべきでしたよね。
勝ったら、心を失って大喜びするのではなく、むしろ余裕を持ち・寛容で広い心を持ち・自分の自惚れた心を戒めることこそが大事なんです。
江戸時代に宮本武蔵という大剣豪がいました。若い頃は勝つこと日本一の剣豪になることだけを目的に、剣術の果し合いの日々を過ごすのです。
しかしその武蔵が晩年は、他人に勝つことより自分に勝つことを目的に、大きく生き方を変えるのです。

今回のイチローは、正に若き頃の武蔵ほどではないにしろ、武蔵のような感じを受けました。いつになく冷静さを失い、独りメラメラと燃える、対戦国に対して問題発言を乱発していました。(もし日本人であれば、あんなことは言うべきではありません。ああいう礼を失した物言いは、武士道精神の日本人としての発言ではありません)

「30年は日本とは戦いたくはない」
「負けて、最も屈辱的な日であった」
結果的に日本が勝利したからこのイチローの発言は、賞賛さえされていますが、韓国の3戦目に負けて、まかり間違って決勝で負けていたら、イチローは長いこと、大いなる非難に曝されることになったでしょう。多分イチローは、心の底から、ホッと胸をなでおろしていると思いますよ。
「30年は日本とは戦いたくはない」というのは、実際にはそんなにも強くはなっかたのですから、全く失礼かつ・いい加減極まりない発言であったと強く反省し、できれば謝罪すべきでしょう。まあ「もう後の祭り」ですが、口は災いの元です。

武蔵同様に劇的に勝利したからこそ、許された発言だったのです。まあ「絶対に負けてはならん」イチローは一つの大きな賭けに出たのでしょう。失いかけていた日本チームの気迫を、挑発的とも言えるような(アメリカ的)、殊更に強い表現で世界に示したんでしょうね。
彼は意外も意外、ここ数年アメリカで勝っていないのです。そういう意味で、今回は、なんとしても勝ちたかったのでしょう。特に日本人として勝ちたかったのでしょう。勝てないマリナーズで骨を埋めることになるとすれば可哀想な気もします。これも、イチローだからこその神からの誠に有難き大試練なんでしょうね。でも今回、神様は、粋なプレゼントを彼に与えたのです。神のご加護をもらうイチローはすごいかもしれません。
今の時代は、勝ち組/負け組というように分けるのがはやっていますが、そういうことは事実ですし、勝ち組になる努力も必要だとは思います。負け組にどっぷり漬かっている若者は、ゾーッとしますし、軽蔑の対象でしかありませんし、負け組の人や会社は、やはり、あまり良いとは思えませんからね。しかしその上でも、やはりそういうわけ方は、どちらに属するにせよ良いことではないような気がします。「負け組は駄目・悪い・無用というように断定する」のは間違っていますし、社会全体としては危険なことです。
私は次のように思います。

①勝つことは大切なことであると思っています
②でも勝つことを最終の目的としてはいけない
③負けても相手を讃えよう
④争って、我を忘れないようにしよう
⑤勝って、おごる心を戒めよう
⑥負けることも、大いに価値がある
⑦負けた相手のことを、思い遣ろう
⑧勝ったら、勝ったことに捕われず、淡々としていよう
⑨勝つということは、相手を打ちのめすことではない
⑩勝ち負けに、こだわらない強い心を持とう
⑪勝ったからと言って、それほど大したことじゃない
⑫豊かな時代に、勝つということはさほど意味がない
⑬現代においては、勝つことより協力や協働が大事
⑭他人に勝つことより、自分に勝て
⑮勝つことで多額のお金や名声を得ようとするのは戒めよう
⑯勝ち負けというのは、争う心から生じている
⑰勝つことそのものが目的になることは良くない
⑱勝つことを周囲が異常に賞賛し過ぎるのはいかがなものか
⑲人間は自然に勝つことより、自然に負ける(従う・妥協する)ほうが良い
⑳負けてもガッカリすることはないむしろ、負けた原因を考え努力研鑽しよう

第二次大戦で敗戦後、食料も物も娯楽もない時代に、水泳の古橋選手のように、日本の選手が競技で勝つことは、日本人の荒んだ心に恵みと勇気と元気を与えたことでしょう。しかし今日のように豊で便利な時代に日本の選手が勝ったといって大騒ぎ・大はしゃぎするのは、おかしいというか、子供じみていると思わざるをえません。
むしろ恵まれない国の選手が頑張って日本を打ち負かし喜んでいれば、一緒に喜んであげることが日本の役割なんではないでしょうか?わざと負けることはありませんが、気違いのようになって勝つことに執着するのは大人気ないことだと思うのです。
子供と競技してムキになる大人は最低ですよ。
ところで、自然のことに話しを転じますと、自然は勝つなんてことを考えていません、淡々とやるべきことをやっているのです。私はイチローのそういう姿が好きでした。でも今回のイチローは私にとってはややがっかりでした。(彼は若い日本選手のためにあえてああいう態度をとったという人もいますが、多分そうなんでしょうが、もしそうだとしたら、「そんなことイチローにやらすな」と言いたいですね。やはり、彼は表面的にはクールなほうが似合います)
若いのに神様のように思えるほど素晴らしい人間と思っていましたが、やはり彼もまだ若い一面を残していたようです。そういう意味では、むしろ、ある意味安心もしましたが。「大人以上に大人のように見えたイチローもまだ若者のようであった、まだまだ修行することが残っていた」と思ったからです。あの歳で出来すぎていることはむしろ、気持ち悪いし、人間を小さくするだけです。
あんなに勝ち・負けにこだわる尻の青さも持っていたんだ。勝つことは負けることは若者の特権であり、そこから学ぶものも多いのです。若者は大いに勝ち負けにこだわれ。

 ・若者は、大いに勝ち負けにこだわるべきだ、だって若者は未熟で不完全なものだから
 ・大人は、勝ち負けにこだわり過ぎてはいけない、大きな落とし穴に落ちる危険があるから
 ・老人は、勝ち負けにこだわってはいけない、老人にとって自分に勝つことが大事だから

日本という国は高齢化し、大人になろうとしているのですから、勝ち負けにこだわるような子供じみたことを卒業しないといけないと思います。
今回WBCの試合を見ていて、貴方は次のどれでしたか?今回の真昼のテレビの視聴率が50%くらいということからすると、①と④が多かったのでしょうね。私もどちらかというと①でしたからね。
でも私は最近は、少しづつですが、冷静に②や③になりつつあるのです。というか、そういうように見るように変わろうとしているのです。

①カッカして、日本の勝ちに非常こだわって観戦していた
②日本の勝ち負けには関係なく、淡々と野球を観戦していた
③日本とか他国とは関係なく、良いプレーそのものを楽しんだ
④観戦はしなかったが、日本が勝って非常に喜んだ
⑤観戦もしなっかたし、日本が勝ったこともどうでもよかった
⑥全くなんの関心もなかったもなかった

最後に負けることについて、特に大人・老人に一言
 ・甘んじて負ける
 ・負けることを楽しむ
 ・負けることを栄養源にする
 ・負けることに喜びを感じる
 ・負けることに負けるな
 ・勝つことに勝ち誇るな
負けることを知り、笑みを浮かべ平然と負ける人のほうが、より勝利者に近い
  (負けられない者は、臆病で、ひ弱で、自信がなく、脅え、いつも身構える)
負けてグジグジ言うのは、最も最低です。

①徹底して節約(無駄取り)
②徹底して謙虚(謙遜)
③徹底して努力(勤勉)
④徹底して愚直(素直)
⑤徹底して明快(明るく・快活)
⑥徹底して誠実(真面目)
⑦徹底して親切(思いやり)
⑧徹底して健康(食事・運動・良習慣)
⑨徹底して自然(あるがまま)
⑩徹底して工夫(創意・創造)
⑪徹底して反省(懺悔・悔悟)
⑫徹底して労働(汗と涙)                  

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18.格差拡大というが、悪いことなのか?

2006-03-20 09:31:07 | 社会
景気が安定的に良くなってきて、収入も支出も増えているのだそうです。
しかし副作用でしょうか、格差というものが顕在化してきたようです。どこの国も最近は格差というものに悩み始めています。
中国もロシアもインドも欧州でもどこも格差がどんどん拡大しています。むしろ日本なんかは、まだましなほうです。昔に比較すると、日本は豊かになったための格差というようなレベルだと思います。しかしその日本でさえも、格差で深刻に悩む家庭は増えています。景気拡大が急務で、それに伴って発生している深刻な底辺や貧困家庭やホームレスまで考えや政策が行き渡っていないのは事実です。
しかし格差そのものが悪いことかというと、そういうことを言い切ってしまうことは問題があります。というのは不景気から脱出するには、頑張ってくれる人が多くないと困難なことです。とういうことは、格差拡大は、景気回復の当然の結果でもあるのです。
すなわち抗癌剤を打てば吐き気や抵抗力が落ちるなどの弊害が伴います。そういうことを知っていて抗癌剤を投与してもらったはずです。格差拡大というのは事前予想されていることなんです。自由主義の社会とはそういうものです。努力しない者や能力の低い者を豊かな者が助けはしますが、ある程度の格差を我慢をしなくてはいけないのです。いやむしろ格差を認める社会のコンセンサスが必要になるのです。そしてできた格差をなくすようなマイナスの努力でなく、問題となる格差(穴ぼこ)だけを埋めていく努力をするべきなんです。
野党が格差拡大をあたかも小泉さんの改革の失敗のように言うのはおかど違いです。格差拡大は抗癌剤同様にあとで検証し必要な対処を施すべきことなんです。ということで、景気回復という大目的に対して格差拡大というのは、むしろどちらかというと、狙らっていることなんです。野党の人やある種のマスコミヤ評論家は「格差拡大はけしからん」という論調になりがちですが、それは大きな間違いです。インドも中国もロシアも格差拡大は問題ではありますが、そうは言いながら、それによってその国の景気は良くなっていってるのです。
大都会と地方の格差が拡大しているとも言いますが、そんなことは今でなくとも昔から明らかなことで、経済的な格差はあるが、逆に相当に恵まれた自然環境が地方にはあるのです。地方に住んでいる人はそういう覚悟は必要です。都会を見るからそういうことを言うのですが、ここ50年地方から都会にどんどん人が流れてきたのです、貴方はそういう中で田舎を選び続けてきたのです。
現代人や豊かな国では、格差を全面否定してはいけないのです。だって自分で住む場所や職業を選択する権利や自由があるのですから、共産国家や非民主国家ならともかく日本では、「格差がけしからん」というのは禁句なんだと思います。格差と弱者は違います。民主主義国家でも、弱者は助けてあげるべきです。でもいくら弱者でも、まったく努力もしない人や企業や県を助けるというのはおかしな話です。
昔、農業に多額の補助金を出したことが日本の農業を歪めてしまったのです。彼らは弱者に甘んじてしまい、自助努力を怠り続けたのです。場を提供するチャンスを与えることは必要であっても、努力をしないような支援政策は絶対にやってはいけません。

ところで格差拡大していることは悪いか良いかという議論を横に置いておくと、格差拡大が進展していることは日本もいよいよ本格的な景気上昇局面になっていることを暗示しています。ここ10年、格差がない時代が続きましたが、結果は景気悪化・不況の元凶だったのです。
「格差拡大=やる気のある人が頑張っているということ」なんです。国も企業も個人も意欲のある者が多いほど、格差拡大するのです。そして勝ち組と負け組みに分かれるのです。勝ち組/負け組についてもすぐに「けしからん」という人がいますが、そういう人は不景気を肯定していることになるのです。一方で景気を良くしてくれ、でも勝ち組・負け組はけしからんというのは大きな間違いであるのです。

昔、高度成長期の日本では、まさに「熾烈な競争の日々」でした。今はフリーターとかニートとか気力の失せた若者や高齢者が増えていますが、問題なのは、むしろ負け組・格差の底辺の人々なんです。このことをもう一度思い返して欲しいものです。昔のように異常なほどエコノミックアニマルになるのは問題ですが、頑張るとかハングリー精神というものは、いつの時代でも大切です。

  ①当たり前のことをきちんとやる
  ②やるべきことは、徹底してやる
  ③自分自身を厳しく見つめ、磨く
  ④そして本物の自由と安楽に浸る

やるべきことをやらずに「格差拡大反対」「負け組に手厚い保護を」というのはお門違いです。そういう考えが日本や先進国家には蔓延っていますが、それこそが大きな問題の根本だと思います。思い出せ「ハングリー精神」「がんばり精神」。フリーターやニートという人にチャンスを与えることは大切ですが、ただでお金を与える(保護)は、最悪の愚策でしかありません。もっとも日本ほどチャンスが多く、環境に恵まれている国はないのですがね?

 先頭集団がまず頑張る →結果を出す →格差が生じる →格差をバネに頑張る

日本は、あまりに恵まれ過ぎてしまったのでしょうね。白隠禅師のお言葉のように「衆生近くを知らずして遠く求むるはなかさよ、例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり、長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず」

最後に、格差の話ですが、格差が開くほど、格差が問題になるほど、二・三年は日本の景気は、かなり上昇するということですかね。
逆にもしさほど格差が開かなかった場合は、日本の景気もたいしたことがないということができるように思いますし、もし、またまた同質社会に戻った場合、日本は、厳しい苦しさが、再びぶりかえすことになってしまいます。

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17.無能で不誠実な政治家や役人の思いつきの対策にまかせていいのか、またまた失敗するのでは?

2006-03-10 15:52:43 | 政治

「デフレから抜け出したい」「物が売れなくて困る」「少子高齢化が進み、財政がますます厳しくなる」と言って、テレビやマスコミで騒いでいますが、私には何故か素直に理解し賛同できません。バブル崩壊によって、ある意味せっかくエコノミックアニマルから卒業できたのに、またまたエコノミックアニマル的な対策をやって景気が良くなりさえすれば、それで良いとなりそうなんです。これからの日本はもっと精神的なリーダーシップをとる世界をリードする誇り高い国を取り戻していくことが大事だと思うのです。
昨今、大問題のように言われ、マスコミでも、かんかんがくがくの議論がされています。しかし冷静に考えると、そんなに簡単に良い・悪いと断言できることではないように思います。というのは、こういう現象は、それぞれ理由があってこうなってきたのであって、昨日・今日急にそうなったわけではないのです。もし大騒ぎするのならもっと早くすべきことだったはずです。例えてみると、「若気の至りで不摂生をしていた人が、ある日突然癌になった、さあどうしよう?」というような状況なんだと思います。
しかし、そんな場合でも、そのまま、ありのまま受け入れるしかないと思いますし、とってつけたような対策をやっても目覚しく状況が良くなることは期待できないのです。無能で私利私欲に走る政治家や役人ども一部の学識経験者がデフレ脱却・景気拡大・人口増加が必要だと真顔で言い、対策を考えているらしいのですが、これは、ひょっとして、またまた彼らの陰謀ではないかと疑うほどです。また国民は騙されているのではないでしょうか?大丈夫ですかね?そのうちインフレになった時になって、デフレに戻してくれ・資材の価格を安くしてくれ・人口が少ないほうがいいなんて言わないでしょうね?「質より量」ということには懲り懲りしているんです。頭も根性も悪い政治家や役人が思いつきで、見よう見真似で数字合わせ・形だけ合わすことは、またまたとんでもない悪い事態を引き起こすようないやな予感がします。
バブル崩壊では思い切り騙されましたが、彼らは謝罪もしないし、責任もとりませんからね。
少なくとも、政治家の先生達が大騒ぎし、いっぱい面舵をとるほど、私には悪い状況ではないように思えるのです。政治家や役人は重要なことをやるのは遅いのに、つまらんことは思いつきで、どんどんやりますから危なくてしょうがありません。

いくらデフレと言っても、物の価格がただになることはないのですし、人間もそんなに馬鹿ではありませんから、いつかは自然に止まるはずです。一面だけでなく多面的・長期的に見てみることも大事ですよ。物事は良い面もあれば必ず悪い面もあるのです。逆に良い面があるということは、同じくらい悪い面があるのです。「馬鹿は馬鹿なりブスはブスなり、貧乏人は貧乏人なり」で良いのであって、それらが悪いと身勝手に決め込むのは、むしろ危険なんではありませんか?もっとゆっくり時間をかけてやる、それよりも無駄な歳費の出費を大幅に減らすことのほうが先決なんではないのでしょうか?

1)デフレ:物の価格が下がるんだからいいじゃないの?
2)物が売れない:資源が無駄使いされなくていいじゃないの?
3)人口が減る:世界は人口が異常に多くて困ってるんだし、人口減れば暮らし易くなるんではないの?
何も悪いことなんかじゃない。勝手に悪いと考えているだけだ。彼らは、底の浅い屁理屈を何だかんだと彼らの都合の良いように振り回すだけなんです。

物事というのは、本来あるがまま・自然にまかせればいいんじゃないですか?なんじゃかんじゃと現状に不満を漏らす奴にろくな奴はいないんです。
無能で根性の悪い政治家や役人なんかが、あわてふためいて、下手にいじくりまわすから世の中結果的に、どんどん悪くなっていくんです。
病気なんかも悪い時は、薬や注射もいいですが、できればゆっくり時間をかけて直すのが一番ですよ。
世の中を良くするためにもっと大切なことは、自分自身を磨くことなんです。自分以外のことに解決策を求める、他に依存する、下手な対策を打つ、保護政策に頼るのは邪道でしかないのです。

日本では1970年以前は、為替が1ドル360円くらいでしたが200円更に100円台に急速に円高になってきました。最初は大騒ぎをしました。でもその後円を安くするように対処したかというと、そのまま円は高いまま今日に至っています。当時日本人は、円高になって困りはしましたが、一生懸命努力し円高をそのまま受け入れ、今日に至っているのです。変な抵抗はしなかった、でもかえって、おかげで日本は豊かになったのです。世界の一流の仲間入りができたのです。
そして今為替は100円~120円を自由にうごめいているのです。実に自然です。自然にまかせているのです。困ることがあるとすれば、大した理由もなく、急激に為替が上下する時だけなんです。
アフリカで深刻な絶滅の危機にある動物を保護したところ増え過ぎて、結果的に殺すことになったことがあります。絶滅の危機だから手を打つというのはいいことではありますが、本来から言うと可能な限り、自然にまかすのが最高の策であると思うのです。人の知恵は、所詮猿知恵以下ですから、「人が良かれと思ってやったことがかえって状況を悪化することがある」ということを夢夢お忘れなきように。
「アジアの国で、ある日本人が、現地の人がよく働くので金を余分に与えたら、翌日からとたんに働くなくなった」という話があります。理由を聞いてみたら、「お金がこんなにあるのだから働く必要はない」ということだったらしいのです。そういう意味からすると日本なんかはこれ以上何を望むの?と言いたくなるのです。日本では景気が悪い給与が下がった財政赤字だと言っても「食べるものも・寝るところも・雨露しのげる家も・全てが揃っているのに」と思うのです。強いて言えば今すぐに果敢にやって欲しいことは、無駄な歳出の大幅削減くらいでしょうかね。

・人口が減るのなら、当面はそのまま受け入れて、「子供生めば金やるぞ」みたいな変な対策をやらないほうが良いのではないかと思います。日本の農業がお金ばらまきをやってきたために、外国に比べて数倍高い野菜や米を買うはめになっているのです。沖縄なんかは、普通に子供を沢山生んでいるそうですよ。お金もらえるから子を産むなんておかしいですよ。
高齢化ということは、素晴らしい高い能力を持つ有能な人材が沢山巷にあふれてくることであり、若者は、そういう人に教えてもらうことができるというわけです。こんな素晴らしい状況がかつてあったでしょうか?

むしろ逆転の発想で日本の人口をひとまず半分くらいにして、頭数より有能な日本人を育てる、労働は、若者の数十倍働くロボットに任せればいいんです。そういう国家戦略のほうが長い目で見て日本にとっても世界にとってもいいことじゃないのですかね?なにしろ、これからは人口が多い国は、むしろやばいですよ。大企業が膨大な社員かかえて困ったことを忘れてはいませんよね。食料不足・資源不足になった場合人口が少ないということは、それだけあれこれ有利なはずですよ。
世界は人口増加と多くの人が贅沢を始めたことで資源や食料の枯渇の危機に瀕する前夜なんです。無能議員や役人どもや学者さんに、まかせないで、国民自らが、皆で深く考えないといけませんね。

・「デフレを解消するのにインフレ目標をあげて」なんてのもおかしい話ですよね。物が安くなるのは、貧乏人や高齢者にとっては、結構な話なんですよ。それどころか日本の物価は、まだまだ外国に比べて異常に高いと言われているのですよ。
またそんなことしなくても、物価はどんどん上がっているのですよ。皆様が想像できるかどうか疑問ですが、間もなく更にびっくりするほど急激な物価高に悩まされることになるのです。
少なくとも私にとってデフレではぜんぜん困っていませんし、むしろ非常に恩恵を蒙っています。無理やりインフレなんかにして欲しくないのですがねー。

・国民がそこそこお金を持っているのに、物が売れないなんて、よくよく考えれば、素晴らしいじゃないですか?買わなくて済ませれば、資源やエネエルギーの消費が抑制されていることになるのです。お金を使わないでなんとかしているということなんです。これぞ、循環型社会のお手本のような昔の日本の暮らし方そのものなんです。自動車止める・家は中古マンションにする・衣服は買う必要はない・贅沢な食事は止める・海外旅行なんかも止める・酒とタバコを止める・冷暖房も止める・携帯も控える、それで十分お釣りがくるはずですよ。

昔は衣服が破れても母親が夜なべして繕い、兄の衣服は弟にお下がり、物はとことん修理して使いました。食べ物なんか残すなんて絶対にしないし、捨てるなんて考えられませんしとんでもないことでした。

景気が悪い収入が少ないと言ってるわりに日本人の無駄使いの習慣は改まっていないのです。むしろもっと無駄を減らすべきじゃないんですかね?ところがそろそろ昔のように無駄や贅沢を始めたいのか、安易に「景気上げよ・給与あげよ・人ふやせと」、右肩上がりの再来を夢見るのです。
日本の場合、もし景気が良くなって、物価が上がっても、個人の収入が劇的に増えるわけはありません、かえって一般の人の生活は苦しくなっていくようにも思います。
最近の人件費は、中国やインドなどの低賃金の国と比較されて評価されるのであって、日本人の生活が贅沢だから、日本人の給与が高くて良いという理屈は通らないのです。どんどん資材の原価が高騰すると、そのしわ寄せは、更に人件費にくるはずです。もし給与をあげてもよいという理屈がとおるとすれば、その時は、日本からは多くの企業や工場は無くなっていくか、ロボットや自動機械に置き換わっていくことになるはずです。
下手に景気がよくなったり、インフレになって困るのは一般の人々なんです。そういうことを冷静かつ客観的に考えておかない、あとあと「そんな馬鹿なことはあるかい」と言ったところであとの祭りになるだけです。
まあ私の言いたいことは、自然にまかす。もっと昔の生活スタイルに戻れということなんです。高齢化して病気になり死ぬなんてことは、昔は当たり前だったのです。むしろ高齢化社会なんてのは愛でたいことなんではありませんか?
松下幸之助さんが会社の講演でしょちゅう言われていました。「”自然治癒力”というものが人間や自然界には、備わっているから、その力を最大限に活用すべきだ」とね。
「下手な考え休むに似たり・果報は寝て待て・待てば海路の日和あり」
大切なことは「自然」に戻すこと。不自然が一番いけません。

なにしろ無能で不誠実な政治家や役人におまかせというのはなんとも怖い・恐ろしい話ですなー、ゾーさむーい。どんどん日本はそれこそ三流国家に落ちていくように思います。このままでは、日本の祖先がえいえいと築いてきた誇り高き伝統を失っていくようなことを大いに懸念します。経済なんかよりそのほうが心配ですが、すこぶる無能な政治家・役人は、どうも枝葉末節のことばかりやり・やり方もお粗末極まりないように思います。
私が、いつも政治家や役人や学者さんは無能と言っていますが、冗談でなく、彼らは一見良さそうに見えるだけで、本当に正真正銘の無能・無気力・無責任・無力・無知な人々ですよ。絶対に信頼なんかしてはいけませんよ。私なんか、ずーと以前から、できれば、彼らのいない国に亡命したい又は彼らを国外追放したいと何度も思っていますからね。
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16.コンサルタントとして恥ずかしくないように、京都事務所の炊事場を更に改善しました

2006-03-04 10:36:16 | 暮らし
京都事務所の炊事場を更に改善しました
昨年から冬場に京都の事務所を整備しています。
  ・まず不要なものを捨て捨て作戦で一掃しました。
   (捨てるということは、何事をやる上で非常に大切なことなんです)
  ・次に劇的までいきませんが、全体の片付けを実施しました。
  ・次に細部の改造に着手しました。


そういうことから改善すればするほど、見えてくることは、まだまだ「つめの甘さ」です。自分としてはそれなりに他の家よりきちんとできているという自惚れ奢りがあったことが、災いしていたのでしょう。

今までこんなひどい状況で満足していたのか?
いやそんなことはない。いつも不満足を感じていたはずだ。しかし是正しようとしていなかった。
「まあ、やる気がなかった、やらなかった」ということなんです。
しかし、こんな低たらくは、いつも立派なことを言うコンサルタントとして許されることでしょうか?いえ、断じて許されません。そんなことでは企業様や人様を指導する資格はないのです。

今回かなりまた改善しました。
ポイントは、次のようなものです。

①場所が広く使える
②立体的に保管する
③使いたいものがすぐに取れる
④炊事が能率よくできる
⑤皿洗いなどが簡単にできる
⑥洗った食器が簡単に片付けられる
⑦冷蔵庫からものが取り出しやすい
⑧こ綺麗でスッキリしている
⑨清掃が楽で清潔が保てる
⑩何がどこにあるか容易にわかる
⑪炊事などの作業の動線が短い
⑫ごみが捨てやすい

このような面から今回改めて評価したところ、やっとそこそこ、まあまあの合格ラインに到達できたようです。無論これで終わりということはなく、むしろ更なる改善は、尽きないでしょうが。
コンサルタントなど人を指導する立場の人や一流になりたい人や会社は、自分の会社や家庭の台所やトイレ、風呂場など基本的なことからまず完璧にすべきだという思いを強くしました。

・小さなことから何でもきちんとやる人や会社は、何事においても優れている
 イチローやトヨタみたいな
・小さなことを含めて何やってもいい加減な人や会社は、何事においても駄目である
 最近の政治家や役人、学校の先生みたいな

○まあ自分のやっていることを大いに疑い猛反省しろ
○そして改善を果敢に実行しろ
○それでも普通の人間はそれほど良くはならない
○人生とは永遠の改善であるから日々反省し改善を実施すべきだ
○そういう積み重ねの努力をすることで成長するしかない

写真でわかりにくいという方は、ついでに当社の事務所にお越し戴き見て戴くと、まあ少しは参考になるかもしれません。ところでセレブではありまん、お金はあまりかけていませからん、悪しからず。
こんなことを自慢したいとは思っていませんし、むしろどちらかというと駄目な自分の戒めでしかありません。

自分は、小ぽけなことさえ出来てないで、偉そうなこと言ってないか?そんな自分で日々すませていていいのか?付き合ってもらっている相手の方に失礼でないのか?
コメント
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